第17話 赤髪の辺境伯様は同好の士を見つけたようです
軍議が終わった後、善哉はアケカに連れられて基地の最下層へと連れていかれた。そこは軍事拠点というよりは将官用の別邸のような区画であり、実用性をまるで無視した貴族趣味の空間が広がっている。
豪奢に過ぎる内装の通路を抜け、彼がやってきたのは小さな地下庭園だった。テニスコートよりもやや広い程度の空間に桜の木や石灯籠などが設置され、まるで和風邸宅の裏庭を思わせるような情景を織りなしている。
もちろんここも地下施設ではあるのだが、壁や天井には隙間なくディスプレイが埋め込まれ、空や外界の景色を映し出している。それに加え自然風を模した空調まで効いているのだから、閉鎖的な印象はまったく受けない。
そんな贅沢なイミテーション庭園の一角に毛氈が引かれ、善哉はその上に正座をしている。彼の前には、色鮮やかな抹茶が注がれた茶碗と美しい練り菓子の乗った皿が置かれていた。
「上の庭園もすごかったですが、こちらもなかなかですな。地下の軍事基地に、こういった空間がいくつもあるというのは驚きです」
若干呆れたような口調で、善哉はそう言った。少し茶でも飲まないか。そう誘われてついて行ったら、この有様である。場所こそイミテーション庭園ではあるが、この空間を作り出すために掛けられた費用を思えばある意味本物の野点よりもよほど贅沢な趣向かもしれない。
「うん、まあ、悪くはないだろう? 狭い部屋にいつまでも詰めていては、気がめいってしまう故な」
「正論ですね。しかし、ここは自分の知っている中でも一番ぜいたくなリラクゼーション・ルームかもしれませんな……」
軍人であれ民間人であれ、宇宙で暮らすということはすなわち密閉空間に閉じ込められ続けることと同義だ。そのストレスは尋常なものではなく、どれほど強靭な精神の持ち主であってもこんな生活が何か月も続けば気が滅入ってしまう。この問題を解決するため、どんな安普請の宇宙船や宇宙施設でも、自然空間を模したリラクゼーション・ルームは必須の設備とされていた。
とはいえ、ここまで勢の限りを尽くした部屋はそうそうあるまい。よくよく見れば、室内には小鳥まで放し飼いになっている。たしかに、ここまで精巧な自然が再現されていればリラックス効果もひとしおだろう。
もっとも、この部屋を利用できるのはアケカなどのごく一部の高位貴族だけだ。そういう意味では、コストパフォーマンスは最悪に近いだろう。同盟軍がよほどカネのあり余った組織でない限り、このぶんのしわ寄せは一般兵卒に行っているに違いない。これが貴族主義社会かと、善哉は心の中で肩をすくめた。……まあ、実際は地球とてヴルド人を指弾できるほど高潔な社会制度を構築できているわけではないのだが。
「……」
善哉は少しばかりため息をついてから、アケカ手づから立ててくれた抹茶を口にした。善哉はちょっと唸って、しばらく考え込んだ。味は……ウマい。だが、何とほめれば良いのかわからない。少なくとも、合成茶などではないのは確かなようだが、彼の貧乏舌ではそれ以上の判別など出来るものではなかった。
「その、何と言いますか……結構なお点前で」
「うむ。……茶をたてるのは、身共の趣味の一つでな。ゼンザイ殿の口に合ったのであれば、幸いだ。特に貴殿は、作動発祥の地の出身のようだし」
「はあ、まあ、たしかに自分は日本区の出身ですが。とはいっても、茶の湯と関わった経験はいっさいないので、あまり偉そうなことは言えません」
「そうか。うん、まあ、それでも良い」
会話の内容はひどく空虚だ。善哉にしろアケカにしろ、どんな話題を喋ればいいのかわからなくなってしまっているようだった。とはいえ、口をつぐみ続けるのも気が咎める。少しの間続いた居心地の悪い地目の後、善哉はひとまず当たり障りのない話題でお茶を濁すことに決めた。
「あの作戦案……ひとまず、ヴァンベルク様の興味を引くことには成功しましたね」
「ああ。実際、我らが手詰まりに陥っているのは事実なのだ。多少突飛でも、真新しい意見が出ればリコリスとて気になるだろうさ」
そう言ってから、アケカは瀟洒な手つきで練り菓子を切り分け口に運んだ。
「……だが、このまま素直に飲んでくれるかと言えば流石に怪しいかもしれぬ。この作戦が、博打めいた代物であることは確かなのだ。リコリスとしても、なんの確証もなく乗るわけにはいかんだろう」
「まあ、一筋縄ではいかんでしょうな」
両手で茶碗を包みつつ、善哉はため息を吐く。冒険的、前衛的な作戦案を指揮官に飲ませる……それがどれだけ困難なことであるのか、くさっても元将校であった善哉はよく承知していた。
「ある程度の妥協は仕方のない事でしょうが、換骨奪胎をやられすぎて愚にもつかない凡策にされてはたまらない。むしろ、これからが踏ん張りどころですよ」
