二百六十七話 寂しい懐事情でした!
俺たちは、リシュとともに王都を目指すことにした。
リシュによれば、エルセルドはやはり一年の大半を王都で過ごしているという。つまり王都で会える可能性が高い。
また、エルセルドは、リシュに王宮か王都滞在中に住まいとしている別邸にいることが多いと伝えていたらしい。王都に来た際はぜひお立ち寄りくださいとも。
だから、まずは王都を目指すことにした。もともと父に会いに行くつもりだったので特に問題はない。
具体的にどうエルセルドを調べるかはまた王都で考えるとして……
まずはどうやって王都へ行くか。リシュの手前、マッパ号は使えない。
だが、マッパには考えがあるらしく、俺からいくらか金や銀のインゴットを受け取ると、屋敷から出ていってしまった。足についてはどうにかしてくれるのだろう。
ともかく準備が整い次第、レオドルフを発つことになった。
そんな中、コンコンと扉を叩く音が響く。
リシュが扉に向かって問う。
「誰?」
「リシュ、私だ。殿下にご挨拶をと」
「父上! ヒール、殿下。父上が参られました」
リシュが言うと、部屋の扉が開く。
扉に入ってきたのは、白髪頭の人の良さそうな中年男性だった。
レオードル伯だ。
レオードル伯は俺の近くに来ると、片膝を突いて言った。
「レオードル伯でございます。殿下、ご挨拶が遅れましたこと申し訳ございません」
「いや、こちらこそ忙しいところ押しかけてすまない。それよりも久しいな」
「本当にお久しゅうございますな。お話したのはいつぶりだったか……シェオールのご領主になられたと伺いましたが」
「旅の途中でな。領主として、商売の知識をつけたいと思って各地を巡っていた」
「左様でございましたか。しかし、まさか我が領地に立ち寄ってくださるとは……」
レオードル伯はそう言いながら、リシュに目を向けた。
俺が来たことで、ベッセル家との婚姻の話を進めざるを得なくなる。
リシュによれば、レオードル伯はリシュがどうしても嫌なら断ると言っていたようだが……
リシュは頷いて答える。
「ヒール殿下にはお話ししたよ。お互い、子供時代の話だったということを確認した。あれは婚約とかじゃないって」
俺が送った指輪に視線を落とすリシュ。どこか寂し気な顔だ。
俺がどうこうではなくて、やはりエルセルドとの結婚は乗り気ではないのだろう。
「だから私は……直接、エルセルド様に婚約を受け入れる旨をお伝えしてこようと思う」
レオードル伯は恐る恐る訊ねる。
「本当にいいのか……? あれだけ不安そうにしていたじゃないか」
「心配しないで。ベッセル家と婚姻関係になれば領地にとっても悪い話じゃない。それにとても、断ることなんてできない」
レオードル家とベッセル家では力の差がありすぎる。断ればベッセル家の不興を買う。レオードル家だけでなく領地へ嫌がらせされるかもしれない。
断るのはレオードル伯も難しいと考えているはずだ。
リシュはそんな父をとりあえず安心させるために嘘を吐いたのだろう。
いや……エルセルドたちが潔白なら婚約も受け入れるつもりだ。
レオードル伯は目に涙を浮かべ小さく頷いた。
「すまない……私が、無力なばかりに……」
「私こそ、わがままを言ってごめんなさい父上」
しんみりとした雰囲気。
リシュも内心では、エルセルドを疑いすぎていると思っているのかもしれない。
俺自身エルセルドと話した覚えはないし、陰謀だと決めつけることはできない。
だが、このサンファレスの王族と貴族は皆、向上心豊かだ。国自体、拡大を続けてきた。エルセルドが本当に好意だけでリシュと婚約したのかはやはり疑問が残る。
ともかく、ちゃんと調べるに越したことはないだろう。
そんな中、扉の外から声が響く。
「閣下。失礼いたします」
レオードル伯は涙を拭うと扉へ顔を向ける。
「なんだ?」
「アリュブール商会のアルヴァ様がお越しです」
「そう、か……応接間にお通ししろ」
「はっ」
使用人の声が響くと、レオードル伯は笑顔を俺に向けた。
「失礼いたしました、殿下。お見苦しいところを」
「いや、気にしないでくれ。それよりもアリュブール商会といえば王都の大商会だったな。何か買い物か?」
「いえいえ……お恥ずかしい話ですが、お金が入用になりまして」
商会から借り入れたい、というとこか。
しかし領地は安泰で、レオードル伯たちも質素に暮らしている。
屋敷の調度品は、貴族としてはむしろ質素なほど少ない。毎日、さっきみたいなケーキを食べているわけでもないだろうし、そもそも貴族からすればたいした金額でもないだろう。
これで金が足りなくなるものだろうか?
