親切と自己満足の狭間で(1)☆
年末も間近に迫った十二月下旬。
クリスマスムードも落ち着いたばかりなのに街は相変わらず混雑している上、なんだか忙しない。そういう時期だからしょうがないか。
中番の仕事を終えた私はいつも電車で帰路を辿る。うちの会社はバイク通勤が認められてないから、あれは休日の楽しみだ。
乗り換え地点、駅から駅へ渡る途中の道で何やら揉めている二人を見つけた。
いや、よく見ると女の子の方は嫌がってるような。黒髪のボブで見た感じ大人しそうな子だ。
ということは、ヘラヘラした顔をしながら彼女に声をかけている痩せ型の男は? 雰囲気からして彼氏ではなさそうだな。
「あの、本当に困ります……その、私、待ち合わせがあるんで」
「え〜、こんな中途半端な場所で待ち合わせ? しかもさっきから十五分はここにいるよね。相手もう来ないんじゃない?」
「いえ、だから……」
「いいじゃない、話だけでも。ね」
ナンパか、あるいは何かのスカウトか。最近はほとんど見かけなくなったと思ったけど、まだいるんだな。警察の目を盗んで、まぁよくやるわ。思わずため息が零れた。
私は二人の方へ歩いていき、デカい声で「私の連れになんか用」と声をかけた。私と同じくらいの背丈の男は一瞬顔を引きつらせた。
「あ〜、参ったなぁ。いえ、なんでも。楽しんできてくださ〜い」
軽いステップを踏むような足取りで人混みの間をすり抜け去っていく。
だよな。私みたいな女には食いついて来ないんだよ、ああいうのは。もう知ってる。
「あ、あの……」
おずおずとした様子で、女の子が口ごもっている。改めてみると小さいな、この子。未成年ではないんだろうけど顔立ち自体が幼く見える。ちょっと私の友達を思い出しちまう。
「ああ、突然声かけられてびっくりしたろ。ごめんな。なんか困ってそうだったから」
「やっぱり助けてくれたんですね。ありがとうございます! 私、最近田舎から出てきたばかりでこの街のこともよくわからなくて。本当は駅の入り口を探して迷っていたんです。そうしているうちに日も暮れてきちゃって……」
「何処に行きたいんだよ。駅ならあっちにもこっちにもあるけど。ほら、看板見えるか? 矢印ついてるだろ」
「え! そんな近くにあったんですか!」
「人の流れ見てたらなんとなくわからないか?」
「ごめんなさい、私パニックになってたみたいで。方向音痴ですし……」
危なっかしいな。そう思いながらも過去の自分のことを思い出す。
私も昔、都会に引っ越してきたばかりの頃は似たようなモンだったか。でもこの子と違って性格キツそうな顔してるからなぁ。変なのに捕まることなんてそうそうなかった。
とりあえず彼女から目的地の駅を聞く。なんのことはない、ここから二駅だ。私は改札の方向を指差しながら歩き出す。彼女も小走りでついてくる。
「こっちと違って目的地の駅周辺は割とわかりやすいと思う」
「ありがとうございます……!」
「あと迷ったら交番とかコンビニに聞いた方がいいぜ。今後誰かと待ち合わせするとしても、駅構内とかにしておいた方がいい。なんかあれば駅員を頼れるしな。いずれにしてもなるべく目印のあるわかりやすい場所を選んで行動しな」
「はい。気を付けます!」
改札まで辿り着くと彼女の表情が心からの安堵へと変わった。すぐに私の方へ向き直り、深々と頭を下げる。
「本当にありがとうございました!」
「気にすんな。今後気を付けてくれればそれでいいよ」
そうは言ったけど、いかにも街に慣れてない子を狙ってしつこく声かける方がどう考えても悪いんだけどな、とも思っていた。
でも若い女の子なんて特に自分の守り方くらい覚えておかないとならない。それも事実だ。
女の子は何度も振り返り頭を下げながら改札の奥へ消えていった。私は軽く手を振って見送る。
さて、私も帰るか。同じように改札を通り、さっきの彼女とは違う方向のホームを目指した。
あいつは、大丈夫だろうか。
ここで思い出したのは、まだ安心できない、気にかけてやれという暗示なんだろうか。
ホームに立ちながらあのときのことがぐるぐると頭の中を廻り始めた。
つい最近のことだ。
親友とも言うべき私の友達・桂木トマリが、処方薬の飲み間違いをした。朝の薬を飲んでいたにも関わらず、その辺に置いてあった夜の薬を朝飲み忘れた分と勘違いして昼頃に飲んでしまったらしい。
彼女は強い眠気に襲われ、私がアパートを訪ねた十八時くらいまで起きなかった。
その上、自暴自棄になった彼女は、このまま目覚めなければ良かったのだと言った。
あのときの胸がチリチリと焼け焦げていくような痛みが忘れられない。
私、槇村和希は、口調も外見も男寄りだし強そうに見られるけど、実際は別にそうでもない。嫌な言葉を聞けば普通に傷付くし、失敗をすればそれなりに落ち込む。何から何まで人並みだとさえ思っているくらいだ。
サアッと風を切って快速電車が滑り込む。顔に思いっきり被さったショートの髪を荒々しく払い除けた。
トマリは簡単に人の言葉を信じるし、責められれば全部自分が悪いと思い込むし、そのくせ変なところで素直じゃない。
最近、長年付き合っていた男と別れたばかり。そんでこれから先、もっと上手くやっていけそうな相手がいることもわかっているくせに、頑なにその人の方を振り向こうとしない。
あの動画を見て本当はどう思ったんだろうか。
地元に帰る決意は変わらないと言っていたけれど、事実を知って少なからず衝撃は受けているはず。
トマリとは二年ちょっとの付き合いだ。それでも仲が良けりゃある程度の想像はつく。