「実感がこもっておるな……」
ほの暗い目つきでそんなことを言う善哉に、アケカは小さくため息をついた。
「とはいえ、そのようなことはリコリスめの次の手を見てから考えても遅くはない。用意周到は美点なれど、あれもこれもと先回りしすぎれば却って本道を見失ってしまうゆえな」
「……確かにそうですね」
今、手番を握っているのはあのリコリスのほうなのだ。善哉は眉間にしわを寄せながら、顔を伏せた。アケカの言う通り、今焦ってあれこれ考えたところで無駄になる可能性の方が高いだろう。手番が返ってくるまでは、ゆっくり心と体を休めた方がいいかもしれない。
「……」
「……」
しかし、参ったな。そんなことを思いながら、善哉は茶碗を置いた。この状況では、身体は休めても心は休まらないな。心の中ではそんなことを思っている。何しろ、仕事の話が途切れた途端に話題が無くなり、またあの居心地の悪い沈黙の帳が降りてしまうのである。
相手がアケカだということも、彼が居心地悪く感じてしまう理由の一つだった。なにしろ相手は異星人で、しかも大貴族様なのだ。彼女は彼女なりにフレンドリーに接してくれている、ということは理解できるのだが、立場に差がありすぎて何を話せばよいのかわからないというのが善哉の正直な気持ちである。
もっとも、いたたまれない気分なのはアケカも同じことのようだった。彼女は毛氈の上に行儀よく正座しているが、時折視線を外したりしながらもじもじしている。流石の善哉も、別に彼女が厠に行きたくてこんな態度を取っているわけではないことはちゃんと理解していた。とはいえだからと言って自分から口を開くのはいろいろと憚られる。結局、二人して漬物石のように黙り込むしかないのだった。
「……な、なあ、ゼンザイ殿」
そんな重い沈黙が五分か十分ほど続いた後、やっとのことでそれを破ったのはアケカのほうだった。彼女は膝の上に乗せたこぶしをきゅっと握ってから、少しだけ引きつった笑みを浮かべつつ善哉の方を見た。
「ゼンザイ殿は、地球人だ。ならば、地球の文化にも……詳しいのではないかと思うのだが。どうだろうか?」
「ぶ、文化ですか」
予想もしない問いに、善哉は一瞬頭が真っ白になった。アケカはそんな彼を見て慌てて何度も頷く」
「あ、ああ。文化だ。知っての通り、ヴルド人は雪と氷の惑星に生まれ、戦いの中で発展してきた種族であるからな。命を繋ぐこと、戦う事、この二つだけがかつてのヴルド人の至上命題であった」
「は、はあ」
そう語るアケカの口調は妙に早口だった。それで余計に混乱して、善哉は目を白黒させる。
「それゆえ、こと文化という点では地球文明には大いに学ぶところがある。積極的に、地球の文化を知りたい、身に着けたいと考えているヴルド人は多いのだ」
「なるほど……」
善哉の脳裏に、リンティア同盟への旅のさ中に寄港したヴルド人の都市の記憶が浮かび上がる。レストランに入れば、メニュー表に書かれているのはハンバーガーや寿司やらチャーハンやらといった地球系の料理ばかり。そして雑誌を手に取ると、そこには地球発祥のファッションやら漫画やらが乗っているのである。これでは、外宇宙に出たような気分がしないと船員同士で笑い合った覚えがあった。
「そういうわけで、身共もいろいろと……地球には興味があるのだ。ゼンザイ殿がその辺りに詳しいのであれば、気分転換がてらいろいろ聞いてみたいのだが」
「う、ううむ。そう言われましてもね」
よくよく見れば、アケカの目は期待に輝いている。しかし、善哉はあくまで一般人に過ぎないのである。いきなり文化がどうのとか言われても、困ってしまうというのが正直なところだった。
「おれはあくまで庶民の一般人でしてね。たとえばこういう催し物も……」
善哉は引きつった顔で周囲を見回した。完璧に整えられているように見える日本庭園も、毛氈に並べられた茶会の道具も、善哉の取っ手はまったくの専門外。この様式が正解なのか、茶道具類がどの程度のグレードのものなのかすら、彼には全くわからないのである。
「まったくさっぱり、詳しくないものでして。正直、クスノキ様の方がよほど詳しいのではないかと」
「あ、あ」
その反応を受け、アケカはあわあわと首を左右に振った。
「ち、違……そういうことではなく、私は、その、もうちょっと、こう……」
ぶつぶつ言いつつ、アケカは唇を尖らせる。彼女が“私”といったことに気付いた善哉が、はっとなって彼女の方を見た。アケカは自分の一人称が崩れたことにも気づかず、皿に首を振る。
「ええと、その、例えば……あなたは“宇宙戦艦ナガト”とか、見てたりするのかなって」
「宇宙戦艦ナガト⁉」
