第9話 赤髪の辺境伯様は追放参謀を勧誘するようです
象徴を、すなわち将を失ったヴルド人の軍隊は脆い。文字通りのフラッグシップ機、《アレニエ》が撃墜されたとの報を聞いたベルケ艦隊は速やかに戦意を失い、撤退を始める。むろん、アケカとしてはこれをタダで帰すつもりなどさらさらなかった。
対艦装備の《甲鉄乙式》が艦隊に襲い掛かり、バズーカ型のガンランチャーから対艦ミサイルを撃ち込んだ。その効果は抜群であり、たった一度の攻撃でベルケ艦隊は中型巡洋艦を一隻、護衛駆逐艦を三隻も失ってしまった。
往復攻撃を仕掛ければさらなる戦果拡大も可能だったろうが、アケカは追撃を命じなかった。彼女らの任務は、あくまで《いなば丸》の護衛だ。当面の危機が去った以上、深追いをする必要はないと判断したのだった。
「あー、疲れたぁ……」
ベルケ艦隊の撤退から十二時間後。善哉は、《いなば丸》の幹部用ラウンジのソファで横になっていた。現在、《いなば丸》は同盟軍の前哨拠点安芸津星系を目指して超光速航行に入っている。近隣に敵影はなく、彼はやっとのことで緊迫した空気から解放されることになった。
ラウンジに居るのは、善哉ただ一人だけだった。藤波の方は、今は船長代理としてブリッジに詰めている。二人は交代で休憩をとることになっていた。
「くっそー……まさか、退役した後にも実戦に巻き込まれるとはなぁ」
キャプテン帽を指先でクルクルと回しつつ、小さな声でボヤく。もっとも、《いなば丸》が戦闘に参加したのは哨戒巡洋艦との一件だけだ。その後のベルケ艦隊との戦いでは、暗礁宙域に身を潜めた後はちょっとしたナビゲーションをするだけで終わっている。
とはいえ、やはりそれでも気疲れくらいはするものだ。善哉はため息を吐き、懐から出した電子タバコで一服した。
「おや」
安っぽい電子音を耳にして、善哉は顔を上げる。電子音といっても、敵襲を知らせる警報ではまい。ラウンジのインターホンだった。
「空いてるぜ」
身を起こして姿勢を正し、キャプテン帽をかぶりなおしてから善哉はそう答えた。船長たるもの、いついかなる時でも情けない姿は見せてはいけない。それが彼のモットーだった。
圧縮空気の抜ける音とともに、ラウンジの扉が開く。さて、誰が来たかな。そんなことを思いながら扉の方を見た善哉は、思わず目を見開いた。そこにいたのが、よりにもよってアケカだったからだ。
「こいつは失礼」
立ち上がり、直立不動で敬礼をする善哉。腐っても元軍人、流石の彼にもこの程度の社会性はあった。
「それほど肩肘を張らずとも良い、貴殿は身共の部下ではないのだからな」
鷹揚にそれに応じたアケカは、まるで自分の屋敷に居るかのように堂々とした態度で善哉の対面の席へと座った。そして、彼にも腰を下ろすよう目で促す。
「ど、どうも」
参ったなァ、こんな相手が目の前にいたんじゃ休むどころじゃないぞ。いや、そもそもどういう要件でここに来たんだ。そんなことを考えてから、善哉は自分とアケカの間のテーブルをチラリと見た。
来客をもてなすならば、茶の一杯でも出すべきだろうか。藤波の言うところの、マトモな社会人ならそうするべきだろう。善哉はそう思ったが、一度降ろした腰を再び上げるのはいささか気恥ずかしい。
「ゼンザイ殿、先ほどの戦闘では世話になったな。おかげで随分と楽に戦えた」
彼が逡巡しているうちに、アケカはさっさと本題に入ってしまった。まあ、それならそれでいいか。そう思いなおして、善哉は彼女に向き直る。
「いえ、やれるだけのことをやったまでです」
「やれること、か。そもそもからして、実戦であそこまでのことが出来る人間は中々おるまいよ。もと軍人とはいえ、貴殿は男なのだ」
ニコニコ笑いを浮かべつつ、アケカは彼を賞賛してみせる。おだてに弱い善哉は「へへへ」と頭を掻いたが、すぐにハッとなって首を左右に振った。こんな二人っきりの状態で、相手のペースに乗ってしまうのは危険だろう。
「いやはや、まったく素晴らしい。通信・索敵網の構築に、見事な管制。そして何より、敵新兵器に対する知識! これほどの知将は、今のわが軍にはおらぬ」
