二百八十八話 大捕り物でした!?
リシュと共にエルセルドに婚約の辞退を伝えた俺は、それから数日リシュと王都で恋人のように過ごしていた。
ただ飲んで食べて遊んでいただけなのに、こんなに疲れたのは何故だろうか。楽しくはあったが、終始気恥ずかしかった。
とはいえ、これでエルセルドには俺とリシュの関係が本当であると伝わった。
フーレが言うには、ベッセル邸の使用人が俺がリシュと仲良くしていたのをエルセルドに報告したようだ。何か業務的な報告というよりは、リシュは何故エルセルドのような立派な男ではなく、あんな頼りなさそうな男を選んだのかという疑問を口にしたようだが。
一方のエルセルドはその使用人を、王子に向かってそのような言葉は許さないと叱りつけた。そして自分からは決して俺とリシュのことを全く口に出さなかったらしい。
俺を調べてくるかと思ったが、その動きもない。また、アリュブール商会にも接触はないし、エルセルドがどこか遠方に手紙を送った形跡もなかった。
エルセルドは思った以上に用心深かった。ベッセル邸や自分の配下に裏切り者がいることすら警戒しているのかもしれない。
つまり、このまま恋人ごっこを続けてもエルセルドはまず動かない。
だから今日は、俺たちから仕掛けることにした。
エルセルドは俺を亡き者にしたがっている。同時に、リシュの好意を得るためにもいい所を見せたいと思っているはずだ。
だから、エルセルドにその絶好の機会を与えることにした。
俺は、机に向かって筆を走らせるマッパに訊ねる。
「できたか?」
マッパは振り向き、机の上にあった紙を差し出した。
「王都衛兵隊の報告書……印も筆跡も本物と見分けがつかない。さすがだ、マッパ」
報告書の見出しは、要人護衛についてとある。俺とリシュが王都の東にあるエルミ街区に視察に訪れるため、その護衛を衛兵隊が行うというもの。
これは、俺がでっちあげた嘘の報告書だ。
マッパは不気味な笑みを浮かべる。まるで悪人のようだ。
やっていることは確かに悪人だ。俺たちは、衛兵隊の報告書を偽造したのだ。
とはいえ、これはエルセルドを釣り出すための謀略だ。報告書は最終的に消し去るつもりだし、誰も困らない。
行き先のエルミ街区は、王都でも廃墟の多い場所。今回の王都に来た時、魔物を恐喝していたごろつきたちの住処となっているが、一方で他の街区と比べると人通りが少ない。
犯罪も多く、衛兵隊も取り締まりが追い付かない。つまり、ここで何が起きてもおかしくない。
そんな危険な場所に、俺とリシュは視察という名目で明日足を踏み入れる。
衛兵隊は、そんな俺たちを護衛する──というわけだ。
この任務の衛兵は二人。透魔晶を使えば、衛兵の二人など敵ではない。そしてここで王子が死んでも何もおかしくはない。
エルセルドがこの報告書を見れば、必ず動きを見せるはずだ。
一方で、エルセルドたちが動いた時、その悪行が衆目に晒されなければ意味がない。
だから、衛兵隊にも手を打っておく。何者かが、王子ヒールを狙っているという密告を明日の朝に送り、衛兵隊の密偵にエルミ街区へと来させる。
襲われた際は、リシュに助けてと叫ばせる。周囲のごろつきたちもやってくるだろう。
素直に衛兵隊に護衛を依頼するという手もあったが、父やバルパスに伝わる可能性もある。この二人が今回の件に関わっていないという保証はないし、あまり大事にはしたくなかった。
また、エルセルドたちがまず護衛の衛兵を殺しにかかる可能性もあった。衛兵たちにも被害は出したくない。
そのため、こうして依頼をでっちあげることにしたのだ。
「よし。あとはこれをエルセルドの執務室の書類に紛れ込ませよう。エルセルドはその日に届いた衛兵隊の書類はすぐに処理をしていた。この報告書にも目を通すだろう」
俺がそう言うと、隣にいたリエナがある懸念を口にする。
「私がベッセル邸に持っていきます。ただ、エルセルドがこの報告書について衛兵隊に問い合わせたり、何か指令を送ることは考えられませんか?」
「有り得るけど、エルセルドはここまで徹底して何の証拠も残さないように行動している。俺の暗殺が終わった後、この報告書について問い合わせたり、衛兵に命令を出したという痕跡は残したくないはずだ」
