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tomari〜私の時計は進まない〜  作者: 七瀬渚
第3章/願いに気付いて(Kakeru Chiaki)
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50.最初の出会い


 今でこそ『桂木トマリ』という女性に熱い想いをいだいている僕だけど、最初からだった訳ではない。でも一目惚れだったのは事実なんだ。

 ややこしい話なんだけどね、つまりは過去に恋した『旅館の彼女』と同一人物だと気付くのにある程度時間がかかったんだよ。



 全ての発端は二十年前。


 まだフィンランドに住んでいた子どもの頃、従兄弟いとこ同士のダニーと僕は家が近くて顔を合わせる機会も多かった。


 でも性格は対照的だったと言えるだろう。

 男らしさへのこだわりが強かった当時十一歳のダニー。仲の良い友達もやんちゃな男の子ばかりだった。

 一方、内向的でおっとりしていた当時九歳の僕。友達は女の子の方が多いくらいで一緒にお絵描きしたり音楽を聴いたりしてた。


 二人の姉とは割と歳が離れていて、特に当時十五歳だった上の姉・レイナはお洒落に興味津々だった。僕もつられて興味津々。

 他の男の子と比べて変わった趣味なのはわかってた。でも姉さんは嫌な顔などせずに新しく買ったコスメや服を僕に見せてくれたんだ。


 中でも僕の興味を引いたのは綺麗な珊瑚色のネイル。思わず気持ちがたかぶって、塗ってみたい! とおねだりしちゃった。

 魔法にかかったみたいな自分の指先を見ると本当に嬉しくて、嬉しくて。

 ダニーになら見せてもいいかなって思ったんだ。それで彼の家まで駆けていった。


 庭でダニーを見つけると、僕はすぐさま両手を突き出し柄にもなく大きな声を上げた。



「見て見てダニー、すっごく綺麗でしょ!」


「ん、どうしたカケル」



「あれ〜、ダニーの従弟いとこじゃん。何してんのここで」


「わりぃな、お嬢ちゃん。今日は男同士で遊ぶって約束なんだ」


「ちげーよ、こいつ男だよ」


「は!? 嘘だろ、女にしか見えねーよ」


 それはちょうどダニーの友達数人が遊びに来たタイミングだった。さっと両手を隠したけどもう遅い。その仕草が逆にみんなの興味を引いてしまい、僕はあっという間に囲まれた。


「なになに、俺らにも見せてよ」


「おいやめろよ、カケルが怖がってんだろ」


「えっ、なんか爪に塗ってね?」


「マジかよ!」


 ドッと笑い声が起こった。

 ダニーが慌てた様子で何か言ってたみたいだけど、途中からどんな言葉も頭に入ってこなくなってしまった。



「あ〜、それにしてもさっきは可笑しかったなぁ。ダニーの従弟っておもしれーわ」


「じゃあダニー、また明日学校でな! カケルくんにもよろしく」


「おう、じゃあな」


 ダニーの友達が帰っていったタイミングで、僕はおそるおそるダニーの方へ近付いた。でもまだためらいがあって、玄関のドアの内側にぴったりくっついてた。


 友達を見送ったばかりのダニーが夕焼けを背にして振り返る。困ったような笑顔だった。


「カケル、いつまで泣いてんだ」


「泣いてないよ」


「泣いてるだろ、目真っ赤にして」


「そんなこと……ないもん」


「みんな悪気はないんだ。わかってやってくれ」


「……わかってる」


「部屋に行こうぜ。母さんが作ったケーキがまだある。一緒に食っちまおう」


「うん」


 ダニーが僕の手をとってくれる。でも爪のことには何も触れない。

 今思うとそれはダニーの優しさだったのかも知れないけど、塞ぎ込んでしまった僕は、やはりダニーも変だと思ってるんだ、そう考えてしまったんだ。



 学校では女の子たちがいろんな髪のアレンジをして登校してくる。僕も長く伸ばしていれば同じように出来るんだと思ってた。

 でもそんなことをしたら笑われるんだとこのくらいの頃から気付いたんだ。よくレイナ姉さんから借りていたファッション誌も遠ざけるようになった。


 家族旅行の話が出たのはそれから一ヶ月後くらいのことだ。と言ってもそれはダニーの家での話。

 僕の父さんは仕事で家にいないことが多くてとても旅行どころじゃない。そこでダニーのパパとママがカケルも一緒にどうかと提案してくれたんだ。


 ダニーと僕は同じ小学校。四月末から五月にかけてという時期に旅行に行く流れになったのは、学校の創立記念日と祝日、週末などがちょうど並んで偶然の連休が出来ていたから。そういった条件からして千秋家で一緒に行けるのは僕しかいなかった。


