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tomari〜私の時計は進まない〜  作者: 七瀬渚
第3章/願いに気付いて(Kakeru Chiaki)
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60.夜の都会の隠れ家にて


 夜が更けていく。遠い故郷の白夜びゃくやとは全く別物だけど、この街もまた暗闇とは無縁って顔をしているなと時々思う。


 だけどちゃんと隠れ家が用意されている。忙しない時間が流れる中でも、ひっそりと羽を休めている人々がいるんだと学んできた。

 なんだか不思議だ。まだ明かりがついているビル。あちら側とこちら側とでは時空が異なるようにさえ感じられる。


 ……なんて考えているのはおそらく現実逃避だ。


 しかし実感はどんどん確かなものとなっていく。昼間の自分の言動を思い出していたたまれなさはもう限界。

 そうして僕はガチガチに緊張した上半身をテーブルの上に伏せて声を上げるのだ。


「菊川バイヤー、昼間は大変申し訳ありませんでした!」


 身体を支えているはずの両手は小刻みに震えて実に頼りない。

 そんな僕の向かい側で、ぷっと小さく吹き出す音がした。豪快な笑い声が後に続く。


「いいっていいって。あれもある種のパニック状態だろ? そう思ってたから」


「はい、自分のこと言われてるのに他人事ひとごとみたいな反応をしちゃうし、意味不明な発言ばかり重ねていたように思えてきて、本当にとても失礼だったなと」


「もう勤務時間外だ、肩の力を抜けよ。俺とお前の仲なんだしさ」


「でも元はと言えば僕のせいで菊川バイヤーはこうして時間を作って下さっている訳で……」


「お前何飲む?」


「カシスオレンジで」


「相変わらず甘いものが好きだなぁ、お前は」


「あああ、すみません! いつもの癖でつい」


「だから落ち着けって! 俺は自分に合わせろとか言わねぇし、好きなモン飲めばいいだろ。めしは飲み物の後で決めるか。すみませ〜ん、注文お願いします!」


 菊川バイヤー……いや、確かにもう勤務時間外だ。菊川さんと呼ばせてもらおう。昔は友達みたいと言われていた仲だもんねとようやく思い出した。


 ここはそんな菊川さんと何度か訪れたことがあるバーで、本社からは約五分。昼間はカフェとして営業している。なのに意外とみんな知らない場所なんだ。

 菊川さんはそういう隠れ家的スポットを見つけるのが得意なのかも知れない。お昼休憩もふらりと何処かへ消えたりするしちょっとミステリアスなんだよね。


「それで千秋、勤務時間外だからさっきとは別の角度で訊いてもいいか」


「はい、大丈夫ですが」


「お前、その元スタッフのこと好きなんだろ」


「…………っ! えっ、あっ、それは……っ」


「わかりやすっ」


 菊川さんがゆっくりと頬杖をつく。飲む前から顔を熱くしていく僕を困ったような笑みで見つめてた。


「お前さ、仕事では要領いいのになんで恋愛になるとこじれるんだよ。女性に好意を持つなとは言わないよ? でも恋人がいる人と距離を縮め過ぎるのはトラブルの素だよなぁ」


「そうですよね。反省しています」


「いや、今は説教したい訳じゃねぇんだ。心配なんだよ。気を付けないとお前の立場が危うくなるだろうからさ」


「やはり上の人から何か言われてるんですね」


「次、何かあったら覚悟が必要かもな。例えばそう、異動とか出向しゅっこうとかいう名目で……」


 なるほど、つまり事実上は……。こくりと頷いて理解したことを示す。

 やはり今回の問題は元スタッフへ対する好意というよりも、スキャンダルと称される事態に発展してしまっていることなんだろう。内容はなんとか整理できてきた。


 僕が今の役職を急に降ろされることになったら? いや、やはりそれは避けなれけばならない。多くのスタッフを不安にさせるし店長たちにも迷惑がかかる。特に新ブランドはオープニングスタッフが多いから、管理職との信頼関係はかなり重要なんだ。


 何かしらの理由をつけてトマリと距離を置く。もうそれしかない。でもやっぱり大切な人だからなのか適当なことは言いたくなかった。


「距離を置くつもりか、彼女と」


 菊川さんは本当に相手の考えを察するのが上手すぎる。僕は小さく頷いた。「はい」と答えたつもりだったのに喉がかすれて声にならなかった。


 そこへちょうど飲み物が運ばれてきた。

 菊川さんがシャンディガフの入ったグラスをテーブルからほんの少し浮かせたところで、僕もやっと自分のグラスを手に取る。カシスオレンジは夕焼けみたいなグラデーションが綺麗だ。