「確かに。あの屋敷での落ち着きようを見ても、その可能性が高そうですね」
「ああ。もちろん、エルセルドの出方次第では、十五号に衛兵隊長に化けさせてエルセルドの指示を聞かせるという手も考えている。だが、まずはこの作戦でいく」
俺はそう言うと、報告書をリエナに手渡した。
今はともかく、こちらから攻める。そしてエルセルドに少しでも尾を出させるつもりだ。
またエルセルドの配下が出てくるかもしれない。
一方で、エルセルド自身が出てくる可能性もあると俺は考えている。エルセルドは、俺が死ぬだけでは意味がない。リシュの好意をもう一度得る必要があるからだ。
俺はマッパの肩をポンと叩く。
「よくやってくれた、マッパ」
マッパは自慢げな顔を見せる。
そうしてリエナはこの報告書をエルセルドの執務室に紛れ込ませてくれた。
フーレの監視により、エルセルドは確かにその書類に目を通したのが分かった。しかも他の書類と違い、長時間確認していたという。
それからは、他の書類と同じように偽の報告書に押印し書類の山に戻した。その後は衛兵隊への手紙を書いたりするような特別な動きは見せなかった。
動かないかもしれない──そんなことも考えながら、俺はリシュと共に報告書にあるようにエルミ街区へ向かった。
俺とリシュの前後に、一人ずつ衛兵がついてきている。前は琉金で化けたゴーレム、後ろは琉金で化けた十五号だ。マッパも鎧を身に着けてついてきている。
また、少し離れた場所では姿を隠したリエナがついてきていた。
俺もリシュもあまりに不用心だと疑われたくないので、剣を腰に佩いている。
人気のない通路を進みながら、リシュが俺の手を握りながら言う。
「ヒール……ここ、怖いよ」
リシュは怯えた表情で周囲を見ていた。
リシュが怖がりなのは昔もそうだった。しかし大人になった今、こんなに恐れるものだろうか……?
リエナも一体どんな目で俺を見ているだろうか? 本当の恋仲のように見られたら、なんというか……
そんなことを考えていると、急にフーレの声が響いた。
「ヒール様……動いたよ」
姿を隠しながらフーレは言った。
「おお、そうか。誰か配下を送ってくる感じか?」
できれば、外部にも顔が知れたエルセルドの部下であるとありがたい。それだけでもエルセルドのせいであると証明しやすくなる。
しかしフーレの回答は違った。
「ううん。エルセルド自身が部下と二人で来る。剣と透魔晶を持ってね」
「そうか。恐らくは、俺が襲われたあと、エルセルドがリシュの前に現れる感じだろう」
リシュのもとに駆け付け、刺客を追い払う……そんなことを考えているのかもしれない。
「ということは、エルセルドはずっと隠れている感じかな?」
「どうかな。部下が苦戦するようなら、エルセルド自身も加勢して確実に俺を殺しにかかるはずだ」
「だとしたら、そこでエルセルドの正体を明かせば終わりだね。二人の靴には、マッパが作った魔鉱石の粉末を付けている。歩けば少しずつ落ちるはずだから、魔力の反応で接近が分かるはずだよ」
「分かった。それじゃあ、皆警戒してくれ」
俺の声に、皆が周囲を警戒しながら進む。リシュも先ほどまでの甘えた態度はどこへやら、真剣な表情で周辺を見ながら歩き始めた。
するとやがて、後方の地面に魔力の反応が近づくのに気が付く。小さな四つの反応。エルセルドと部下の足跡だ。
……来たか。
俺が歩くと、二人の魔力の反応は徐々に近づいてくる。一歩進むたび、向こうの歩調は速くなり、やがて駆け足となった。
後方に一挙に迫ってくるのと同時に、俺は振り向きざまに抜いた剣を振るった。そして周囲に、リエナの放ったシールドが展開された。
剣を弾くような鋭い音が響いた。
「何者だ!?」
俺はそう言って、適当に魔力の反応が動く方へ素早く剣を振るう。
もちろん、相手の剣なんて見えていない。しかしリエナのシールドによって、相手には剣が弾かれているように見えるはずだ。
やがて周囲のごろつきたちが集まり始めた。また、密偵らしき軽装の者たちも見える。
十分に人は集まった。エルセルドも無理はせず、撤退を考えるはず。
「マッパ!」
