48.これが君への我儘で(☆)
自業自得。さっき自分でそう思ったばかりじゃないか。曖昧など大した武器にならないのに、僕はいつだってそれに頼りすぎた。
何もかも彼女のせい? そんなはずはないんだ。僕が誤魔化しの言葉ばかり投げるから、相手からも誤魔化ししか返ってこないんだよ。わかりきっているじゃないか、そんなこと。
頭の中で盛大な自己反省が繰り広げられているのだけど、彼女のあまりにも澄んだ涙を前に、僕は1ミリだって言葉に出来やしない。
もはやこっちまで泣きたくなってくるけどそれは逃げだと自分に言い聞かせ、ギリギリのところで堪えてた。
「トマリ……ごめん」
やっと短く口に出来た。それは混沌とした想いの蓋の役割だったのか、ぽんっと外れたが最後いろんな言葉が溢れ出しそうになった。
君を嫌っている訳じゃないんだ。嫌いになんかなれない。一緒にいたいんだよ。離れたくないんだよ、もう二度と。
僕はそれら想いの数々をなんとか掻き集めて自分の中に戻す。あまりにも剥き出しだからだ。
「私も……ごめんなさい」
そうは言っている彼女だけど困惑は声色に残ったまま。多分、何に対する謝罪なのか自分でもわかってないんだろう。
許されるなら手を握っていたところだ。でも勝手に触れるのは罪なことだともう痛いほど知っているから。
僕は長い背中を丸めてそっと彼女に視線を合わせる。少し安心したのか、彼女がおずおずと小さな唇を開いた。
「千秋さん、私はただ……」
「うん、ただ?」
「見ていてほしかったんです、私を」
「うん……」
うん……?
遠くから情熱の足音が迫り来る。次第に大きくなってくる。
待って待って、まだ意味も理解できてないんだから。そう思うのにあっという間に僕の全身に灯り熱を上昇させる。
高鳴りの中で僕は足掻いた。暴れ馬のように手強い情熱を必死に押さえつけて言い聞かす。
落ち着け落ち着け落ち着け。相手はトマリだぞ。今まで何度動揺させられてきた。しかも大抵、僕が受け取った意味とは違っていただろう。
その可能性に気付いたのも彼女がすぐに続きを口にしたのも、実に幸運だったと言えるだろう。
「はい、アパレル販売員として再スタートした私のこと。私のこれからを恩人である千秋さんに見ていてほしかったんです!」
「あっ……アパレル販売員として?」
「そうです! せっかくまた同業者になれたんですから。私は前の職場で千秋さんや相原店長の期待に応えられないまま辞めてしまいました。だから新しい場所で成長することこそが今できる恩返しなんじゃないかと考えたんです。大したことは出来ないかも知れないけど、多少は何か伝えられるかもって」
「トマリ……」
「……おこがましかったでしょうか。もしそうなら今言ったことは忘れて下さい」
逃げの意味とは違う熱いものが僕の頬を伝った。
彼女ははっきり言って不器用だ。言葉足らずだ。それなのに僕が見て見ぬフリしてきた感情をあっさりと解き放つ。
――カケルはなぁ、暑苦しいんだよ――
――みんながみんなカケルみたいに前を向ける訳じゃないし――
――自分ばっか前を行かないで少しは周りのペースも考えたらどう?――
いつか言われた言葉がありありと蘇る。
ああ、そうだ。それで僕はこんなにも自分を誤魔化すように。
「千秋さん? 大丈夫ですか。どうして泣いてるんですか」
「ごめん」
「体調が悪いんですか」
「違うよ、安心して」
「じゃあ……私のせいですか」
「ちょっとだけ」
「ごめんなさい」
「悪い意味じゃないから」
何故か僕たちはお互いくすぐったげな笑い声を零した。ありがとう。やっとの思いで君に伝える。
一方で困ってもいた。どうしよう。やはり君の近くにいることを望んでしまう。
愛おしく思うことを許して。決して口にはしないから。
お昼休憩に入ったばかりのトマリは、おそらくあと四十五分くらいは時間があるだろう。昼食の時間も考慮するとあまり長く引き止める訳にもいかないなと思った。
出来るだけ手短にと意識して僕は尋ねる。
「気持ちは嬉しいんだけど僕と関わってて大丈夫なの、トマリ」
「一回連絡先を消してしまったのは、もう会うことがないと思っていたからですよ」
「ううん、そうじゃなくて。その……彼氏さんが心配するんじゃない? 僕が君の近くにいるなんて知ったら」
「それなら大丈夫ですよ。千秋さんに再会したことなら肇くんにも伝えてあります」
「えっ、そうなの!?」
これには驚いた。あれだけ怒っていた彼が落ち着いて話を聞いたというのか。正直、にわかには信じがたい。
トマリには悪いけど解釈違いという可能性を疑い始めた。さりげなく探りを入れてみる。
「それで彼氏さんはなんて言ってた?」
「えっとですね、せっかくお世話になった人と再会できたんだから仲良くさせてもらいなよって言ってました」
「そっか……」
今、凄く冷たい声で脳内再生されたんだけど。何故そんなすんなり肯定したんだ。逆に怖い。
トマリ、君はまた酷く束縛されたりしないよね? だって深刻になる訳でもなく普通に話題に出してるんだから。信じていいってことなんだよね?
僕の不安が伝わったのか、トマリは困ったように笑った。
「肇くん、前とは考え方が変わったんだと思います。もう心配する必要がなくなったから」
「心配する必要が、ない」
「はい。私たち、そのうち恋人ではなくなるので」
「…………」
…………
……え? どっちの意味?
