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tomari〜私の時計は進まない〜  作者: 七瀬渚
第1章/居場所を探して(Tomari Katsuragi)
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13.孤独のトンネルを抜けたなら


 和希に電話で相談に乗ってもらった日からもうすぐ一週間が経とうとしている。四月も中旬となった。


 私はその間、ネットで求人情報の更新を確認し、次の候補に向けての志望動機や自己PRを考える日々。そのかたわらでペン画を描き、最近ダウンロードした献立アプリを見ながら自炊の練習。

 肇くんとの時間を増やすのはキリよく五月からということで話がまとまった。


 私は今、肇くんに宣言した事前準備と和希から言われた自分と向き合う時間、その両方を取り入れているつもりだ。


 ただ正直なところ、就職活動と自宅アパートとの往復だけの日々はなかなか堪えるものがあり、早く突破口を見つけたいという願望は日に日に強くなっていく。

 この生活の中に、何か自分の性分に合わない要素が存在しているのかも知れない。


 昼頃、少しお腹が空いた気はしたもののまずは一服がしたくなって、いつもの定位置である換気扇の下で煙草の煙を長く、長く、吐き出していた。


 疲れた目に映るのは、今朝なんとなくスマホをいじっていたときにオススメのトピックとして現れたコラム。

 発達障害について書かれたものだ。


 う〜ん、といつの間にか唸っていた。さっきから同じ部分を何度も行き来している。


 何度見ても怪しいのだ。

 記事がではなく、私が。


 特にこの『自閉スペクトラム症の特性』が気になる。

 実のところ、これを疑ったのは今回が初めてではない。


 あれはまだ実家にいた頃。私が高校生の頃だ。


 私は人の顔色を伺う割に、その場の空気に合った発言や行動をとるのが不得意だった。

 雰囲気に酔うということがどうしても出来ない。学校では体育祭や文化祭といったイベントがあるから尚更、周囲との温度差を感じていた。


 なんの為に頑張るのかがわからない。個人に何か明確な目的があるのならまだしも、皆で掴み取った成果とやらの為に何故そこまで一喜一憂出来るのかが理解できなかった。

 これらの考えに全く悪気はないし、妬みや皮肉のたぐいでもない。


 小学生の頃までよく同級生を怒らせていた私は、“わかっていない”ことがバレないようにするだけで精一杯だった。


 友人に誘われてバレーボール部のマネージャーをやっていたことがある。しかし、こんな言い方をしては申し訳ないのだが、私は部活全体にひしめく同調圧力らしきものに圧倒されて早々にやめてしまった。

 文化部でも同じ結果だったかも知れない。

 皆はその空気さえも楽しんでいるように見えたから、おかしいのは自分だと考えるようになった。


 二年生の秋頃、もうすぐ修学旅行というときだった。

 家族の目から見た私は明らかに元気がなかったらしい。今ならわかるのだが、あれはきっと連日の集団行動を想像して気が重くなったのだ。同級生が嫌いな訳じゃない。でも日中ならまだしも夜まで一緒だなんて気が休まらないと。


――母さんにも言えねぇなら俺が話を聞いてやる。なんかあったのか――


 ぶっきらぼうな口調で兄が言った。兄になどもっと言えるはずがない。歳だって五つも離れているじゃないかと思ったけれど、普段は気難しい兄の歩み寄りに少しばかり期待してしまったのかも知れない。


 私はここで初めて、自分の考えていた可能性の話を出してみた。

 参考資料になるものがあった方がわかりやすいと思って、自室のパソコンでとある病院のホームページを開き、発達障害についての説明を見てもらったのだ。

 どうだろうか、私はこんなふうに見えないだろうか、と問いかけてみようとしたとき、兄の表情が険しくなっていくことに気付いてしまった。


――なんだこれ。空気が読めないだ? 集団行動が苦手だ? はっ、馬鹿馬鹿しい。こんな奴、俺が学生の頃だって何人もいたよ。言わないだけで自覚してる奴もいる。俺だってそうだ。お前、こんなモンを真に受けて今の今までグダグダ悩んでたのか――


 言葉に詰まった。だから言いたくなかったのだと後悔するすきさえ兄は与えてくれなかった。


――というかこれ、お前というより俺に当てはまるじゃねぇか。これだけで障害扱いかよ。やりづれぇ世の中だな――


 兄が不機嫌になった本当の理由が見えると、入れ替わるようにして別の後悔の念が胸を占めた。どうやら一番話してはいけない人に話してしまったようだ。


――いいか、苦手なモンなんて誰でもあって当たり前だ。不得意を感じる度に障害やら病気やらを疑ってたらキリがないだろう。みんな何かしら我慢して生きてんだ。さっさと気持ちを切り替えろ。いつまでも父さんと母さんに心配かけんじゃねぇぞ――


 そう一方的に締め括られて、私ははっきりと思った。

 兄貴なんか嫌いだ。もう二度と相談なんてしないと。


 実際私はそれ以来、発達障害の話を出したことはない。誰にも。

 兄以外の相手なら良かったのかも知れないけれど、未だにそう思えない自分がいる。


 何年も続いてきた私の悩みを埃を払うように扱われるのが怖いのだ。



――熱っ……!


