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tomari〜私の時計は進まない〜  作者: 七瀬渚
第3章/願いに気付いて(Kakeru Chiaki)
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44.君にとっての僕は(☆)



挿絵(By みてみん)



 ところどころ記憶が曖昧なくらい幼い頃の話だ。


 青紫色の花びらが降り注ぐ景色の中で僕は考えた。


 息を飲むようなこの美しさ、震えるほどの感動。

 隣の気配に対する愛おしさ。限りある時間を思って泣きたくなる気持ち。


 離れたくないという願い。


 それらを言葉以外で表現する方法はないだろうかと。僕に合ったやり方が何かあるんじゃないかと。


 あの頃は簡単な日本語さえまだぎこちなかったから、尚更そう思ったのかも知れない。


 幼いながらもすでに魅力的だった彼女。その心に強烈な何かを残して繋ぎ止めたいなんていう淡い支配欲が芽生えてしまったのかも知れない。


 いっそそのまま成長できれば清々しいくらい腹黒く生きられたかも知れないのにね。でもそう上手くはいかないものだ。


 残念ながら僕は何においても中途半端だから。



 あれから何年もの時が経ち、また春が巡ってきた。


 二十九歳といういい大人になった僕だけど、今日はかつて自分が通っていた高校に来ている。というより、実は月に一回は来ている。


 体育館の中。ダンスシューズでリズミカルに床を踏み締める音が気持ち良くて好きだ。

 宙を舞う汗の雫に軽やかに揺れる髪、高らかな掛け声、どれもこれもが彼らの表現の一部だと思ってる。


 僕が基本のステップで動いてみせると、向かい合うみんなもそれに続いてくれる。

 特に最前列に目がいく。凄い。今年の新入生は覚えが早いなぁと感心した。


 練習が一段落すると、元気な声で「ありがとうございました!」と言い一斉にこちらへ頭を下げる。

 そうそう、このノリ。僕の担当するお店のスタッフたちとちょっと似てるんだよなぁと思い出したら自然と笑みが浮かんだ。


 僕が休憩に向かおうとすると、現在の部長の岡部おかべくんが駆け寄ってきて言う。


「お疲れ様です、カケルさん! いつもありがとうございますっ! せっかくなんで新入生たちに何か言ってやって下さい!」


「え、えぇ……何かって言われてもなぁ」


 出たよ、無茶ぶり。この子いつもそうなんだ。

 実践は出来てもトークに自信がない僕は、今回もなんとか受け流す方向で考え始めた。


「説明なら岡部くんの方が上手いと思うよ。僕は感覚で乗り切っちゃってるところがあるから」


「おおお! さすがカケルさん! ダンス部のレジェンドというだけあって天才肌なんですね!」


 君が思ってるようなレジェンドじゃないんだよ、それが。込み上げてくる恥ずかしい思いに蓋をしてやりたい衝動。


 岡部くんの輝く眼差しはぴったりと僕に貼りついている。最初はお世辞かと思ったけど、この子の場合はどうやら本気で僕を買い被っているようだから困ってしまう。


 やがて岡部くんシャンと凛々しい顔になると後輩たちの方を向いて声を上げた。


「よーし、みんな! カケルさんの動きちゃんと見てたよな!? キレの良さがハンパないだろ。そんでどうだ、見た目以上に難しかったろ。簡単そうに見えてそうじゃない動きがダンスには沢山ある。むしろ簡単そうに見せてしまうところもダンサーの技だと俺は思う! 今日やった基本が出来ているのとそうじゃないのとでは全然違うからな。よく復習しておくんだぞ!」


