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tomari〜私の時計は進まない〜  作者: 七瀬渚
サイドストーリー/大切な彼女(Kazuki Makimura)
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親切と自己満足の狭間で(4)☆


 慣れない頭の使い方をすると、普段とは比較にならないくらいの疲れがどっと押し寄せるものなんだと知った。


 飲み会の翌朝。出かける家族を見送って二度寝した数時間後、枕元で騒ぐ目覚まし時計を鷲掴みにして止めた。

 時刻は九時。今日は仕事休みだけど、体内時計が狂わないように遅くてもこれくらいには起きるようにしてる。


 鈍痛のする頭を押さえながら半身を起こすと、私の代わりにベッドが呻きのような音を立てる。そういえばいつもより飲んでいたかも知れないと、ここでやっと思い出した。


 多少のこととはいえ、酒の影響を翌朝まで引きずるなんて私にしては珍しいこと。

 でも無理もないだろう。停滞していた時がいよいよ動き出す気配、そんなときにテンション上がらずにいられるかよ。


 それはそうと腹が減った。冷蔵庫の中少なくなってたし、軽く身支度してコンビニでなんか買ってくるか。


 素早くベッドから降り立つと、自室の机の上に投げ出してあったヘアバンドをつけて前髪を上げた。


 一階に降りて脱衣所の鏡を見ると、ちょっとばかりむくんだ顔に苦笑する。まぁ外出といってもちょっとだけだし、いちいち注目する人もいないか。そんなことを考えながら冷たい水を両手で掬い、勢いよく顔面に浴びせた。


「さて、今日はどうすっかな」


 珍しくノープランな休日。なのに旅行にでも出かける前のような気分の高揚があった。それは疲れさえものともしない、肉体を超越した清々しさとも言えるだろう。

 自然と顔がニヤける。何度でも。昨夜のことを思い出すと自然とそうなってしまうんだ。



 旅館を紹介したあの後、千秋さんはその場でトマリに電話をかけた。

 やはり迷惑はかけたくないという気持ちが強いみたいで、行くとしてもいつ何処で会うかちゃんと約束しておきたかったらしい。


 断られたらそれまでと考えていたことも電話を切った後に打ち明けてくれた。本当、この人は臆病なんだかチャレンジャーなんだかよくわかんないな。本人は前者だと思ってるようだけど。


 断られるはずがない。もっとも私はそれくらい確信を持っていたけどな。

 トマリは結構前から千秋さんの方を向いていたはずだ。無自覚なのが罪といったところだけど、周りからするとむしろわかりやすいくらいだったと思うよ。


 そうして千秋さんは見事に約束を取り付けた。旅館への宿泊も承諾してもらえたそうだ。

 トマリの帰省に合わせて来月、菊川さんと一緒に向かうことに決まった。理解のある先輩で良かったよな、本当。なんだか私の方がホッとしてしまった。



 そう、これでやっと一段落だ。コンビニで買ってきた紙パックのコーヒー牛乳にストローを刺してため息をつく。


 ここまですれば、千秋さんの恋が成就するのも時間の問題だろう。めでたいな。トマリが幸せになれる日も近い。


 想像を巡らせ、心温まっていたはずだった。胸にチク、と小さな痛みを感じたのはそんなときだ。


 私の脳内に多数のクエスチョンマークが浮かんだ。それをかき分けるようにして一つの感覚が迫り来る。


 以前にもこんな痛みを感じたことがある。あれは確か去年の春……


「いやいや、おかしいだろ」


 さっきまでの感情と矛盾し過ぎてて笑ってしまう。もう割り切っていたはずだし、なんかの間違いだろ。そう受け流すことにした。

 ストローを咥え、冷たいコーヒー牛乳を喉に流し込む。モヤモヤした気持ちも一緒に押し流されていくようだった。



 何はともあれだ。私の出番もこれで終わり。あとは本人たちに任せておけば、きっと全てが上手くいく。私はそう思っていた。


 だけどそれは、メッセージアプリに届いた千秋さんからの言葉を見るまでの話だ。


「なんだ、千秋さんも今日休みか?」


 焼きそばパンに齧り付きながらスマホを弄る。メッセージの全部が見えたとき、私の咀嚼そしゃくは止まった。


 それは哀愁漂うあの人の声で脳内再生される。



『槇村さん、昨日は本当にありがとう。おかげで僕も決心がつきました。これが最後になるかも知れないけれど、後悔が残らないようにちゃんと話してこようと思います』



「なん……だよ、これ……」



 次の行動に移るまでほんの数秒だったと思う。

 耳元でコールの音が続いてる間も逸る気持ちはなかなか押さえきれず、無駄に部屋の中をぐるぐる歩き回ったりなんかした。


 昨日連絡先を交換しておいて良かった。

 でもそれはトマリとの仲を全力でサポートするためだぞ。断じてこんなことのためじゃない!


 苛立ちが最高潮に達したときにちょうどコールの音が途切れた。


『もしもし、槇村さん? どうしたの……』


「どうしたのじゃねぇだろ、千秋さん! なに今更弱気になってんだよ」


『えっと、弱気っていうと……?』


「“これが最後になるかも知れない”って、なんで勝手に決めつけてんだよ。これから行動起こすところだろ。そんな生半可な覚悟じゃ、またトマリを振り回すだけだろうが!」


『それは……』


 千秋さんの声は霧のようにぼやけ、消えかかる。言葉に詰まっているのかなんなのかわからないまま。


 私も続きが思いつかなかった。ただ声にもならない祈りが続いていただけ。


 やがて小さく息を吸う音が聞こえた。



『心配かけてごめんね。でも違うんだ。これが僕なりの覚悟なんだよ』



 優しいけれど芯のある口調は、昨夜の彼の真剣な眼差しが幻なんかじゃなかったことを思い出させてくれる。さっきまでたかぶっていた私の気持ちも次第に落ち着いていった。


『槇村さん、昨日結局詳しく聞けなかったけど、トマリに何かあったんでしょう。地元に帰らなくちゃならないくらいの事情が。恋人と別れたこともあるのかも知れないけど、いろんな理由が重なっているんじゃない? 違う?』


