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tomari〜私の時計は進まない〜  作者: 七瀬渚
サイドストーリー/ゆずれない気持ち(Hajime Kitajima)
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戦う理由は一つだけ(2)


 六年前。それなりに遠い過去だし懐かしさはあるけれど、その気になれば鮮明に思い出せる。


 夏の夜に専門学校の近くの飲み屋で集まった。一応同窓会という名目だったけど、要するに仲の良いメンツが集まっただけの自由な飲み会。企画した一学年上の卒業生たち以外にもっと昔の卒業生も混じってたし俺だってまだ在学中だった。仲の良い先輩から声をかけられて、たまたまその日が空いてたから暇つぶし程度の気持ちで参加したんだ。


 正直、あまり気分のいい席ではなかった。誘ってくれた先輩とは楽しく話せるけどほとんど知らない人たちだし、そのくせやけに馴れ馴れしく声かけられたりしてさ。

 なんだよ“ホストくん”って。勝手にあだ名つけんな。これ一応パンクファッションなんだけど。二連のピアスを弄りながら内心で毒づいていたっけ。


 退屈で頻繁にあくびが出そうになった。そんなとき、ふと斜め向かいに座っている女の人に目が止まった。


 美術系専門学校なら派手なのも個性的なのも特に珍しくはない。だけど彼女からは無理矢理捻り出した個性とは全く違うものを感じた。ちょっと悔しくなるくらい。

 金髪に複数のピアス、肩の開いた服にショートパンツ。都会ではよく見かけるギャルの風貌。なのに何処か奥ゆかしさを感じるのは何故だろう。いつの間にか強い興味が湧いていた。


 話してみたいと思うまでにそう時間はかからなかったけど、小柄で愛らしい容姿の彼女を他の男が放っておくはずもない。すでに隣を陣取った男がしきりにアプローチをかけていた。


「へぇ! トマリちゃんはアパレルに就職したんだ。やっぱギャル系? 店頭でいらっしゃいませぇ〜とか言うの?」


 男のデカい声が自然と届いてくる。

 トマリって言ったな。あるよな確かに“とまり”っていう苗字。いや、ちゃん付けで呼んでるってことは名前の方か? この時点ではまだそれもわからない。


「じゃああのなんとかカラーっていうのも詳しいの? 春とか秋とかってやつ」


「パーソナルカラーですか」


「そう! たぶんそれ! 俺のもわかるのかな〜なんて」


「そうですね、お酒で顔が赤くなっているので正確な判断は難しいのですが、手のひらの色である程度わかるかも知れません。見せてもらってもいいですか」


「いいよいいよ〜! トマリちゃんって面白い喋り方するね」


 彼女は差し出された男の手を躊躇ちゅうちょもなく握り、しげしげと観察し始めた。話し声の方はまるで聞こえてないみたいだ。


 やがて口を噤んだ男、その頬は更に熱を帯び喉仏は大きく隆起する。彼女を見下ろす目には期待の色が宿ってる。

 おいおいマジかよ、と俺は頭を抱えそうになった。身体の一部に触れるなんて、こっちもその気がありますと言っているようなもの。でもこの女は多分何もわかってねぇぞ。


「ねぇ、トマリちゃん。俺ちょっと外の空気吸いたくなっちゃった。話の続きしたいから一緒にどぉ?」


 ほらきた。俺はすかさず手を上げ「注文お願いしまーす!」と叫んだ。すぐに店員さんがこっちに近付いてくる。


「お待たせいたしました。ご注文をどうぞ」


「まずウーロンハイ一つで。そちらの二人は何飲みます!?」


 間髪入れずに話を振ると男は一瞬横を向いてから「ビールで」と答えた。

 舌打ちでもしたんだろうね。ざまぁみろ。


 そのままみんなの注文をひと通り聞いた。

 ふと視線を戻すとナンパ野郎は別の女に引っ張られて何処かへ連れて行かれそうになっている。彼女持ちかよアイツ、ろくでもねぇな。思わず苦笑が零れてしまった。


「はい、トマリさん。ジンジャーエールだったよね」


 俺が隣からグラスを差し出すと彼女は一瞬目を丸くした。胸元をぎゅっと握り締めている。なんで俺にはその態度? とは思ったけど、ここは大人しく数センチほどの距離をとる。

