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tomari〜私の時計は進まない〜  作者: 七瀬渚
第5章/この目を見つめて(Kakeru Chiaki)
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84.振り返るのは優しさじゃない(☆)


 高校の頃、才色兼備な相原さんは、男子からも女子からもいわゆる高嶺の花として知られていた。物静かでクールで、気安く話しかけてはいけない雰囲気。


 家は裕福で、小さい頃からいろんな習い事をしていたという噂もあった。それならもっと偏差値の高い学校にだって行けたのではないかと不思議がる人もいたくらい。


 そんな彼女が一年生の冬頃にダンス部へ入部した。

 その話はすぐに学校中へ広がった。僕たちのパフォーマンスはかなりアクティブなものばかりだったから、今までの彼女の印象とあまりにも違う、僕を含めた誰もがそう思ったのだろう。


 翌年の文化祭は一年のとき以上の盛り上がりを見せた。彼女のダンスを一目見たいと、上級生、下級生までもが集まってきたらしい。


 多分、女子の大半はお前目当てだよ。そんなことを仲間から言われたけれど、僕の場合は“レジェンド”を展開してしまったから、面白がって見にきた人がほとんどなんだと思う。


 いつの間かみんなから頼られるようになった相原さんと僕は、ついには部長と副部長になって協力しながら部を引っ張っていったっけ。

 暑苦しく突っ走りがちだった僕を彼女は持ち前の冷静さで何度も助けてくれた。



 今、何故かこんなことを思い出している。こんな状況で。


 真っ直ぐ、静かに僕を見つめる、すっかり大人になった相原さん。相変わらず美しく聡明。都会的な要素までプラスされて、一層洗練されたはず。

 違和感の正体が少しだけわかった。彼女にしては無防備すぎるんだ。一体どうして。


 僕に触れてまで引き止めたかった、その理由は……?


 早足で歩いてきたスーツ姿の男性が、僕たちの身体のスレスレを横切っていった。僕は思わず彼女の肩に手を添えた。


「相原さん、ここじゃ危ない。もうちょっとこっちへ」


「ごめんなさい」


「ううん、大丈夫。ちゃんと話聞くから、ゆっくりでいいからね」


 そうしてカフェの壁の方へ寄る。人の流れは止まってないのに、ちょっとだけ辺りが静かになったような気がした。


「本当にごめんなさい。すぐに終わるわ」


「やっぱりまだ話してないことがあったんだね。僕の方こそ気が利かなくてごめん。もう一件、別の場所を探して……」


「いいえ、ここでいいわ。決心がつかなくなってしまうから」


「決心って……」


 彼女がサイドの髪を整えたとき、その瞳につるりと滑らかな艶が宿った。黒曜石みたい。そんなことを思う。胸の苦しさと共に。



「ねぇ、悩んでることがあるなら言って」


「もう一つだけ聞かせてほしいの。これが今日、私が本当に言いたかったことよ」


「うん、いいよ」



「行かないでと言ったら待ってくれる?」



 街の雑音の中でやっと聞き取ることができた、小さな声。



挿絵(By みてみん)



 しばらく思考が停止したものの、すぐに意味を求めるのも野暮だと思った。率直だけど曖昧。そうなってしまう理由が何かあるんだろうから。


 さっきの話の流れを辿ってみる。自分なりに考える。

 やがてある程度の想像がついた。そうか、と腑に落ちたら、自然と苦笑が零れた。



「ごめんね。でもしょうがないよ。人事が決めたことだもん」



 ありがたいことに、相原さんは未だに僕を仕事の相談相手と見てくれてる。だから僕が遠くに行くのが心細いんだ。きっとそういうことだろう。


 相原さんは一度うつむいた。だけど再び顔を上げたときは笑みが浮かんでいた。何処か悲しげではあったけれど。



「そうよね。やはりあなたはそう言うわよね」


「僕があまりにも子どもじみたことをしてしまったから。でも本来大人の世界には、これくらいの厳しさが当たり前にあるものなんだ」


「わかったわ。私もあなたを困らせるようなことは言わない。もうこれ以上は」


「僕で良ければ話くらい聞くから遠慮はしないでね。相原さんのこと、これからも大切な友達だと思ってる」


「大切な友達……そうね、私もよ」


「本当? 嬉しいな」


 人々の足音、話し声、車のエンジン音……街の音が少しずつこの耳へ戻ってくる。


 眠ることさえ知らない、故郷からも遠く離れた忙しい街。こんな中でも、青春を共にしてきた人と向かい合って話せることが奇跡のように思える。


 今日、会えて良かった。素直にそう思う。


 だって僕はもう戻らないかも知れないし。それくらいの覚悟はできているから。


「今日はありがとう。私、そろそろ行くわ」


「ここで大丈夫?」


「ふふ。暗い夜道じゃあるまいし、心配いらないわよ」


 相原さんは駅に向かうだろう。ここからは逆方向。僕たちの距離がゆっくり開いた。


 背を向けて歩き出したその途中、やっぱり少し心配になって振り返る。


 彼女はまだ、立ち止まったままこっちを見ていた。

 表情はよくわからない。だけどその言葉は確かに僕へ届いた。



「千秋くん、振り返らないで」



 もう振り返ってしまったけれど……?

