伝説の勇者の保険
白いひげに白い髪。
ベッドに座って読んでいた本を閉じながら、レテと呼ばれた老人が微笑む。とても病気とは思えない、しっかりした眼差しだ。
「こんにちは、レテさん。僕はランス。旅の保険屋さ」
「こんにちはランス君、私はレテ・フリードリヒター、しがない老人だよ。保険屋さんがどんなご用件かな?」
「あなたのガーヌ保険の給付に来たんだ」
「ガーヌ保険?はて、保険なんて入っていたかな」
レテはアゴ髭をいじりながら首をかしげた。
「うん、64年前、イースピア歴834年に確かに加入してるよ」
「はぁ、ずいぶん前だね。834年ていうと、『魔王のうたた寝』の辺りか。すまんが、もしかしたら記憶がない頃に入ったのかも知れないね」
「記憶がない頃って?」
今度はランスが首をかしげた。
「実は若いころの記憶がすっぽり抜けててね。ちょうどその頃より前の10年くらいの記憶がないんだよ」
ランスは何か思いついたように人差し指を立てた。
「なるほど、それはあなたが勇者だからかもね」
「勇者?なんだいそれは?」
レテは勇者という言葉を耳にしたことがなさそうだ。ランスの代わりに、白狼のスコールが自慢げに答える。
「勇者は職業の一つです。あなたは勇者だったのです」
「しゃべる犬とは驚いたな。というか……魔物かい?」
「いや、スコールは犬でも魔物でもないよ。僕の友人さ。それより、あなたは勇者だからこそ、その記憶がないんだ」
ランスは、脇に抱えていた本を開いて見せてくれた。
通称『メーカー』。
保険に関する全てが記載された魔法の本である。保障内容の確認はもちろん、加入のための審査や支払施行まで、これ一冊であらゆる業務が可能だ。
そこにはこう書かれていた。
《保障内容》
契約者:レテ・フリードリヒター
職業:勇者
1 死戻定期保険
保険金:セーブポイント
保険事由:死亡(無制限)
保険期間:イースピア歴834年11月20日から2日間
※期間内に死亡した場合、無制限でセーブポイントを発動。
保険料:「勇者に関する世界の記憶」
払込期間:保険期間満了日の翌日から終世
※給付歴あり。(12回)
2 ガーヌ終身保険
保険金:金貨20枚
保険事由:ガーヌ病と診断された時
保険期間:終身
保険料:金貨14枚
払込期間:一時払い
一読すると、レテは手のひらを天井に向け、肩をすくめてみせた。
「これが私の入っている保険かい?正直何がなんだか…」
「あなたは僕から保険に入ったんだ。ガーヌ保険と、すごく特殊な魔法保険に。世界中の勇者に関する記憶を保険料にしてね」
「なんとも……壮大な話だね。それで勇者ってのはどういう職業なんだい?」
レテはおとぎ話でも聞くように微笑んでいる。
スコールが間髪入れず断言した。
「わかりません!」
「えぇ!?わからないの?」
驚くレテにランスが補足する。
「わからないのは、僕らの勇者に関する記憶も支払われてしまったからだと思う。でも、かなりすごい職業のはずだよ」
勇者がどういったものかは不明だ。
だが世界的な影響力を持っていたのは間違いない。保険金であるセーブポイントの説明書きを読めば、それは世の理に干渉するような反則的な内容だった。
その保険金に見合う価値、世の理をひっくり返すほどの価値が勇者にはあった。
少なくとも『メーカー』はそう判断したのだから。
「世界の記憶っていうくらいだから、世界中に影響を与えるような職業のはず。下手したら大賢者や剣聖よりも上の職業かも」
「大賢者より上って、もう魔王とかのレベルですよ」
隣で聞いていたリリアが呆れながら口をはさむ。
「ばかげてるね。世界中の記憶に干渉するなんて、ほとんど神の領域さね」
リリアは魔法界にその名を轟かした大魔法使いの1人であった。魔法に精通する彼女からすればありえない話。
ランスは特に否定することも、肯定することもなく、一息ついて話を続ける。
「まぁ今日はガーヌ保険の給付に来ただけなんだ。給付金として金貨20枚を置いていくよ」
「うーん、身に覚えのないお金をもらうというのもな」
レテは困ったようにポリポリと頭をかいている。
「記憶になくても、記録されてる。だから受け取ってもらうよ。認知障害がある人にしっかり給付するのも僕の仕事さ」
「いいじゃないかレテ、くれるってもんは貰っておけば。私は夕食の準備があるから失礼するよ」
リリアはそう言うと、1階へと降りて行った。どこか寂しげな背中。
レテは申し訳なさそうに微笑んだ。
「すまないね。リリアは病気について、あまり触れたがらないんだ」
屈託のない顔でスコールが反応する。
「寂しいという感情ですね?」
「あぁ、そうだね。ずっと、一緒だったからね」
「レテも寂しいですか?」
「もちろん寂しいさ。でもね、悲しくはない。むしろリリアがいてくれて本当によかったなぁって、なんだか嬉しいくらいなんだよ」
「寂しいのに嬉しい?よくわかりませんね」
「はは、君にもわかる時が来るさ」
レテは微笑みながらスコールの頭をわしゃわしゃと弄る。そして、沈黙した。少し何かを考えてから、ランスに眼差しを向ける。
「ランス君、さっきの保険だけどね。やっぱり私が入ったんだと思う」
「……何か思い出したの?」
勇者レテは静かに、そして悲しげに微笑んだ。
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