間章1
ここから本格的にストーリーが始まります。
この物語では各章の間に「間章」を設けて世界観の解説などに当ててます。
ーーそこはただひたすらに広い所だった。
どこにも光る物がないのに何故か全体が明るく、乳白色の床は磨かれた様に平らで艶があった。空は一面薄い黄色。雲は無い。暖かいという事もないが、寒くもなかった。
それにしても、何も無い。どの方角を見渡しても目に映るのは床と空と、その境界であるのっぺりとした地平線と、目の前で何処かの風景を写している大きなスクリーン……と、やけに気さくな謎の人物だけだ。
「そんでな、はるか大昔におったど偉い神様が遺した言葉にな、『並行世界は多々あれど、一つとして同じ物無し……』というものがあるねん」
その独特の喋り方をするその謎の人物は、フード付きで全身を覆う真っ黒な、まるで西洋の修道僧が着ている様な服に足元まですっぽりと包み込んでいて、背はやや高く細めの体型をしている。
フードから覗いているはずの顔の部分は真っ暗闇で、目に当たる部分に二つの丸い小さな光だけが見えていた。
袖から出ている手も真っ黒なグローブに覆われて、そしてこれもまた真っ黒なアタッシュケースを持っている。
当然というべきか、ローブの足元から覗いている靴も真っ黒である。
そんな容貌であった。声はやや高めの大人の男性といったところか……とにかく怪しい事この上なかった。
「ここにも独特の特徴を持った1つの世界があってな。色々あって名前が変わったりした事もあったんやけど、今は“ファニィバーシア”と呼ばれとる。あんさんの住んどった……なんやったけ……ああそや、“地球”やったか。そことよう似た星でな、大いなる太陽の恵みを受ける巨大な惑星と、そこでヒトたる種族が文明を担うという、ほんとによう似た星や。それにその星はな、“地球”と時間の長さも同じ、朝もあれば夜もあり、季節や気候がある。空も海もあれば陸もあり、そこで生きる動物や植物もホントによう似通っとるんよ」
気がつけばいつの間にか迷い込んでいたこの場所で、途方に暮れていた所に突然フラッと現れたのがこの黒服の男だった。
いきなり後ろから声をかけられて驚かされたが、彼もまた驚いていた様子だった。彼はその姿からは想像出来ない陽気な感じで話しかけて来た。
最初は気が動転していたこともあって、どこから来たとか、どうしてここに居るのかなどと聞かれてもうまく答えられず困ったりしたが、色々話し合っていくうちに今居るこの場所が“地球”では無いという事が分かった。
どう見ても人間とは思えないが、危険な存在というわけでもないらしい彼が言うには、地球は時空をかなり遠くに隔てた向こう側にある世界であり、この場所に地球出身の存在が居るというのは大変珍しい事なのだそうだ。
「まあそれもその筈でな、世界を創る神、いわゆる創造神の間ではな、世界を創るときに予め用意されとる“雛形”を使って手軽に作るんがウン十億年前からの流行りやねん。超の付く程の大昔は神々の一柱一柱*がそれこそ0から世界を創っとったんやけどな、それやと手間も時間もすんごいかかるってんで、ある程度創造のやり方がパターン化してきた所でな、似たような世界の特徴集めて調整した雛形を沢山複製して、それをちょこっとアレンジするだけで世界を作れば楽やんって言い出した神がおってな。それなら創造の手間を大分省けるってんで、創造神がみんなそれ使う様になったんよ。同じ雛形を使えば同じ様なよく似た世界が作られるっちゅうわけや。つまり、地球もこのファニィバーシアも同じかよう似た系統の雛形が使われとるっちゅうこっちゃな」
(* 日本語で神々の数を数える時は“一人、二人……”ではなく、“一柱、二柱……”と数えます。理由は不明ですが、そういう決まりです)
黒服の男が言うには、今いるこの場所は時空の狭間、無数に並行して存在する時空間同士の間に出来た隙間なのだそうだ。
そしてスクリーンに映し出されているのは地球があった世界とは別の時空の別の世界、いわゆる異世界というわけだ。
黒服の男は元々、さらに別の世界からこの異世界に何かの用があって向かっている所だったらしい。そしてこの狭間の空間に何やら奇妙な存在が居るのを見かけ、とりあえず話しかけてみたのだと言っていた。
