第1話 追放参謀は銀河の彼方で貞操の危機に直面しているようです
おれが真面目に仕事にとりかかろうとすると、なぜ必ず邪魔が入るんだ。外宇宙用貨物船《いなば丸》の船長、如月善哉は頭を抱えたい心地になりながらそう思った。善哉は宇宙運送業者の社長である。母なる太陽系を飛び出し、半年もの航海を経てこのリンティア同盟領へとやってきた。五万光年にもおよぶその旅路は、光速を超える技術が一般化した現代においてなお長大であった。
だが、その長い旅の最後の最後で彼は躓いてしまった。とある暗礁宙域を航行していた際、近くにあった直径数キロメートルほどの岩塊の影から小型巡洋艦が飛び出してきたのだ。
「こちら正統ノレド帝国宇宙軍所属、哨戒巡洋艦《ヒクソス》。本星系は現在帝国軍によって封鎖中である。ただちに停船し、臨検を受け入れるように。さもなくば撃沈する」
小型巡洋艦は、《いなば丸》にその黒光りする主砲を向けながら一方的にそんな通告をしてきた。正統ノレド帝国という国名を聞き、善哉の居るブリッジはにわかに騒がしくなる。
「正統帝国というと、事前情報で聞かされたあの国ッスよね? 依頼主……リンティア同盟軍? とかいうのと交戦中だって言う……」
副長席に収まった小柄な丸眼鏡の女が憤慨した。船の副責任者という重職には見合わぬ頼りない風貌の若い娘だが、その目には烈火のごとき怒りが浮かんでいる。
「なんで向こうの指定した航路にそんな連中のフネが居座ってるんスか。エエッ? おかしいじゃないッスか」
荒れ狂う副長を一瞥しながら、善哉はポケットから電子タバコを取り出した。口にくわえ、蒸気の煙を吐く。これは本来であればニコチン入りの蒸気を吸引するための器具だが、彼は標準のニコチン・リキッドの代わりに濃縮ミント・リキッドを愛用していた。ほとんど暴力的なまでのミントの香りが、善哉の鼻孔と肺腑を焼く。
「今さらそんなこと言ったってしょうがねぇだろ藤波ィ」
内心はまったくもって藤波と同意見だった善哉だが、それを口に出したところで事態が改善するわけでもない。彼はむしろ副長をたしなめつつ、頭の中で情報を整理し始めた。
《いなば丸》が航行中のこの宙域は、かつてはノレド帝国と呼ばれる国に属していた。この国はもともとかなりの大国だったという話だが、二年前に皇帝が外征に失敗。それを機に諸侯が反乱を起こし、分裂状態に陥った。
その分裂した勢力のひとつが、正統ノレド帝国。前皇帝の娘が治めるノレド帝国の後継者だ。そして《いなば丸》の船腹には、皇帝家から離反した諸侯グループ、リンティア同盟軍の発注した大量の軍需品が収められている。
「繰り返す。こちら正統ノレド帝国宇宙軍所属、小型哨戒巡洋艦《ヒクソス》である。そこの貨物船、ただちに停船せよ」
無線からは、相変わらず一方的な通告が流れ続けている。若い女の声だが、その声音には露骨な嗜虐の色があった。仕事で仕方なくやっている兵士というよりは、獲物を見つけた海賊のような風情だった。
こりゃ、のらりくらりと躱せるような状況じゃないな。善哉はそう結論付けた。憎き反逆者どもへの物資を運んでいる船を、帝国軍が無事に見逃す道理はない。良くて積み荷の没収、悪くて撃沈である。
「しゃあねえな……マイク貸せ」
「ウッス」
通信手席に座っていた男が、コンソールを操作する。善哉は電子タバコをもう一度ふかしてから、船長席に備え付けのマイクを手に取る。
「こちら貨物船《いなば丸》、船長の如月善哉だ。そちらの要求に従おう」
「賢明な判断だ」
《ヒクソス》の通信手は居丈高に応じた。そして、喜悦を含んだ声でこう続ける。
「そっちの船長は男か? ふふっ、地球船籍の貨物船だから期待していたが、案の定か」
なんともイヤらしい声音だった。善哉の背中に悪寒が走る。彼はマイクのスイッチを切り、大きく息を吐いた。
「色狂いのヴルド人め。男と見ればすぐに目の色を変えやがる」
ヴルド人というのは、地球とは異なる星を起源に持つ異星人の一種だった。この時代の銀河ではもっとも人口の多い種族であり、善哉をはじめとした地球人からしてもなじみ深い相手だ。
