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tomari〜私の時計は進まない〜  作者: 七瀬渚
第4章/私を許して(Tomari Katsuragi)
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71.私さえいなければ(☆)



挿絵(By みてみん)



 薬の一包化というのは本来、飲み間違いを防ぐなどの意味があるものだ。どの時間帯にどのタイミングでどの種類を飲めばいいか一目でわかるようにしてくれている。


 患者への配慮なのだ。つまり患者側も普通はそれで管理できる。そう。普通は・・・


 感情は遅れてやってきた。明確に感じ取れたのは苛立ち。でもそれは誰かに対してではない。


「夜飲むはずのを昼に飲んだってなると過剰摂取みたいなことになるのか、コレ。わざとじゃないとはいえ心配だなぁ。この時間だと病院はやってんの? 一応伝えておいた方がいいんじゃねぇのか」


「病院はもう閉まっている時間だ。それに大したことはないだろう。そんなに強い薬でもないし、実際もうなんともない」


「いや、強いとか弱いとかそういう問題じゃないだろ! あんた自分がどんだけ危険なことしたかわかってんのか。飲み間違いによる事故は実際に存在するんだぞ。万が一、眠気だけじゃなく倒れたりしてたらどうするつもりだったんだよ!」


「薬の管理もまともにできないとわかっただけだ。またいつ起きてもおかしくない。そう大袈裟に受け取らないでくれ」


「はぁ!? 何を投げやりになってんだよ! またあったら困るだろ! 対策を考えろよ対策を!」


 いたたまれずキッチンを後にする。和希は怒鳴りながら寝室までついてきた。

 ベッドのふちに腰を下ろす。たまたま近くにあった布団を思わず千切れそうな勢いで掴んだ。奥歯が軋みの音を立てる。


 和希はこっちを見ろと言わんばかりに私へ顔を寄せた。烈火のような目つきだ。普段の私だったら怖いと感じただろうに、今は……。



「冗談じゃねぇぞ、あんたに何かあったりしたら……!」


「あったりしたら?」


「え?」



「誰が困るというのだ」



 自分でもゾクッとくるほど低く冷たい声が出た。先ほどまでの苛立ちは無気力感へと変わっているようだった。


 和希の手から薬の袋がぽろりと落ちる。カーペットの上に落ち着いたそれを私はそっと拾った。あまりにも軽い、抜け殻。眺めているうちに乾いた言葉が自然と零れ始めた。


「誰も困らないだろう。私一人が倒れたって、消えたって、世界は変わらずに回るのだよ。心を痛めてくれる優しい人だっていずれは私のことなど忘れていくのだよ。だれどそれでいい。その方がいい。私なんて人の記憶に残り続けていたってなんの役にも立たない。ただ迷惑なだけだから」


「あんた……何言って……」


「だってそうだろう。まともに働けない、体調管理もできない、いくつになっても自立していられない、好きな人の心さえボロボロにする、トラブルを起こしては周囲を引っ掻き回すだけの邪魔な人間。病院に行ったことさえ甘えだったのかも知れない。お医者さんも本当は迷惑だったろうな。単なるだらしない奴が来たって対応に困るだろう。これでわかってもらえたか。こんな私なんてむしろいない方が良いくらいなんだ! なんならこのまま目を覚まさなければ良かったんだ!」


「ふざっ……けんなよ!!」


 ガッと強く肩を掴まれた。和希のすらりとした平手が素早く宙に振り上げられる。私は咄嗟に目をつぶり歯を食いしばった。


「よくも私の前でそんなことを!」


 覚悟していた。これほど怒るということはきっと彼女も傷付いたんだろうと、それくらいはなんとなくわかったから。


 だけどこの頬は衝撃を受けることはなく、代わりに大きなぬくもりに包まれた。

 和希が私を頭ごと抱き寄せたのだ。



挿絵(By みてみん)



