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tomari〜私の時計は進まない〜  作者: 七瀬渚
第1章/居場所を探して(Tomari Katsuragi)
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6.緊急事態発生


 和希が帰った翌日は実に静かな日だった。

 静かなのは嫌いじゃない。だけどそれは私にとって変わり映えのしない日々の再開を意味していた。


 二十七歳無職。

 こんな自分の生活に何か意味を与えたい気持ちがあった。

 そんなとき私はペンを持った。昔のように。

 完成度は高いに越したことはないけど相変わらずそれほどこだわりはなくて、紙面上で変化を楽しみ、脳に刺激を与える、あくまでもそんな行為であった。


 絵の具は使わず大体は一色のペンで仕上げている。細さは何種類かあり、気分でところどころ変えたりはするのだが。

 無心になれるというのは私にとって心地良く、描き込みはどんどん進んで、いつの間にか細密画に近いとも言えるモノトーンのペン画が出来上がっていた。

 こうして何枚描いてきたことか、もはや自分でも把握できていない。


 それにしても今回はなかなか良い出来だ。写真を撮っておこう。

 私は椅子の背に絵を立てかけてスマホのカメラを向ける。


 アナログ絵には綺麗な撮り方というのがあって、きっちりしている人は自分の影が入り込まない位置を選んだり、光を当てたり、スキャンアプリを使ったりする。

 しかし私は端に影が入るくらいならむしろ好きな方で、それもまたアナログならではの味であるようにさえ思えるから撮影にはそれほど時間を要さなかった。


 気が付けばもう十四時を過ぎていた。

 いつから描いていたんだっけ。午前中からだったのは間違いないのだけど、朝食も昼食も食べるのを忘れていたことを思い出す。


 子どもの頃はよくそれで母や兄に怒られた。

 真冬にエアコンのない部屋で何時間も絵を描いていたことや、ご飯が用意してあるにも関わらず見向きもしないで絵を描き続けていたこと。体調を崩したって大人しく寝ているような子どもではなかった。

 手を動かす以外は何も興味がないとさえ思われていたのだ。家族が旅館を継がせることを早々に諦めたのも無理はない。


「……ん?」


 回想に浸っている途中で私はやっと気が付いた。何やら規則的に振動している音。

 常に消音にしているからこれはおそらく着信だと思い、スマホを探してみるも何処に置いたかわからない。

 しっちゃかめっちゃかなテーブルの上が一番怪しいと思ったが、ふと足元に転がっているクッションを退けたときにそれは現れた。


 何故こんなところに。全く覚えがないのだが。

 静かになったスマホをじっと見つめていたとき、再び着信があった。

 肇くんの名前が目に飛び込むと同時に私は電話に出た。


「もしもし」


『ああ、トマリ!? やっと出てくれた! なかなか出ないからどうしたのかと思ったよ』


「それは申し訳なかった。スマホを置いた場所を忘れてしまったのだ」


『相変わらずおっちょこちょいだね。可愛いけどさ』


 肇くんの声色はとても爽やかで優しい。それは年齢を重ね、服装、髪型など容姿を構築する部分が大きく変化しても、昔から変わっていない彼の特徴でもある。

 電話越しでも微笑みが伝わってくる、基本的にはそんな声なのだ。


『トマリは今何してたの?』


「今……か」


 肇くんは電話をかけてくるときよくこの質問をする。

 付き合い始めの頃は恋人同士としての自然なやり取りなんだろうと私も思っていた。


 しかし最近は妙な緊張を感じる。

 私は片手でテーブルの上に散らばったペンを片付け始めていた。あちらに見えるはずなどないのに。やましいことでもないのに。

 そして結局は正直に言うくせに。


「絵を、描いていた」


『そっか。トマリは絵描くの本当に好きだもんね。昔から俺よりもずっと上手かったし。今度また見せてよ』


「もちろん構わない」


 落ち着かない理由は自分でもなんとなくわかっている。

 肇くんの声が時々寂しそうに聞こえるからだ。

 私が自分の世界を大切にするほどに。



『それでさ、トマリ。明日の夜は空いてる? 一緒に外食でもどうかなって。今年はトマリの誕生日祝い、ちゃんと出来てなかったし』


 肇くんが再び話を切り出したことで我に返った。

 私の誕生日……二月二十日のことを思い出してみる。


「お祝いならしてもらったはずだ。プレゼントを贈ってくれたではないか」


『いやいや、でもあのときは俺が出張の前日だったから宅配便で送るしか出来なかったじゃん。電話でも少ししか話せなかったしさ。もっといろいろ考えてたんだよ、俺は』


「そうだったのか。しかし……私は現在無職だ。多少の貯金はしていたから生活はなんとかなっているが、就職して落ち着いてからの方がいくらか金銭的に余裕が生まれて良いのでは」


『それなら心配ないよ。この間給料上がったんだぜ、俺。そもそもトマリのお祝いなんだからさ、お金のことくらい任せてよ』


 肇くんの声には張りがあり、確かな自信が感じられた。だから本当に大丈夫ということなのだろう。

 だけど私はどうも細かいところまで気になってしまう性分だった。


「誕生日のお祝いということは結構お洒落なレストランなのではないか? 私はその場に相応しいドレスコードなど持ち合わせていないのだが」


『あはは、大丈夫大丈夫! そんな堅苦しい場所じゃないって! まぁ、そりゃあせっかくだからお洒落なお店がいいかなぁとは思ってたけど、俺が候補にしてるお店はほとんどのお客さんが私服だったし、俺もスーツとか着ていくつもりはないよ。普通でいいんだよ普通で』


「そう、か。わかった」


『良かった。じゃあ予約していい?』


「うん。ありがとう、肇くん」


 電話を切った後も胸の内のもやは消えない。

 次々と私の心配を打ち消そうとしてくれた彼に、“普通”なるものがわからないとは言えなかった。

 そして彼の言う“大丈夫”と私が考える“大丈夫”では大きな差がある可能性もある。そんな想像ができるようになったのも、いわゆる“空気が読めない”とか“場違い”と言われるようなことを過去に何度もやらかしているからだった。


 ドレスコードでもない、私が普段着ているような服もおそらく、違う。これは却って難しい。

 実際、二年ほど前から肇くんが選ぶ店は徐々に高級感が増していっていた。そういえばあのときも給料が上がったと言っていたな。

 それゆえいつかはこういう機会が訪れるかも知れないと多少は思っていたが……


「!」


 ピン、と閃くなり私はメッセージアプリの一番上のトークを開いた。

 仕事中かも知れない。でも今日中だったらおそらく間に合うからと正直に用件を打ち込んでいく。簡潔にわかりやすく、いつもはそう意識しているつもりなのだが。


『仕事中だったら申し訳ない。返信は今日中ではあれば大丈夫なのだがなかなかの緊急事態だ。私に普通というものを教えてくれ』


 こんな文章になってしまったのだから実際はかなり焦っていたのかも知れない。


 当然全く意味がわからない和希から「おい、何だよあれは」「普通なんてこっちが教えてほしいぞ」などとキレの良いツッコミが返ってきたのは夕方の頃だった。

 それでも最終的には私の相談を聞いてくれた頼りになる友人である。


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