 一瞬そうは思ったものの、なんだかこれも僕に解釈を委ねる言葉のように感じられた。


 僕は頷いた。意味などわからない、ただ感覚で受け止めると、自然と感謝の気持ちが溢れてくる。



挿絵(By みてみん)



「ありがとう、相原さん。行ってきます」



 その一言だって、意識せずに生まれたものだ。

 なんとなく、これで良かったんだと感じられた。



 だけど僕は、一人きりのあの部屋へ真っ直ぐ帰るつもりだったのに、気がついたら何故か近所の公園で足を止めていた。


 また池の近くまで歩いていく。

 ダニーの想いを知ったときに泣いた場所。


 特にこの場所自体に思い入れがある訳でもないのにな。生きていると答えの見つからない不思議な現象も起きるものだけど。


 ランニングをしていた女の人が、すれ違いざまにじっと僕を見ていた。

 僕は手に持ったままのコートのことを思い出した。


 ずっと着てなかったなんて、可笑しいね。こんなに寒いのに。僕は何を考えながら歩いてきたんだろう。覚えてないや。


 コートを羽織ると、いつも身に纏っているウッディノートのフレグランスが温かさと共にふわりと香る。マフラーは緩くひと巻きにした。


 包まれている安心感が僕を感傷的にさせた。

 じわ、と熱く込み上げてくる。ここ最近で何度目だろう。またかと思いつつも、今回は絶望などとは違う。


 だって彼女は……相原さんは、さっきも今もこれからも、縋り付く相手ではないはずだから。


「……ごめんね」


 その言葉が零れたのはやはり何か感じ取っていたからなのか。


 ダニーのときと様子が似ている気はしてた。でも一体何故なのか、具体的な理由は結局わからなかった。


 ただ間違いないと思うことがある。何もできないくせに何度も振り返るのは優しさなんかじゃないということだ。彼女はそれをわかっているから、別れ際にああ言ったんだろう。


 もう会えないのかも知れない。距離は関係なく。実際、今の職場を離れる僕など相談相手としてはあてにならないから、今後は他の人を見つけて頼るんだろう。

 でもそれは仕方のないことだ。いつだって誤魔化しながらでも人と繋がろうとしていた、そんなずるい僕にはつらいことではあるけれど。



 手すりを掴み池を見つめた。穏やかな水面、だけどそれも儚いもの。

 小鳥が数羽、水飛沫を散らしながら飛び立っていく。


 分岐点に立っている僕は、選んだ道の先できっと大きく心を揺さぶられる。

 あえて険しい方へ行く。恐れてない訳がない。


 それでもさっき受けた言葉は、輝きを失わない宝石みたいに長く僕の中に在り続けるだろう。



――私は一緒にいられる時間の長さだけが全てじゃないと考えているわ。あなたと過ごした時間が彼女のこの先の人生で支えになっていくかも知れない。勇気を出すことができたあなただもの。少しは自分を信じてみてほしいわ――


――千秋くん、振り返らないで――



 会いにいくよ、愛しいトマリ。


 ここ最近で起きたこと、全部は君に話せないけれど、離れていた時間を埋めるみたいに許される限り君と語り合いたいよ。


 君の元へ辿り着く頃、僕は少しだけ強くなっているかも知れないから。後先考えずに連れ出したりなんてもうしないから。


 きっと顔を合わせたら欲は膨らんでいくだろうけど、それでも君の幸せを一番に考えると誓う。


 こんなに愛した人、他にはいなかった。本当だよ。



 だんだん風が冷たくなってきた。カイロくらい持ってくれば良かったな。そう思いながらコートのポケットに手を入れたんだけど、そこでスマホが震えていることに気が付いた。


 菊川さんからだ。確か今日は出勤だったはず。休憩中かな。


 出ようとしたらちょうど電話が切れた。着信は二回目だったみたい。


 何か重大な問題が起きたとかでなければいいんだけど。心配に思いながらも今度は僕の方からかけ直してみる。幸いなことにすぐ繋がった。


『ああ、千秋。休みのところ悪いな』


「いえ、大丈夫です。どうしましたか?」


『お前が人事から呼ばれたって話が回ってきたからさ。本当は聞いちゃまずいんだろうけど、大体でもいいから確認しておきたいと思ったんだ』


「そっか、菊川さんは本社にいる時間が長いから、尚更噂が耳に入るのも早いですよね。その件に関してはさっき他の人からも心配されたばかりなんですよ」


『行くのか、本当に』


「僕の一存ではどうにもできませんから」


 おのずと苦笑いが混じる。菊川さんの声色とは対照的だ。


 女性関係で問題を起こしたという噂が広まって、ほとんどの人からは白い目で見られていたけれど、こうして気にかけてくれる人もいるのが僕の恵まれているところだと思う。相原さんにしても、菊川さんにしても。片桐さん……は、あまり僕の都合の良い解釈をしては申し訳ない気がするから、応援なんて受け取り方はしないでおくけれど。


『……なぁ、千秋』


「はい」


『実は俺もお前に話がある。明日、仕事の後に時間作れるか? 無理はしなくていい』


「僕は大丈夫ですけど……」


『そうか。ありがとう。じゃあ明日仕事が終わったらまた声をかける。よろしくな』


「わかりました。こちらこそよろしくお願いします」


 話はそこままでで電話を切ったんだけど、もやのようにかすかな不安はしばらく続いていた。


 改まって話だなんて。菊川さんからそんなことを切り出してくるのは初めてだったから。

 僕の力では止められない。もしまたそんなことが起こったら。


 水面が波打つ。飛び立っていく鳥たちを僕は見ていることしかできない。


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