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tomari〜私の時計は進まない〜  作者: 七瀬渚
サイドストーリー/大切な彼女(Kazuki Makimura)
92/122

親切と自己満足の狭間で(3)☆


 飲み会開始から大体一時間くらいで桜田さんは先に帰っていった。千秋さんがやってきたのはその数分後。まさに入れ違いだった。


 これで私以外の全員が男性メンバーになる訳だけど、そもそも私は男友達多めだからそんなに気にはならない。


 さぁ、後は今隣にいる千秋さんの話をとことん聞くまでよ。腰を据えてそのときを待った。


 千秋さんは酒の注文を終えると不安そうな顔をして私の方を向く。しばらくしてからそれはぎこちない笑みを浮かべた。


「びっくりした。槇村さんも一緒にいるっていうから。その……だいぶ久しぶりだね。最後に会ったの去年の春だったっけ」


「はい! お久しぶりです。もしかして担当のエリア変わりました?」


「うん。だからなんか懐かしい気分」


「なるほどなるほど。そうでしたか〜」


 本当はタメ語で話せるくらいの仲なんだけど、他の人の前だからそれはひとまず引っ込めておく。千秋さんからしてみれば多分どっちでもいいんだろうけど。


「それで、みんなが僕と話したがってるって聞いたんだけど……何かあった?」


 まぁそう言われれば緊張するのも無理はないわな、と思う。しかも仲の良い菊川さんだけならまだしも、この奇妙なメンバーだ。


「う〜ん、そうだなぁ。何処から話そうかなぁ」


 菊川さんは落ち着きなく眼鏡を位置を直したりしている。さすがに考えあぐねているようだ。だよな。デリケートな問題だし。


 片桐さんは完全にこっち出方を待っていると見た。

 よし、ここは私がやるっきゃない。そう覚悟を決めた。


「まずは気楽な話からいきましょうか。あっ、みんなお酒来ましたよ」


 私は店員さんからグラスを受け取り、一人一人へ回した。


「ありがとう」


「千秋さん、カシスオレンジ好きなんですか」


「うん、まぁね」


「じゃあもう一回乾杯しましょう! かんぱーい!」


『かんぱーい!!』


 グラスの重なる音が鳴る。

 まずは場の雰囲気を和らげて、それから焦らずに、でも簡潔に、わかりやすく流れを作ろうと自分に言い聞かせた。


 そう、だからこそのこの話題だ。


「さっきツーリングの話してて思ったんですけど、皆さんはよく遠出とかするんですか。もう数ヶ月もすれば観光シーズンだし、旅行とかしないのかなって」


「ああ。旅行の計画ならこれから立てるところだよな、千秋」


「あっ、はい。そうですね」


「二人で行くんですか」


「そうだよ。観光シーズンっていうと桜が咲く三月とか四月でしょ? その時期は俺ら忙しいから、前後に時期をずらそうとは思ってたんだけど」


「それもいいかも知れませんね。ちょっと時期をずらすくらいの方が観光地も程よくいてそうですし」


「でしょ。千秋とは前にも旅行したことあるんだけど、これで案外人酔いするタイプだからちょうどいいかなと思ってさ」


 よし、いい感じだ。思わずにやけそうになった。


 実は私が去年、偶然耳にした気になる話がこれ。ある日の休憩室で、菊川さんが桜田さんに、千秋さんと一緒に旅行に行こうと思うって言ってたんだ。

 問題はこの話が何処まで進んでるかなんだけどな。


「それでもう行き先はだいたい決まってるんですか。さっきこれから計画立てるとこって言ってましたけど……」


 祈るような気持ちだった。この質問の返事次第で次に繋げられるかが決まるから。

 菊川さんは不思議そうに首を傾げて言う。


「いくつか候補はあるけどまだだよ。前回は俺が行き先決めたから、今回は千秋に任せようと思って」


「そうなんですか、千秋さん!」


「あっ、うん。選んではみたんだけどまだ迷っててさ。宿泊先の予約もしなきゃいけないから、そろそろ決めないととは思ってるんだけどね」