そしてこのヴルド人は、男性の出生数が極端に少ない種族だった。おまけに、地球人と比べてもかなり性欲の強い方と来ている。そのせいか、善哉は寄港するたびにヴルド人からセクハラめいたことをされていた。
「臨検に応じるんスか? 先輩。荷物は間違いなく没収されちゃうッスよ?」
「馬鹿野郎、初仕事で黒星なんて冗談じゃねぇ」
副長の問いに、善哉は唾を吐くような調子で答えた。
「長いものに巻かれるくらいなら死ぬ……相変わらずの性分ッスね。そんなんだから軍を追いだされたんスよ」
「人のこと言えた義理かよ藤波ィ。手前だって似たようなもんじゃねえか」
「依願退職と不名誉除隊じゃ天と地ほども違うッスよ、先輩」
「横領がバレそうになってトンズラこいた奴が良く言う……それはさておきだ。おい、砲雷長。主砲は最大仰角で固定だ。間違っても、敵艦に向けるんじゃねぇぞ」
「アイアイ、サー」
《いなば丸》は民間船ではあるが、多少の武装が施されている。外宇宙は丸腰の船が無事に通行できるほど安全な場所ではないからだ。とはいえ所詮は付け焼刃。本式の軍艦に対抗できるほどのものではない。それがわかっているから、《ヒクソス》もこれほど尊大な態度を取っているのだ。
《いなば丸》に備え付けられた二基の単装砲が砲身を真上に向けて停止する。それと同時に、噴射炎を上げていた艦尾のロケット・エンジンも稼働を停止した。
「停船を確認、これより接舷を開始する」
《ヒクソス》の反応は俊敏であった。サッと身をひるがえし、《いなば丸》の左舷側から接近する。当然ながら、その主砲の砲身は油断なくこちらに向けられたままになっていた。
二隻の船が並ぶと、両者の船形の違いがハッキリとわかる。《いなば丸》は巨大なコンテナにロケット・エンジンと船橋を付けただけという風情の無骨な船だが、《ヒクソス》はサメを思わせるシャープで獰猛な形状だ。
大きさもかなり違う。前者は八百メートル級の大型船(もっとも、外宇宙用の貨物船は全長数キロを超える巨大なものも珍しくはないが)であり、後者は百五十メートル級の小柄な船だった。もっとも、図体がデカイだけの貨物船など、軍用の戦闘艦から見れば単なる大きなマトに過ぎないが。
「おーし、いいぞいいぞ。対空監視、展開中のストライカーは何機だ」
「二機です」
オペレーターがコンソールを操作すると、ブリッジのメイン・スクリーンに奇妙なものが大写しになった。宇宙を泳ぐ甲冑騎士、そう呼ぶほかない代物だ。ただし、手に持っているのは剣や槍ではなくライフルだった。
むろん、これはたんなる歩兵などではない。宇宙戦争時代にふさわしい最先端の機動兵器、ストライカーだ。大きさも十二メートル前後となかなかに巨大で、艦艇に対しても十分な脅威を与えられる程度の攻撃力は持っている。
「ライフル装備か、ナメてやがるな。いや、別のものを警戒しているのか? まあいい。一般量産機の武装なら、対艦ガンランチャー以外は大した脅威じゃねぇ」
「うわあ、戦う気ッスか。こちとら民間船ッスよ」
藤波はメガネの位置を直しつつ呆れた声音で言った。「当たり前だろ」と返す善哉に、彼女は大きなため息を吐く。
「おれがこの船を買うのにどれだけデカい借金をしたと思ってる。この仕事で失敗なんぞしたら、利子が払えなくなっちまう」
「嫌なことを思い出させてくれるッスね。門前の敵艦、門後の借金。ああ、頭が痛いッス」
「なぁに、勝てばいいのさ、勝てば」
善哉は電子タバコを吸入した。ブリッジのクルーたちが揃ってため息を吐く。そうしている間にも、《ヒクソス》と《いなば丸》の距離はさらに縮まっていた。《ヒクソス》の甲板から何本ものワイヤーが射出され、《いなば丸》の舷側にくっついた。強制ドッキングのための準備だ。
「よぉし、今だ。右舷サイドスラスター全開!」
「右舷サイドスラスター全開、ヨーソロー」
航海長の復唱はごく冷静な声音だった。《いなば丸》の右舷に備え付けられたスラスターが突然に火を噴き、接近中の《ヒクソス》に向け急加速する。
油断していたのだろう、《ヒクソス》の回避は間に合わなかった。両艦は衝突し、《いなば丸》のブリッジにも衝撃が走る。しかしそれは、存外大したものではなかった。せいぜい、固定されていなかったコーヒーのカップが少しばかり吹っ飛ぶ程度のものだ。