 あと段階を踏むのって大事だよね。基本を思い出した俺は彼女へ微笑みかけた。


「初めまして、北島肇といいます。今日は安西あんざい先輩に誘われてここへ来ました」


「桂木トマリです。初めまして」


「トマリさんって名前の方だったんだ。あ、敬語使わなくていいですよ、多分俺の方が年下だから」


「在学生なんですか」


「うん。六月生まれだからもう成人はしてるよ。お酒飲める歳だからそこは安心してね」


「そうですか。私は成人していてもお酒は飲めません。すぐ眠ってしまうんです」


 おっとそれは危ない。早々にあの男と引き離しておいて良かったと安堵した。


 じゃあ俺という男は安全なのか。円らな瞳を前にして一瞬わからなくなった。俺だってトマリというこの女に惹かれているのは事実なのにって。

 彼女がもし思わせぶりな態度をとったら。俺もあっさり勘違いしてしまうんじゃないかって。


――ちょっと!


 何処からか女の甲高い声がしたけど最初は気に留めなかった。

 まさかこっちに向かってくるなんて思わなかったから。



「ちょっと! トマリって女! こっち来なさいよ!」



「……私?」


「そうよあんたよ! なに人の男に触ってんのよ!」


「おい待てって! 誤解だって! お前酔いすぎだぞ!」


「離して! さっきこの女と手握り合ってたでしょ!? 見たんだから!」



 楽しく飲んでいたみんなにも緊張が走ったようだ。大丈夫かよ、と心配する声がそこかしこから聞こえる。


 こんな状況だけど俺は再び安堵した。

 ナンパ野郎と引き離さなきゃと思ったのは横取りしたかったからじゃない。嫌な予感がしたせいなんだって確信が持てたから。


「何か誤解されているようですが、先程その人の手を見ていたのは指先の色からパーソナルカラーを判断するためであり……」


「はぁ!? 何がパーソナルカラーよ! そんなチャラいなりしてしらばっくれんじゃないわよギャルが!」


 酔っ払いヒステリー女がひゅっと風を切るようにして平手を高く上げた。考えるもなく俺の身体は動いていた。


 パンッという歯切れのいい音と痛みが確かにあったけれど、俺は頬を押さえることもなくむしろ笑っていた。


「ギャルだから人の男を横取りするって? 偏見はやめましょうよ。みっともないですよ」


「な、何よ、あんたみたいなチャラい男に何がわかるのよ」


「ほーら、また偏見。あと暴力はさすがに駄目ですよねぇ。いい大人なんですからせめて話し合いにしましょうよ」


「ち、違う! ちょっと脅かそうとしただけよ。あんたが前に出てこなければぶつからなかったのに……!」



 酔っ払いヒステリー女、今度は両手で顔を覆って泣き出してしまった。もうため息しか出ない。


 そんなにチャラい人間が嫌いならまずその男と別れるべきだろうね。親しい相手にならそうアドバイスしただろうけど、こんなどうでもいい相手に寄り添ってやるほど俺は親切じゃなかった。