「それなら候補を一つ加えてみませんか。おすすめの場所がありまして!」


「ええっ、これ以上候補が増えたら余計迷っちゃうよ」


「一つ増えるくらいならそんなに変わらないですよ。ちょっと待っててください。旅館のホームページ開くんで」


 素早くスマホを操作する。私にしては珍しく指がもつれた。

 なんとか道が開けてほしい、どうか。そんな祈りがまだ続いていたからだろう。


 画面を隣に見せるとき、身体全体が汗ばむのがわかった。

 さすがに緊張したよ。きっとこれが運命の分かれ道だろうから。


 しばらく画面を見つめていた千秋さん、その目が徐々に、大きく、見開かれていった。



「槇村さん、ここって……」


「お洒落な旅館でしょう。この地域は早咲きの桜も咲くので、見どころもちゃんとありますよ」


「えっと、ここは、多分、その……」


「あれ? もしかして行ったことがあるところでしたか?」


「もぉ……槇村さん、何処まで知ってるの」


 千秋さんはついに両手で顔を覆い、はぁ〜っと長いため息をつく。はみ出した耳は赤い。


 でもしばらくして指と指の間が広がったとき、私は思わず息を飲んだ。

 タレ目なのに、鋭い。冷たささえ感じる静かな視線がこちらに注がれた。


「このタイミングでこの旅館を紹介してくるってことは、もしかしてトマリに何かあったの」


「それは……」


「ねぇ。何があったの。ここまできたらちゃんと教えてほしい。言える範囲のことだけでいいから」


 圧倒されたのは私の方だ。そしてやっと理解できた。


 千秋さんはトマリのことになると、何処までも真剣になれるんだ。自分の立場よりトマリの心配しているんだ、心の底から。


 胸の奥が熱くなる感覚があった。やっぱりこの二人にはもう一度顔を合わせてもらわないと困る。そう確信した。


「槇村さん、トマリはいま地元にいるってこと?」


「いえ、まだ。でも近いうちに帰ることを検討しているそうです。二月か三月くらいなら、千秋さんたちの旅行のタイミングと重なるかも知れません」


「でもいきなり押しかけるようなことしたら迷惑になるんじゃないかな」


「トマリはもう恋人と別れました。文化祭動画のことも知ってます」


「えっ……」


 言葉を失くした千秋さんは深刻な表情をしてうつむいてしまう。今言ったどちらに対する感情なのかわからないが、だよな。今がチャンスとは思えない人だ。

 でも事実として考えれば、このタイミングを逃すのは凄くもったいないと思う。ここは私も譲る訳にはいかない。


「迷惑になる。本当にそれだけだと思いますか。トマリはきっと待ってますよ、言えないだけで。千秋さんだって相当の覚悟があって動画の公開を許可したんじゃないんですか」


「いや、正直あれは手違いなんだけど……参ったな」


 千秋さんがちら、と菊川さんの方を見た。


 菊川さんはうんうん、と頷きながら困り顔に近い微笑みを浮かべていた。


「あの動画なら俺も見たよ。でも今さすがにびっくりした。当時のお前の好きな人と元スタッフが同一人物だった……ってことで合ってる?」


「まぁ、そうですね」


「言ってくれよ、水くさいな」


「でもこんな個人的事情に菊川さんを巻き込む訳には……」


「俺がマイペースなのはお前も知ってるだろ。こっちはこっちで適当に楽しむ。いつまでお前が悩み続けるところを見てればいいんだ。少しは協力させろ」


「でも僕、彼女に会ったところで上手く話せる自信なんてないですよ」


 千秋さんはデーブルに両肘をつき頭を抱えてしまう。長いため息が再び私たちの間を流れた。


 それまで様子見していた彼がここでやっと口を開いた。


「なんかわかんねぇけどさ、そんなに真剣ならちゃんと自分の気持ち伝えに行ったら!? でも、でも、ってそればっかかよ。情けねぇ」


「片桐さん……」


 苛立ったような口調を受けて、千秋さんも驚いている。片桐さんは後頭部を乱暴に掻きながら面倒くさそうにそっぽを向いた。