「地球によう似とると言ったが違う所も沢山ある。根っこが同じでもその後は創造神の性格や好みによって色々変わってくるさかいな。一番大きく違うのはやっぱアレやな……そう、“魔法”っちゅうモンや。あんさんのおった地球には無かったやろ? 確か地球っちゅうたら****(聞き取れない音)系列の時空域にある世界やったし。あの辺やったら概念的存在としての定義なんぞは有っても実存在としては無かったはずや」
こちらの事情を一通り話し、どうすれば良いのかも分からない様な、途方にくれた状況である事を伝えると、黒服の男は唐突に『ほな、ええもん見せたるわ』と言って彼が手に持っている謎のアタッシュケースから、どう見てもそのケースに収まりきらない大きさの謎の装置を、さもなんでもないといった感じで“ニュルッ”と取り出して空中に映画館のスクリーンの様なものを作り出した。
こちらが呆気に取られているのに気が付いているのか居ないのか、黒服の男はスクリーンに映し出された内容について何事もなかったかの様に語り出し……そして今に至るのであった。
「魔法て言うてわかるけ? そや、あんさんらの世界ではアッチャコッチャの国やら地域やらで“作りもん”の話にしょっちゅう出てくるなんか都合のええ理力や。まあ、そういう空想上の力の事や。あんさんらの世界では存在してない夢物語のそれが、この世界では実際に有るんよ。まあ独特な在り方なんで、あんさんの考えとるのとちょっと違うかもしれんがの」
気を取り直した頃にはすっかり話しこまれてしまい、今更目前の異様な光景について彼に問い正す気にはなれなかった。仕方がないので彼が話していくままに聞き入っていた。
そして今は魔法について考えてみている……自分の記憶によれば、確かにそんな物は古いものならお伽話、最近なら漫画だのアニメだのと言ったフィクションの中だけにしか無い物のはずだ。
それが時空を超えた世界なら実在する事もあるということなのだろうか。
「多分こういう所はあんさんの考えてるのと同じやろうと思うけど、魔法の元となるんが魔力や。魔法の使い手はこの魔力をあれこれこねくり回して魔法を作る。まあ、この辺は魔法のある世界ならどこも大体一緒やな。んで、ここからはこの世界の話になるんやけどな、この世界では魔力は神さん達が生み出しとる。天空の神々が地上に、地中の神々もまた地上へと常に注ぎ込み続けとるねん。魔力は目に見えんもんなんやけどな、大気にも、大海にも、そして大地にも魔力は注がれておってな。動物も植物もみんなその体ん中にに魔力を取り入れて、練り上げて、そんで魔法としてこの世界にその力を顕現させて……厳しい自然淘汰の世界で生き抜いとるんや」
黒服の男が言った様に、頭に思い描いていた魔法とはちょっと違う様だ。
魔法と言えば、呪文を唱えたら手から火が出て敵を倒す……みたいなものを想像していた。
男にそういうと「そういうのもあるで」と返ってきた。あるのか。
「さらに魔力は生きモンだけや無うて、世界の有り様にも影響を与えとる。例えば……そや、アレなんか分かり易いな。あんさんらの世界では陸って言うたら海から突き出とる奴しかないやろうけどな、この世界では空中に浮かんどる陸地があるんよ。その名を……あんさんのおった地球の……なんやったけ、ニホン? やったか、そのニホンの言葉に訳すとな、見たまんま“浮遊陸塊”っちゅうねん」
黒服の男がスクリーンに向けて手をかざすと、スクリーンの映像が切り替わった。そこには空と海の二種類の青色を背景にして、無数の岩が空中に浮かんでいるのが見えた。
距離感が掴めないので岩の大きさが分からなかったが、間違いなく岩の下は海の様だ。映像の視点が少し上にずれて、波が立つ水面に岩が日の光を遮ってまだらに影を作っているのが見えた。
「この一つ一つが浮遊陸塊や。言うた通り、陸が空に浮かんどるやろ? 特に大きい奴は“浮遊大陸”とも呼ばれるがの。こうして大きいモンも小さいモンも大体が寄り集まって群れておってな。この世界における文明圏の東の果てに有るっちゅうことで、全体をそのまんま“極東浮遊陸塊群”と呼ばれとるんよ」