 お互いに傾けると細く高い音が響く。「お疲れ様」という彼の労いの言葉が温かかった。


「確かにしばらくは様子見してた方が良さそうだな。お前は妬まれやすいから今回の噂を嬉々として広めるやからもいるだろう。お前はただ自分の仕事に集中していればいい。毎日忙しいんだ。みんなそのうち噂どころじゃなくなるさ」


「ありがとうございます。むしろ彼女とはこれを機に離れた方がいいんです。今までだってチャンスはあったはずなのに僕が未練がましいせいで振り切れなかった。僕が突き放すようなことを言ったら彼女は傷付くかもしれないけど、長い目で見たら結局その方が良い未来へ繋がるんじゃないかと今は思います」


「まぁ、そこに関しては俺の口からはなんも言えないっていうか。お前が悩んで出した答えなら、現実からそれほどズレちゃいないと思うぞ。本来のお前はちゃんと冷静さを持ち合わせているからな」


「だといいんですが……」


「自分を信じてやれよ。それに恋愛は一旦置いとくとしたって、日々それなりに充実してんだろ? 仕事以外でも活躍してるって話じゃないか。若い子たちにダンス教えたりさ」


 ここでダンスの話が出てくると思わなかったものだから、僕はついぽかんとしてしまった。

 でもやがて笑みが浮かんでくる。健気なあの子たちを思い出すと自然とそうなるんだ。


「はい、ありがたいことにみんな僕に付き合ってくれています」


「付き合ってくれてる、か。その考え方は大事だよな。俺も三十過ぎた頃から特に実感するようになったよ」


「と言っても菊川さん、僕の三つ上ですよね。二番目の姉と同学年だからなのかまだ全然若いって感じがします」


「“まだ”じゃない。“もう”だよ。がむしゃらに走ってるうちに気が付けばこんなところまで来てた。あっという間だった」


 その感覚なら僕もわかる、年下だけど。

 ダンスの練習に明け暮れていた高校時代、自分がアパレルの管理職に就くなんて想像もできなかったからなぁ。


 おのずと目を細めていた。じんわり滲んだ視界に懐かしい光景がいくつも浮かぶ。

 いろんな大会に出場したな。毎回とてつもない強豪校が立ちはだかって、優勝には手が届かなくて悔しい思いも沢山したけれど。


 文化祭だって力を入れてきた。学校中のみんなを楽しませる心意気で部員たちは一丸となって……


「あっ」


「どした」


「い、いえ。なんでも……」


「いやいや! 明らかに顔赤くなってるだろ、少ししか飲んでないのに。なんか思い出したか」


「お恥ずかしい話です」


「まだ聞いてねぇよ」


 菊川さんが肩を震わせて笑う。あれを話したりなんかしたらますます笑われそうだけど、いつまでも気を遣わせる方がなんか嫌だったんだ。

 カシスオレンジを一口飲んでから僕は切り出した。


「あれは高校1年のとき、僕が“ダンス部のレジェンド”と呼ばれるようになった出来事です」


「出だしからすでに面白いんだけど!」


「いえ、面白いかどうかは微妙なところなんですけど、部員たちの印象には強く残っているようで、困ったことに未だに語り継がれているんです」


「さすがレジェンドだな。で、何があったんだよ?」



 僕は話した。1年生のとき、つまり高校時代で初めての文化祭。




 ダンス経験がある訳じゃないのに覚えが早いと期待された僕は、文化祭のパフォーマンスでもなかなか目立つ位置を担当することになった。


 拍手喝采の中、大会のとき以上に胸が熱くなったのを覚えてる。

 文化祭実行委員の一人がマイクを持って近付いてきた。最初は部長のところへ。だけどなんと次は僕の話が聞きたいと言ってきたんだ。


「確かに凄かったもんな、あいつ」


「背高いから尚更目立つよな」


 観客席からそんな声が届いてきた。

 イキナリのことで凄く緊張した。まだ自分の日本語に自信がなかったし。


「本当に1年なの? それにダンス経験者なんじゃない?」


 緊張しすぎて、思わず誰かのその言葉に対して答えてしまった。


「1年E組、千秋カケルです。僕はフィンランドから来ました。部活動を始めるまでダンス経験はありませんでした」


 おぉ、という騒めきが起こった。

 意図せずだったけれど、僕が観客席への返答というスタイルをとってしまったばかりに、観客の人たちも「はーい」と手を上げては僕に質問する形となった。


「身長何センチですか?」


「180センチです」


「日本に来て長いんですか?」


「まだ一年経ってません」


 なんかダンスの話からどんどん離れているような、とは思ったけど、引くに引けなくなって全部に答えてた。今考えると我ながら律儀だ。


「はい!」と一際高らかな声がした。

 すらりとした細い指先を真っ直ぐ天に向け、真剣な目で僕を見ていた女子生徒。彼女こそが入部前の相原さんだった。



「ダンスを始めたキッカケはなんですか」



 やっとまともな質問が来た。

 なのに僕ときたらキャパオーバーで。あまりにも正直に返してしまったんだ。


「僕は日本語があまり上手くできません。だからダンスで人と繋がれたらいいなと思いました。僕には誰か大切な人がいたような気がするんです、この国に。もう顔も名前も記憶していないけれど、宝物のように綺麗な言葉をいくつも受け取った覚えがあります。その人にもいつか届いたらいいなと思いました」