「は、はあ、ありがとうございます。……で、本題の方は?」
露骨に過ぎる褒め言葉だ。さしもの善哉も、アケカが何か腹に一物を抱えていることはうすうす勘付いていた。引きつった顔で彼がそう返してやると、アケカは顔に冷や汗を浮かべながらしばし黙った。
「……」
「……」
「……如月運送は、次の仕事は決まっておるのか?」
気まずい沈黙の後、アケカは唐突にそんなことを聞いてきた。
「い、いや、実はまだ未定でしてね。まぁ、今の積み荷を降ろしたら、いったん地球に戻ろうかと考えておりますが。道すがらの寄港地で積み荷を売り買いするだけでも、それなりの儲けにはなりますし」
「ふうん、そうか。それは良かった」
何が良いんだよ。善哉は半目になった。今のアケカの表情は、上官が何かしらの無茶ぶりを押し付けてくるときのものにそっくりだ。上位者がこういう顔をしている時は、たいていロクなことにならない。
「ならば、一つ提案があるのだが」
「正直、聞きたくないんですが」
「駄目だ、聞け。……ゼンザイ殿、我らクスノキ家に雇われる気はないか?」
案の定の発言に、善哉は顔をしかめた。
「そんな顔をするでない」
苦笑するアケカ。じゃあ、どんな顔をしろって言うんだよ。善哉は心の中でそう吐き捨てた。
「《いなば丸》に乗船してきたばかりの時にも少し話したが、先月に起きた会戦でわが軍は大敗を喫した。少なくない数の艦船が没し、危機的な状況になっておるのだ。この窮地を脱するには、貴殿らのような腕利きの力が是非とも必要である」
ぐいと身を乗り出し、アケカはそう熱弁した。実際、安全なはずの航路に敵艦隊が出没するようになっているのだから、彼女の発言にも真実味がある。リンティア同盟軍とやらがそうとうに追い込まれているのは確かだろう。
「なんです、たかだか八百メートル級の中型貨物船を、総大将自らヘッドハントしなきゃいけない状況なんですか? そいつぁ、ヤバいどころの話じゃありませんよ」
砂を噛むような表情で、善哉がそう反論する。
「乗員の方には、それなりに自信がありますよ。でもね、《いなば丸》はただの貨物船だ。今回みたいな襲撃がたびたび起こるような航路で仕事をしていたら、あっというまに沈没船に仲間入りしちまう。船長としては、頷きがたいご依頼ですな」
同盟軍が《いなば丸》の救援に寄越した戦力は、ストライカーが九機のみ。たしかに心強い援軍ではあったが、真面目に護衛戦をやるのならばせめて駆逐艦やフリゲートの数隻くらいは寄越してもらいたいところだった。
「うん、まあ、この船ならば、そうなってしまうかもしれんな」
痛い所を突かれたはずなのに、アケカはあっけらかんとしていた。猛烈に嫌な予感がしてきて、善哉は口元をゆがめた。
「なので、貴殿らにはもっと頑丈な船を任せる。五一センチ三連装砲を、三基九門装備した大戦艦だ。これならば、容易には沈められぬ。そうだろう?」
「ええ……」
何言ってんだ、コイツ。さしもの善哉も、これには顔を引きつらせた。五一センチ級の主砲を搭載した戦艦は、地球軍でもまだわずかな数が配備されているに過ぎない。そんな新鋭艦を、流れ者の異星人に任せる? 何かの詐欺ではないかと、善哉はいぶかしんだ。
「ハトが豆鉄砲を喰らったような顔、というのは今のゼンザイ殿のような表情を言うのだろうな」
「そりゃ、妙な顔もしますよ。そんな艦があるのなら、自前の軍人を乗せた方がよっぽどいいですって。地球軍とそちらの軍では、たぶん戦闘教義もだいぶ違っているでしょうし」
「確かにその通りだ。いくら練度が高くとも、他の兵や艦との連携に問題が出るのではなんとも使いづらい」
アケカはアッサリと善哉の指摘を認めた。しかしそれでも、自分の提案を撤回する気はさらさらないようだった。
「……はっきりというとな、この艦はただの手土産。いや、前金に過ぎん。身共が本当に欲しいのは、戦艦を動かせる兵などではない。それに乗せるべき頭、つまりは貴殿だ」
ニッコリと笑って、アケカは善哉の肩に手を乗せた。
