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tomari〜私の時計は進まない〜  作者: 七瀬渚
第4章/私を許して(Tomari Katsuragi)
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75.故郷は私を感傷的にさせる


 新幹線から普通列車に乗り換えた後、少しだけ眠ってしまったようだ。


 夢だとわかりきっている夢を見たのだ。全体的に淡く、柔らかく、儚い。そんな中で藤の花と桜の花が同時に咲いているのだ。まるで互いを求め、絡み合うよりに入り混じっている。

 現実ではありえない。でもいつか似たような光景を見た気がする。それもきっと夢だったんだろう。


 やがて始まった桜吹雪の乱舞。何故かこの頬を伝った涙。そこへ細長い手が伸びてきた。藤の花の香りと共に。

 私の涙を拭ってくれる、その指先は温かい。あまりにもリアルで心臓が高鳴りを始めたほどだ。



 到着を知らせる車内アナウンスの声で目が覚めた。


 視界はしばらくぼやけたままだったけれど、車内は乗ったときと同じくらい閑散としているのがわかった。さすが田舎。二月の平日ならこんなものだろう。早咲きの桜なら見られる時期だし、もうじき賑わってくるとは思うのだが。


 地元まであと五駅。私はマフラーに顎を深くうずめた。キャリーケースを挟む足元にも力がこもる。自然豊かなのが良いが都会に比べて寒いのだよ、ここは。


 窓の外に山々が見える。これも都会じゃ見れない光景だ。

 懐かしさという感覚も通りすぎると消えていくものなのだと先月帰省したときに知った。あまりにも長く離れていたせいなのか、もはや知らない町の景色に感じられたんだ。

 そんな自分を少し寂しくは思う。でもいずれは慣れるのだろうという気もするのだ。


 感傷に浸る時間なんて儚いもの。所詮、日常の存在感には勝てやしないのだから。



 やがて電車は目的地へ到着した。私はキャリーケースのストッパーを外して立ち上がる。

 ホームへ降り立つと、駅名の看板や駅舎そのものが昔とは違う。これにもまだ慣れない。

 古民家を彷彿とさせる渋みのある色使い。昔はただの古い駅だったけれど、こちらは演出された“古風”であることが見て取れる。町の雰囲気に寄せたのだろう。


 前回は慌ただしかったこともあり大して見てなかったけど、待合室や売店などいろんなところが変わっているんだろうか。今更ながらちょっとワクワクしてきた。

 待ち合わせの時間まであと少しある。私は駅の中をゆっくり眺めながら歩いた。


 そうやって改札を通ってすぐのことだ。

 やたら大きく手を振っている男の姿が。そこまでオーバーにやらなくてもわかるのに。


「おう、トマリか。トマリだろ!」


「そんなに何度も確認しなくても私だ、兄貴。先月も会っただろう」


「それにしても相変わらず派手な髪だな。金髪にピンクの毛先とか……はぁ、お前は本当にいくつになっても落ちつかねぇな」


「言っておくが説教を聞くために帰ってきたのではないぞ」


 私が低い声で言うと、目の前の短髪の男・桂木凛太郎はしれっと何事もなかったかのような涼しい顔をして続ける。


「またコインパーキングに車をめてある。父さんも母さんもまだ仕事で忙しいから、とりあえず俺ら二人でどっか行って昼飯にしよう」


「わかった。私はなんでもいい」


「ちゃんと飯食ってんのかお前。厚着しててもひょろひょろだってわかるぞ」


「だから説教は勘弁してくれ」


「馬鹿。心配してんだろうが」


 どちらからともなく歩き出した。コインパーキングの方向ならもう覚えている。


 途中でちら、と振り返り、改めて駅の外観を眺めた。

 歴史ある旅館のような佇まい、色合い、雰囲気。春になって辺りに桜が咲いたら一層風情ある景色となりそうだ。温泉を売りにしているこの町らしいと思った。



 乗用車の助手席に乗ってから少しの間は運転する兄を横目で眺めていた。


 兄はあまり変わらない。現在は三十三歳だし、私が実家を出た約十年前に比べて歳をとっているのもわかるのだが、何処か基本の形を定めているようなところがある。髪を染めたりもしないしファッションも定番。見た目の部分で冒険をしない。

 なんなら内面もさほど変わっていないように思える。頑固で心配性。TPOはわきまえるけれど口調が無骨。笑うことなんてほとんどない。まぁ、表情の乏しさならおそらく私も負けてないのだけど。


「天ぷらでも食うか」


「そんなに量が多くなければ食べられると思う」


「蕎麦とセットの定食があるだろう、多分」


「なるほど。ならばそれにする」


「よし、決まりだな。もうすぐ着くぞ」


 こういう何かを決めなければならない場面で、兄のマイペースさに救われることがある。昔からそうだった。


「お前はガキの頃からそんなだったな。せっかく家族で外食に出かけても“なんでもいい”とか“さっぱりしたものがいい”とか言ってよく親を困らせてた」


 そう、昔から。兄は私に興味がないような顔して実はよく見ているし、必要とあらば助け舟だって出す。

 遠い日の声がいくつか、今に重なってくる。



――だから“さっぱりしたもの”じゃわからないでしょう、トマリ。どうして具体的に答えられないの。せっかくあんたたちの希望を優先しようとしてるのに……もう、困ったわね――