 正直、僕はあまり乗り気じゃなかった。行き先は日本。父さんの生まれた国だと聞いてもそれほど興味が持てなかったんだ。

 一方、ダニーは意気揚々と友達に自慢して回ってたな。しかもとんでもない大口まで叩いて。


「俺だったら外国に行っても友達十人はつくれるぜ!!」


『おぉ〜!!』


 いつものように庭に集まったみんなの前で、ドンと胸を叩いていた。

 いいのかな、そんなこと言って。僕が後ろで様子を見ていたら、一番やんちゃな男の子が手を高く上げながら言った。


「いやいや! ダニーだったら二十人はいけるだろ!」


『おぉ〜っ!!』


 その場は一層盛り上がった。後に引けないダニー。馬鹿だなと僕は呆れた。

 しかしダニーはきつく歯を食いしばってなお降参とは言わない。昔からそういう奴だった。



「わわ、わかったよ! 二十人な!」


「本当に出来るのかぁ? いくらダニーでもな」


「証拠がないと信じられねぇよなぁ」



「じゃあノートに名前とメッセージ書いてもらってくる! 友達になった人全員からな。それでいいだろ!」



 ついにはそんな約束までしてしまった。リフレッシュの目的で行くのに自分のハードル上げてどうするのさと思ったけど、別に僕には関係ない。そうやって切り替えるまでに時間はかからなかった。

 しかしそれが後々、大いに関係してくることになるんだけどね。


 旅行当日。初めて降り立った日本はどんな天気で何時ごろだったかは忘れたけど、なかなか暑いと感じたのは覚えてる。

 空港から観光バスへと乗り継いだ。ダニーが熱を出したのはその途中のことだ。


 旅館に着いたらすぐさま部屋へ行き、体温計や氷枕を貸してもらった。紹介してもらった近場の病院にも行った。診断結果は風邪で、安静にしていればすぐに良くなるだろうとのことだった。

 あらゆる感受性が麻痺していた僕だけど、これにはさすがに同情した。あんなに楽しみにしていたのに、結局寝て過ごさなくちゃいけないなんてって。


 ところがどうだろう、ダニーが心配していたのは僕の予想の斜め上だったんだ。


「カケル……これ、頼んだ!」


「え!?」


 夜、伯父さんと伯母さんが看病に必要なものを買いに行ってるとき、ダニーは僕に一冊のノートを押し付けてきた。開けてみるとまだ何も書いてない。

 もしかして友達二十人のやつ? そう気付いたタイミングでダニーが弱々しく言った。


「カケル、今日からしばらくお前は“ダニエル”として過ごせ」


「えぇ! なんで」


「そのノートに“ダニエルへ”って書いてもらわなきゃ証拠にならないだろ」


「だからって僕がダニーになりきるなんて無理だよ! 二十人も声かけるなんて無理!」



「大丈夫だ……お前ならできる。頼んだ、ぞ……」


 ガクッと力が抜ける演技をするダニー。ふざけてる余裕があるならさっさと治して自分でやれっ! それか無理だと潔く認めろよ!

 と、思ったけど、僕は頼まれると断れない性分だった。


 ノートを抱えたまま途方に暮れた。ダニーでさえハードルの高いことを内気な自分がやるなんてと思うだけで目眩めまいがしそうだった。


 本当は部屋で待ってるように言われてたんだけど、プレッシャーの為かじっとしているのも落ち着かなくて、僕は勝手に部屋を出て廊下を彷徨い歩いた。とぼとぼ、とぼとぼと、下を向いたまま。


 そう、下を向いたままだったから、どの辺を歩いているかわからなくなってしまったんだ。


「あ、あれ……ここは……?」


 辺りを見渡すとお客さんらしき人の姿はない。誰もいない。

 迷ったとわかった僕は半泣き状態になった。そのとき着物を着た女の人がサッと忙しそうに目の前を通り過ぎていった。あの格好、確か旅館の人だと思い出した。


 僕は夢中でその人の後を追いかけた。呼びかけたかったけど息が切れて声が出なかった。

 そして人気ひとけの少ない廊下を進んで行った先にそれはあった。


『休憩室』


 当時は読める漢字に限りがあったけど、今思い返すとそう書いてあった。


 さっきの人はいるだろうか。途中で見失ってしまったけど、この中に入ったのかな。僕はおそるおそるそのドアを開けた。


 でも中に従業員の姿はなく。

 代わりにいたのはただ一人。


 部屋の隅っこで膝を抱えて座っている、髪の長い女の子だったんだ。



 そう、このときからなんだよ。僕の我儘が始まったのは。


 頑なに心を閉ざしているのは一目でわかったはずなのに僕は手を差し伸べてしまった。君の心を開こうとした。


 人の何かを変えようとするのってこの上なく我儘なことでしょう?


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