黒服の男の言い方からして、この映像はかなり遠くから見ているものらしい。岩の一つ一つがとんでもなく大きいのだろう。よく見ると陸の上部には森や草原と思しき緑色の部分が多く見て取れた。
いくつか緑や岩の色では無い部分がある、細かくてよく見えないが人の住む町などだろうか。
「んでこのプカプカ浮いとる陸地の群れはな、全部がもんのすごい強い魔力を込めて魔法化した大気で支えられとってな。その風は重力に逆らって陸を持ち上げながら、ある場所では渦巻いて激流になっとるし、別のある所では穏やかーに流れとる、そんでまた別の所では静かーーーーに止まっとる。そんな魔力の流れがこの陸地のあちこちでその流れにそった色んな景観をもたらしとんのや。行くとこ行けばどえらい景色が拝めるでぇ」
黒服の男は楽しそうにそう言った。まあ、景色の良い場所をあえて嫌う者など少なくとも今まで出会った事は無いが、そんな言われ方をすると見てみたくなる。
「……でも、それだけやないんや。どれも空中に浮かんどる島やけど水はきちんと循環しとっから、草とか木とかこれでもかっちゅうぐらい生い茂っとるし、当然動物もいっぱいおる。……そしてなにより、人類も居る」
黒服の男が何やらもったいつけた言い方で人間の存在を語った。まあ、魔法のある世界であれば地球の人類と全く同じと言う事は無いだろうが……。
「この世界ではなぁ、あんさんら地球の世界における人類、ええと、確かホモサピエンスとかいうたか。……ああ、知っとるよ。昔、地球方面担当のワイの同僚と飲みに行った時にな、いつまでも飽きもせずに資源も他種族も食い潰しながら同種同士でさえも潰し会うてばかりで、しかもその為の技ばっかり発達させて世界を正しく育む事なぞ何もできんくせに自分らを”賢い”と思い込んどる痛いのがおるとか言うて爆笑しとったんでな。……まあ、それはさておき、あんさんらに相当する”魔法の世界の人類ではない人類”はこの世界ではいわゆる旧種やねん、もうとっくの昔に絶滅しとる。まあ、言い換えれば元から魔法がこの世界にあった訳ではないっちゅうこっちゃな」
……地球人に対するあまりの物言いには色々言ってやりたい事はあったが……まあ、こんなよく分からない状況でコイツにアレコレ言ってもどうしようも無いか。
しかし、いきなり地球人と同じような人間が絶滅とは……自分の住んでいた世界とは異なる場所の話だし、別に悲しい訳でもないし驚くという程の事でもないのだが……なんとも言えない気分を感じながら佇んでいると、黒服の男がもっととんでもない事を言い出した。
「この世界も大昔は地球と何も変わらんかったんよ。人間の文明もかなり進んどったな、ちょうどあんさんがおった頃の地球よりもうウン十年ぐらい進めた感じやったと思う。……それでもまあ、そういう運命やったんかのう……ある時、致命的な疫病の大流行と再生の見込みが全く持てない大飢饉と多数の国家の同時多発的な経済崩壊から続く世界恐慌と大戦争がいっぺんに来ての。大勢の人々がマジでヤバいかもしれんと思った所で何故かいきなり星の自転軸がひっくり返ってプレート運動が滅茶苦茶になったせいで超大国ですら一撃で壊滅させる様な大地震が12カ所と世界地図が別の星?と言わんばかりに書き変わる規模の大洪水が18カ所、さらに本当に文字通りに地上の何もかもを吹き飛ばす程の強風を伴った超巨大台風が200個ほど世界のあちこちで数年ほどの極めて短い期間に集中して発生してしもうてな。こん時ばかりはもう、生き残った誰もがこれはアカン人類オワタと思った……」
黒服の男は感慨にふける様に沈黙した。確かにそれは壮絶すぎると思った。
その世界の人類の絶望感は正直想像もできないが、相当な物であっただろう。黒服の男から発せられる雰囲気に流されるようにこちらも空を仰ぎながら目を瞑った。
「……思ってたらさらに超巨大火山の破局的大噴火が6発と超巨大隕石の落下が1発来てしもうたんやなぁ、これが」
