伝説の勇者の保険
勇者レテへの給付を終えた翌日。
ランスとスコールは、朝食にメルクの名産品メルクリームコロッケを楽しみ、早々に出立していた。もう少し滞在したい所であったが、次の顧客が待っている。用が済んだのであれば長居は無用だ。
スコールが残念そうに鼻を鳴らす。
「昨日のおばあちゃん、残念でしたね。まぁ保険を掛けといて良かったとも言えますが」
ランスが歩きながら答える。
「何が残念なんだい?」
「昨晩、あのおばあちゃんの泣き声が聞こえたんです」
レテの家からランス達の泊まった宿までは、それなりの距離がある。普通なら遠く離れた家の話し声など聞こえないだろう。ただ、スコールは普通の狼ではない。
「よく聞こえたね」
「彼女は強力な魔導士でしたから」
著しく高い魔力を持つ者が感情を強く揺さぶられた場合、その時発した音には自然と魔力が宿る。スコールは敏感にそれを感じ取ったのだ。
「そっか、彼女はちゃんと話したんだね」
ランスはメーカーを開き、チラリと目を通した。
「でも給付はされてないようだよ」
「?そんなはずはありません。彼女はすごい勢いで泣いてましたよ。私には聞こえたんです」
「悲しくて泣いてた訳じゃないんだろうね。悲しかったら給付されるから」
スコールは首を傾げた。さっぱり意味がわからない様子だ。
「いいかい?スコール。人間はね、あまりに強く感情を揺らさぶられると、心が波打つ。その波が身体の内側にあたるから、身体が震えたりする。波が高すぎると目の隙間から涙になって溢れたりもする。それが泣くってことさ」
「それはなんとなく分かります」
ランスは頷き、続ける。
「そうやって心を波立たせる感情はね、必ずしも悲しみとは限らないんだよ」
「悲しみでないなら、何ですか?」
「嬉しかったり、ほっとしたりとか?」
「嬉しいのに泣くなんて、よくわかりませんね」
「はは、そのうちわかるよ」
「レテもそう言ってましたね」
スコールは人間と関わり始めてから、まだ日が浅い。ある理由からランスの助手として共に旅をしているが、人間の心理を理解するのは、まだ先になりそうだ。
「そういえば、あれはアリなんですか?」
「あれというのは?」
「メモを使って、結局幸せな人生を歩んだことですよ。時を遡るような保険を使っておきながら、ちゃんと代償を支払えてるのかと思いまして」
セーブポイントという規格外な保険金。その為に世界中から勇者に関わる記憶が消滅した。勇者の旅の全てが、功績の全てが、存在自体がなかった事になったのだ。あまりに実も蓋もない保険料だった。
しかしだからこそ、その理不尽が保険料足り得たのではないか。スコールはそう考えたのだ。
「スコールは真面目だね。そんなのアリに決まってるさ。メーカーの決めた保険料はちゃんと支払ってるんだから」
「まぁそうなんですが」
「メーカーはあくまで発生したエネルギーで判断するからね」
実際メーカーからすれば、契約者のその後の幸不幸などどうでもいい。仕組みは仕組みでしかなく、それ以上の意味を持たない。
主人は美しい狼の頭を撫でる。フサフサとした感触を楽しむように、優しく声をかけた。
「何かを得るには何かを手放す必要がある。でもね、それは両方とも大切なものである必要はないんだよ」
誰かにとっての宝物が、誰にとっても宝物という訳ではない。最も大切な何かのために、それほど大切ではない保険料を支払えばいい。ランスはそう考えていた。
撫でられた狼は、気持ち良さそうにゴロゴロと喉を鳴らし目を細めた。
「世界は思ったより寛容なんですね」
ランスが生温い水筒を一口飲んで、遠い空を眺める。青空を背に白雲が浮かぶ。
「あぁ寛容さ。にも関わらず、どうでもいいモノのために、大切な宝物を支払っちゃう人もいるんだよ」
「えっ、そんな生き物が存在するんですか!」
「たくさんいるよ」
「なぜそんな馬鹿げたことを?」
「他人の決めた宝物を、自分の宝物だと思い込んじゃう事があるんだよ。本当はどうでもいいモノでもね」
スコールは驚きを通り越して呆れた様子だ。
腑に落ちないまま鼻を鳴らす。
「うーん、人間は実に不思議な種族です」
先ほどよりも更に大きく首を傾げるスコールを尻目に、ランスが次のクライアントを確認した。
「さあ、次のお客さんは生命保険を希望されてるみたいだ。職業は…」
「勇者の次は魔王とかじゃないですよね?」
「ふふ、元は宮廷に仕えてたみたいだけど、今は隠居してるらしいよ」
「つまり無職ですね」
ランス達の世界では、高収入の職業家が早々に隠居することは珍しくない。宮廷に仕えていたとなれば尚更だ。
職業は普通だが、告知について特記事項があるようだ。
告知とは、保険に入る際にメーカーに身体状況を報告することである。告知の内容によっては入れない保険があるのだ。すでにガーヌを患っている者は、もちろんガーヌ保険に入れない。
「持病でも持ってるのかな?うっ・・・」
特記事項を開いたランスが思わず呻く。
そこにはこう書かれていた。
・入院歴なし
・健康優良体
・ただしスケルトン
スコールが特記事項を横から覗き込む。
そして遠慮なくつぶやいた。
「スケルトンて、もう死んでません?」
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