第二章 3
ーー舞台は再び小さな町の服飾工房へと戻る。
あれから、オレはなんとか人目に触れる事なく魔王……じゃなかった、ウィンドさんを工房まで案内してきた。
さっさと面倒事は親方に預けたい。そうはやる気持ちが抑えきれず、つい勢いよく工房に飛び込んでしまった。
「う”ごぼっ……」
工房内ではいつも通り、親方が椅子に座ってコーヒーを飲んでいた。
いつもと違ったのは、椅子に座っている親方から変な音が出た事だった。
親方は手に持ったコーヒーカップを口につけたまま動かなくなっていた。
口とカップの間からコーヒーがこぼれ落ちてダバダバと作業服を汚していく。
「お、親方……?」
オレは親方の様子がおかしい事に困惑した。
さらに突然、ビクンッ! と親方が震えた。
「うぇっ!?」
びっくりしてなんか変な声が出た。
オレはここで状況を理解した。
これはやっちゃったな。
つまりは、親方がコーヒーをまさに飲もうとした時にオレが飛び込んじゃったわけだ。
「ぶほぅぁっ!」
親方がすごい勢いでコーヒーを吐いた。
「うわっ、汚ねっ!」
オレはとっさに飛んできたコーヒーを避けた。
なんとかかからずに済んだ。よかった。
「……おごぅっ……げぶぅおっ……えげっ……がはぁ!……」
親方がすごく咽せてる。
怒られるかなー。怒られるよね。はぁ……
「はぁ……ひゅう……ふぅ……な、何を言っとるんだ……うぇゔぉっ……お前はまったく……いきなりおどか………………!?」
咽せながら親方がオレを怒ろうとして……また固まった。
あれ? どうしたんだろ? あ……
オレは親方の視線の先を追って気がついた。
そうだよ、これも説明しないとなー。
魔王ーーもとい、ウィンドさんが俺の後ろに立っていたのだ。
この人は背が高いので、工房の中に居る親方から見たら首から上が工房入口の上の部分で隠れてしまっている。
つまりは、首から下だけのものすごい筋肉のマネキン人形が立っている様に見えたと思う。
「失礼する、あなたがドンラーガ・ノーワン殿か?」
ウィンドさんが身をかがめて工房に入ってきた。頭が天井スレスレだ。
「な……」
親方が言葉に出来ないぐらいすごい表情してる。
すげぇ、人間って本気で驚くとあんな顔になるんだ。
「なん……じゃ、ごりゃあぁぁぁっ!!?」
まだ朝早い静かな田舎町で、親方の悲鳴じみた絶叫が響き渡った。
どれぐらい大きな声だったかと言うと、オレが思わず両手で耳を塞いだぐらい。
あー……コレ……ちゃんと説明できるかなー。
ーーオレはウィンドさんを工房まで案内するためには人目を避けるべきだと思った。
まだ朝早くそれほど人気がないとはいえ、街には誰もいないわけじゃない。
仕事柄朝早い人は他にも沢山いる訳で……そんな人たちに魔王が見つかると大騒ぎになっちゃうのは確実だと思ったんだ。
だからオレは抜け道を使うことにした。
実は、街道を外れた森は小高い山になっていて、そこに工房まで続く抜け道が掘りぬかれている。
なんでそんなものがあるのか。
一言で言うと、“親方が掘ったから”
なんでそんなものを掘ったのか。
一言で言うと、“親方が忍者が主人公の時代劇にせんのーーじゃなかった、影響されたから”
ある時、当時放送されていた時代劇にすごくハマってた時があって、オレや他の弟子たちと雑談する時は毎日の様に話題にしてた。
それぐらいならどうってことなかったんだけど、ある時急に「いつか来るべき拙者の危機に備え、抜け道を掘るでござる」などと言い出して工房の裏手にある山にスコップ片手に突っ込んで行ったんだよね。
もう、その時は「とうとうおかしくなったか」と思ったんだけど、よくよく考えてみたら元々おかしい人だった。
それはともかく、オレたち弟子にしてみたら仕事に差し支えるのは困るし、親方の家族である奥さんや娘さんにしてみたら世間体が大問題だったのでみんなで止めたんだけど、結局掘り抜いちゃったんだよね。
親方、魔法で筋力上げたり色々できるから。
んで、やるだけやらかしてから当の時代劇の熱が冷めちゃってそれっきり。
後には使われることのない抜け道が残りましたとさ……っていうオチ。
まあ、今回は役に立ってくれたんだけど。ホントに助かっちゃった。
世の中何があるかわからないもんだね。
さて、やっと親方がショックから立ち直ったみたいだ。