だが、それはあくまで《いなば丸》の質量が巨大であったためである。《いなば丸》の一割にも満たぬ質量しか持ち合わせない《ヒクソス》はただでは済まなかった。その剽悍な船体は一瞬にして無惨にひしゃげ、あちこちで小爆発が起きる。
「フハハ、体当たりなら戦闘艦だろうが貨物船だろうが関係ねぇ。質量がデカいほうが正義だ」
哄笑を上げる善哉に、ブリッジ・クルーらはみな呆れた顔をした。この場にいるほとんどの者は、彼とは前職……つまりは軍人だった頃からの付き合いである。だから、彼のこうした無茶ぶりにはすっかり慣れていた。
「敵艦に高熱反応確認! 主砲、来ます!」
しかし、《ヒクソス》もやられるばかりではない。船体のあちこちでバチバチとスパークを上げつつも、その主砲を発射した。三基の連装砲から太いビームが放たれ、《いなば丸》の船腹に命中する。
「回生装甲、持ちました! ですが、キャパシター容量は残り三十パーセント。次の斉射には耐えられませんよ!」
この時代の宇宙船は、基本的に軍民とわず装甲化されている。デブリの衝突に備えてのものだ。そのことをよく理解していた善哉は、一回くらいならば射撃を受けても大丈夫だと目算をつけて反撃に踏み切ったのだった。
「じゃあその前に仕留めなきゃなぁ! 航海長、そのまま敵艦を小惑星にぶつけろ」
「まあ、そういうと思ってましたわ」
ごま塩頭の航海長が苦笑する。彼もかつては軍艦の操縦桿を握っていた身だ。無茶な命令にはなれている。
《いなば丸》はその巨体を武器に半壊した《ヒクソス》を強引に横へと押し出していく。その先にあったのは、ジャガイモめいた外見の小さな岩塊だ。サイズはせいぜい五百メートル級といったところで《いなば丸》よりも小さいが、《ヒクソス》を潰せる程度の質量は持ち合わせている。
《ヒクソス》はなんとか逃れようと姿勢制御用スラスターを吹かしまくったが、無意味だった。小惑星との相対距離はみるみる縮まっていく。無線から聞くに堪えない罵倒の声が流れたので、善哉は密かに合掌しつつ「南無阿弥陀仏」と唱えた。
「総員。対ショック姿勢!」
一瞬の祈りを終えた彼は、手元のマイクのスイッチを艦内放送へと切り替えて叫んだ。そして自らも船長席のアームレストをぐっと掴む。次の瞬間、《いなば丸》の船体を猛烈な衝撃が襲った。前回の衝突とは比べ物にならないほど大きなものだ。善哉はあやうく船長席から放りだされそうになった。
ブリッジもすっかり滅茶苦茶だ。クルーは籍からはじき出されたり、飛んできた物が体にぶつかったりして一斉に悲鳴を上げていた。固定していないものが軒並み吹き飛んでしまったせいで、ブリッジの内部は嵐が一過したような有様になっている。
しかし、逆に言えば《いなば丸》の被害はその程度で済んだのだ。《ヒクソス》のほうは、《いなば丸》とは比べ物にならないほどのダメージを受けていた。《いなば丸》と岩塊の間に挟まる形でプレスされてしまったため、ほとんど原型すらとどめていないような有様だ。大型トラック同士の衝突に巻き込まれた軽自動車のような状態、といえばわかりやすいだろう。
「すみやかに態勢を立て直せ」
ずり落ちかけたキャプテン帽をかぶり直した善哉は、何事もなかったかのような冷静な声音でそう命じた。そして、電子タバコで一服する。強烈なミント風味の蒸気が、彼の頭脳にこびりついた余計な熱気や感傷をすっかり洗い流していく。
「砲雷長、敵機はブリッジを狙うぞ。撃たれる前に撃て、そして外すな」
「アイアイ、サー」
端的に返答した砲雷長は、即座に各砲塔に指示をだした。そっぽを向いていた単装砲が、速やかに前を向く。それとほぼ同時に、《いなば丸》の周辺を飛んでいた二機の人型マシーンがスラスターの噴射炎を瞬かせてこちらに肉薄してくる。母艦を鎮めた不届きな貨物船に、復仇戦を仕掛けようというのだろう。
「なんで敵機の来る方向が分かったんスか」
善哉の予告通り、敵機は前方からまっすぐ《いなば丸》の正面へとアプローチを仕掛けてきていた。ストライカーは機動兵器であり、艦船などとは比べ物にならないほど運動性がたかい。やろうと思えば、どこからでも攻撃を仕掛けてこられるはずだった。