俺の言葉にマッパは袋から白色の粉をばらまく。同時に、俺はマッパの作った顔を覆うマスクを付けた。
粉塵の中、二人の刺客が透明の球体となって露わになる。一方の俺は、マスクのおかげでせき込むこともなく、魔力の反応を追える。
あれが、エルセルドと部下か。
視界は悪いが、十五号とゴーレムにとっては問題ない。
十五号とゴーレムは、雷が流れる縄を透明の球体の方に投げる。
縄がそれに触れた瞬間、焼き付くような音が響いた。
それから十五号とゴーレムが近寄ると、エルセルドと部下の姿が露わになる。二人から透魔晶を取り上げたようだ。
やがて、俺は倒れたエルセルドに近寄り、そのフードを外した。
周囲が騒然となる中、舞っていた粉塵はリエナの風魔法で完全に払われた。
視界が晴れると、遠巻きに多数のごろつきが集まっていた。
「な、なにが……」
「おい、さっきまではいなかった貴族のお偉いさんが倒れているぞ!?」
「お、俺知ってるぞ。ありゃ、王国軍のエルセルド将軍だ!」
「おいおい。将軍が、あの人を殺そうとしたのか!?」
そんな中、密偵と思しき者たちが近寄ってくる。
「ヒール殿下! お怪我は!?」
「大丈夫だ。しかし、驚いた。まさか、エルセルド殿が俺を狙うとは」
エルセルドはこちらをぎっと睨む。
密偵たちもエルセルドの突然の犯行に驚きを隠せないようだった。
エルセルドは体を少し震わせると、口を開こうとした。
言い訳をするか──いや、ウルファスと同じ、毒薬か。
しかし対策はしてある。マッパは粘液のようなものをエルセルドの口に突っ込んだ。それから再び、縄に雷を流し麻痺させる。
それから十五号がエルセルドの口から毒薬と思しき錠剤を取り出した。
部下も同様に麻痺させられ、毒薬を取り出される。
そうしてエルセルドと部下は、マッパにより縄で縛られていった。
俺は思わず息を吐く。
作戦通りにいった。しかしまさか、エルセルド自身も自殺しようとするとは。
こうして衆目に晒されるところとなった今、エルセルドがここで自決してもベッセル伯家への糾弾は避けられない。であれば、エルセルドがここで自決することにあまり意味はないように思える。
それでもエルセルドは自決しようとした……
それも、大義のため、か。
密偵が俺たちに言う。
「殿下。あとは我らにお任せください」
「すぐに王宮へと連絡し、連行いたします」
このまま王宮へ行けば、エルセルドは厳しい取り調べを受ける。俺もこの件について証言を求められるだろう。その際は、父にアリュブール商会や転移装置のことを話せばいい。
結果、エルセルドがレオードルに仕掛けた謀略が明るみになる。エルセルドの罪は立証され、リシュとレオードルにも平和が訪れるはずだ。
亡くなった二人の夫人についても調査は始まる。
だから、これでいい……
しかしどこかモヤモヤするのは、やはりあの地図のことだろう。
その調査も父やバルパスに任せて、俺はシェオールに帰還すればいい。
……本当にそうか?
父たちがそれを知ったら、平和的にそれを利用するという保証はどこにもない。
すでにエルセルドが俺を殺そうとしたという事実は、これで揺るがない。ベッセル家はどのみち、社会的に糾弾される。レオードルが合法的に奪われる可能性はなくなった。
……ならば、ここはもう少し踏み込んで調査をしてみるか。
俺はマッパに顔を向ける。その手には、以前も見た煙幕玉が握られていた。察しが良い。マッパも同じ思いなのだろう。
俺が十五号とゴーレムに目配せすると、マッパは煙幕玉をひっそりと床に落とした。
周囲に煙幕が立ち込める。
「な、なんだ!?」
周囲が再び騒がしくなる中、十五号とゴーレムは透魔晶で姿を消し、エルセルドと部下を連れ去っていった。
煙幕が落ち着くと、そこにエルセルドと部下の姿はなかった。また表向きには衛兵として見せていた十五号たちの姿も消えていた。
「に、逃げられた!?」
「どこに!?」
密偵たちは周囲を眺める。
「くっ……上手く、逃げられたようだな」
俺は表向きそう呟いた。
こうして、エルセルドが俺を殺そうとしたことが世間に知れ渡るようになった。一方でエルセルドは俺たちの捕虜となるのであった。