76.持ち堪えて、砂時計(☆)
昼食を終えた後、兄の車でまず実家に戻って荷物を置いた。念のためメモ帳とペンは出しておく。
両親たちの経営する旅館へはそこから歩いて向かった。大した距離ではない。ほんの十五分程度だ。食後の運動にはむしろちょうど良いくらいだと思っている。
「賑わってきたな」
途中、兄がそんなことを呟いた。辺りを見渡してみると桃の花を模した飾り付けが至るところに。お土産屋や飲食店の並びにも桃色や赤の色使いが目立つのぼり旗が立てられているため、まるで町中に満開の花が咲いているような気分になる。
屋台もちらほらと出ていて、どうやら定番の饅頭も期間限定仕様になっているようだ。
故郷のことだし容易に想像かつく。ひな祭りシーズンだからだろう。
おそらく観光業界にとってイベントは重要。花が綺麗な時期とか祭りの時期とかが忙しくなるのはもちろん、それ以外でもちゃんと盛り上げる方法を考えなければならないから大変だ。
よく見てみると、歩いている人々は意外と若いカップルが多い。昔は家族連れがメインのイメージだったが、最近は若者にも注目されている……ということなんだろうか。
みんな、楽しそうだ。
ここは良い。忙しない世界とは無縁で。一瞬そんな気分になった。
でもそう見えるのは運営している人たちの努力があってこそなのだとすぐに思い出す。どんな業界にもお客様には見せない部分がある。アパレルのときだってそうだったじゃないか。
なんて考えていたら、これまで一緒に働いてきた仲間たちが恋しくなってきた。みんな元気にしているだろうか。るみさんとか、あすか先輩、それに相原店長……
「おい、着いたぞ。入らないのか」
「すまない、少しぼーっとしていた」
「少しどころじゃねぇだろ。調子でも悪いのか」
「そういう訳ではない。心配しないでくれ」
「そうか? ならいいんだけどよ。ほら行くぞ。相手を待たせてる」
兄に促されて旅館の従業員入り口へ向かった。
とりあえずは短い間だけど、私の新しい生活がここから始まるんだと思うと今更ながら緊張してきた。
休憩室で一人待っていたのは制服の着物に身を包んだ四十代くらいの女性だった。私を見ると立ち上がり、柔らかく目を細めてお辞儀してくれる。私も慌てて頭を下げた。
「トマリ。こちらが大石さん。旅館の仕事と並行して、ホームページの管理をほとんど担当してくれている」
「初めまして、大石です」
「初めまして! 桂木トマリと申します。これからよろしくお願いいたします」
「あらあら、そんなに固くならないで。肩の力を抜いて楽しくやりましょう」
穏やかで気さくな口調の人だ。そのことに救われる。
兄が「かけてください」と言いながら椅子に座る。私も兄の隣に腰を下ろし、大石さんと向かい合う形になった。
「桂木さんだと支配人と区別がつかなそうだから、トマリさんと呼んでいいですか?」
「あっ、はい。大丈夫です」
「ふふ。本当に可愛いお嬢さん。お会いできて嬉しいです」
「いえそんな。いくつになっても落ち着きのない妹でして」
「あらいいじゃないですか。髪型もメイクもお洒落でとても似合っているし、やっぱり都会を知っている人は違うわ」
話の流れからして、支配人とは兄のことだろうと察した。いつの間にそんな役職に就いていたのかと、ちょっと驚きはあった。
大石さんは姿勢を真っ直ぐ正して切り出す。
「それでトマリさん。ここに来るまでの間で気付いたかも知れないけど、若いお客様が多いでしょ。なんでも旅に関する記事を書いてるインフルエンサーっていうの? そういう人が、この町のことも取り上げてくれたみたいで、写真映えするスポットとして今注目され始めているんです」
「なるほど、それであんなに若いカップルが」
「はい。だからこそここは若い人の力を借りたいと考えまして。きっと私よりトマリさんの方が、お洒落な写真を撮ったり若い人も好きそうな情報を発信できるんじゃないかと思うんですよね。美術系の専門学校を出ているそうじゃないですか。きっとセンスあるんじゃないかと」