 オロオロしている内面チャラ男へ軽蔑の視線を容赦なく投げる。


「この人の介抱はお任せしていいですね」


「…………っ」


「いいですよね!?」


「……くそっ、言われなくてもわかってるよ! ほら行くぞ。いつまで泣いてんだ」


 今度は男の方が女を引っ張っていく形で両者退場となった。会費を事前に渡しておくとこういうときに便利だね。なんて。

 固まっていたみんなもようやく声を取り戻す。


「北島くん大丈夫!? 凄い音したけど」


「うわぁ、ほっぺた赤くなってんじゃん。災難だったね。もうあいつらは呼ばねぇわ」


「これくらいすぐに治るから平気ですよ。それよりみんなトマリさんの傍にいてあげてください。怖かったでしょうから」


「私なら大丈夫です、肇くん」


 唐突に名前を呼ばれ、驚いて振り返った。

 彼女はあまり表情が変わらないタイプみたいだ。だけどその目は真剣そのものだった。



 二人はきっと今以上に仲良くなれる。そんなふうに周りから言われて、トマリと俺は連絡先を交換することになった。

 あんな騒動が運命みたいに見えたんだとしたら皮肉な話だ。


「肇くん、やはり頬が痛そうだ。何処かで休憩した方が良いのではないか」


 帰り道、よりによって煌びやかな電飾がちらつく場所でトマリはそう言った。俺はいよいよ額に手を当て大きくため息をつく。


「トマリ、その言い方駄目。誘ってるように聞こえる」


「誘うってなんのことだ?」


「ああもう、だからあんな酷い目に遭うんじゃないか。いいよ。この際だから教えてあげる」


 俺は彼女の手を引いて歩き出し、休憩の文字が書かれた看板の前で立ち止まる。


「ほら、休憩していくんでしょう?」


「肇くん、すまない。私は保冷剤か氷を買った後、公園のベンチに座って冷そうと思ったのだが」


「だったらそう言わないと」


「すまない。では公園へ……」


「公園も危ない。いま何時だと思ってるの。不審者が出たらどうするつもり?」


「ではどうすれば良いのだろう」


「行くよ、ファミレス」


「わ、わかった」


 俺の手を握ったままちょこちょこと着いてくるトマリ。わかったとは言ったけど、単に了解の意味であって本当の意味では理解してなさそうだ。

 でも今日はいい。とりあえず彼女を安全な場所まで送り届けられればそれでいいと割り切ることにした。



 ファミレスに入って飲み物だけというのも微妙な話だ。さりげなくデザートメニューを彼女に見せてみる。

 トマリは長いこと迷っていたけれど、俺がレアチーズケーキを選ぶと私もと乗っかってきた。しばらくくつろげるようにと二人ともホットコーヒーとのセットにしておいた。


「小学生の頃を思い出した」


 注文した品を待っている間にトマリがぽつりと呟いた。うつむいたままでだ。俺は氷水の入ったグラスを頬に当てながら彼女をじっと見ていた。


「なんかあったの? 小学生の頃」


「あのときも目の前の相手が急に怒り出した。後で冷静に考えてみると確かに私の言い方が悪かった」


「ああ、失言みたいなやつ? そんな経験は誰にでもあるんじゃない。むしろみんな失敗しながら覚えていくんだと思うよ」


「でも私はもう大人だ。それなのに未だに同じような失敗をしている。さっきのだって何が悪かったのかまだわからない。後から理解できたとしても遅いのだよ。何故私はその場で気付けないのだろう」


 何故。彼女はもう一度小さな声で繰り返した。


 俺はなんだか気が抜けてきてしまった。目の前にいるのは年上の女性のはずなのに、今じゃか弱い少女のよう。

 ゴリゴリのギャルでありながら何処か慎ましく見えた理由が少しわかった気がした。


「トマリはさ、そうやって全部自分のせいにしてきたの? 今までずっと」


「え……」


「だってそうでしょ。さっきのはどう考えてもあのナンパ野郎のせいでしょ。それをあのヒステリー女が勝手に勘違いして詰め寄ってきた訳じゃん。確かに相手の手に触ったトマリも無防備だったかも知れない。でも原因の全てが自分の中にあると決めつけるのは強引なんじゃないかな」


「そう、なのだろうか」


「そうだよ。人間関係なんて所詮は相性。どんなに気を遣って接しても気に入らないと思う奴はいるんだよ」


 かけた言葉はこんなだけど別に元気付けてるつもりなんてなくて、もっとシンプルな想いが俺を動かしていた。

 ちら、と彼女がこちらを見た瞬間を俺は逃さなかった。視線を絡め取るようにして見つめ返す。


「わかる? 逆もあるってこと」


「逆?」


「どんな君でも興味を持つ人間もいるってこと」


 鈍い彼女でも多少はピンとくるものがあったんだろうか。頬が淡く染まった。下戸げこだから酒のせいという可能性はあり得ない。


 喉が鳴るのがわかった。そう、所詮はあのナンパ男と同じだ、俺だって。だからようは相性なんだよ。

 これは本当にいけるかも知れない。俺が口を開こうとしたとき、トマリが困ったように眉を寄せた。


「肇くん、すまない。なんだか寒気がするんだ。風邪を引いたかも知れない」


「そっちの可能性かよ!!」


 こうして結局トマリの分のケーキも俺が食うことになったし、帰りはドラッグストアに直行。色っぽい展開になんてなりようがなかったって訳だよ。


 でも心はしっかり彼女に繋ぎ止められてしまった。俺が危うく運命なんてものを信じそうになった日でもあったんだ。


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