「馬鹿なこと言うんじゃねぇよ……頼むからさ……私がどれだけあんたのことを心配したと思ってんだよ」


 彼女にしてはあまりに細い声。間近で聞いているうちに身体の奥が震えてきた。


「なぁ、これだけあんたのことを大切に思ってる私でも、簡単にあんたを忘れるっていうのか。本気でそう思ってんのか」


「和希……」


「人の気持ちを馬鹿にしすぎだろ。そういうところだろ、本当によぉ。ここまで言われてもあんたを嫌いになれない私の立場にもなってみろよな」


 今更。本当に今更になって、ポロポロと涙が溢れ出してきた。

 これじゃあ和希の服を濡らしてしまう。そうわかっているのに止められないし、和希はむしろ一層力強く私を引き込んでくる。


 しばらくの間は一体化したみたいに抱き合って、私の涙が落ち着いてきたくらいの頃にゆっくり身体を離した。


 彼女は赤くなった目で、それでも優しく私を見つめてくれる。何度か頭を撫でてくれた。


「暑苦しいことして悪かったな」


「そんなことない。私の方こそすまなかった」


「うっかり変なこと言っちまったけど、まぁその、気にするほどのことじゃねぇからスルーしてくれると助かる。私はもう割り切れてるし」


「変なことなど言っていただろうか?」


「いや、なんでもない。それよりちゃんと対策を考えようぜ」


 和希は何故か照れくさそうに笑う。どういう気持ちなのかはよくわからないけど、それでも私は少し安心していた。また彼女の笑顔が見れたこと。

 そうか、ならば逆もあるんだ。和希も私が笑っていた方がいいんだ。そんな理解も今更になって訪れた。


 疑心暗鬼から解放されていく。私に対して消えてしまえなどと思ったのは、あくまでも私だけなんだとやっと腑に落ちたのだ。



 気が付けばあっという間に夜だ。病院と連絡はとれないだろうと諦めていた私だけれど、念のため薬局の方に電話をしてみることを和希に勧められた。確かにこちらの方が二時間ほど営業時間が長い。

 そうして電話をかけてみた。申し訳なく思いながらも事情を話し、飲んでいる薬の名前やそのときの状況を細かく伝えると薬剤師さんは丁寧に相槌を打ちながら聞いてくれた。

 原因不明の眠気があったこと以外に変わったところはなく、現在の体調は安定していることからひとまずは様子を見ることになった。病院には明日連絡しておこうと思う。


 とりあえず一段落したけれど、このあと私たちは再発防止について考えることにした。


 リビングのテーブルの上には和希が作ってくれたチャーハンがある。手料理を人に振る舞うことはほとんどないから味は期待しないでくれと苦笑いしながら言っていた。

 今まではコンビニで買うことが多かった。でも伝わってくる心遣いは同じだ。まともに食べられない私のために、彼女は今までだって何度も付き合ってくれていた。


 小さめのお茶碗一杯程度に盛り付けてもらったそれを口に運ぶとまた涙が零れそうになった。塩気が強くてゴツゴツした味がなんだか和希らしい。

 味がどうこうというだけじゃない。思いやりが美味しいってこと、あるんだなと実感した。


「さっき言ってたことだけど、単なるだらしないだけの人間に医者が薬を処方する訳ないんだからそこは安心しろよ」


「うん」


「それと薬の飲み間違いだけどさ、実はうちの母親もやっちまったことがあるんだよ。確か朝と昼の分を取り間違えたんだっけか。一包化じゃなくてシートで出てる薬だったと思う。幸い大事には至らなかったんだけどさ、それからスマホのカレンダーでアラーム設定して薬を飲む時間に鳴らしたり、薬の内容も一緒に表示されるようにしたんだよな。それ見て確認しながら飲むようにしてるんだって」


