二百七十六話 完璧でした!
要塞が陥落した翌日。
俺はルシカにあるアリュブール商会の店を訪れていた。
宝石が並べられた棚の前で、一人の商人と身なりのいい若い男が立っている。
「……こちらの大粒の真珠が映える指輪などいかがでしょうか? きっとお相手もお気に召すかと」
「おお、素晴らしい指輪だな!! しかし、高いな……」
「申し訳ございません……ただ、ここだけの話ですが、それを作った当商会専属の職人は、王族の方々にも愛用される品を作っておりまして。このルシカでは、一年に一度仕入れられるかどうかという品なのです」
「そんな品なのか……彼女もきっと気に入ってくれるだろうな」
「間違いございません。加えて、今日はとても目出度い日。きっと良い返事をいただけるはずですよ」
「よ、よし……買った!」
「ありがとうございます!」
俺の目に映るアルヴァは接客を行っていた。
以前と変わらないいつもの光景──商会員も客もそう捉えているはずだ。
しかしあのアルヴァは本物ではない。十五号が化けたアルヴァだ。
「上手くやってくれているな」
「はい。誰も不自然に思いません」
リエナが頷くとフーレが苦笑いを浮かべる。
「怖いくらいに成りすませているね……十五号が仲間でよかったよ」
姿だけじゃない。ハキハキとした口調、正した姿勢、胸の前で手を合わせる癖。十五号はアルヴァの全てを完璧に模倣してくれていた。
「そうだな。あとは俺たちの作戦が間違えなければ、確実に黒幕を暴ける」
「商会についてもアルヴァは話したんだよね?」
フーレの問いに俺は頷く。
「本部の隠し金庫の開け方すらな。王国の国家予算一年分に相当する資産が隠されているらしい」
アルヴァは非常に協力的だった。俺たちの取り調べに、商会の組織図、資産や取引先はもちろん、商会内の派閥間の争いや重役たちの後ろめたいことまで洗いざらい話してくれた。
自分の余生を少しでも良くしたいと、アルヴァも考えたのだろう。
だが……
リエナは首を傾げて答える。
「それでも、商会長に今回の件を依頼した者の名は喋らなかった……商会にはそれだけの財力もあるのに」
「普通だったら、今回みたいな依頼受けないよね。会長が弱みでも握られているのかな?」
フーレの疑問に俺が答える。
「その可能性もあるな……アルヴァが言うには、会長のビストは注意深い人物だそうだ。悪い噂も全く聞いたことがなかったと。だからもし、会長に後ろめたいことがあるとすれば、何が何でも隠そうとするだろうな」
「その会長は人徳者で知られているのですよね?」
リエナの問いに俺は頷いた。
「ああ。神殿や貧しい街や村に毎年寄付を送るほどの慈善家だ。孤児を引き取ってきては、商会の仕事を与えているらしい」
「そういう人ほど裏の顔は相当やばい……ありそうな話だね」
フーレはそう言った。
「そうかもな……だが、会長は国家予算に匹敵する金を蓄えている。ちょっとやそっとの相手なら、簡単に懐柔なり抹殺できたはずだ」
「つまりは、相当な力を持つ相手ということですね」
「ああ。それにそもそも……」
「そもそも?」
「普通の商人なら断るが、普通の商人じゃなかったどうだろうか? ビストは俺たちやアルヴァが思う、普通の商人ではないのかもしれない。心の内ではとんでもないことを考えていたり」
だからと俺は続ける。
「依頼者に賛同して計画を実行したのかもしれない。もちろん、ビスト自身が黒幕の可能性も捨てきれないな」
「嫌々受けたわけじゃないかもしれない、というわけですね」
リエナの言葉に俺は深く頷く。
「いずれにせよ、会長を探る必要がある。アルヴァは、会長から計画に問題が生じた際の指示を受けていたらしい。直接王都で会長に報告し判断を仰ぐことになっている」
「じゃあ、十五号……アルヴァは王都に行かなきゃいけないんだね」
「ああ。明日にでも馬車で発たせる。俺たちは先行するために、今日にでも行きたいところだが……」
俺は窓から商会の外に目を向けた。
街路はやけに賑やかで、人だかりができていた。
「賊討伐を祝う祭り……このルシカだけじゃなく、他のレオードル領の街でも開かれるみたいですね」
