第11話 如月運送は目的地に到着したようです
同盟軍の拠点のひとつ、斗南要塞。この拠点は斗南-d-一という天体に築かれていた。これは斗南星系第四惑星第一衛星という意味の、ひどく味気ない名前である。
比較的大型のガス惑星を周回するこの衛星は、地球の月よりも幾分大きな星だった。その地表は二酸化硫黄を含んだ氷におおわれており、外見上は薄汚れた雪玉によく似ている。
「申し訳ないが、我々は一足先に基地に戻ることにする。護衛は別の者が代わるゆえ、安心するが良い」
斗南要塞の防衛圏に入るのとほぼ同時に、アケカはそう言って去っていった。どうやら彼女はこの要塞を勝手に飛び出して来たらしく、要塞司令官はカンカンだという話だ。おそらく、名指しで呼び出しを喰らったのだろう。彼女はずいぶんとしょぼくれた顔をしていた。
とはいえ、アケカが去っても代わりの護衛がついてくれるというのなら善哉としても文句はない。交代でやってきた別のストライカー隊の護衛を受け、《いなば丸》は無事衛星斗南-d-一の軌道上へと到着した。
「こちら斗南要塞管制局。《いなば丸》、指定のポイントに降下せよ」
管制局の誘導を受け、《いなば丸》は斗南-d-一の赤道直下にある地点へと降下した。薄い二酸化炭素の大気をかき分けて進んだ先にあったのは、何の変哲もないクレーター群だった。眼下の景色にいくら目をこらしても、軍事施設らしきものは見当たらない。
「地下宇宙港へのゲートを開放します」
しかし、管制局からのアナウンスが入るのとほぼ同時に、異変が起きる。巨大な氷塊の一つが、真っ二つに割れ始めたのだ。この氷塊の正体は、擬装された装甲シャッターだった。その向こう側には、巨大な地下通路が控えている。自動車用の地下駐車場の出入り口をそのまま凄まじくスケールアップしたような光景だった。
「なかなか大規模なゲートだな。これなら、《いなば丸》どころか一キロ級以上の貨物船だって余裕で入港できるぜ」
電子タバコをふかしつつ、善哉はぱっくりと口を開けたゲートを眺める。この巨大な地下通路の先に、斗南要塞があるのだ。
この時代の軍事施設は、地下に作られるのが一般的だった。なにしろ、宇宙戦争ではひとたび制宙権を喪失したが最後、軌道上から質量弾による猛爆撃を受けることになる。それを耐えるためには、生半可な装甲を使うより地下深くに潜ったほうがよほど手っ取り早いのだった。
そしてこの防御施設には、宇宙戦艦などを格納、整備するための宇宙港設備も含まれる。そのため、《いなば丸》のような大きな船でも直接乗り付けることが出来るのだ。
「ぶつけるんじゃねーぞ」
「これだけ広いゲートで事故ったら大恥ですよ。ウチの実家の車庫入れのほうが、よほど難易度が高いと思います」
操舵手が軽口を叩きつつ操縦桿を操る。《いなば丸》はその大きな図体に見合わない機敏さで、ゆっくりとゲートの中に入っていた。この船には大気圏内航行用の反重力機関が搭載されている。そのため、ことさらスラスターを吹かさずとも柔軟な操作が可能になっている。
強化コンクリートの壁面に囲まれた地下通路を通り、《いなば丸》はずんずんと地下へ潜っていく。シャフトのような構造の垂直通路もいくつか通過し、やっとのことで斗南要塞宇宙港へとたどり着いた。
「……ほう、これはこれは」
そこに広がっていたのは、広大な地下空間だ。いや、広大という言葉すら物足りないだろう。なにしろ、地下にも関わらず地平線が見えるほどなのだ。むろん天井を支えるための巨大な柱はいくつも立っているが、それにしても地下空間らしい閉塞感とは全く無縁の場所だと言えよう。
そして当然だが、それだけ広い空間を確保しているのにはそれなりの理由がある。ここは宇宙港、すなわち宇宙船が停泊するための場所なのだ。等間隔に並んでいる乾ドックには大量の軍艦が収まっており、なんとも物騒な雰囲気を放っている。そのほとんどは駆逐艦や小型巡洋艦などの比較的小柄な艦だったが、遠くには戦艦級のものらしい巨大な艦橋がそびえたっているのも確認できた。
「案の定、ッスね」
ところが、善哉と藤波にはそんな光景に感嘆する様子はまったくなかった。むしろ、困ったような顔をしている。なぜかと言えば、並んでいる艦船の少なくない数が損傷を受けていたからだ。