「それは好きな人ですかー!?」


 すかさず質問してきたのは相原さんじゃない、彼女の後ろにいた男子だ。好奇心に満ちた目をしているのが遠くからでもわかった。


「はい、きっと」


 曖昧だけど力強く、そんな答え方をすると観客席からは再びのどよめきが上がった。

 先ほどと同じ男子が大きな声で言った。今度は質問ではなく。



「また会えるといいですねー!!」


「はい、僕は必ず見つけます!!」



 精一杯の声量で返すと、パフォーマンス後にも劣らないほどの拍手が起こり、その中には「頑張れよー!」「よく言った!」などの激励の声も混じっていた。

 気分の高揚のせいで僕の目頭は熱を帯び、心からみんなに感謝したのだけど……


 とんでもないことをしてしまったと頭が冷えてきたときに気付いたのである。




「それでですよ。早速ついたあだ名が“ダンス部のレジェンド”ですよ。一部の人たちは完全に面白がってましたよ。翌日なんて黒板にデカデカと冷やかしの言葉が書いてあるし、クラスメイトたちからはやれ相手はどんな子だ、いつから好きなのかと質問責めに遭うし。レジェンドといってもダンス関係ないのに、いつの間にかそのあだ名だけが語り継がれたもんだから、今の学年の子たちなんて僕のこと過大評価して……」


「…………っ」


「菊川さん、笑ってるのバレてますからね」


「わりぃわりぃ。いや、そんな漫画みたいなこと本当にあるんだなって」


「僕だってまさかあんなことになるなんて思いませんでしたよ。まぁ昔の話なんでこれ以上は何もないでしょうけどね」


 羞恥心を押し流すようにグラスを傾ける。同時に僕は確信を覚えるのだ。

 やはりあのときもトマリのことが心の何処かに残っていたんだと。


 幼い頃の僕にとって彼女と過ごした時間はそれほど大切な思い出だったのだと。


 じわ、と込み上げてくる気配に気付き僕は咄嗟に席を立った。


「……っ、すみません、ちょっとお手洗い」


「どうした? 気分でも悪くなったか」


「いえ、最近自分が泣き上戸なことを思い出しまして……っ」


「マジかよ! 本当にお前は見てて飽きないな。誰もこっちを気にしてないし俺も別に言いふらしたりしないよ。泣けばいいじゃないか。ほらハンカチ」


「すみません」


「よしよし。あ〜、弟がいたらこんな感じなのかな。いや、お前ほどの典型的な末っ子気質もなかなかいないか」


 自分もハンカチくらい持ってるけど思わず受け取ってしまった。

 菊川さんは冗談めかして頭を撫でてくれるんだけど、駄目だ、ダニーを思い出して余計に泣けてきそう。頭もちょっとクラクラきていた。


 二杯目のカシスオレンジを飲み終える頃、テーブルの上に置いていたスマホが振動した。

 菊川さんが「見なくていいのか」と言ってくれる。僕は軽く頭を下げてからメッセージアプリを開いた。


「あ、噂をすれば」


「どうした」


「ダンス部の現在の部長からです。えっと……ああ、僕たちが昔パフォーマンスした文化祭のときの映像を動画サイトで使ってもいいかという確認ですね。へぇ、部活のチャンネルなんて持ってたんだ」


「えっ、まさかあの公開告白の!?」


「いや、僕以外のメンバーからは許可もらったらしくてその中に相原さんもいるんですよ。彼女が入部したのは僕の一年後ですし、これは翌年の文化祭のことですね。だから問題ないです」


「ほう、翌年はレジェンドしてなかったのか」


「もう! 菊川さん! 笑わせないで下さいよ。手が震えちゃうじゃないですかぁ」


「はは、わりぃな」


 軽くとはいえ酔っていることもあって、僕は簡単に返事を済ませた。また誤送信とかしちゃったら嫌だし。


 後のことはあまり覚えていない。ただ朧げな無念を酒で洗い流していただけだ。

 何故僕と彼女は、一緒にいられないのに何度も出会ってしまうんだろう。そんなどうしようもないことを考えながら。


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