これまでで最大の衝撃を受けた声で、善哉は叫んだ。その名前には、彼も覚えがある。善哉がまだ生まれていない時代に大ブレイクした、地球産のアニメ作品だ。
「う、うん、そう。あなたのその、キャプテン帽とか……ナガトの近藤艦長とか意識してるんじゃないかって、そんな風に思ったり思わなかったり。あわわ、いや、違、私ったら余計なことを」
長身の麗人の仮面を投げ捨て、アケカはすっかり顔を真っ赤にしていた。慌てすぎて、かえって善哉の方が冷静になりはじめたくらいだった。
「ええと、ああ、まあ、ナガトはおれも見てますよ。子供の時分に、死ぬほど再放送をやってましてね。近藤艦長も……好きなキャラクターではありますが」
実際、彼はこのアニメを何度も見ていた。なんなら、軍人を志したことすら、この手の宇宙艦隊戦系アニメの影響を受けてのことであった。
「クスノキ様も、お好きなんですか? 宇宙戦艦ナガトが」
「あ、ああ。とても好きだ。初代など、十回は見たかもしれない」
全二十六話を十回も見たのか……。善哉は内心ちょっと呆れたが、もちろん声や態度には出さなかった。
「ということはもしや、宇宙空母グリーンノアとか、星雲漂流記レイファンとかも」
「むろんだ。ナガトを見てそれらを見てない、などというのは片手落ちが過ぎる。……県立宇宙軍のような、古い時代を描いた作品も好みだがな」
「そいつはツウですね。ああ、県立宇宙軍かぁ……しばらく見てないな。あれも滅茶苦茶面白かった記憶がある」
「面白かったどころか! あれは銀河の至宝だと思うぞ。製作者一同を我が国に招き、勲章を授与したいくらいだ」
先ほどまでの沈黙から一転、今や両者の口は油でも差したかのように回りまくっていた。とくに、アケカの顔には明らかに本心から来たものとわかる笑みが浮かんでいる。
それからしばし、彼と彼女は茶を飲むのも忘れて雑談にのめり込んでいった。それはなんと一時間以上にも及び、しまいには天井のディスプレイに映し出されたニセモノの空が赤く染まり始める始末だった。
「あっ、ああー……こほん」
やっとのことでそれに気づいたアケカが、空を見上げながら咳払いをする。その頬が赤く染まっているのは、けっしてまがい物の西日のせいだけではないだろう。自分がしゃべりすぎていたことに気付き、今さらながら照れているようだった。
「いや、すまぬ。しゃべりすぎた……」
「いえいえ、結構ですよ。むしろ久方ぶりに童心に帰ったような心地がして、楽しかったくらいで」
すっかり冷えてしまった抹茶で喉を潤してから、善哉は苦笑いをした。実際、先ほどまでの会話では明らかにアケカが一方的にまくし立てているような場面もあった。だが、だからと言ってそれで善哉が気分を害したということもない。自分の好きな話題であれば、聞き役に徹していても楽しいものなのである。
「しかし、まさか銀河の彼方で同好の士に会えるとは。いささか驚いています。この国にも、そういったその……愛好家の方はそれなりに居るのでしょうか?」
さすがにオタクというのは憚られ、善哉はやや濁した表現をした。しかしその意図はアケカにもキチンと伝わっていたようで、彼女は苦笑いをしながら頬を掻く。
「どう、だろうな? 庶民にはおるかもしれぬが……わた……身共の周りでは、他には知らぬ。まあ、友人と呼べるような相手もおらぬ身の上ゆえな。身共が知らぬだけかもしれんが」
「ハハァ、左様で」
なるほど、やたらとテンションが高くなっていたわけだよ。善哉は内心納得していた。同じ趣味の友人が身の回りにいなかったというのであれば、先ほどの反応にも合点がいく。
「貴族という立場も、端で見ている者が思うほど楽なものではないのですね」
「むろんだ。だが、それが高貴なる義務というもの。これを投げ捨ててしまった者に、貴族を名乗る資格はない」
重々しい口調でそう答えてから、彼女は表情を緩める。
「……とはいえ、ときには羽を伸ばしたくなるのも事実。ゼンザイ殿さえ良ければ、気が向いた時にまた茶飲み話に付き合ってくれると嬉しい。もちろん、強制はせぬが」
「ええ。おれで良ければ、よろこんで」
そう言った後、彼は冗談めかしてニヤリと笑う。
「なんなら、この後第二ラウンドという事でもよろしいですよ。どうせ、メシはこちらで食っていくつもりでしたし」
「ほっ、本当か!」
アケカの顔がパッと明るくなった。善哉としては冗談のつもりで言ったことだったが、どうやら彼女は真に受けてしまったようだ。
「それは楽しみだ。なんなら、泊っていっても構わぬぞ。うんちくを語り合いながら、徹夜で映画やアニメを見る……一生に一度でも良いから、これをやってみたかったのだ!」
そこまでやるとは言ってねえよ! 善哉は内心そう叫んだが、期待満面のアケカの顔を見れば文句を言う気分も削がれる。結局この日、彼は自分の船に戻ることはできなかった。