「それは、まぁ……」


『僕に言いづらかったら無理に言わなくてもいいけれど』


「いや。内緒で伝えるわ。実はな……」


 迷いはあったけど、私は一つだけ話した。それがあの処方薬の飲み間違い事件だ。精神科のものだということは一応伏せておいた方がいいと思い、体調不良だとぼかして伝えた。



挿絵(By みてみん)



 それでもトマリにしてみれば隠しておきたいことだろう。周りに心配かけるのを嫌がるから。私もわかってはいるんだけど、千秋さんにだけは知っていてもらいたかったんだ。


 これは私のエゴ。ここまできたら中途半端な遠慮など捨ててしまおうと思った。拭い去れない罪悪感は観念して胸の奥にしまっておくことにする。


 ひと通りを説明すると、千秋さんが長く息を吐くのがかすかに伝わった。そりゃあそうもなるよな。


『トマリが何か自責の念に駆られていることには気付いていたけど、まさかそんなことになっていたなんて』


「ああ、わざとじゃないとはいえ完全に自暴自棄になってたな、あのときは。今でもまだ危ういんじゃないかと私は思ってる」


『だったら尚更、僕の気持ちばかり押し付ける訳にはいかないよ』


 寂しそうな声を受けて、私まで胸が締め付けられた。スマホを握る手に力がこもる。じんわり汗ばむくらいに。


「なんでだ? あんたの想いがトマリの救いになるとは思わないのか」


『そうとは限らない。重荷になってしまうかも知れない。僕は今のトマリに合った幸せを一緒に見つけたいと思ったんだ』


「それで会いにいこうとしてたのか」


『そうだよ。僕よりも地元の環境が救いになる可能性だってある。そうなったら無理に都会暮らしを続ける必要もない。確かめたいんだ。生まれ育った地でトマリが何を感じるか。彼女にとって今後の人生に関わるくらい大事な決断だと思うから』


 頬を生温かい感触が伝うのがわかった。咄嗟に拭った指が小さく光っている。自分でも驚いていた。


 じれったい。なんとかしたい。私がどれだけそう思っても、誰も立ち入ることのできない世界が二人の間に広がっている。それはきっと淡く、優しく、だけど激しい、桜吹雪のような想いの集合体なんだろう。


 もう止めることも咎めることもできない。今更に自分の無力を知る。でもこれは元々二人の問題なんだよな。


「千秋さんならいいと思ったんだ」


『え?』


「千秋さんにならトマリを任せてもいいって思えた。あいつは私にとって特別な……」


 何を言ってんだ私は。そう思って一度は口を閉じた。


 だけどやがては溢れてしまう。私はそれをなんとか聞きやすい形に整えてから声にした。



「あいつは、私にとって特別な親友だから」


『槇村さん……』



 そもそも親友という言葉自体に特別という意味が含まれているだろうに、我ながら可笑しな言い方だ。でもいいんだ。とりあえずこの場を乗り切れれば。そう思っていたのに。



『槇村さんはトマリが大好きなんだね』



挿絵(By みてみん)



 この人、結構容赦ないな。悪意のない罪をここでも感じた。やっぱりトマリとは似たもの同士だわ。


 当たり前だろ、なんて言って笑ったけど、小さく刺すような胸の痛みを再び感じていた。



 何か困ったことがあったら連絡してくれ。応援してる。それだけを伝えて電話を切った。


 食べかけの焼きそばパンやコーヒー牛乳の置かれたテーブルに、窓から差し込んだ光が液体のようにして広がっていく。やがてカーペットの上にも零れ、明るいシミを作っていく。


 まだ寒いけど、春の気配を感じる。あの二人が再会する頃にはもっと暖かくなっているんだろうか。


 私は……私という人間は。

 ただ人の幸せを見るだけで満たされるんだと思っていた。自分が役に立っているなら尚のこと。


 でもどうやらそれは、実に寒い自惚れだったみたいだ。


 人の幸せだけじゃ腹は膨れない。私の本心はずっと置き去りのままだったのかも知れないな。


 窓際まで歩き、透け感のあるカーテンにそっと触れた。窓にぼんやりと自分の姿が映る。


 どんな顔をしているかまではわからないけど、いま一人で良かったと思った。

 ちょっとくらい本音を零しても大丈夫だから。



「笑っていてくれ、トマリ。私はあんたの笑顔が一番……」



 それでも最後まで言えはしない。臆病なのは千秋さんじゃない、私の方だと気付くけれど、今はこれで精一杯。

 そう、いいんだこれで。望む未来は変わらないのだから。きっとそのうち本音もいい具合に消化してくれる。自分の一部として受け入れられるときが来るさ。


 腕をいっぱいに伸ばし、う〜んと唸りながら伸びをする。再び前を向く頃にはもうあっけらかんとした表情になっている実感があった。楽観的な性格だとこういうとき便利だ。


「予定変更! もういっぺん出かけてくるかね。散歩にでも」


 これから始まる多忙な日々に備えて今のうちに気分転換しておこうという判断だ。たまには自分に目を向け、ゆったりとした時間を持つことだって大事。



 だけどトマリ、千秋さん。

 もう少しだけ私のお節介に付き合ってくれな。


 満開の桜の下で無邪気に笑うあんたたちをいつか見たい。そんなささやかな夢くらいは持っていてもいいだろう。

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