「正直、写真はそこまで得意な自信はないのですが、やるからには精一杯頑張ります」
「ありがとうございます! そう言ってくれて心強いです」
大石さんが笑うと緊張がいくらかほぐれる。どの業界にもこういったコミュニケーション上級者はいるものなのだなと、内心で頷いていた。
「それでは主にどの箇所を変更していきたいか話し合いましょうか。ご意見があったら遠慮なく言ってください。実際にホームページを見ながらの方がわかりやすいですよね。いま画面を出します」
「はい、よろしくお願いします」
素早くノートパソコンを開く大石さん。私もメモ帳とペンを持ちスタンバイした。
現在のホームページが表示されると隣の兄貴も一緒になって画面を覗き込んでくる。うん……と小さく唸り、何かを考えているようだ。
「多分、シンプル過ぎるんですよね。支配人もそう思いません? 先任の人の話によると七年くらい前からずっとこのデザインだそうですし、フォントの使い方も少し昔っぽいような」
「俺はこういうの詳しくないのであまり偉そうなことは言えないんですが、温泉や庭園以外にも綺麗な中庭とかありますし、もっとアピールできる点はあるのかなと」
「中庭! いいじゃないですか。シーズンに応じて変えられるように、春夏秋冬の写真を揃えておくと良さそうですね」
メモを走らせながら思う。なんかこの二人だけで普通に話が進みそうなのだが……と。
私は自然な流れで話に混じるというのが苦手だ。割り込んだみたいになったら申し訳ないからと遠慮しているうちになんの意見も出せないまま終わる。そんなことが今まで何度もあった。
正直、弱気になってしまいそうだ。ついていける気がしなくて。
でも今までと同じなのはもっと、嫌だ。意を決して口を開いた。
「あのっ、二階の窓からの景色も綺麗です。遠くの山々まで見えて。二階へ続く階段も螺旋状になっていてお洒落かな、と。休憩室に続いている箇所なのでPRになりそうだと思いました。あとこの旅館って和洋折衷なところもあるかと思いまして、そういった意味では廊下にあるアンティーク調の椅子だったりレトロな喫茶コーナーだったり、趣の感じられるポイントは結構存在しているんじゃないかと……」
ああ、と二人の声がすると背筋が石のように固くなった。
ついペラペラと早口で喋ってしまったけれど、着眼点ズレてないだろうか。顔もろくに上げられないまま、手に汗が滲んでくるのを感じる。でも急に黙ったら変だろう。そう思うと止まれなかった。
「その、もちろんお料理や客室や温泉の写真がメインだとは思うんですけど……」
「トマリさん! それいいわぁ。やってみましょう」
大石さんがパン、と手を合わせて顔を上げる。晴れやかな表情が真っ直ぐこちらを向いていた。ちょっと驚いた。
「えっ、いいんですか?」
「ええ。とりあえず気になるところを写真に撮ってみて、それからまた考えても良いと思うんです。お洒落な部分やレトロ感を前面に出す見せ方、若い人にもウケるかも知れないわ。さすが二十代。頼りになる目線をお持ちで助かります!」
「二十代といっても、実はもう二十八なんです」
「あら、全然若いじゃない。私と何歳差だと思っているの、もう!」
いつの間にかその場に笑い声が生まれていた。
良かった、少しは役に立てそうだ。一緒になって笑えたのは、そんな安心によるものだったんだろう。
最後に大石さんから預かったデジタルカメラの使い方を教えてもらい、この日は解散となった。明日から撮影を開始する。
桜のシーズンさえまだなのだ。私は一週間しかここにいないから、おそらくホームページがある程度形になった後は、また大石さんが管理して新着情報などを投稿していくんだろう。
喫茶コーナーのメニューには春限定のデザートがあったはずだし、近所では春の祭りも開催される。
