第19話 追放参謀は侯爵様と再戦するようです
それから三十分後。慌ただしく身支度を整えた善哉は、改めて会議室へと向かった。もちろん、それには彼の雇い主であるアケカも同行している。とはいえ先ほどあんな出来事があったばかりだったから、二人の間では会話は必要最低限しか交わされていない。その上アケカは妙に挙動不審で数分ごとに善哉をチラチラ見てくるものだから、彼としてはどうにも居心地が悪い。
「おはよう、アケカ。よく眠れた?」
「普段通りだ。変わりはない」
しかし、それも会議室に入るまでの話だった。室内でリコリスが出迎えたのと同時に、アケカは元通りの傲慢不遜な王侯の仮面をかぶりなおす。見事なまでの切り替えだと、善哉は心の中で感心した。
とはいえ流石に誤魔化しきれない部分もあったのか、リコリスはアケカと善哉を交互に見比べてから片方の眉をあげる。二人の間で何かがあったことを察したらしい。なにか嫌味でも言われるのではないかと善哉は身構えたが、結局リコリスがそれ以上口を開くことはなかった。
「さて、これで全員揃いましたな。それでは、本日の軍議を始めたいと思います」
善哉やアケカが席に着いたのを見計らってから、司会役の貴族が軍議の口火を切った。流石に少し緊張した心地になり、善哉は小さく咳払いをする。とにかく、リコリスがどんな判断を下したのか気になって仕方ないのだ。
だが、これはあくまで定例の軍議であるから、いきなり本題に入ることはない。フルコース料理と同じで、まずは善哉を片付ける必要があった。つまり、今朝は行ってきたばかりの情報の連絡や報告だ。
「ご命令の通り、情報部はアテナ・インダストリ方面への情報網構築を始めました。一週間以内に実働が始まると思いますので、しばしお待ちください」
「同じアテナ関係で、別の報告もございます。帝国軍のファレン基地に潜ませてある諜報員から連絡があったのですが、アテナ船籍の貨物船が港で大量の荷揚げをしているそうです。数からみて、ゼニスではないようですね。量産型ストライカー、あるいは機動砲や多脚戦車等の通常兵器が納品されているようです」
「我らは一個大隊ぶんの新型機を手に入れただけだというのに、敵方では早くも新型の大量配備が始まりつつあるというわけか。厄介だな」
報告を聞き、アケカは顎を撫でながら低い声で唸った。その顔には、徹夜の疲れも先ほどまでの動揺も一切残っていない。どうやら、すっかり気分を入れ替えてしまったらしい。こういう切り替えの良さは、流石というほかなかった。
「とはいっても、カワシマ社からの第二陣が到着するのは二か月後の話。戦力化にはもっと時間がかかるだろうし、今はありものでやりくりするしかないわね」
畳んだ扇子をペンのように回しつつ、リコリスが指摘した。あまりお行儀のよい所作ではないはずなのだが、リコリスがやると妙に優雅に見えるから不思議だった。
「ライセンス権は買ってるんでしょ? 組み立て途中の旧式機も全部放棄して、さっさと生産ラインの構築を急ぐことね」
「むろんだ。言われずともすでに命令は出しておる」
「でしょうね。……ライセンス権の名義人は同盟でしょ? ヴァンベルクのほうにも、さっさと設計データを回してちょうだいな。カワシマ社から招へいした技術者と工員の準備も、もうとっくに整っているのよ?こっちは」
「聞いていないぞ、そんなことは……いつの間にそのような用意をしておったのだ」
深々とため息をついたアケカは、善哉の方をチラリと見て肩をすくめた。うちは味方同士でもこの調子なんだ、と自嘲しているようだ。
それからもしばらく、やくたいのない会議が続いた。やれナントカ星系の惑星ナントカが皇帝艦隊に包囲されたとか、やれ国境地帯のナントカ伯爵が寝返ったとか、そういう景気の悪い話題だった。
善哉はまだ同盟のことにしろ帝国のことにしろ、付け焼刃程度の知識しか持っていない。しかし、だからと言って彼がそれらの話を聞き流すようなことは決してなかった。むしろ、単語の一つ一つを脳細胞に刻みつけるように記憶し、どうしても気になるようなことはアケカやユキなどの質問することすらした。期間限定とはいえ、善哉は既にこの国の参謀の一人なのだ。そういう立場の人間がどれほどの責任を負わねばならないのか、善哉はきちんと承知していた。
とはいえ、なかなか本題に入らないものだから、善哉もアケカもだんだんやきもきしてきた。だが、リコリスはなかなかその話題を始めない。じらすように、重要だが急ぎという訳でもない話で二人を煙に撒いてしまうのである。リコリスがこれを意識的にやっているのは間違いなかった。天性のサディストである彼女は、アケカらをじらして楽しんでいるのだ。
「ああ、そうそう。そこの地球人が持ってきた作戦案。昨日一晩かけて、じっくり読ませてもらったんだけど」
結局、リコリスがそう切り出したのは軍議が始まってからたっぷり一時間は立ってからの子だった。流石に少しばかりだれてきていた善哉は、それを聞いて慌てて姿勢を正す。アケカの顔に浮かぶ表情も、幾分厳しいものへと変わった。
「読めば読むほど、凄い作戦ね。わたくし様、びっくりしちゃった。……あんまりにひどすぎて、ね?」
そんな二人を見やりつつ、リコリスは毒をたっぷりと含んだ声音で言い放つ。アケカの眉間にしわが寄った。
「うまくいけば、まあ打開策にはなるでしょうけど。でも、肝心の上手くいくかどうかが怪しすぎる。なにしろ、寡兵側がさらに戦力を分散するような作戦だもの。論外よ、論外」