思わず前のめりに倒れそうになった。続きがあるなら溜めずに言えよ。というかなんでそこで溜めた……と、非難めいた視線で黒服の男を見つめたが、当の本人は全くこちらの視線に気づかない様子で話を続けていく。
「そんでその後は地表の大半が爆風で吹き飛ばされて、灼熱の溶岩で焼かれながら流されたかと思とったら、巻き上げられた火山灰が星全体を覆ったせいで太陽の光が地上に届かんくなって、あっという間にその星全体が凍りつくくらいの大氷河期や。そうして人類はもちろん他の生き物も、もはや絶滅寸前っちゅう状態まで追い込まれてしまったんよ」
……人類、滅びきってなかった。むしろ大災害のオンパレードよりそっちの方が凄いのではないだろうか。
それだけの事があれば、一人残らずいなくなってても不思議じゃないと思う。どうやって生き残ったのだろうか。
「ワイな、当時この世界を管理しとった神さんに『アンタあん時何しとったん?』って、聞いたんよ。そしたらその神さん、『同時期に宇宙の彼方からガンマ線バーストが五十八発も飛んで来て、防ぐのに手一杯でほとんど何もできんかった』って言うて打ちひしがれとったわ。ワイ、かける言葉が見つからんでなぁ……分かるけ?こん時のその場の雰囲気とワイらの気持ち」
黒服の男が遠い目をしてぼやくが、そんな状況の詳しい心象など分かるわけもないし、分かりたくもなかった。
そもそもガンマなんとかってのが何なのか分からなかった。なので首をふって答えた。
黒服の男は「せやな、分かる訳ないわな……」と何処かあきらめた様に力なく呟くと、話を続けた。
「話が脱線してもうたな、戻すで。ともかく、この世界の旧人類がもうホントにどうしようも無くなった時にな、とある奇跡的な現象が起きたんよ。ワイらが“神成り”と呼んどるやつがな」
……かみなり? 雷? 聴き慣れない言葉に思わず眉をひそめてしまう。
そして黒服の男はこちらの様子を見て何やら納得した様に頷きながら説明を続けた。
「“神成り”っちゅうんはな、その世界に在る生き物を含む何かしらの物体や現象から“神”が生“成”するっちゅう……まあ神が新たに生まれる事なんやけどな、ワイらでさえ、Who・When・Where・What・Why・How生み出すのか全く分からん現象でな。まあ、有り体に言って奇跡っちゅう訳なんやけど、それが起きた。そしてこの世界はその新しく生まれた神の力である“魔力”によって生まれ変わったんや」
なぜ5W1H形式なのか……というのはこの際どうでも良いか。
とりあえず言っている言葉は理解できる。出来るのだが、頭が今一つ理解を受け入れてくれなくてなんだか気分がモヤモヤする。
人類が滅びそうになったら神様が生まれて助かりました……か。ご都合主義が酷すぎる様にも思えるけど、まあ……あれだ、異世界の話だしそういう事もあるのだろう、きっと。
「こん時の神成りはそれはもう大規模でな、その星だけやのうて星が属する太陽系全体に及んだんよ。沢山の神々が生まれてな。中でも一番重要なんが最初に生まれた神で、太陽が神と成った者。天空にて全ての者にあまねく魔力をもたらす大神、太陽神フィラールや。そんでフィラールの魔力に呼応する様にファニィバーシアの土台となっとる星そのものが神と成って地神ライヴステインが生まれ、そん後は諸々の神々が生まれていくんやけど、これらの神々はフィラールほどで無いにしても“魔力”を生み出す源になっとってな、その魔力で神々は数々の魔法を生み出した。そしてそれらの魔法は星全体を再生して人類や他の生き物も息を吹き返す様に復活させたっちゅう訳や。ちなみに神成りが起きる前におった神さんはこの後すぐに引退してこの世界から去ってった。あれ以来会うとらんけど、どっかの世界でまた管理者やっとるらしいわ」
めでたしめでたし……なのだろうか? まあ、世界が助かったのなら良いか。
思い起こしてみれば地球でも神話の類なんかは大体似た様な感じで大雑把で、ともすれば前後の脈絡が微妙にズレてる様な話も結構多かった気がするし、細かい事は気にしてもしょうがないな。