だけどもし、私がここに帰ってくる選択をしたならば。いずれ私の役目になったりするんだろうか。幾度も巡る季節を追いかけるようにしながら生きていくことになるんだろうか。
不安定な自分の気持ちも、くすぶってる情熱も、何処へ向けていいのかわからないままだ。居場所があって無いような感覚がここに来てもずっと続いている。
いや、もしかしたら私自身が拒否しているのかも知れない。居場所を定めるということを。
明後日、あの人と再会して、同じ時間を過ごして、そこで初めて答えが出るのかも知れない。
私の中の砂時計を動かせるのはいつだってあの人だけだったから。
辺りも暗くなった十八時頃、兄は旅館へ行き、それと入れ替わるようにして母が帰ってきた。父もあと一時間ほどで帰るらしい。大体朝早いのが父と母で、夜遅くまで働いているのは兄の方だと聞いている。
私の部屋だった場所は今ではちょっとした物置みたいになっているから、今夜はまた母と私、父と兄に別れて眠ることになるだろう。
キッチンの近くの棚にはいくつかの写真が飾られている。
夕食の準備をする母の近くで私は皿を拭きながらそれらをなんとなく眺めていた。
途中でぴた、と視線が止まった。先月は置いてなかった写真がある。かといって新しい写真でもない。むしろその逆だ。
見つめながら私はゆっくり息を飲んだ。驚いたのだ。だって撮った記憶はなかったから。でもそこに映っている髪の長い子は今も私の記憶に存在している。だから。
「お母さん、これ……」
「ん〜、何?」
「こんな写真が残っていたのか」
「どれどれ。ああ、フィンランドから来たお客様ね。あんたこの子とすごい仲良しになったのよ。確かハーフの子で、タケルくん? とかいう名前だったかしら。あんたはこのとき小二くらいだったと思うんだけど、覚えてる? この子のこと」
お母さんは写真を覗き込みながら微笑ましげに笑っている。私は愛想笑いする余裕さえなかったけれど。
「少しなら……覚えているよ」
嘘だ。少しだなんて。本当は、さっきから鼓動がうるさくてたまらない。
「ふふ。改めて見ると二人ともお人形さんみたいに可愛くて。懐かしくなって飾っちゃったのよね。確かお兄ちゃんが撮ってくれたんだっけ、この写真」
場所は旅館の前。私と彼は手を繋いで並んでる。二人とも目元が少し赤くなっているように見える。撮ったのは別れ際だったということか。
二人で逃げ出したことについては触れない。ということは、そこまでは覚えてないと母は思っているのか。
でも違うんだ。違うんだ、お母さん。
私はもう思い出してしまった。
無邪気な気持ちでこの写真を見れる状態じゃないのだ。
砂時計がぶれてしまう。それはいけない。止めるにしても動かすにしても、あの人と一緒でなければ。
今はなんとしても持ち堪えなければならないんだ。
「そうそう、さっきお風呂溜めてきたからあんた先に入っちゃいなさいよ。その方が後で楽でしょう」
「わかった、入ってくる。晩ごはんの手伝いは出たらする」
震える声を誤魔化したかったのか自分でもわからないが、私はその場でトレーナーを脱いだ。タンクトップ一枚になった私を母が口を半開きにして見ていた。
「びっくりした。なんでここで脱ぐのよ……って、あんたその腕! タトゥーまで入れてたの!? あ〜あ〜、ピアスだっていくつも開いてるのに」
「兄貴には黙っててくれ。では入ってくる」
「あっ、ちょっと! もう……本当に落ち着きのない子ね」
母がぼやいているのが聞こえたが、構わずに着替えなどを用意して脱衣所へ向かう。
可笑しなものだな。昔は自主性のない大人しい子と言われていたのに、今じゃこの言われよう。普通に生きてるつもりなのに周りをハラハラさせてしまうらしい。
でも頑張るよ、私なりに。ここにいる時間が意味のあるものになるように。
長い髪をヘアゴムで束ねるとピンクの毛先が宙で踊る。この色にしたキッカケ、満開の河津桜を思い出した。
春が、恋しい。私は桜が好きだ。藤も好きだ。
同じ時期に咲けたら良かったのに。




