伝説の勇者の保険
「という訳で、俺は保険に入ることにする!」
およそこの世のものと思えぬ満天の星空。そこは地上で最も美しく、危険な場所。
最果ての高原ティルナノーグ。
高原を抜ければ魔王の城が顔を見せる。
長い旅路の終着点だ。
勇者レテの一行は魔王討伐を目前に控え、最後のキャンプを張っていた。漆黒に広がる草原の中、焚き火を囲む。炎がゆらゆらと一行の顔を照らしていた。
「ちょっとレテ!戦う前から死ぬ気とかホントやめてほしいわ」
呆れて眉間をつまむ魔法使いのリリア。濃い緑のローブが夜の闇にとけ、黒く見える。
火に照らされた美しい横顔は、魔法使いというより聖女のようである。
「そうだぜ!大体お前が死んだら世界も終わりだろうが!」
「まぁ話だけでも聞きましょう。レテのことです。何か理由があるのでしょう」
顔に大きな傷を持つ、バカでかい声のバカでかい鱗の男。槍を肩にかけ竜族の戦士ガウェインが続けて嘆く。
その隣でたしなめるのは、浴衣のような服を着た金髪のひげもじゃ。レテの師であり一行の相談役、大賢者メルキオールだった。
「さすが先生、話がわかる!まぁ聞いてくれよ」
勇者レテが師メルキオールに指を指す。
礼儀も何もあったもんではないが、この屈託のなさがレテの長所でもあった。
リリアが問い詰める。
「今更ビビっちゃったの?」
勇者レテが旅を初めてから10年。
初期からのメンバーであるリリアは、レテがこれまでに成した伝説を最も近くで見てきた。あらゆる強敵を屠り、いつだって奇跡が起きた。
その勇者が、保険に入るなどというのが信じられなかった。
「ビビッてなんかない!でも魔王はこれまでの相手と次元が違う。これは必要なことだと思ってる」
竜族の戦士ガウェインが魔王の姿を思い出し、ゴクリと唾をのんだ。リリアも視線を下にそらし、唇をかむ。
魔王の強さは、たしかに異次元のものだったからだ。
魔王討伐戦は今回で2度目。
1度目は惨敗だった。
勇者一行は間違いなく世界最高の戦闘力を持つ。それでも魔王の足元にも及ばなかったのだ。半年前に魔王城に乗り込ん際、仲間を2名失い、レテ本人も死にかけている。勇者がこの時起こした奇跡をあるとすれば、それは生きて帰ったことだろう。
無論、それを踏まえての再戦である。勝利の算段はつけてきた。それでも失った仲間が戻らないのは事実だった。
レテはうつむく2人の姿を見て悲しい表情を浮かべたが、すぐに笑顔に戻した。
「まずは紹介しよう!彼はランスロット君!旅の保険屋さんだよ」
勇者に背中を叩かれたのは耳のとがった少年。
整った顔立ち。眠そうにぼんやりと焚火を眺めるターコイズブルーの瞳。首元がしっかりと覆われた茶色いマントを羽織り、腰には小さなポーチが見える。
軽装だが、旅慣れた印象を与える服装だ。なぜか大きな本を膝と胸の間に抱えている。
ランスロットと呼ばれた少年が、穏やかな声で短い挨拶をした。
「はじめまして、保険屋のランスです。まさか紹介されたのが勇者ご一行とはね」
表情の乏しいランスに反して、レテは嬉しそうに語る。
「ランス君はすごいんだよ!なんでもあの英雄グランヴェルやヒンメル王国の王様までランス君のお客さんなんだ!他にも色んな偉人達が彼のお世話になってるのさ!」
「英雄グランヴェルって、もう100年前に死んでるじゃない」
ギョッとするリリアに、ランスは軽く答える。
「君らよりは長生きなんだ。エルフだからね」
「なるほど」と言って目をつむるリリアを無視して、大賢者メルキオールが訪ねた。
「エルフの保険屋とは珍しいですね。それでランス君。レテが保険に入りたがっていますが、そもそも入れるんですか?」
ランスはやる気のない表情を崩さない。
「うん、それなんだけどね。まず入れないよ」
「えっ!!!」
レテが叫ぶ。ランスは抑揚なく続けた。
「いや、これから魔王と戦う人は保険なんて入れないよ」
「えぇっ!!なんで!?」
勇者にあるまじき素っ頓狂な声。
ランスにとってみれば、いや、一般的に言ってもそれは常識である。意外な顔をされる筋合いはなかった。
「なんでって不公平だからさ。死にやすそうな職業は保険料が高かったり入れなかったりするんだ」
加入者が皆でお金を出し合い、集まったお金が誰かの万一時の保険金となるのだ。
冒険者や炭鉱夫など、死亡率の高い職種を無条件でホイホイ加入させていたら給付が偏ってしまう。安全な職業の者からすると割に合わない。ましてや勇者など、常に戦闘の最前線にいる超危険職であった。
レテが両手の平を上に向け、勢いよく訴えるが、ランスは冷静に対処する。
「勇者は死にやすくないだろう!?」
「死にやすい代表格でしょ」
「大体どんなエンタメでも最後まで生き残るじゃないか!」
「勇者が生き残ってるんじゃなくて、生き残った勇者がエンタメになってるんだよ」
