二十七話 とってもハッピーになっちゃいました!
「マッパああああアアっ!!」
俺の叫びもむなしく、マッパは白目をむき、だらしなく口を開けて、伸びる木と共に天に召されていく。
……と思ったが、建物の二階部分ぐらいで、マッパが固定される。
突如、木自体の成長が止まったのだ。
マッパは顔を真っ赤にして息を荒くしているが、命に別状はなさそうだ。
というか……むしろ喜んでいる?
……とにかく、すぐに救出すべきだろう。
「マッパ、すぐに助けに行くぞ!! しかし、なんという大きさだ……」
俺は思わず、空を見上げた。
そこには、シェオールの岩山の倍……いや、それ以上の高さの場所が緑で覆われていたのだ。
俺が過ごした王城の最も高い塔より、少し高いぐらいか……
幹の太さも、埋立地の大半を占有しているほどだ。
元の空き地の方が、少し少ないぐらいか。
太陽石一個で、誰がここまで成長すると予想しただろうか?
そしてさらに太陽石を使ったとしたら……想像もできない。
俺とリエナはマッパの近くに向かった。
しかし、それなりの高さがあるため、すぐには救出できそうにない。
マッパは、相変わらず目をそむけたくなるような、だらしない顔を俺たちに見せている。
その周囲からは、うっすらと黄金色に輝く粉のような物が見えた。
粉はマッパを包み、俺たちにも降り注ぐ。
多少口や鼻に入ってしまったようだが、特に異臭はなかった。
それどころか、甘く心地よさを感じる匂いだ。
「……とにかく、俺たちだけじゃきついな。ゴーレムを連れてきて、エレヴァンに斧で助けさせるか……リエナ、俺は助けを呼んでくるよ」
俺が誰かを呼びに行こうとしたその時、リエナが俺の腕をがっしりと掴んだ。
「り、リエナ……?」
「ヒール様…… 私、私……」
振り向くと、リエナの体は小刻みに震えていた。
もしや、どこか調子が悪いのだろうか?
俺もなんか……頭がふらふらというか、変な気分だ。
リエナは顔を上げると、満面の笑みでこう言った。
「……私っ! 今、とっても幸せです!!」
「へ?!」
「ヒール様と一緒にいれて、とても幸せなんです! ……ああ! 私、こんなに幸せでいいんでしょうか?!」
リエナは困惑する俺と、両手をしっかり合わせる。
今は、冗談を言ってる場合じゃない。
いつもは真面目なリエナがどうしたというのだろう?
俺はすぐにリエナから手を離そうとする。
だが、俺の頭は体にそう言い聞かせられなかった。
……なんだか、とっても幸せな気分になったのだ。
頭の中に花畑が浮かんで、そこでは白い翼を生やした人間が笑いながら踊っている。
そう、俺たちは今幸せなんだ。
何を焦る必要がある? 全部ゆっくりやればいいじゃないか。
俺はリエナに頷き、両手を握り返した。
「リエナ……俺もリエナといられて幸せだよ」
「ああ、ヒール様……」
俺たちはしばらく目を合わせると、その場で手を繋ぎながら回り始める。
リエナは右側に、俺は左側に……互いに鼻歌交じりに、ステップを踏みながら。
リエナは髪をなびかせながら、元気いっぱいの笑顔を見せてくれた。
「ふふっ! ヒール様!!」
「はははっ! リエナ、なんだい?!」
「私、ヒール様のこと、好きです!!」
一瞬、「え?」と言いそうになった。
だが、リエナはすぐに続ける。
「好き! 大好き!! 愛しているんです!! この世の誰より、ヒール様を!!」
俺は思わず浮かんできそうな嬉し涙をこらえ、笑って応える。
「俺もだ、リエナ!!」
「ふふっ、やったぁっ! ヒール様、約束です! 私たち、ずっと一緒ですよ!!」
「もちろんだ! はははっ!!」
俺の声に、胸からコボルトの赤ちゃんも飛び出す。
そして俺の肩の上で、可愛く踊り始めた。
……あれ? ま、いっか……
こうして俺たちは、しばらく夢見心地で踊るのであった。
~~~~~
その頃、洞窟の方からは新たな木に驚く者たちがいた。
エレヴァンは思わず、突如生えてきた大きな木を見上げる。