『はいっ!!』


 ほら、やっぱり君の方がトーク上手いじゃない。

 僕はこっそり苦笑いしていた。



 今日は休日だけど大会に向けて少しでも練習に取り組みたい彼らは、いつもの練習場ではなく広い体育館を借してもらった。

 大きなスポーツミラーを立て広々とした空間で踊る。なんだか普段より伸び伸びとした動きに見える。またこんな日を作れたらいいなと僕も思った。


 若者たちのエネルギーは凄まじい。ポジティブなものもネガティブなものも。きっと本人たちが自覚している以上にだ。


 素直であるが故に荒削りな感情。直面する度に僕はたまらず懐かしい気持ちになったのだけど、それは最初のうちくらいだった。次第にその中にいるのが自然となっていくんだ。同じ目線で語り合う日もある。


 だから今、いい歳して青春みたいな気持ちを経験しているのかな。

 って、彼らのせいにしちゃいけないね。


 ペットボトルを持って外に出る。昼の太陽が眩しくて僕の淡い瞳に容赦なく突き刺さるようだった。

 常に持ち歩いているサングラスをかける。若い頃は気取ってるなんて言われたものだけど仕方なかったんだよね、目の病気を防ぐ為の必需品だから。


 春でありながら真夏を彷彿とさせる真っ白な雲が、やがて学生の頃の記憶を連れてきた。



 僕、千秋ちあきカケルは日本人の父とフィンランド人の母との間に生まれた。

 小さい頃、このグレーの瞳の色合いはもっと淡かったそうだ。

 大抵は色素が濃いめな方の遺伝子が見た目に影響しやすいと聞くけど、うちの両親はどちらも色素が薄めだからこうなったのかも知れない。


 今でこそアッシュの髪に青紫のハイライトを入れているけど、地毛は近いようでちょっと違うアッシュブロンド。ブロンドといっても明るいブラウンとグレーを混ぜたような色だ。


 そんな僕はある程度大きくなるまでフィンランドで育った。

 父は仕事で海外に出ることも多かったから、母と姉二人、つまり女性三人の中で生活している日がほとんどだった。


 日本に来ることはないと思ってた。だって従兄いとこからそう聞かされていたから。

 九歳の春に旅行で訪れた、あれが最初で最後なんだと思ってた。


 でも父の仕事の関係で日本に定住することが決まった。十五歳の頃だ。

 日本が大好きな母は嬉しかったみたいだけど、僕は慣れない土地での生活と高校入学をほぼ同時に迎えることになってしまった。


 平静を装っていたものの内心はパニックだ。

 この頃には日本語もだいぶ覚えていたので会話の方はそれほど支障はなかった。

 だけど僕、小さい頃は小柄だったのに小学校高学年から急に背が伸び始めて、高校入学時には180㎝に届きそうだったし。ゆっくり慣れていきたいところなのにやたら目立ってたんだ。


 そう、僕は目立つことに抵抗があった。

 かつては自分の容姿や趣味にコンプレックスを持っていたからだ。

 女の子みたいな顔立ち、長い髪、綺麗なものが好きなこと。それらを否定された過去。克服したつもりでも心の傷が疼いたりした。


 でもそんなとき思い出したのは……



――男らしいのはそんなに大切なことなのだろうか――


――私は何度も思ったのだ。ダニエルは綺麗だと――


――好きなものを見ているときのダニエルはとても綺麗な目をしている。私はそんなダニエルが好きなんだ――


――ずっと一緒にいたい。でもやっぱり無理なのだろうか――



 僕が僕らしく生きるための希望をくれた、この国の何処かにいる彼女の言葉だったんだ。



 ピー、と遠くで鳴り響いた笛の音が僕の意識を覚ます。後ろからの気配に気付いたのもほぼ同時だった。


「カケルさん、そろそろ次のステップの練習お願いしても大丈夫ですか?」


「ああ、ごめんね岡部くん。待たせちゃって」


「いえ、それにしてもカケルさんってサングラスしてるとマジで芸能人みたいですね! さっきからテニス部の女子たちが見てるの気付いてます? いやぁ、モテるんだろうなぁとは前から思ってましたけど」


