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tomari〜私の時計は進まない〜  作者: 七瀬渚
第3章/願いに気付いて(Kakeru Chiaki)
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46.僕は嫌な奴(☆)


 翌日向かったのはかなり久しぶりの場所だった。

 地方寄りの都内で比較的駅近のショッピングモール。そう、僕がエリアマネージャーになって初めてリニューアルを担当した店舗だ。


 これから僕の担当エリアは変わる。新ブランド『pupaピューパアンドpetalペタル』の立ち上げに伴い、そちらの店舗も担当することになったんだ。

 なので担当エリアから外れるこの場所では、次のエリアマネージャーへの引き継ぎが行われる。実際に現場を見ながらの方が伝えやすいこともあるからね。今日もそのためにやってきた。


 まだおおやけにはなってないけど、相原店長も近々別の店舗へ異動する話が出ている。ただ彼女の場合はそんなに遠い場所にはならないそうだ。


 あの良くも悪くも賑やかだった日々を思い出すとなんとも言えない複雑な気持ちになる。その中には寂しさも確実に含まれているんだけど……そうも言ってられない。これは仕事だし、絶えず変化し続けていく職種でもあるからね。


 ほのかに桜の香りが漂っている気がする淡い空を見上げた後、僕はショッピングモールの方向へ歩き出した。



 引き継ぎは相原店長も立ち会ってくれたことでスムーズに進んだ。本当に彼女は頼りになる。僕ももっとしっかりしなければと身の引き締まる思いだった。


 新マネージャーも物腰柔らかな印象の女性だ。店長経験が長いからか余裕が感じられる。それでいて話し方はキビキビしているから本当は頭の回転が早いことがうかがえた。

 僕は内心、ホッと胸を撫で下ろしていた。


 新マネージャーが先に本社へ戻っていった後、思わず本音が零れた。


「ありがとう、相原さん。やっと緊張が解けたよ。これで新ブランドの方にも集中できそうだ」


「私なんて大したことしていないわ。千秋くんの人柄が伝わったからあちらも安心してくれたのよ」


「またまた、謙遜して」


「そちらこそ」


 彼女は品よく微笑む。

 相原店長こと相原あいはらみおさんは僕の元同級生だけど、昔から中身はあまり変わってないと感じる。


 派手なトレンドが巡ってきて、例えばビビッドな色とか露出のある衣装に身を包んだとしても何処か品があるのが凄い。言葉の使い方にも特徴があらわれていると思う。

 さすがお嬢様育ちといったところか。高校でも彼女は高嶺の花としてみんなから憧れられていたもんな。


「今朝も早かったのでしょう。私は休憩室に寄るけど千秋くんもどう?」


「じゃあ少しだけ」


「休息は大事よ。変化の著しいときだからこそおろそかにはしないでね」


「ありがとう、相原さん」


 こうしてさりげなく僕にも気を配ってくれる。自分も忙しいだろうにな。

 同じ会社に勤めていることがわかってからは、信頼できる仲間という関係になっていった。


 僕たちは並んで従業員用の廊下を歩いていた。

 休憩室まであと少しというところだった。相原さんがおもむろに切り出したのは。



「ねぇ、ところで千秋くん。ちょっと確認しておきたいことがあるのだけど」


「ん、何?」



「昨日、新店舗の方で小柄なギャルと一緒にいたって話を聞いたのだけど、それってもしかして……」


「げほっ!」



 飲み物も飲んでないのに盛大にむせた。咳はしばらく続いた。

 ちら、と横目で隣を見る。「大丈夫?」と言いながらも完全に察している顔だ。僕の動揺がそれを裏付けてしまったというところだろう。


 ふう、と彼女が短いため息をつくと心臓の辺りがぎゅっと縮まる感覚がした。


「……やっぱり。桂木さんなのね。あちらの店舗でちょっとした噂になっていたわよ。人のプライベートに口出しするのはナンセンスかも知れないけれど、あなたは私の友人でもあるから言わせてもらうわ。白黒ハッキリつけないと今に後戻りできない事態になってしまうわよ」