 痛覚が私の意識を覚ました。

 手元を見るともうフィルターのすぐそばまで火種が迫っている煙草。慌てて灰皿に押しつけた。


 換気扇の音がいつになくやかましい。


 改めて指を見てみる。火傷は……していないようだ。でも危なかった。そろそろ私も加熱式タバコに変えた方がいいだろうか。

 風船が萎むみたいに勢いよく長いため息が零れる。


 また余計なことを考えてしまったんだろうか。そんな脱力感。

 だけどいつまでもこうしてはいられない。次の応募先への書類作成がまだ終わっていないのだ。


 スマホの検索画面を閉じたときだった。

 一件の通知が私の目に飛び込んだ。


 “採用担当”という文字が確かに見えた。


 合否を知らせるメールだと気付いてすぐに受信画面を開く。

 連絡待ちなのは今のところ一件だけ。つまりこのメールは先週面接を受けたcygnetシグネットからということ。


 期待は出来ない。そんな思いだった。


 だけどその数秒後に私は、先程のように同じ箇所を何度も何度も読み直すことになる。

 多分、五度見くらい。いや、もしかしたらそれ以上。


 “採用”


 その二文字の中に確かな実感を見つけるまでどれだけかかったことだろう。


「えっ……え??」


 本当に? 本当にこれで合っているのか? 誰かと間違えた訳ではなく? “不”をつけ忘れた訳ではなく?


 だけど何度見ても本文の頭には私の名前があり、文脈も肯定的なものなのだ。



「…………っ!」


 言葉にならず、代わりに身体が熱くなる。

ため息とも少し違う、小刻みな呼吸が何度も何度も音を立てて溢れる。


 スマホを持ったまま何回かその場をうろうろ歩き回り、どれくらいか経った頃に私はクローゼットのある寝室に向かった。



 下はキュロットに近い形をしたデニムのショートパンツ、これがいい。

 ならば上に合わせるのはこれ、デコルテと袖の部分に大ぶりなフリルのあしらわれた春らしい白のオフショルダー。

 普段はあまり着ない組み合わせ。だけど、今はなんだかアリな気がする!


 着るものを決めたらすぐさまメイクに取りかかる。

 目元はピンク系で統一感を出したい。青みピンクのアイシャドウはグラデーションをしっかり作るパターンとは違って、あえての単色一度塗りで軽やかさを演出する。

 私の目の形は丸っこいから、目尻寄りのところからモーブ系の色のアイラインを細く引く。更にアイラインの終わり部分にパステルピンクのラインを短く重ねる。

 マスカラは濃いブラウンのものを目尻中心に塗る。

 こうすることで目の形をやや切長なラインに寄せつつ、ピンク系カラーの醸し出す可愛らしさも効いてフェミニンな服にもマッチする。


 目元が華やかに仕上がったので口元はさりげなくしたい。

 本体だけを見るとはっきりとした赤に見えるリップは、少し指にとってポンポンと叩くようにして乗せる。ほんのり血色感が出る程度に。ティッシュで軽く抑えて馴染ませることで更に淡くし、色持ちを良くする。


 好みをふんだんに詰め込んでしまったが、トータルで見ると我ながら実に良いバランスと思える。きっとこれでいい。

 やはりファッションもメイクも、誰より一番に自分が楽しくなくては。



 ところで。

 何故いまこのタイミングでこんなことをしているのか私もわからない。


 ただ、見たい景色があるのは確かで、そこに立つ自分は今できる最高のコンディションであってほしかった。


 髪を整えている間にも考えていた。

 間に合ってほしい。どうか間に合って。

 繰り返す程にそれは祈りへと変わっていく。


 戸締り火の元の確認をし、締め色にと選んだ黒のミニバッグを持って玄関へと向かった。

 足元にも黒、今回は膝下までのレザーブーツでいこうと決めた。



 晴れ空のもとに躍り出た足取りは羽のように軽く、つい先程まで何か悩んでいたような気はするけど正直どうでも良くなってしまう。


 電車に乗って目指したのは、五駅進んで一度乗り換えて更に二駅の場所。

 今までの私の行動範囲とは違う、だけどいつか行ったことがある。

 あの場所ならもしかしたらと胸の奥がソワソワする。


 降りた駅から五分ほど歩くと、大きな公園の入り口が見えてくる。

 ランニングをする年配の男性とすれ違った。談笑しながら歩くお年寄りの夫婦。それに親子連れ。お花見のシーズンほどではないけれど、普段から散歩コースやピクニックのスポットとして親しまれているからなのか、それなりに人の姿がある。


 気分転換くらいしても良かったのだ。きっと、もっと早く来ても良かった。


 でもそれを許さない自分がいた。

 新しい居場所を見つけるまでは気を抜いている場合ではないと、自分を縛り付けてしまっていた。わかっていても思い通りにならない性分。


 孤独だった。二ヶ月ちょっととは思えないほどの長い時間に感じられた。

 だけどこれからは……



 いつの間にか駆け足になっていた私は、大きな桜の木のもとで立ち止まる。


 見上げるともうだいぶ若葉が生えているけれど、まだちらり、ちらりと。愛らしい薄ピンクの桜の花の姿。

 足元は一面、花びらの絨毯。寝転びたい衝動を寸前のところで押し留める。


 ひらり、と原型を保ったままの桜の花が落ちてきた。

 再び顔を上げると、すずめが木の幹をスキップするように渡り歩いているのが見えた。


「間に合った……」


 喉が震えているのが自分でもわかった。

 満開ではないけれど、それでも今年中にこの景色に辿り着けたことに胸がいっぱいになって。



「間に合った……っ!」



 強めの風が吹き付けて花びらを呆気なく宙へ攫うと、儚さと美しさを体現したかのような幻想の吹雪が青空を彩る。

 呼吸を忘れそうになるその最中さなか、私の目からはポロポロと温かな涙が零れた。


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