「そうしてこのファニィバーシアは新しく生まれた神々が生み出す魔力と魔法によって姿や有り様なんかを大きく変える事んなった。その後ン万年という長い年月が経って、人類は幾つかの新しい種に分かれてしもうたんや。例えば旧時代におった哺乳類動物の特徴を取り込んで獣と人類の間の子みたいになった“獣人類”とか、魔力を帯びた大地に順応したはええが、なぜか体が小さくなってしもうた“小人類”に、ひたすら強靭な肉体を求めた結果、肉の体を捨ててやたらとでかい岩や鉄の塊になってしもうた“巨人類”とかがおる。他にも濃く凝集した魔力の溜まりを利用して、それに意思を持たせて“精霊”を作る特殊な魔法を持っとる“精人類”なんてのもおるな。そんでここ、極東浮遊陸塊群にはそんな分かれていった人類の一種、非常に高い魔力貯蔵能力を持ち、色んな魔法を操る事に長けた人類種である“魔人類”が大勢住んどるんよ」
なんだか、互いに別の生き物というぐらいに人類は様々な系統へと分かれてしまったと聞こえるのだが……。
地球でも人間はいくつもの人種に分かれていたが、どうやらこちらの世界では、肌や目の色が違うとか文化が違うとか言った程度の話では無い様だな。
そうなると、この世界では地球よりももっと激しい争いが起こっていたりするのだろうか。そんな疑問が浮かんだので、黒服の男に聞いてみようと思ったその時ーー
「うーむ……この世界の人類の事全部語ると、えらい時間かかってしまうなぁ。ワイの休憩時間もそろそろ終わりやし……」
ふと、黒服の男の方を見ると、左手にはいつの間にか懐中時計の様なものが握られており、男はそれを見つめていた。そしてパチンと音をたてて時計の蓋を閉じた男は思いついた様に言った。
「ほな、この“事象観測器”をここに置いていくさかい、後はあんさんが好きな様に観たってや。これ使うたら観たいと思うとこは大体何処でも観れよるでな」
……丸投げされた。
いや、時間に限りがあるなら仕方ないのだろうけど……ああ、そういえば、今更ながら目の前にいるこの怪しい人物(?)が依然として何者なのかちっとも分かっていない事を思い出した。
友好的な雰囲気と話す勢いに流されて忘れかけていたが、いい加減その正体を確かめなくては……。
「……ん? ワイか? ワイは死神や。聞いたことぐらいあるやろ。まあ、簡単に言うと、死神っちゅうんは死んだ者の魂を、その世界の死後の領域である“あの世”に送るんが仕事の神や」
一体何者なのかーーと、そう尋ねてみたところ、黒服の男からあっさりとした感じでそんな答えが返ってきた。
死神ならまあ、知ってはいるかな。実際に存在してたとは知らなかったが……。
黒いフード付きのローブを着た骸骨で、大きな鎌を持っている姿が有名だ。この男も骸骨では無いし大きな鎌も持ってないが、着ている服は言われてみれば確かにそれっぽい気がする。
もっとも、本当に死神なのかどうかは確かめようも無いし、結局怪しい人物(?)には変わり無かったのだが……疑っても何か出来るわけでも無いので、とりあえずこの人物を死神という事で受け入れるしか無かった。
そしてその男は聞いてもないのに色々語り出したのであった。
「そんで聞いてぇな、ワイはこことは違う、とある別の世界で順調に仕事しとったんやけどな、最近その世界で人間の魂がどんどん増えて来てなぁ。あの世に入りきらん様になってきたんよ。そこで偉い神様たち、まあワイらの上司にあたる神々がこの問題について話し合うてな。そしたら『人間の魂が少ない並行世界に放流したら良いんじゃね? うっは、俺、天才!』とかぬかしよったアh……仰った神様がおっての。そんなこんなでまあ、ウチら死神が並行世界同士で魂を斡旋する仕事を新たにやる事になってしもうてん。これがもう、大変で大変で……転生に必要な手続きの手順を手探りの突貫で構築せんとあかんかったせいで、組織構造から書類一枚の書式に至るまで何もかも複雑怪奇でややこしい事になってしもうて、どこの部署も四六時中てんやわんやや。その上、異世界の神様に魂を移譲するお願いしに行けば散々嫌味やら文句やら言われるわ、亡者は亡者でこんな世界嫌だ行きたく無いとか生き返らせろとかチート能力よこせとか無茶苦茶な駄々こねて来よるし、なんとか転生できたと思ったら、元亡者が転生先で問題起こしてそこの神々からクレーム入るし……。あんさんの元居った世界でもそーやろうけど、現場の事なんぞなーんもわかっとらん無能共の思いつき程ろくなもんは無いな。そのくせエラそーにふんぞり返っとるもんやから憎さ百万倍や。アイツらいっぺん●ねばええのに……マジで」