「対ストライカー用のブラスターライフルじゃあ艦艇の装甲は貫けねぇ。なら、弱点を狙うほかないだろ」
電子タバコを手の中で弄びながら、善哉は藤波の問いに応えた。
「正着は推進器を狙ったヒット&アウェイだろうがな。母艦を鎮められて頭に血が上った連中にそんな冷静な判断が出来るはずがねぇ。一番手っ取り早い場所……つまりはブリッジを狙うって寸法さ」
彼の言葉と同時に、《いなば丸》の主砲が火を噴いた。オレンジ色の光条が漆黒の宇宙を切り裂き、二機のストライカーが同時に爆発四散する。初弾命中、すばらしい腕前だった。
「すばらしい腕前だ。砲雷科の連中には後で金一封のプレゼントだ」
「有難き幸せです、少佐殿」
「船長だ、馬鹿者」
冗談めかしてそう言う砲雷長に、善哉は半目になりながら言い返した。軍をクビになった身の上だ、階級で呼ばれることにはそれなりの気恥ずかしさと反感があった。
「えー、周辺宙域に他の敵影なし。敵対戦力の壊滅を確認しました」
対空監視オペレーターが報告を上げる。もっとも、ここは暗礁宙域だ。レーダーの情報はそれほど信用できない。善哉はオペレーターに頷いて見せたが、戦闘態勢の解除は命じなかった。
「航海科より報告。左舷の損傷は大であります。貨物ブロックの一部が損傷し、荷物の一部が漏れ出しているようです」
つづいての報告に、副長の藤波は顔をしかめてみせた。《いなば丸》はあくまで商船なのだ。貨物が壊れたり漏洩したりすれば、それだけ自社の儲けが減ってしまう。
「そんな顔するんじゃねえよ、藤波。左舷に積んであるのはバラスト代わりのくず鉄だろ。多少減ったところで痛くもかゆくもねえ。右舷が無事なら何の問題もないさ」
「この経営状況でよくそんなお大尽さまみたいなことが言えるッスね。小銭程度でもケチケチしなきゃヤバいんスよウチは」
藤波は会社の経理も兼ねていた。軍隊あがりでどんぶり勘定しかできない善哉に、彼女はいつも辟易させられていた。
「なぁに、損害賠償は例の依頼主……リンティア同盟軍とやらに請求するさ。向こうの指定通りに動いた結果、こういう事故に遭遇しちまったわけだからさ」
ペチャンコになった《ヒクソス》を見ながら、善哉は薄く笑った。
「さあて、物騒な連中が潜んでるような剣呑な宙域からはさっさとオサラバしよう……」
善哉がそう言ったところで、突然ブリッジに警報音が鳴り響いた。
「FTLアウト反応を確認、何者かがこの星系に侵入しました! 質量から見てストライカー、数は九機!」
対空監視オペレーターが緊迫した声で報告する。敵の新手だろうか? 善哉は眉を跳ね上げ、電子タバコをふかした。
「チッ、後詰がいたか。しかたねぇ、ケツまくって逃げるぞ。安い貨物は全部投げ捨てろ」
「そんなぁ!」
藤波が悲鳴じみた声を上げた。ただでさえ如月運送の経営は火の車なのだ。せっかくの貨物を放棄するなど論外だ。
「馬鹿言うのはやめるッス! これ以上損害を出したらウチは倒産ッスよ! 起業から一年もたってないのに!」
「大丈夫だろ、たぶん……」
「大丈夫なわけあるかボケー! 貸借対照表ぶつけんぞこの野郎!」
やいのやいの言い始めた船長と副長に。ブリッジ・クルーらは呆れたような視線を向けていた。敵増援が来たかもしれないというのにこの調子なのだから、肝が据わっているどころではない。
とはいえ、いつまでもバカ騒ぎをしていられるほど状況はよろしくない。憤慨する副長を視線だけで牽制しつつ、善哉は新たな命令を発するべく口を開いた。……その瞬間である。無線の受信機から、凛とした声が響き渡った。
「こちらリンティア同盟軍のクスノキ、救援信号を受け参上した。如月運送の諸君、無事か?」
リンティア同盟軍。その名を聞いて、ブリッジ・クルーらの間にはホッとした空気が流れた。この同盟軍とやらこそ、《いなば丸》が腹に抱えるとある荷物の依頼主であったからだ。つまり、友軍が救援に現れたわけだ。
善哉は大きくため息をついてから、電子タバコをふかした。そして、船長席のマイクを手に取る。
「こちら如月運送の《いなば丸》。救援に応えて頂きありがとうございます。当面の敵はこちらで排除できましたので、ご心配頂く必要はありません」
「……は?」
無線の向こうにいる相手は、素っ頓狂な声を上げた……。