「先の会戦で失われたのは、船だけではない。人も随分と失われてしまった。その中には、身共の腹心でもあった主席参謀も含まれておる。艦隊旗艦の戦闘艦橋が、吹き飛ばされてしまったのだ」
「司令部全滅、ですか。そいつは穏やかじゃありませんな」
「ああ。知っての通り、ヴルド人の軍隊では将はたんなるお飾りだ。実際に指揮を取るのは、その直下に居る参謀たち。つまり、それを欠いてしまった今のわが軍は、頭脳を失ってしまったのと等しい状態になっているのだ」
「ウオオ……」
先ほどの戦いを思い出し、善哉の口からうめき声が漏れた。司令官同士の一騎討ちなどという真似を、平気でやってしまうのがヴルド人という種族なのだ。参謀が指揮の実権を握るのは、自然の流れだと言えた。
「残念ながら、今のクスノキ家家臣団にいぜんの参謀団の代わりを務められるような人間はおらん。身共は身共で、腕っぷしだけで当主に上り詰めた人間でな。用兵のほうはサッパリなのだ。しかし、チャンバラの腕だけではいくさには勝てぬ……正直、もはやこれまでかと絶望しておったほどなのだ」
アケカは更に身を乗り出し、善哉の手を両手でぎゅっと握った。
「そこに現れたのが、ゼンザイ殿だ。軽武装の貨物船で本式の戦闘艦を撃沈し、さらなる強敵が現れても見事な差配で我らを援護してくれた。あの手管をみれば、貴殿が本物の智者であることに疑いはない!」
熱っぽい声で語るアケカに、善哉は思わず目尻がさがった。おだてにはとことん弱い男なのだ。相手がとてつもない美女ならなおさらである。
「地獄に仏とはこのこと、ゼンザイ殿との出会いは天祐というほかない。身共には、貴殿のような人間が必要なのだ。伏して頼むっ! どうか、我の元で戦ってはくれまいか!」
本当に頭を下げながら、アケカが懇願する。善哉の方は、褒められて嬉しいやら厄介な案件を頼まれて困るやらで、すっかり大混乱である。
「い、いや、その……クスノキ様。どうか、頭を上げてください。困ります」
「いいや、上げん。貴殿が頷いてくれるまでは!」
アケカの声音は石のように固く炎のように熱かった。どうやら、冗談半分でこんなことを言いだしたわけではないようだ。善哉はすっかり困ってしまって、顔じゅうに冷や汗をかいている。
そこへ突然、圧縮空気の抜ける音が響いた。ラウンジの自動扉が開いたのだ。二人があわててそちらに目をやると、そこに居たのはアケカの近侍、ユキであった。
「上様、斗南要塞からの通信が……おや」
ユキは善哉の前で頭を下げたまま固まっているアケカを見て、目を丸くする。
「もしや、愛の告白でもされておりましたか。思うに、出会ったその日に告白というのはいささか性急に過ぎると思うのですが」
「ち、ち、ち、違う!」
顔を真っ赤にして、アケカは叫んだ。
「私はただ、ゼンザイ殿に我らの軍師になってもらおうと……とにかく、違うのだ! これは!」
「でしょうね」
ヒートアップするアケカを見て、ユキは楽しげに笑った。どうやら、状況を理解したうえでからかっていたようだ。上官相手によくやるものだ。若干呆れつつ、善哉は嘆息した。
「それよりも、早く通信に出た方がよろしいかと存じます。基地司令のカザミネ中将も、ヴァンベルク艦隊のリコリス侯爵も、上様が勝手に出て行ってしまったものですからもうカンカンですよ」
「げえ」
貴人にあるまじき声をだして、アケカはテーブルに突っ伏した。そして大きなため息を吐き、姿勢を直してから善哉の方を見る。
「すまぬ、ゼンザイ殿。用事が出来たゆえ、身共はいったん退席させてもらう。返事の方は、また後で頼む」
そう言って、アケカは慌てた様子でラウンジから出て行ってしまった。残された善哉は、意外と愉快な人なのかもしれないな、などと心の中で呟いた。
「助け舟、感謝いたします」
「貸し一、と言うことで」
ユキが意図的にアケカの邪魔をしたのは明らかだ。善哉がそう言って軽く頭を下げると、ユキは無表情のままウィンクした。上官に負けず劣らず、こちらもなかなか愉快な御仁のようだな。善哉は内心肩をすくめた。