「そんなことないって」


「またまた〜! 恋愛だって楽勝なんじゃないですか!?」


「それは単なる年の功かな」


「いいなぁ〜! 俺もスマートな恋がしてみてぇ〜!」


 ごめん、ちょっと見栄張った。大人になったからって上手な恋愛が出来るとは限らないんだよ、岡部くん。

 僕なんてまさに……って、思い返すと切なくなるから今はやめておこうと決めた。



 ダンスの練習は十四時頃で切り上げて、僕も帰りの電車に乗り込んだ。職場付近に比べると人が少ないし車両も年季が入った独特のにおいがする。


 ここから自宅マンションまでは大体一時間半。アクセスは悪くないけど県をまたぐからそれなりに時間はかかる。

 小さく揺れる座席の上で夕食は何か買って済まそうかなどと考えていた。


 スーパーに寄ろうと思ったけど、最近マンションの近くにあるレストランがテイクアウトを始めたことを思い出した。この機会にと寄ってみる。


 ボロネーゼ二人前、ミネストローネ二人前、それからフォカッチャ。

 あいつの好みとか考えるのが面倒だから全部僕と同じにしておいた。好き嫌いの多い方じゃないから問題ないだろう。


 エレベーターに乗って五階まで上がる。ここに住み始めてからもう三年は経つから至っていつも通りのことなんだけど……


 今月に入ってから変わったことが一つだけある。


 インターホンのチャイムを鳴らすと当たり前のように部屋着で出てくる。


「おう、カケル。お疲れ様。今日は仕事だっけダンスだっけ」


「ダンスだよ。今朝言ったでしょ」


「あ〜、言ってたっけ。それより美味そうな匂いだな。今日の晩飯か!」


「そうだよ。いいからどいてダニー。入れないでしょ。早くシャワー浴びたいんだ」


「なんだよ従兄に対してつれねぇな。昔は俺に懐いてちょこちょこ着いてくんのが可愛かったのに、図体も態度もデカくなりやがってよぉ」


「……ダニーって無駄に日本語上手いよね」


「あ? そりゃ九年もこの国で暮らしてりゃ慣れんだろ。お前に比べたら短いけどよ」



 そうなんだ。


 いるんだよ、従兄が、僕の部屋に。


 アッシュブロンドの髪、普段はセンターパートの綺麗な形なんだけど、オフのときはわかりやすく手抜きになる。ヘアバンドでガッと全部上げて、後ろで一つに束ねたスタイル。

 ボリボリと後頭部を掻いたりする仕草はなかなかワイルドだけど、体型は僕より少し筋肉がついてるくらい。身長だってそこまで変わらない。瞳の色も同じグレー。

 ……多分、髪型と服をトレードしたらパッと見で間違える人はいるんじゃないかな。


 愛称は“ダニー”。僕も彼の家族たちもそう呼んでる。

 

 でも初対面の人にはちゃんと本名で名乗ってるはずだ。『ダニエル』ってね。


「なぁ、カケル。サブスクですげぇ面白いドラマあったから後で観ようぜ」


「シャワーの後ね。ちょっとならいいよ」


「ああいうのは一気に観るのが醍醐味だろ」


「そんなことないよ、少しずつ楽しむ人もいる。それに明日仕事だからあまり夜更かしは出来ないって」


「あ〜、そうかいそうかい、いいですよ〜だ」


「不貞腐れるなよダニー」


 全くどっちが年上なんだかわからないね。ため息はこっそりついておく。


 今でも不思議な気分になる。まるで子どもの頃に戻ったみたいだって。

 ダニーだって普段はしっかりした男なんだ。仕事も出来る。でも今は童心に帰ってるのが伝わってくる。


 無邪気に。

 本当に無邪気に。


 その笑顔を見て名を呼ぶ度に、僕の胸が苦しくなっているなんて知る由もないんだろう。


 僕が欲しいものはみんな彼が持ってる。そんな気さえしてしまう。


 人生の時計はどうやっても巻き戻せない。


 彼女にとっての僕はあくまでダニエルなんだ。今でもきっと。


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