「賊を倒した英雄のヒール様が欠席するわけにはいかないもんね」
リエナとフーレがにこやかな顔で言った。
「英雄なんて大げさな……」
実際、街では俺を英雄や救世主と称える声があるようだ。
ノストル山の賊は、レオードル領にとって最大の悩みだった。住民が喜ぶのも頷ける。
しかし俺は素直に喜べない。真の敵がまだ見つかっていないだけでなく、俺は皆に真実を隠しているのだから。
もちろん、事が終わればアルヴァの罪は明るみにするつもりだ。しかしそれでも装置について明かすことは躊躇われる。
だから、素直に何かを喜ぶ気にはなれない。
ラング州で身分を偽っていたときも思ったが、俺は本当に下手で嘘を吐くのが苦手だ。ああして完璧にアルヴァを演じてくれる十五号は本当に尊敬する。
だが、これもリシュとレオードル領のためだ。黒幕たちの注意を俺に向けるためにも、今は勝利に浮かれる王子を演じるとしよう。
「……ともかく、リシュと合流しよう。広場にいるはずだ」
「はい!」
俺は十五号と目配せを交わし、商会を出た。
そうして賑やかな街路を進む。
建物や街路樹は色とりどりの布や花で飾り立てられていた。そこら中に置かれた樽や木箱をテーブルに、酒や食事が置かれている。ルシカの人々は酒杯を掲げ談笑していた。
やがて町の人々が俺に顔を向ける。
「お、ヒール様じゃねえか!」
「ヒール様、万歳!」
俺を見ると手を振ったり声をかけてくる街の人々。俺は手を振って応じた。
「ヒール様、表情硬いよ? もっとこうやって笑顔で返さないと! ──いえーい! 皆、盛り上がってる!?」
フーレはそう言って両手を振って笑顔を振りまいた。街の男たちの声が歓声を応じる。
……フーレは俺よりもよっぽど王国で上手くやっていけそうだ。
そうこうしている内に、多くの人々が集まる広場に到着した。酒と美食の匂いが漂い、中央に音楽に踊っている者たちがいる。
杯を持つリシュの姿が見えてきた。
リシュは町の有力者と会話していたようだが、俺に気が付くとその場を離れてこちらにやってきた。
「ヒール……殿下。よくぞ来られました!」
「盛り上がっているみたいだな」
「はい! これもすべてヒール殿下のおかげ。父と領民に代わって、御礼を申し上げます」
リシュはハキハキとした口調で頭を下げた。皆の手前、いつもの頼りない雰囲気ではいれないのだろう。
リシュにはアルヴァの偽物に黒幕を探らせる計画を正直に話してある。俺たちもすぐに王都へ行くことも。十五号が化けていることについては教えていないので、すぐに偽物とバレるのではないかと不安に思ったようだが、最終的には俺に任せてくれた。
また、アルヴァはレオードルの辺境へと送ってもらった。孤立した山間の村で監視をつけて暮らさせるという。
そういうことで、リシュはまだ問題が解決していないことを知っている。それでもその顔には喜色が滲んでいた。
領民の喜びはリシュの喜びなのだろう。賊の脅威が除かれたことを素直に喜んでいるようだ。
自分の命の危機が去ったわけじゃないのに……リシュは立派だ。
俺もそれらしく振舞うとしよう。
「王子として当然の務めを果たしただけだ……ルシカの民よ!」
俺は声を張り上げ、近くの木箱に置かれていた杯を持って周囲を見渡す。
「賊の脅威はこのヒールが取り除いた!! これからは安心して日々の暮らしを送るといい!!」
そう言って高々と杯を掲げた。
ルシカの人々も杯を掲げ歓声を返す。それからすぐに「ヒール、ヒール!」と俺を称える声が広場を埋め尽くした。
すると広場の上空に花火が上がった。大きく、多様な花を象った花火。
「おお、綺麗な花火!」
「こんな大きな花火見たこともないぞ」
「誰が作ったんだ?」
町の人々が感嘆の声を上げる中で、照れるようなマッパの姿。
マッパが作ってくれたようだ。ルシカの人々の記憶には、俺よりはこの花火のことが頭に残るかもしれない。マッパは本当にいいところを掻っ攫っていく。
ともかく広場はさらなる盛り上がりを見せた。
この話はレオードルを出て、王都や王国中に伝わっていくだろう。難攻不落と名高いノストル山の要塞を、無能の王子ヒールが落とした。黒幕も俺を不気味に思い注意を向けるはずだ。