咽せさせたことはどうやらウヤムヤに出来そう。
……ウィンドさんの全裸のインパクトが凄すぎてくれたおかげで。
「……っつー訳なんすよ」
オレはウィンドさんと出会った経緯を一通り話した。
ウィンドさんが魔王と思われることは言わなかった。本人の前だったし。
まあ、親方なら気づくよね。大人だし。
実際神妙な顔してる。アレ、やっぱり気づいてるよね。
「分かった、服の制作依頼に来たというのか……」
親方は納得してくれたみたいだ。
ちなみにコーヒーで汚れた服は、親方はとっくに着替えてる。
親方が着替えてる間に工房の床の掃除もちゃちゃっとやっておいた。
あとで咽せさせたこと蒸し返されてとやかく言われたくなかったし。
「ふーむ……」
俺は顎に手を当て、考え込んでいた。
ヒヨシマルからの説明を受けて、この全裸のお客様がファーティルグラス魔王国の現魔王であることは一目瞭然だった。
世界広しといえど、スキンヘッドで筋骨隆々で、何より全裸で平然と歩き回る魔人類なんて、魔王しかいねぇ。
他に居るってぇなら、是非詳しく教えて欲しいモンだ。
さて、どうしたもんだかな。
確か、ファーティルグラスの魔王の服が弾け飛ぶ原因はよく分かっていないという話だったはずだな。
となれば、まずは何か着てもらって、その様子を観察してみれば何がどうなって服が弾け飛んでいるのか分かるかも……まあ、わからない可能性の方が大きいが、それでも一度は見ておきたい。
「……どうだ、作れそうか?」
魔王改め、ウィンドと名乗る男が大真面目な顔で俺に尋ねてきた。
すげぇイカつい顔だな。まあ歴戦の勇士ってのはこんなもんか。
「まあ、焦るな……そうさな、まずはその服を弾き飛ばす体質って奴を直に見てみねえと何とも言えんな。とりあえず余りもんの服があるからそれを着てもらおうか。採寸しねぇとな」
俺はメジャーを手に取り、ウィンドとやらの肩幅やウェストなどを計測しメモしていく。
言葉遣いに関しては、まあ相手は魔王かも知れねぇが、奴は逸般人……じゃなかった一般人としてここに来ているし、特に敬語を使えなどとも言われてねぇ。
遠慮する必要は無いわな。
それに俺は職人であって接客業の人間じゃねぇ。普段から余程の相手以外に敬語で話すことは無い。
つまり、いつも通りだ。
「ヒヨシマル、上の倉庫からこのサイズで下着と服を上下一式見繕って来てくれ」
「ういっす」
採寸したメモを持って、弟子のヒヨシマルが2階の倉庫に向かった。
1階は俺と魔王の二人きりとなる。
……とりあえず、聞きたいことは今のうちに確認しておくか。正体を隠してる理由とかな。
「さて……お前さん、魔王だな? あのファーティルグラスの……」
いきなり核心を突く事を言ったが、なるべく自然な感じで言ってみた。
ぎこちねぇと会話続かないだろうからな。
色々聞き出すには話しやすい雰囲気作りが大切だ。
「……なぜ分かった?」
……なんか、目をカッと見開いて、すごいびっくりしてるんだが。ちょっと待て。
「いや、分かるから……その……全裸で平然としとる時点で……そんなん……あれだ、お前さんしかおらん」
むしろ本気で誰も分からねぇと思ってたのか、コイツは。
思わずあきれて、結局ぎこちない感じになっちまったじゃねぇか。
「ぬう……そうか……」
なんか、腕組んで考え込んじまった。
聞かなきゃよかったか?
「……もしかして、色々と拙いのでは無いか?」
今更何言ってんのこの人? 魔王が世界中を全裸で歩き回ってるって話は有名なんだが。
そういえば、ウィンドって偽名も行く先々で名乗ってるんだったっけ。
ああ、思い出した。コイツ、確か一度も自分が魔王だと認めたことは無いって話だった。
ひょっとして、本気で正体隠せてると思ってたのか? 今までずっと?
「いや、俺に聞くなよ。どうしろってんだよ」
全くだよ。アンタとアンタの国の事なんか、俺に分かる訳ねぇだろ。
「「……」」
……結局会話が続かねぇ。ヒヨシマルの奴、早く戻ってこねぇかな。
「……まあ、良いか。どうとでもなるであろう」
ポツリと魔王がつぶやいた。
前向きだなー(棒)
俺から言わせてもらえば、どうにもならねぇというか、なるようにしかならねぇという他ねぇんだが。
「良いのか、それで……まあ、良いんだろうな……魔人類だし……」
まあ、魔人類自体がアレな人類だしなぁ……。