――なぁ母さん。俺、寿司がいい――


――おぉ、なるほど。寿司いいんじゃないか。トマリは脂っこくないネタを選べばいいし――


――うん。私、それでいい――



 無気力で可愛げのない子どもだったんじゃないだろうか。少し悔しいけれど、こうして思い返すと兄がいなければ成り立たなかったことの多さに気付くのだ。


「げっ、駐車場混んでるなぁ! やっぱ昼時だからか。結構待つかも知れねぇぞ」


「私は構わない」


「俺は腹減ってるんだけどな。まぁ仕方ねぇ」


 いつの間にか車は飲食店の入り口に差し掛かっていた。一瞬で現実に引き戻される。

 やはり回想など淡いもので良い。いろんな感情まで蘇ってきたんじゃたまらないから。



 兄の予想通り店内は混んでいるようで、席に案内されたのは入店からだいたい十五分後。都会だと普通だけど田舎だと長い。

 でも窓側の端っこという落ち着けそうな位置なのは良いと思った。


 お互い何を頼むか大体決めていたから注文はすぐに済ませた。

 流行りの曲を和風にアレンジしたメロディが流れる中、兄貴と私はしばらく無言で温かいお茶を啜っていた。


「なぁ、トマリ。お前ホームページの作成とか得意か?」


 やがて唐突に切り出されて私はぽかんとした。なんの話かわからないまま、とりあえず考えてみる。


「得意というほどではない。しかし自分の絵をホームページに載せていた時期はあった。もう随分昔のことではあるが」


「じゃあ俺よりはできそうだな。俺は機械関係まるで駄目だからよ」


「できそう、とは?」


「うちの旅館のホームページだよ。ちょうどリニューアルしようって話が出てるんだ。管理してくれてる従業員はいるんだけどよ、その人に詳しいこと聞きながらお前も協力してくれねぇか。そうだな、例えば写真を撮ったり、新着情報の文章を考えたり。旅館の仕事で手伝えることがあったらやりたいってお前も言ってくれてただろ? これも立派な仕事だからよ」


「私にもできる……仕事」


「ああ。やってみないか。いきなり接客よりかは挑戦しやすいだろ。掃除や洗濯だったら頼むかも知れないけどな、あれも体力仕事だから少しずつだな」


 軽く身を乗り出した兄が珍しく笑みを浮かべている。普段きりりと冴えている黒目が今はなんだか優しく見える。


「お前が今、病院に通ってることは知ってる。だから無理のない範囲でやってほしいんだ。調子が悪かったら相談にも乗る」


「わかった。未経験の仕事だから正直心配ではあるが、おそらく大丈夫だ思う。頑張ってみる」


「ホームページを管理している人を後で紹介するよ。親切な人だ。だからわからないことは遠慮なく聞け」


「ああ。承知した」


 久しぶりに頭が仕事モードに切り替わった気がした。とはいえ、足元はまだ宙ぶらりんな感覚。


 自分の役目がここにあること、それに対して安心と不安が混在しているのだ。

 経営者の身内なんて従業員からしたら却って気を遣うだろうし、もしスムーズに仕事が進まなかったら足手まといに思われるんじゃないか。そんな考えが嫌でも浮かんでくる。


 でも一週間何もせずにボーッと過ごしていたんじゃ、帰ってきた意味がない。だからこそ「頑張る」という言葉が出たんだろう。

 私は冷めたお茶をぐいと飲んで気を引き締めた。


 そうしているうちに兄の天ぷら御膳と私のもり蕎麦セットが運ばれてきた。兄の目の色が変わる。よほどお腹がすいていたんだろう。

 そうだ。こちらの声が届くうちに大事なことを伝えておかなければ。


「すまないが、明後日の昼は時間がほしい。会う約束をしている人がいるのだ」


「ああ、構わねぇが。地元友達か?」


「いや……そういう訳ではなく。でも昔の友人だ。ここへ旅行に来る期間と私の帰省がたまたま被ったのだ」


「ふぅん、そうか。あまり遅くなるなよ。いただきます」


 兄は早速、海老天を頬張っている。今のところ疑いの目では見られていないようだ。


 友人。そう言ったのにも理由がある。

 約二十一年前になるか、ダニエルとの別れ際、友達二十人のノートにメッセージと名前を書いたことで私たちの関係は“友達”ということになっている。つまりダニエルと同一人物である千秋さんも現時点では友達……という、得意の屁理屈が発動したためだ。


 我ながらずるいやり方だとは思う。

 しかしできるだけ波風立てずに彼との関係に決着をつけるにはこうするしかない。


「食わねぇのか。天ぷら冷めるぞ」


「ああ。いま食べる。いただきます」


 ちょこんと手を合わせてから箸を取った。

 最初に口にしたかぼちゃの天ぷらは、軽い食感でしつこくなくて、ほんのりとした甘さにホッとする。次に食べた海老天も、蕎麦も、ちゃんと味が感じられた。当たり前のことのはずなのに、何故かそう思ったんだ。


 先月もだったけど、ここに来たときからなんとなく気付いていたんだ。すっかり薄れていた五感が鮮明になってくる感じ。目や肌や舌に伝わるあらゆるものが刺激というより優しい気がして、でもそれを認めてしまうと私の芯にある何かが脆く崩れそうで怖くて。


 何かが込み上げてくる気配がして思わずうつむいた。お茶を一口飲んで窓の外を眺める。


 そんな私の様子を兄はどう思ったんだろう。何も心配したり不審に思っている様子はなかった。ただ、くぐもった声で呟くように「落ち着いて食え」とだけ言った。


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