そんなことを考えていると切なそうな声が響く。
「綺麗……」
リシュも空を見上げて言った。
最初は目を輝かせていたリシュだったが、一瞬寂しそうな顔をした。
「リシュ……」
「……うん? どうした? ──いや、どうしました、殿下?」
「花火で声も響かない。いつもの口調で大丈夫だよ」
「う、うん。それでどうした?」
「いや、王都行きだけどさ。リシュは待っていてもいいんじゃないかって思ってな。俺たちでもなんとかできそうだと思って」
「ヒール……私を気遣ってくれているんだね」
リシュは少し嬉しそうな顔をすると首を横に振った。
「大丈夫。このレオードルのためにも、今回の黒幕と決着をつけないと」
「そう、か」
少しの沈黙の後、リシュが口を開く。
「それよりもヒールの仲間は皆、すごい人たちだね」
「自慢じゃないがそうだな。俺一人じゃ何にもできない。俺は仲間に恵まれたよ」
今回の計画も皆がいなければ成せなかった。いつもそうだ。
「皆、シェオールで出会ったの?」
「ああ、そうだ。皆、シェオールを気に入ってくれたんだ。海がきれいな、本当にいい場所で……」
リシュには隠していることがいっぱいある。だから正直に自分の思いで答えられる問いには、自然と嬉しくなってしまう。
「いい場所なんだろうね……私もいつか連れていってくれる?」
「もちろんだ。案内したい場所がいっぱいある」
リシュが嬉しそうに答える。
「やった! じゃあ私もまた今度、レオードルの秘境を案内してあげるよ」
「楽しみにしているよ」
状況が落ち着いたらリシュとゆっくり昔話でもしたい。俺も同じ気持ちだ。
それと同時に、レオードルを思うリシュを見て、俺もシェオールが懐かしくなってきた。皆、元気でやっているだろうか。
花火がだんだんと小さくなると、広場の一角で黄色い声が上がるのが聞こえた。
目を向けると、先ほど商会でアルヴァが接客していた男性が、女性の前で片膝を突き指輪を差し出している。さっきも見た真珠の指輪だ。
これは……告白か。場の勢いを借りて勝負に臨んだようだ。
「好きでした!! 結婚してください!!」
告白を受けた女性は──目を潤ませ、深く頷く。告白成功だ。
周囲から歓声と拍手が上がる。俺も思わずおおと声を漏らしてしまった。
指輪がよかったからなのかは神のみぞ知るが、ともかくこれは目出度い。
「よかったなあ……」
ほっこりとした思いで呟くと、やがてとんでもない言葉が耳に飛び込んできた。
「ヒール王子! ヒール王子もリシュ様と結婚してあげてください!!」
「リシュ様はとてもいいお方なんです! 殿下とお似合いですよ!!」
どこからともなく響いた突然の言葉に、俺もリシュも唖然とする。
その後、口笛や同調するような声が続く。
突然の言葉に俺が当惑する中、リシュが顔を真っ赤にして声を返した。
「──ぶ、ぶ、無礼な! わ、私ごときが殿下のような方と結婚なんて!! ……こ、こんな素敵で優しくて、とっても格好いいヒール殿下と……」
リシュはこちらを窺うように見る。目が合うと両手で顔を覆ってしまった。
なんでそんな反応をするのだろうか。俺も気恥ずかしくなってくる。
徐々に町の人が何事かと俺たちに注目を向けてくるから猶更だ。
このままではまずい──俺はマッパに命じた。
「ま、マッパ!! もっと花火を!!」
マッパは珍しくニヤニヤとした顔でしばらくこちらを見つめる。慌てる俺を見て楽しんでいるのだろうか。
「おい、マッパ! お前の力が必要なんだ!」
今まで一番声を張り合げた気がする。
マッパは仕方ないなと言わんばかりに、広場の外へ手を振った。すると再び大きな花火が上がっていく。
「なるほど……これはもう決まりですね、フーレ」
「決まりだね。私、リシュさんなら大歓迎! リエナは?」
「私も、もちろん大歓迎です! ことが終わったら、お話してみましょう!」
リエナが納得するように言うと、フーレも不敵な笑みを浮かべて言った。
何が決まりなのかは分からない。
しかしその後も祭りは盛り上がるのだった。
そして翌朝。
俺たちはアルヴァに扮した十五号に先行し、馬車で王都へ向かうのだった。