「お前が遊び半分で元スタッフに言い寄ってるって聞いたから、やめとけって忠告しただけだ。別に反対してる訳じゃねぇ。どうでもいいし」


「片桐。そうじゃないだろ。素直になれよ」


「菊川さんはこいつに甘すぎですよ! よくイラつきませんね、こんなまどろっこしい返事ばかりされて。俺はウジウジした奴が一番嫌なんだ」


 吊り上げた目元にはしわが寄っている。荒れた感情がありありとそこに出ていた。


 私はなんとなく察した。千秋さんと片桐さんのかつての関係性を。

 どうでもいい相手に対して、人はここまで熱くなれないはずだ。


 菊川さんがゆっくりと首を横に振った。この人にしてはやや厳しい目をしている。


「本当にそれがお前の言いたいことか?」


「…………っ、そうですよ」


「ここで機会を逃したら、多分ずっと言えないぞ。いいのか」


 問われた彼は唇をきつく結んだ。視線はテーブルの上を落ち着きなく彷徨っている。


 しばらく間を置いた後、何か諦めたように瞼を伏せた。


「ああ……もう、わかりましたよ。悪かった。俺が誤解してた。だから自分の気持ちくらいハッキリさせろ、千秋。お前が紛らわしいことしてるのも悪いんだぞ」


 もはやヤケになった様子の片桐さんが力強く人差し指を突き出す。

 指さされた千秋さんはしばらく固まっていたけれど、やがてそのグレーの瞳に潤いの膜がかかった。


 口元を手で覆いながら肩を震わせる。強い振動に耐えるガラスみたいな繊細さを目の当たりにした私は、トマリとこの人の波長が合うことに心から納得したのだった。


「片桐さん、ありがとうございます」


「は!? 何泣いてんのお前。やめろよ、俺のせいみたいじゃねぇか」


「千秋は泣き上戸なんだよ。知らなかったか? それに今のは完全に片桐のせいだ。悪意ではないけどな」


「菊川さん、千秋さんまだ一滴も飲んでません」


「マジで?」


 私のツッコミの後、どっと笑いが起こった。千秋さんも照れくさそうにタレ目を細めている。

 片桐さんだけは笑えないまま、荒っぽい手つきで短い前髪をかき上げた。それ意味あるか?


「ああ……本当に調子狂うな」


「片桐さんまで応援してくれるとは思いませんでした。僕、もう少しだけ頑張ってみます」


「応援するとは言ってねぇよ! ポジティブか!」


 わいわいやっている三人を見ているとますます可笑しくなってきた。たまらなく安心したせいでもある。



挿絵(By みてみん)



 きっと今、この瞬間、あるべき形に戻ったんだろう。そんな気がしたもんだから。


「ごめんね、槇村さん。こっちばかり盛り上がって。コミュニケーション得意なようで時々妙に下手くそなんだよ、俺の後輩たち。本当に世話が焼けるというか」


「はい、知ってます。バレバレです」


「さすが。槇村さんにはお見通しだね」


 菊川さんは片桐さんの肩に触れ、優しく撫でたりなんかしている。千秋さんにも温かい眼差しを向けている。この人がお兄ちゃん気質なのか、この二人がでっかい弟みたいなのか。


 片桐さんは少し顔を上げて千秋さんを睨んだ。聞こえるか聞こえないかくらいの声がした。


「なんでお前、怒らねぇの。俺が憎くないのか」


「いいんです。実際僕には後ろめたい気持ちもありますから。マネージャーとして適切ではなかったと思っています」


 気まずそうに黙り込む片桐さんとは対照的に、千秋さんはシャンと背筋を伸ばして前を向く。

 ポケットからスマホを取り出すと、長い首の中央が一度大きく隆起した。



「責任を持って決着をつけようと思います」



 スマホの画面に『トマリ』と表示されるのが見えた。

 あんなに怯えていたのに、正々堂々と向き合うつもりだ。なんだかこの人らしいなと思いつつ、私は引き続き見守ることにした。


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