「なるほど。確かにそれならすぐにできそうだ」


「他にも方法あるぞ。あんたの場合は一包化された状態で薬が出てるから、ホラ、例えばあれを使ってさ」


 和希が壁掛けのカレンダーを指差す。スプーン山盛りのチャーハンを口に運んでからこんな提案をしてくれた。


「あのカレンダーに薬の袋を直接貼っちゃうとか。飲み終わったやつから外すからわかりやすくね? 片付けとか整理整頓とか苦手なんだろ。だったらやり方もシンプルな方がいいかなと思ってさ」


「貼るだけだったら私でも大丈夫そうだ! それで試してみようと思う」


「おう。あとは薬に関する便利グッズも売ってるんだよな。カレンダーだと貼るスペースが狭いかも知れないから、やってみて使いづらかったら壁に掛けるポケット型のを別で買うとかさ」


「わかった。便利グッズも今度チェックしてみる」


 対策がわかってくるとだいぶ心強く思える。乏しかった私の食欲も少しだけ回復してきた。



――和希。



 からになった皿にスプーンを置くと小さく高い音が鳴った。私はこのタイミングで打ち明けておくことにした。



「私、地元に帰ろうと考えている」



 理由はいろいろだ。都会での生活に限界を感じたのもあるし、人間関係に疲れてしまったのもあるし。

 田舎なら楽という訳じゃないのはわかっているんだけど、ここから距離を置いて自分を見つめ直したいと思ってもいたり。


 そんな数々の事情。まだ口には出していないんだけど、ここ最近の私を間近で見ていた和希には伝わるものがあるんだろう。静かな表情で何度か頷いていた。


「そんな感じのこと、考えてるんじゃないかと思ってた」


「本当か。荷造りもまだ始めていないのによくわかったな」


「わかるさ。恋人と別れたり仕事をやめたり、世話になってきた人たちから遠ざかったり、理由はいろいろあるんだろうけど、なんかすんげぇ決意を持ってる感じは伝わってたよ」


「……そうか」


 私は思わずうつむいた。これから口にしようとすることに恐れを感じたのかも知れない。

 でもこれだけは終わりにはしたくない。だから言わなくちゃ。



「地元に帰っても和希とは友達でいたいのだが……良いだろうか」



 ぎゅっと唇を噛んだとき、またあの温かな手が私の頭をわしゃわしゃと撫で回した。



「当たり前だろ。私だってそのつもりだよ」


「和希……ありがとう」


「地元ってことはあんたも温泉旅館で働いたりたりすんのか」


「まだわからないな。そうなるかも知れないけど、私にはあまり向いてなさそうな気もするし」


「やってみなきゃわかんねぇだろ。前にも言ったけどさ、私もそのうち客として行くわ。あとあんたさえ良かったら友達とか知り合いにも宣伝しておくよ」


「ありがとう。助かる」



 あくまでも明るく話を繋げようとしてくれているのがわかる。私は本当に良い友達に恵まれた。


 しかしそんな和希が途中からソワソワと落ち着きのない態度になった。テーブルの上のスマホを何度も見ては考えるような表情をしている。どうしたのだろう。


「和希?」


 思わず声をかけると彼女の喉が大きく動いた。こちらを真っ直ぐ見つめる瞳に強い光が宿るのがわかった。



「なぁ。地元に帰る前に見ておいてほしいものがあるんだ」


「見ておいてほしいもの?」


「ああ、今日あんたに連絡したのは実はその件だった。正直私はちょっと前から気付いてたんだ。でもできればあんた自身で気付いた方がいいと思って言わなかった」


 なんの話をしてるんだろう。まだ読めない。そう思っている間に和希がスマホをいじり始めた。


 そして画面をこちらに向ける寸前、低い声でこう言ったのだ。



「覚悟、決めろよ」



 よもやそんなに恐ろしいものなのかと身構える。


 しかしそこから流れ始めたのは軽やかなダンスミュージックとステージ上で踊る若者たちの動画だったのだ。


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