「な、なんだ、あの木?! というか、大将と姫、どうしちまったんだ?!」
その声に、フーレが言った。
「お父さん! 私、バリス様呼んでくる!」
「お、おう!」
フーレが走り去っていくのと同時に、他のゴブリンやコボルト、ケイブスパイダーも何事かと集まってくる。
その中には、採掘をしていたタランや、洞窟で部屋を掘っていたアシュトンとハイネスもいた。
アシュトンも見たこともない大木を見上げ、エレヴァンに訊ねる。
「エレ……ヴァン殿、いったい何が?! それにあの木は?!」
「んなの、俺が知るか!! ……とにかく、何か様子が変だ。あの裸のおっさんはともかく……大将と姫はおかしい! 二人を助けに行くぞ!」
「……しょ、承知!」
エレヴァンを筆頭に、魔物たちはすぐさまヒールたちに向かっていく。
近くなると、エレヴァンはヒールに言った。
「大将!! どうしちまったんですかい、大将!!」
「おお、エレヴァン! 聞いてくれ!! 俺はお前が好きだ!!!!」
「た、大将?! わ、わりいですが、俺は死んだ妻以外はもう……というか、そっちの気は」
「良いから来るんだ! お前も幸せになれるぞ! タラン、アシュトン、ハイネスも来い! 皆も早く!!」
エレヴァンはヒールの顔に困惑する。
最初会った時の薄気味笑い笑顔とは違って、今回は心底楽しそうな顔。
だが、見たこともない顔だったので、警戒心を抱いたのだ。
これは自分の手に負えない……そう察知したのだが。
目の前に黄金の粉が見えた時には、すでに遅かった。
「た、大将……」
エレヴァンの強面が一気にだらしなくなる。
頭に、花畑が浮かんだのだ。
タランたち他の魔物も同じように惚けたような顔となり、やがて皆で手を繋いだり肩を組んで、ぐるぐると回り始めていた。。
「がははははっ!! こりゃいい! なあ、お前らもそう思うだろう?!」
エレヴァンは笑って、両隣になるようにアシュトン、ハイネスの肩を組み、輪に加えた。
「はい、エレヴァン殿!! 最高の気分だ!!」
アシュトンも笑顔でそう応え、エレヴァンと踊るのであった。
ヒールたちが笑うのを見て、他の者たちも洞窟から駆け付ける。
そして同じように、黄金の粉を吸って、その輪に加わるのであった。
そんな時、やっとフーレがバリスを連れてきた。
しかし、フーレは状況がさらに悪化してることに気が付く。
「あっ?! お父さんたちまでおかしくなっている?! バリス様、すぐになんとかしないと!」
「落ち着くのじゃ、フーレ。皆があんな感じになってしまったのは、あの大木が原因であることは明白。行けば、ワシらも仲間入りじゃろう」
「じゃ、じゃあ、どうすれば……」
「ふむ……大木というよりは、マッパ殿の周りから噴き出している黄金の粉が、そうさせておるのかもしれぬのう。シエル殿、十五号殿たちゴーレムを連れてきてくださるかな?」
バリスの声に、スライムのシエルは敬礼するように体を伸ばすと、すぐに洞窟へ向かうのであった。
「ど、どうするの?」
「十五号殿たちは生き物ではない……とは言い切れないが、息を吸っているわけではないのじゃ。彼らならマッパ殿を救出し、あの穴を塞ぐこともできるじゃろう。フーレ、ワシらは塞ぐための蜘蛛糸を持ってくるのじゃ」
「う、うん!」
こうしてバリスは、まだ正気な者たちで救出作戦を開始した。
まず、ミスリルゴーレムである十五号が、埋まったマッパのもとへと向かう。
そして他のゴーレムの肩に乗って、樹皮をはがしてマッパを救出した。
その時マッパは、白目を剥きながら、舌をべろべろとさせていた。
十五号はそれをすぐさま他のゴーレムに預け、蜘蛛糸のクッションでマッパが埋まっていた穴を塞ぐ。
それでもしばらくは、頭が快楽状態になった者たちによる、幸福な舞踏は続いた。
しかし、少しすると、エレヴァンがはっとした顔になった。
エレヴァンは、両隣で楽しそうにするアシュトンとハイネスの顔を見る。
どうしてこんな奴らと……? というか、なんで皆笑ってるんだ?