二つ可能性が浮かんだものの情報が少な過ぎてわからない。疑問に思い始めたらトマリの物憂げな表情が意味深なものに見えてきた。
これは明確にしておいた方がいいと思ったけど反対か。むしろ触れない方がいいことなのか。
迷っていた途中で仕事用の携帯に着信が入った。
このビル内の新店舗からの連絡。まだ近くにいるなら至急相談したいことがあるという内容だった。おそらくだけど売り場作りで何か躓いたんだろうと察した。売上に大きく影響することだからまた明日って訳にいかないんだよね。わかるよ。
この後は売り場の最終チェックだけして別の店舗に向かうつもりだったけど、ちょっと予定をずらさなくちゃ。休憩時間もあとわずかだった僕はこのタイミングで切り上げることにした。
「ごめんね、話が途中になっちゃって。お昼ご飯もまだでしょ。ちゃんと食べてゆっくり休んで」
「ありがとうございます。また連絡してもいいですか。実はちょっと相談したいことがあって」
「トマリさえ大丈夫ならいいよ。今日と明日なら大体二十一時以降は連絡つくから。もちろん別の日でもいいし」
「ありがとうございます。じゃあ今日の夜メッセージ送りますね」
「わかった」
相談。なんだろう。今の話の流れだと仕事関係のことかな。
気にはなりつつも今はこの場を後にするしかない。
荷物をまとめて立ち上がった僕は、後ろ髪を引かれる思いで彼女に手を振った。
トマリから電話がかかってきたのは同日の夜のことだ。
「カケル〜、電話鳴ってんぞ」
そう言いながら僕のスマホを手に取ったダニーの動きがぴたりと止まった。
スマホを受け取るとき、画面に出ていたのは『桂木トマリ』の字。僕は焦った。
「ありがとダニー」
「おいカケル、その女って……」
「ちょっと電話してくる!」
メッセージって聞いてたんだけどな。思わず苦笑い。でも嫌かと言ったら全くそんなことないっていうのも正直な気持ちだった。
そのままベランダの方へ向かう。夜はまだちょっと肌寒いけど何か羽織れば大丈夫だろうと思い、途中で椅子にかけたままになっていたカーディガンを持って行った。
後ろ手で窓を閉めるタイミングと彼女の声がちょうど重なった。
『千秋さん、こんばんは』
「こんばんは、トマリ」
『今大丈夫でしたか? すみません、メッセージ送ろうと思ったんですけど何故か上手く書けなくて……』
「僕がこの時間で大丈夫って言ったんだ。気にしないで。それでどうしたの? 話しやすいところからでいいから言ってごらん」
多分トマリは考えが上手い具合にまとまってないんだ。そんな気がした。こういうときは焦って本題を引き出そうとせず、本人が理解している範囲のことをじっくり聞くのがいいと思っている。
まずは対話。“つまり”とか“要は”とか早い段階では使わない。僕が気を付けていることだ。
『はい。今の職場の店長、とてもいい人なんですけど、私のことをしっかり者だと思い込んでて、なんと若いスタッフたちのお姉さん役が務まると考えているようなんです』
「期待されてるんだね。トマリはしっかりしてると思うけどなぁ」
『そんなことないですよ。今だって自分のことで精一杯ですから。若い人たちの気持ちを汲み、配慮するなどという高度なことは出来ないと思うんです』
「でもそれを店長さんには言いづらい?」
『はい。期待が大きい分、失望もさせてしまうんじゃないかと』
「そっか。トマリは誠実なんだね」
共感できるところも多い話だと思った。
僕なら冗談混じりにおどけて、いっそ自分の駄目なところを暴露してしまうだろうけど、キャラに合わない振る舞いを無理にすると逆に相手からの信頼を損ねてしまう恐れがある。トマリらしい誠実なやり方で。会話しながらも僕は考えた。
「あ、そうだ。トマリは入社してまだそんなに経ってないんだよね? だからこその提案なんだけど」
『はい』
「若い人たちをあくまで先輩として見るんだ。アパレル経験者であることに甘えず、むしろ自分の方が先輩たちから学びたいっていう姿勢を前面に出すというか。実際トマリはそういう考え方をするタイプでしょう?」
『確かに……そうですね。年齢より経験で人を見てきました』
そう、大事なのは嘘にならないこと。もう確信持っているんだけど、トマリは本来、相手にも自分にも嘘をつくことを嫌うんだ。
誤魔化しとかオブラートに包むとか、そんな曖昧な領域でさえも本当にこれで正解だったのかと考えてしまうくらい真面目だ。あくまでもトマリの本心に沿ったアピールの仕方でなくてはならない。
『じゃあ面倒を見るなどという立場ではなく、まずは先輩方からいろいろ学ぶ所存でいると、店長に伝えてみようと思います』
「うん、やってみる価値はあると思うよ。それでもし上手く伝わらなくても他に良い方法がきっとあるから、そのときはまた一緒に考えよう?」
『ありがとうございます、千秋さん』
時々「ちょっと待って下さい」などと言って声が止まるのはきっとメモをとっているから。彼女のこんな姿勢こそがどうか店長さんに伝わってほしいと強く思った。
そして心に誓う。
こんなにも一生懸命な彼女を自分の我儘に巻き込む訳にはいかない、邪魔する訳にいかない、もう二度と。
彼女を守るためにはあくまでも“ただの同業者”に徹すること。想いは零さず秘めておくこと。
トマリ。君が僕に恩返しがしたい言うのなら僕にもこれくらいのことはさせて。
君が幸せならそれでいいと僕も腹を括るから。
ただ一途なのだと、無償の愛なのだと、自分に信じ込ませようとしてた。
そんな願いこそが何よりも強烈な我儘だというのに、このときの僕は気付きもしなかったんだ。