「そんな事ないぞ!ていうか勇者ってワラワラいるもんじゃないからね!?」
「とにかく無理だよ。勇気と無謀の違いは約款に書いてないんだ」
ランスは肩をすくめて見せた。無理なものは無理なのだ。
レテは諦めきれずにボソリとこぼした。
「うぅ、精霊王は君をゴリ押ししてたのに」
精霊王とはその名の通り、あらゆる精霊の頂点に立つ存在である。精霊の力を借りて日々を過ごすエルフという種族にとっては信仰対象でもある。大自然と同義であり、亜神だ。
その精霊王と目の前の男に接点がある事に、ランスは驚いた。
(さすが勇者、本部から「とにかく行け」という指示だから来てみたが、精霊王の紹介だったのか。であれば……)
「それなら、第5分野の保険を提案しろってことかもね」
保険には分野がある。
死亡に対しての生命保険は第1分野。商売で使う積荷や火災に備える損害保険は第2分野。医療保険などは第3分野といった具合だ。
「第5?」
「うん、いわゆる魔法保険だね」
「それなら俺でも保険に入れるのか?」
「入れるよ。普通の保険とは勝手が違うけどね」
「どう違うんだ?」
「普通の保険は万一の時、お金を受け取るよね。でも魔法保険はお金じゃなくて、事象で受け取るんだ。
そして、受け取る事象は自由に設定できる。
もちろん支払う保険料もお金じゃない。保障内容に見合った“何か”を支払ってもらうよ」
魔法保険は支払った事象をエネルギーに変換し運用する。
そのため、普通の保険では不可能な保障対象であっても、魔法保険なら大抵可能だ。
支払いが見合ってさえいれば。
それを聞いて、レテが目を細めた。
「ほほーう…そういう事か」
隣で聞いていたリリアが体育座りに頬杖をついて嘆く。
「どういう事かさっぱりだわ」
「リリア、俺のかける保険が決まったぞ」
勇者レテは真っ直ぐにランスを見つめた。
「セーブポイントだ!セーブポイントを作って欲しい!」
聞いた事のない言葉にランスは首を傾げる。
「セーブポイント?って何?」
「うーん、なんて言えばいいのかなぁ。あらかじめセーブポイントでセーブしておくと、全滅した時にセーブポイントまで戻れるんだ」
「遺体を回収して欲しいってこと?」
「いや違う、場所だけじゃない。時間もセーブした時まで戻る。生き返って全部やり直せるんだ」
「へぇ……面白いね。そんな保険を希望されたのは初めてだな」
ランスは人間よりも遥かに永い時を生きている。しかし、レテの提案したそれは考えたことも無いものだった。
それもそのはずである。大賢者メルキオールが捕捉した。
「レテの前世の世界のモノですね」
「そう!前世のゲームの中では必ずセーブポイントがあった。精霊王にあそこまで言わせる君なら、そういうのも出来るんじゃないか?」
……。
数秒の沈黙の後、ランスは表情を変えずに答えた。
「…できるかもね。審査にかけてみるよ。それにしても、前世の記憶があるのかい?」
「あぁ、俺は異世界から転生してきたんだ」
「ますます面白い。異世界保険って訳だ」
ランスはそう言うと、抱きかかえていた大きな本を胸の前にかざした。
金色に輝き出した本は宙に浮き、パララララと音を立て、ひとりでに勢いよくページがめくられていく。本自体が生きているかのようだ。ページのめくられる速度が徐々に落ち着き、ついに止まった。
開かれたままの本を手に取って、ランスはそのページに視線を落とす。しばらく読み、視線を上げ、答えた。
「おめでとう。審査は通ったみたいだ」
「おお、ホントか!」
「うん、でも…保険料はそれなりだね」
保険料はそれなり。
それを聞いたリリアが顔をしかめた。保険料の高さが容易に想像できたからだ。
魔法に精通する彼女からすれば、セーブポイントなる保険の効果は明らかに異常だった。時間を遡り、無かったことにする。世界の理に干渉する反則的な魔法。
その代償(保険料)が容易いものであるはずがない。
リリアは思わず本を覗き込んだ。そして目を見開き、声を震わせる。
「……!?ダメよ……こんなの絶対ダメ!馬鹿げてるわ!!」
リリアの狼狽える姿を見て、戦士も賢者も顔を強張らせた。だが、勇者の瞳に迷いはなかった。
「どんな保険料でも覚悟はできてるよ」
真剣な面持ちの勇者レテに、ランスが軽く返す。
「そっか、でも確かにこれはオススメしないな。なんていうか、身も蓋もないよ」
戦士ガウェインが堪えられず叫ぶ。
「おいおい!勿体ぶらずに教えろよ!保険料はなんなんだ!」
遠慮のない返答。
「保険料は……」
少年の言葉が焚き火にゆらめく。
満点の星空の下、
冷たい風が勇者一行に吹き抜けていった。
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