「いや、あれは偶然の再会だったんだ。桂木さんの方は僕と関わる気なんて全くなかった。だってもう僕の連絡先も消したって言ってたし……」


「あら……」


「たっ、確かにちょっとショックではあったけど、実際それでいいとも思ったんだ。でも寒そうな格好をしてる彼女が心配になってついストールを貸してしまって……」


「貸す、ということは返してもらう必要があるということね。それでまた接点が出来てしまったと」


「……うん」


「あなたって人は。仕事では要領が良いのに彼女が絡むと呆気ないものね」


「わかってるってば」


 相原さんはそっと休憩室のドアを開ける。閉じ込められていた騒めきがこちら側へ溢れ出す。賑やかな集団が何処かにいるんだろう。

 そんな中でも相原さんの声は静かに雑音の間をすり抜けて僕の元へ届くんだ。



「そうね、あなたもわかっていたのでしょうね。桂木さんだってもう大人だから、寒ければ自分でなんとかするだろうってことも。そのストール、あげるにしても貸すにしても、渡せば彼女の中に残るものがある。あなたという存在の痕跡が確実にね」


「…………っ!」



「ごめんなさい、ハッキリ言いすぎたかしら」


「……嫌な奴だよね、僕」


「恋愛はときに人を嫌な奴にするものよ」



 テーブルを挟んだ向かい合わせの椅子を同時に引くとき、相原さんのうつむき加減の笑みはなんだか意味深なものに見えた。きっと僕が後ろめたい気持ちだからだよね。


 あれじゃあトマリをまた困らせてしまうとわかっていたんだけどなぁ。そんな呟きさえもう声にはならなかった。


「まぁいいわ。今は休憩時間。悩まなくていい話でもしながらのんびりしましょう」


「そうだね」


「でも相談は遠慮なくしてちょうだい。後戻り出来なくなってしまう前にね」


「……ありがとう」


 後戻り出来ない。さっきも言ってたね、相原さん。

 僕だってとっくに大人だから、具体的にどんな関係を指しているか大体の想像はつくよ。しらばっくれるつもりなんてない。少しだけ思い浮かべてみたら、熱が込み上げる一方で我ながら胸糞悪くも思った。


 今僕に出来るのはせめてこれ以上トマリを傷付けないようにと足掻くくらいだろう。

 自分のどうしようもない我儘と闘いながら。




 その後どんな話をしたっけ。

 最近気に入ってるドラマとか、ファッション誌で見た新情報とか、普段あまり読まない漫画の話までなんとか絞り出したんだっけ。


 相原さんが売り場に戻っていった今、ダンスの話でもするのが一番無難だったのになんて思う。今更だ。



――ここいいですか。


 ふと声がした。低めのトーンだけど女性の声だ。

 他の席が埋まっていたのかなくらいにしか思わず、僕は「はい、どうぞ」と答えながら顔を上げた。


 向かい側の席。積み重なったファイルをドン、とテーブルに置き、同じくらいの勢いで豪快に座ったその人にはなんだか見覚えがある。

 赤みがかったショートヘアに凛々しく端正な顔立ち。女性の中では高い背丈。

 あっ、と短い声を上げて閃くまでそう時間はかからなかった。


「よぉ、千秋さん。久しぶり!」


「槇村さん! ごめん、反応が遅れて。ちょっとぼんやりしてたから」


「だよなぁ。浮かない表情してんなぁと心配したんだぜ。なんかあったのか、最近」


 “最近”のところだけやけにゆっくり言ったのが伝わったけど、この時点じゃまだ彼女の意図などわからない。僕はどうだったかなぁなんて呑気に考えていた。


「あっ、そうそう。担当エリアが変わって新しいブランドも見ることになったから緊張してて。ぼおっとしちゃうのはその反動かも」


「なるほどな。それが昨日行ってたファッションビルのことか」


「ん? なんで槇村さんがそれを知って……」


「トマリに会っただろ」


「ごふっ!」


 またしても僕はむせてしまった。向かい側の槇村さんが堪える様子もなく笑い出す。


「そんなわかりやすく動揺すんなよな! 千秋さんって知れば知るほどおもしれぇわ!」


「そりゃどうも」


「でもハッキリしないところはちょっともったいねぇな」


「さっきも同じようなこと言われた」


 僕は憮然として言った。やっと思い出していた。


 そうだ。槇村まきむら和希かずきさんといったら競合店の従業員でありながらトマリの一番の親友と言われてる人。

 きっと今でも交流がある。僕に再会したことくらい聞いてても不思議じゃない。


「トマリは元気?」


「は? 昨日会ったんだろ」


「うん……そうなんだけど……」


「まあまあってところかな」


「そっか」


 苦し紛れに話を繋げようとしたけどスムーズにいく訳もなく。居心地の悪さを感じた僕はわざとらしいとわかりつつも、休憩時間がもうすぐ終わるなどと伝え荷物をまとめ始めた。