「会戦で敗れたばかりとは聞いていたが、ここまでひどい状態とは」
「言っちゃなんスけど、敗残兵の集団って感じッスね」
何とも言えない表情で、船長と副長はそろってため息をついた。損傷艦はドックで修理をうけている最中であり、あちこちで溶接の火花が飛び散っているのが見えた。整備要員や機材に余裕があるとはとても思えない状況だ。こんな有り様では、いつ《いなば丸》に入渠の順番が回ってくるやらわかったものではない。
「こりゃ、予想以上に足止めを食らうかもしれんな。船を傷つけるような真似をしたのは失策だったかもしれん」
そう言って、善哉は電子たばこを吸った。船を動かさないことには、仕事にならないのだ。しかも、そうしている間にも社員への給料や借金の利息などは払わねばならない。このままでは、負債ばかりが膨らむ悪循環に陥りかねなかった。
「そうは言っても、むざむざ拿捕されるわけにもいかなかったッスからね。あの時はああするしか無かったんじゃないッスか」
珍しく藤波が慰めるような言葉を口にした。明日は槍の雨でも降るんじゃなかろうか。善哉は内心そんな失礼なことを思った。
「ま、確かに過ぎたことをウジウジ言ったってどうしようもないわな。藤波、とりあえず荷降ろしの指揮はお前に任せた」
「私ッスか? まあ、そりゃいいッスけど……先輩はどうするおつもりッスかね」
藤波の目つきが一気に厳しくなった。サボる気じゃなかろうな、そう言いたげな雰囲気だ。
「おれはもう一度クスノキ様に挨拶してくらぁ。こっちは向こうの手違いで損害を被ったんだ。せめて、お前らの明日明後日の飯くらいは手当てしてもらわなきゃ割に合わねえよ」
「あ、そう……じゃ、できればドックの優先権についても頼んできてくださいよ。こんな殺風景な星に何ヶ月も足止めされたら、干物になっちゃうッス」
「へいへい」
ンなことは言われずとも頼んでくるに決まってるだろ。善哉はゲンナリした気分で心の中で呟いた。この副長は彼のことを間抜けな子供かなにかだと思っているフシがある。
「それから、妙な誘いがあっても断るように。《いなば丸》の損傷は九割むこうのせいッスからね。便宜を図ってほしければうんぬんの論法に引っかかっちゃダメッスよ」
「わかった、わかったっての。ったく、お前はおれのおふくろかよ」
「女房でしょ」
金田がチャチャを入れた。善哉に言い返してやろうと口を開きかけていた藤波はそれで顔を真っ赤に染め、わなわなと両手を震えさせる。
「だ、だ、だ、誰が女房ッスか!」
「おお、図星図星。いや、お似合いの夫婦ですね」
「はああああっ⁉ 意味わかんないんスけど! なんでへそ曲がりの陰険男と夫婦になんなきゃならないんスか‼」
善哉を何度も指さしながら、藤波は吠えまくる。ブリッジ・クルーはそんな彼女に生ぬるい視線を向けた。
「じゃっ、おれはちょっと行ってくらぁ」
ところが、からかわれたもう一方である善哉は、顔色も変えずにひらひらと手を振って踵を返してしまった。そんな彼の背中に、藤波はビシリと人差し指を向ける。
「せめて照れるくらいしろやぁぁぁッ!」
そうやってムキになるからからかわれるんだぞ、阿呆。善哉は心の中でそう呟きつつ、ブリッジから出ていった。クルーらと戯れるのは楽しいが、今はそれよりも現状をなんとかせねばならない。
船長としては、船員を路頭に迷わせることなど決してあってはならないのだ。なんとかアケカと交渉して、船員どもの当面の生活を保障してもらわねば。彼の頭の中は、すっかりそのことでいっぱいになっていた。
「お待ちしておりました、如月様」
下船した善哉を待ち受けていたのは、軍用の四輪駆動車と小銃で武装した憲兵が一個分隊だった。これはアケカが寄越してくれた迎えなのだが、あまりの物々しさから善哉は一瞬、自分が逮捕でもされるのではないかと不安になってしまった。
むろんそのような不安は杞憂であり、彼が拘束されるようなことはなかった。善哉の乗った自動車は憲兵隊の護衛車列に守られつつ、道路をずんずんと進んでいく。一応この宇宙港は屋内ではあるが、あまりに広いものだから移動には自動車が必須だった。