「……」
よく研がれたナイフのように鋭い罵倒であった。気色ばんだアケカが、思わず立ち上がりそうになる。しかし、善哉は無言でそれを止めた。
「その上、失敗……あるいは中途半端に成功した場合のことが何も考えられていない。この作戦がしっかり回るのは、完全に思惑通り状況が進んだ時だけよ。作戦立案者は、素人か何かかしら? 実戦用の作戦なら、次善の策、あるいは最悪の策。そのあたりはしっかりと考えておくものなのだけれど。あなた、本当にちゃんと士官学校は卒業しているのかしら」
とうとう、罵倒は直球の善哉批判へと姿を変えた。リコリスは完全に相手を見下す目つきで、善哉を睥睨している。しかし、彼はその程度で怯むほど肝の小さい人間ではなかった。
「で?」
善哉が返したのは、その一言だった。さしものリコリスも、これには絶句する。
「で、ってアンタ……他になんかないの?」
「それはこちらの台詞ですよ。この作戦がクソなんてことは、他ならぬおれ自身が一番よく承知してるんだ」
善哉はたいへんふてぶてしい態度でそう言い放ち、ポケットから出した電子タバコで一服した。
「……けどねえ、無策よりは愚策の方がはるかにマシなんですわ。このままじゃあ、同盟軍は無策で最強皇帝サマと戦わにゃならなくなる。それを避けるために、無い頭を絞ったまででしてね。これより良い策があるってんなら、もちろん喜んでそれに従いますとも」
ゆっくりとした、だが決断的な口調でそう言った彼は、ミントの蒸気を肺一杯吸い込んでからゆっくりと吐き出す。
「で? リコリス・ヴァンベルク閣下。対案をお聞きしてもよろしいですか? 極論、おれが聞きたいのはただそれだけなんですわ」
「……」
リコリスは今度こそ言葉を失った。まさか、雇われの平民軍師風情にこんなことを言われるとは思っていなかったからだ。その不敬極まりない態度に周囲の貴族共がにわかに騒がしくなったが、善哉はもちろん当のリコリスですらそれをまるで無視していた。
「……対案は、ない」
「ヴァンベルク侯!」
絞り出すかのようなリコリスの声に、幾人かの貴族が目を剥いた。どうやら、ヴァンベルク派の諸侯のようだ。
「何をおっしゃるのです! 対案ならば、あるではありませんか! そこな男のわけのわからぬ策に従うくらいなら、我らが槍の穂先を揃え、一斉に皇帝艦隊へと突撃を仕掛ければよろしい!」
「その通りです! 一気呵成の勢いと勇気があれば、さしもの皇帝陛下といえど平常心ではいられますまい。そこが狙いどころなのです」
「黙らっしゃい!」
口々にまくしたてる諸侯に対し、リコリスは鋭い声で一喝した。
「三度も失敗した作戦の、四回目の焼き直しをする? 冗談もほどほどにしなさい! それで勝てるなら、とっくに帝都に同盟の旗が翻っているわ!」
痛いところ突かれて、諸侯は黙り込むことしかできなかった。たしかに、皇帝艦隊に対する直接攻撃は、すでに三回も失敗しているのである。四度目を仕掛けたところで、同じ結果になることは非を見るより明らかだった。それでも彼女らが口を開いたのは、あくまで善哉に対する反感ありきのものでしかない。
「……ええ、ええ。認めてあげましょう。ゼンザイ、だったかしら。貴方の策は、確かに今我々が取れる作戦の中では、一番マシなシロモノよ」
「善哉です」
「けどね、そうは言っても少しばかり無茶が過ぎるわよ、この作戦」
善哉の主張をまるで無視してリコリスは言葉をつづけた。
「この作戦は二つの艦隊に分かれて戦わなくちゃならない。なのに、クスノキ艦隊の幕僚陣は壊滅状態なのよ⁉ つまり、そっちの士気はゼンザイが取らなくちゃならない。実力もわからない男風情に、そんな重大な任務を任せられるとでも思ってるの!」
正論であった。アケカは善哉を重用してくれているが、他の者はあきらかに彼を信用していない。こうしている今も、会議室に詰めた貴族共は彼に異物を見るような目を向けているのだ。そんな人間の両肩に、国家の命運をかけた重大な作戦を任せるなどとてもできることではなかった。
「そうですね」
しかし、そんな当然の指摘を受けても、善哉の態度はあくまで傲然としていた。
「なので、実力をお見せしましょう。手っ取り早く、戦術演習でもしませんか。おれの側を、思いっきり不利な条件に設定しても構いませんよ? ハンデってやつです」
自信満々の表情でそう言い切る善哉だったが、内心の方は流石に少しばかり緊張していた。なにしろ、将官を相手にここまで挑発的な真似をするのは、彼をしても初めての経験だったからだ。だが、まともなやり口ではこの作戦が採用されないのは目に見えている。挑発でもなんでもして、相手の隙を引きずり出す必要があった。……この作戦が苦し紛れの愚策であることは、善哉自身が一番承知しているのだ。冷静に討論などした日には、否決されてしまうのが目に見えている。
「……へえ? そこまで言うの。このわたくし様に対して、これほどの大口を叩いたのは貴方がはじめてよ」
リコリスは、口を三日月状にゆがめながらそう答える。怒りを通り越し、むしろ面白がっている風すらある声音だった。
「面白い。わたくし様自ら、その傲慢を打ち砕いてあげようじゃないの。……シミュレーターの準備をしなさい! 今すぐによ!」
……どうやら、善哉はひとまず最初の賭けには勝てたようだ。