 そそくさと席を立つ。しかし何故か槇村さんも席を立ち、素早くこちらへ背中を近付けてきたんだ。


「あのさ、聞きたいことがあったんだ」


「はい。今度はなんですか」


「フィンランドに花火大会ってあるのか?」


「え、なんでフィンランド?」


「前に言ってたじゃねぇか。自分はハーフで高校上がる前まではフィンランドにいたって。それってつまり地元もあっちってことだろ」


「あ〜……そうだっけ。うん、まぁ合ってるけど」


 しまった。すっかり忘れてた。

 多分トマリの友人だとわかる前に話したんだと思う。だってトマリにだけは知られたら困ることだもん。



挿絵(By みてみん)



「単に私が興味あるだけなんだけどさ、どうなんだ? あるのか、夏に。花火大会」


 と、言ってはいるけどその表情は呆れ顔だ。やっぱりトマリから何か聞いてるんだと確信した。

 息をゆっくり吐き出す。僕は観念して答えた。


「……フィンランドで花火といったら、基本は年越しのときだけっていう決まりだよ。少なくとも白夜の期間じゃ見れない」


「マジか。じゃあ例えば七月に行っても見れるもんじゃないんだな」


「そうだよ」


「へぇ……」



「槇村さん、今思い付いた。君にお願いがある」


 僕は意を決して彼女の方へ向き直る。手のひらを合わせてぎゅっと目をつぶる。

 本当はこんなこと頼みたくなかったんだけど、もう他に方法が思いつかない。



「トマリが僕のこと嫌いになるような話してくれないかな」


「はぁ!? 何言ってんだあんた」


「そうじゃなきゃ僕は諦めがつかなそうなんだ。羽交締めにしてもなおこの気持ちは暴れ回る。苦しくてたまらないんだ」


 気が付いたら強く胸元を押さえてた。ダンスの振り付けみたいに。

 槇村さんは何故か瞳に光を宿しながらそんな僕を見つめ返す。


「なぁ。あんたやっぱりトマリのこと……」


「詳しいことは言えないけど、今トマリの一番近くにいるのが槇村さんならお願いしたいなって。適当な作り話でいいからさ」


「例えば」


「そう、だね……アイツ食べ方汚いよとか?」


「弱いな! もっと本気度の高い案出してこいよ! 大体、一年も一緒に働いてたんならメシ食ってるところくらい見られてるだろうが」


「あっ、そうか」


「却下だな」


「えぇ〜」


 槇村さんはやれやれと言わんばかりに肩をすくめた。

 わかってるよ、僕の躊躇ちゅうちょがあらわれてしまっていることくらい。やるせなさで唇を噛み締めていた。


 そんなとき、彼女はまた別の方向で話を切り出したんだ。



「それに今トマリと仲がこじれるようなことはやめた方がいいぞ。あんたも仕事がしづらくなる」


「え、どういうこと?」


「あんた気付いてなかったのか。なんであのファッションビルでトマリと再会できたのか」



「なんでって、トマリはたまたま買い物に来ていただけなんじゃあ……」



 もしかすると僕が察するのを待っていてくれたのかも知れないけど、残念ながらそんなに早く理解は追いつかなかった。


「まぁ、近いうちにわかるだろ。じゃあな」


 残ったのはまたもや意味深な笑み。

 ヒラヒラと手を振りながら去っていく槇村さんの背中を見ながら僕はしばらく立ち尽くしていた。


「あっ……お別れの挨拶するの忘れちゃった」


 もう当分ここには来ないんだけどな。

 でも不思議なことに、あのイケメンな彼女とはこの先もなんだかんだと縁がありそうな気がした。


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