そんなことを思いながら呆然とするエレヴァンの顔を見て、アシュトンとハイネスもいつもの表情に戻った。
エレヴァンはすぐさま、その場から抜け出す。
「な、なんで俺がお前らなんかと?! 何をしやがった?!」
「い、いえ、我らは何も…… あれ、我らはいったい何を……」
「兄貴……きっと、さっき見えた黄金の粉のせいだ。あれを吸ってから、俺たちの頭はどうにかなっちまっていたみたいだ……」
ハイネスはアシュトンにそう答えた。
その頃、ほとんどの魔物たちは正気に戻る。
~~~~~
俺は周りの魔物たちが踊りをやめたことに気が付く。
しかし、目の前ではリエナがまだ楽しそうに笑って、俺の手を掴んでいた。
俺が突如止まったことに、笑顔のまま首を傾げる。
俺は名残惜しい気持ちをしながらも、いつもの調子でリエナに声を掛ける。
「り、リエナ……」
「はい! なんでしょう、愛しのヒール様! ……あっ」
リエナもいつもの顔に戻る。
そして何かを思い出したように、顔をかあっと真っ赤にした。
「あ、あの、私……! 先程は、大変失礼いたしました!」
リエナが恥ずかしがるのは、俺に告白じみた言葉を掛けたからだろう。
俺も、リエナやエレヴァンに、同じような言葉を掛けてしまったから、気持ちはわかる。
コボルトの赤ちゃんは、俺たちが急に踊るのをやめたのを不思議そうに見ていた。
「い、いや、俺もごめん……恐らく、あの漏れ出していた黄金の粉のせいだろう」
「で、でしょうね……」
リエナがその場でもじもじとしていると、バリスとフーレが口元を白い布で隠しながらやってきた。
マッパを抱えているゴーレムを見るに、バリスが救出作戦を考えてくれたのだろう。
「どうやら、もう大丈夫のようですな……」
バリスは白い布を取り、そう言った。
「バリス、ありがとう……あまりにも不用心だったよ」
これから石にしろ種にしろ、使うときはよく考えるべきだろう。
今回も一応は大きくなるだろうとは思って、埋立地を大きくしといたわけだが……
まさか、ここまでになるとは思いもしなかった。
それに粉については、完全に警戒していなかった。
「いえいえ。誰かが傷ついたわけでもないですし、とにかく良かった。 ……しかし、この木はいったい?」
「世界樹……なんだろうな。太陽石たった一個でここまで成長したんだよ。こんな木、俺は見たことも聞いたこともない」
「我がベルダン族の故郷にも、何万年も生きていると伝わる大木がありました……しかし、ここまで太く大きな木はありませんでしたからな……」
「俺も植物に詳しいわけじゃないが、王国の植物図鑑でこんなのは見たことない。しかも、さっきの黄金の粉みたいなのを吸った時、回復魔法を掛けられた時の比じゃない快感を味わえた……」
俺の足は、自然と塞がれた穴に向かっている気がした。
もう一度、あの粉を吸えたら……
だが、俺はぐっと堪える。
しかし、塞がれた穴は、急速に生えてきた樹皮によって修復されるのであった。
「な、治った?!」
「ふむ……これは、色々と調べてみる必要がありそうですな。粉もですが、葉っぱに幹に……ちょうど、マッパ殿を助ける時に採取した樹皮もありますゆえ」
「そうだな……で、そのマッパは……」
あたりを見渡すと、スライムのシエルの上で寝るマッパがいた。
マッパは上半身を起こして、目をぱちくりとさせる。
どうやら無事であったようだ。
ゴーレムの持っていた世界樹の樹皮を、興味深そうに見つめている。
助けに来て、同じような状態になった者たちも正気に戻ったようだ。
エレヴァンは、アシュトンたちからぷいっと顔を背け、フーレを連れて洞窟に戻っていく。
ともかく、皆無事。
俺はホッと一息ついた。
「良かった…… しかし、粉はなくても、なんとも気持ちがいい場所だ……」
「……ええ。ワシも故郷の森を思い出すような涼しさと匂いです……下がごつごつとしてなければ、日向ぼっこでもしたいぐらいですのう」
「役に立つかどうかは分からないが、良い休憩場所にはなりそうだよな」
見上げると、世界樹の葉が風に揺らめいている。
まさか、こんな島でここまで立派な緑を見られるとは……
この日、灰色の多かったシェオールが、大きく姿を変える日になるのであった。
そしてこの世界樹は俺たちに恩恵をもたらすと同時に、招かれざる客を引き寄せることになるのであった……。