車に揺られること十分。車列が停止したのは駅の前だった。こんどはここで列車に乗り換えるのだという。宇宙戦を前提に構築された地下基地の面積は尋常なものではなく、下手な都市よりもよほど巨大だ。当然ながら、その交通システムは都市に準じたものが整備されていた。
善哉の乗った列車は、一両がまるまる貸し切りになっていた。椅子に座る彼の前後左右は、やはりフル武装の憲兵が固めている。地球軍の参謀本部議長だってここまでの扱いはされていないぞ。善哉は顔を冷や汗まみれにしながらそう思った。まったく、居心地が悪いにもほどがある。
「その……なんといいますか……随分と厳重な警備ですね。国防相にでもなっちまったような気分なんですが」
意を決して、善哉は憲兵隊の隊長に聞いた。ここまで丁重な扱いを受けるとかえって居心地が悪いのである。
「窮屈な思いをさせてしまい申し訳ありません。しかし、上様たってのご命令ですので、どうかご容赦を」
憲兵隊長は苦笑しながらそう答えた。こんな役職の人間まで、上様と呼ばれているのかあの人。善哉はいくぶん呆れた心地になった。貴族制国家の常識に、彼はいまだに馴染むことができずにいた。
「それを抜きにしても、基地内を男性が独り歩きするのは危険ですから。わが軍の兵を悪く言うのは気が引けますが……女ばかりの空間に、長期間缶詰にされてきた連中です。不埒な真似をするものが出ぬよう、目を光らせておかねばなりません」
「さ、左様で」
善哉の背筋がやや寒くなった。考えてみれば、地球人男性から見たか弱い女性とヴルド人女性からみた地球人男性はほぼ同じような存在だ。油断をすれば“喰われて”しまう恐れもある。
胃が痛くなるような鉄道の旅は三十分ほど続いた。彼が降りるよう促されたのは、斗南要塞司令本部前という駅だ。どうやら、アケカはここに詰めているらしい。憲兵らの厳重な警備を受けつつ、善哉は司令本部へと入っていった。
当然ながら、司令本部の中にも外にも少なくない数の一般兵や軍属などがおり、みな珍獣でも見るような目で彼を眺めている。さしもの善哉も恥ずかしくなり、顔が真っ赤になった。
それを見て一部の兵士らがきゃあきゃあ言い出したものだから、彼の羞恥心はさらにあおられる。女ばかりの軍隊がこうも居心地が悪いとはと、善哉は心の中でひとりごちる。こんなことなら、アケカとの交渉は藤波にでも任せておけばよかった。
「おお、待っていたぞゼンザイ殿」
しばらく歩いて、ようやくアケカの元へたどり着くことができた。彼女は満面の笑みを浮かべ、両手をさっと広げた。軍服らしき白詰襟の上から羽織った陣羽織めいたコートがふぁさりと広がる。《いなば丸》に乗船していた時はパイロット・スーツ姿だった彼女だが、基地に帰還した後は流石に着替えたようだ。
「手間をかけさせたな。本当ならば、身共の方から出向きたかったのだが。こうるさい連中が離してくれなかったのだ」
「いえいえ、お偉方にこれ以上の御足労をかけると、こちらとしても胃が痛くなってしまいますのでね」
慣れた手つきで敬礼をしてから、善哉は皮肉げな口調でそう言った。直球のイヤミだったが、アケカは気分を害するどころか豪快に笑い始める。こういったストレートな反応は、彼女にとって好ましいものだった。
「ハハハ……まあ、良いではないか。自ら旗を担いで陣頭に立たぬ者に、将は務まらぬのだ」
それにしたってアンタは腰が軽すぎるだろ。善哉はそう思ったが、流石に口には出さなかった。
「それはさておき、ちょうど昼食の用意ができたところなのだ。せっかくだから、ご馳走させてくれ」
そう言われて、善哉はチラリと腕時計を確認した。言われてみれば確かに昼食時だ。しかし、いろいろと緊張することが多かったため、腹は全く空いていなかった。
「ええ、もちろん。ありがとうございます」
正直食事がしたいような気分ではなかったが、さしもの善哉もここまで来て相手の申し出を断ることができるほど肝は太くない。内心ため息を吐きつつも、彼は頷いて見せた。
「ああ、ただ……少しばかり、口うるさい者が同席する。すまぬな、身共としても無下にできぬ相手なのだ」
これ以上食欲を減退させるのはよしてくれ。善哉はすっかりゲンナリした気分になった。