……相当におストレスをお溜めになっていらっしゃるご様子でござった。……と、目の前の死神の、あまりの異様さに思わず敬語のようなおかしな何かになってしまった。
少しだけ死神から黒い靄の様なものが立ち上った様に見えたけど、多分気のせいだろう。そういうことにしておこう。
「今も異世界転生した魂達の“事後調査”に向かっとる所でな、それぞれの世界にある転生関連の|業務をしとる事業所へ行って、書類に不備がないかとか転生済みの魂がその後順調にやれてるかとか調べて来んとアカンねん。事業所なんて何処に有るんかって? そら、その世界によって神界とか天国とか地方自治体とか色んな呼び名で呼ばれとる“神様の住う領域”に設置されとるよ。まあ、互いに魂の転生をする協定を結んどる並行世界だけの話やけどな」
一瞬、何か奇妙な単語が聞こえたような気がしたが聞き間違いだろう……多分。
それにしても、自分が持っていた死神のイメージと大分違うな。
もっとも、そのイメージも元を辿れば架空の物だったし、それに死神はこの男だけじゃないみたいだしな。きっと元のイメージ通りの死神なんかもいるんだろう……多分。
「さて、スマンけど時間おしとるさかいワイはもう行かせてもらうわ。あんさんはこれからどないすんの?」
もう休憩時間が無くなったらしく、死神がそそくさと立ち去ろうとしている。まあ、忙しいのは事実の様だし、こうして時間を割いて色々説明してくれた事には礼を言うべきだな。
後、これからどうするかだけど……正直何をどうしたらいいのかさっぱり分からない。目の前にある装置に映し出されている異世界にでも行ってみようか……いや、行く前にもっと調べて置きたいな。行ってから、こんなはずじゃなかった、なんて事態にならない様にしたいし。
「ああ、ワイもちょっと息抜きしたかったし、ええんよ……そんで、ここでしばらく見学? まあ、好きにしたら良えわ。じゃ、ホイこれ、事象観測器の操作説明書。これにも書いてあるけど、“倫理*”っちゅう観点から、ヒトとして映したらマズいトコは観られん仕様になっとるから、そこだけは分かっといてな。ほいじゃ、またの……」
(* 人間社会において、人として正しいとされている事。類義語は“道徳”)
そうして手渡されたのは縦横がA3サイズ(297×420 mm)位ありそうな、大きめで厚さが15、6センチほどもあるごつい百科事典の様な本だった。
しかもかなり重い。何キロあるんだこれ……と、読む前からサイズと重量で心をへし折りに行くスタイルの説明書に愕然としていると、いつの間にか死神は去っていったらしい、我に帰って辺りを見まわした時にはもう、誰もいなかった。
……とりあえず人を(N G)り(K R)せそうな鈍器という名の説明書……じゃ無かった、説明書という名の鈍器……あれ? どっちだっけ? まあいいや、コレは一旦床に置いといて、適当にやってみる事にした。
死神はたしか手をかざすだけで映像を操作していた。
まあ、こうやって同じ動作を真似たからといって、手をかざすだけで操作出来るとは……………………出来た。操作出来た。視点移動もズームインもアウトもただ手をかざしているだけで思った通りに動く。
しかも手をかざしながら音は出ないのか? とぼんやり思っただけで画面に音声ボリュームが0と表示が出た。
なにこの超親切設計、この説明書全く要らないじゃないか……。今度死神に会ったら絶対に文句言ってやろう。
相変わらず静かな白い床と黄色い空の世界で、事象観測機という得体の知れない装置に映し出される見た事も聞いた事もない世界の光景に、次第に目が離せなくなっていく。さて、何処かに面白そうな物はないかなーー。
(* これ以降、物語に登場する様々な文化や用語、或いは大きさや距離などの単位の表現は、死神の事象観測器により地球(の日本)基準で翻訳または意訳されているものとします)