前の男を酷く傷付けてしまったから、また誰かと深い仲になれば嫌でも傷付けるときが来ると怖がってるんじゃねぇかな。それで徹底的に避けている。
だけどよ、トマリ……。
そんなこと千秋さんが望んでると思うか? あんた自身も。
胸の内で独り言を零した。数日前のことを思い出しながら。
トマリが飲み間違い事件を起こす三日ほど前。
夕方頃、二度目の休憩をとっていた。場所はお馴染み、館内の休憩室だ。
私も来年の春頃にはこのショッピングモールから異動し、別の店舗で店長をやる予定。同僚たちはまだ知らないけど。だから任される業務も教えてもらう仕事内容も多い。さすがに疲れが溜まってた。
でも眠ってしまったら休憩が一瞬で終わるようでもったいない。とりあえずとばかりに通販サイトを眺めていた。
同僚の一人がやってきたのはそんな時だ。ちょっと時間をずらして休憩に入ったらしい。
彼女は私を見つけるなり何やら興奮した様子で駆け寄ってきた。
「槇村さん、槇村さん! 今話題になってるダンス部の動画、もう見ました?」
「ダンス部? いや、私は知らないな」
「え〜、絶対見た方がいいですよ。すっごいレベル高いんですから!」
「ダンスの大会とかの?」
「いえ、それが文化祭なんです! 十三年前の」
「は〜、なんだってそんな古い動画が今更流行ってんだ」
私の疑問に答える前に彼女は隣の席に座り、スマホと自分の身体を同時に寄せてきた。
「現在のダンス部のメンバーが当時のメンバーに許可をとって公開したらしいです」
「へぇ。なるほどね」
「じゃあ見ててください」
「え、ここで流すのか?」
「人少ないからちょっとくらい大丈夫ですよぉ」
いや、それ逆に迷惑じゃねぇか。そう突っ込む前に動画は再生された。
やれやれ。まぁそんな大音量じゃないから私はいいけれど。
動画を見て最初に思ったのは確かにレベルが高いということだった。プロと言われてもきっと私なら納得しちまうだろう。
特に髪を後ろで結んだ茶髪高身長の男子に目がいく。なんだろう、オーラがあるっていうか。
単にビジュアルが目立つからなのかダンスの上手さのためなのか、表現の世界に詳しくない私にはよくわかんないけれど。
そんなことを思っている途中、トントンと肩をつつかれた。
「あ! もうすぐです、槇村さん! よ〜く聞いててください」
「さっきから聞いてるけど」
「じゃなくて。可愛いんです、この子!」
ダンスミュージックが終わりを迎える。同僚が指差したのは、目を閉じて息を整えているあの高身長男子だった。
文化祭の進行役だろうか、マイクを持った生徒がステージ上に現れ、最初は中央に立っているダンサーに話しかけていた。
だけどその次にマイクを向けられたのは、同僚が注目しているようにと示した方。
彼がカメラ目線になったとき、何か心当たりを感じた。
なんだ。この顔、何処かで見たことあるような。芸能人か?
彼の唇が言葉を紡いだとき、私はガタッと音を立ててのけぞった。
実感が湧くまでしばらく時間がかかった。それくらいの衝撃。
「はぁぁ!? マジかよ!」
「ね〜! 可愛いですよね。一途に恋する男子。尊い〜!」
「今のもう一回再生してくれるか!?」
「え、そんなに気に入ったんですか。まぁ気持ちはわかりますけどね」
同僚は彼の自己紹介の冒頭から再生し直してくれた。私の喉はごくり、と鳴る。
やっぱり。この男子『千秋カケル』って名乗ってる!
確かトマリが千秋さんは自分より二歳上って言ってた。それでこの動画が十三年前。計算まで見事に一致する。これはもう間違いない。
え、なにこれ、なんで、どういうことだ。
かなり大胆なこと言ってるけど、本当に公開の許可出したのか、千秋さん。あんな隠れ引っ込み思案な人が?
でもこうして全国規模で流れているという事実が目の前にある。となると、千秋さんは相当な覚悟で。そう考えずにはいられなかった。
それでトマリにも見せたんだ、あの動画。十三年前の千秋さんが言っているのはどう考えてもトマリのことだから。
正直私は『ダニエル』の正体に前からなんとなく気付いてはいたけれど、トマリは全然ピンときてないみたいだったから。ついに知るべきときが来たんだと思った。
なのにどうしてだよ。なぁ、トマリ。
千秋さんも。なんで今の自分の口で伝えようとしない。動画を公開する度胸はあるくせに、よくわかんねぇよ。
客観的に見ているとそう思う。でも荒波の渦中にいる当人たちはいっぱいいっぱいでそれどころじゃないのかも知れねぇな。
電車の座席に座り、揺られながら考えていた。もう自分にできることは本当にないのかと。
でもやがて、花火が弾けるみたいにいつかの自分の言葉が脳内で鮮明に蘇ったんだ。
――千秋さんのことは任せておけ。私が連れ戻す――
私は確かにそう言ったんだ。以前トマリが千秋さんに距離を置かれたと落ち込んでいたときに。思えばあのときから二人の関係はぎこちないんだよな。
「これで終わりな訳……ねぇよな」
車内に人が少なくなってきたのをいいことに、私は遠慮なく呟いた。ついでにニィと笑って自分を鼓舞する。
恋のキューピットなんて柄じゃないけど、私なりの方法でできることはやらせてもらう。
もしお節介になっちまったら、そのときはすまんとしか言いようがねぇな。
じっとしていられない性分の私は逸る気持ちで電車を降りた。
改札を通った後、星の浮かんだ空を見上げた。
こうやって親切と自己満足の狭間で生きている自分を少し滑稽に思いながら。