それはともかく、アリュブール商会から借り入れれば、利息は莫大だ。もし返済が少しでも滞れば、貴族としても領主としても軽蔑されてしまう。
「領地で何かあったのか?」
「殿下にお話しするのは……いや、どのみち我が領地を巡られるのでしたら見られてしまうか」
レオードル伯は観念するように頷いた。
「……数年前より、王都との街道の近くにある山に賊が住み着きましてな。彼らは近隣の村や街道を行き来する商隊を襲うようになったのです。幾度も私自ら討伐に向かったのですが、山には帝国時代の要塞があり、しかも賊は思いのほか装備が良く……いまだに討伐できずじまいです」
「そう、だったか。それで交易や領民の暮らしに影響が?」
「そうならぬよう、衛兵を増強し続け、街道や村の警備に回しております。ですので、今のところは空き巣やスリ程度に抑えられています。それだけでなく、私や娘も領内で直接、賊の討伐にあたっているのですが……」
だからレオードル領は一見平穏に見える、というわけか。
しかし兵を動員し続けるレオードル家の懐事情は決して良くないはずだ。だから金を借りようとしていたわけだ。
そこにこの縁談……レオードル伯にとっては渡りに船だっただろうな。
ともかく、そういう事情なら見過ごせない。レオードル伯は少なくとも、領民思いの領主だ。
俺はポケットの中に手を入れると、インベントリから出した金塊を三つほど取り出した。それをテーブルに置いて言う。
「レオードル伯、これを。アリュブール商会から借りるのはやめておけ。あそこの利息は高い」
レオードル伯とリシュは目を見開いている。
「っ!? そ、そんなものを受け取るわけにはいきません!!」
「そ、そうだよ! こんな大金……」
俺は首を横に振る。
「早まらないでくれ。貸すだけだ。ただ、返せるときに返してくれればいい。こんな俺でも、サンファレスの王子……王国民の税で生きてきた人間だ。見てみぬふりはできない」
「で、殿下……」
「ヒール……」
レオードル伯は涙を流しながら首を横に振る。
大げさにも思えるが、そのまま頭を下げた。
「殿下……とても受け取れません。私は……娘が物心ついてからは、殿下には近づかせないようにしてきたのです。娘が殿下と話したいと言っていても」
しばらくリシュと会えなかったのはそういうことか。
まだ恋愛など知らない幼少時なら会うことを許容してきたのだろう。しかし多感な時期になって無能な紋章を持つ王子と恋に落ちてしまったら……
父親としては何も間違っていない。
だが、自分は軽んじるようなことをしてきたのにと、良心が咎めているのだろう。
むしろ感心した。レオードル伯は正直な人だ……
「レオードル伯。先も言ったが、俺は王子としてこの地の領民が困るのを見たくないだけだ。あなたは領民のため最善を尽くそうとしている。だから、この金を貸すんだ。領民のために役立ててくれ」
俺が言うと、レオードル伯は少しの沈黙の後、深く頭を下げた。
「……殿下のお心遣いに深く感謝いたします。必ずや、このお金を領民のために役立てます。そしていつか必ずやこのお金もご恩もお返しいたします」
「ああ。そうしてくれ」
レオードル伯は首を縦に振る。
「ははっ。では殿下、私はこれにて失礼いたします。商人に会ってまいります」
「ああ。だが、レオードル伯。俺とその金塊のことは内緒だ」
俺の言葉にレオードル伯は一瞬思案するような顔をした。しかしすぐに頷く。
「……はっ。かしこまりました。殿下は我がレオードル領の恩人。どうぞごゆるりとお過ごしください」
そうしてレオードル伯は外へと向かった。
レオードル伯は俺がお忍びで旅をしているから目立ちたくない、と察したのかもしれない。
だが俺の懸念はそれだけじゃない。アリュブール商会がベッセル伯やエルセルドと繋がっていないとも限らない。やり手の商人ほど王宮によく出入りしているし顔が広いものだ。
それにその山賊も怪しい。装備が何故かよく、空き巣とスリで生きていけている。正直妙だ。
ベッセル家と関わっている賊かは分からないが、何者かの支援があってもおかしくない。
……いや、もちろん疑いすぎなのは分かっている。だが俺は本来、非常に疑い深い人間なんだ。
ただ、一応賊についても調べたいところだ。
そんな中リシュが俺の足元に来て頭を下げた。
「ヒール……ごめん」
「何が?」
「お金のことだけじゃない、父上が会わないよう言っていたこと……私も、父上の言う通りにして、ヒールを避けていた」
「王族や貴族なんてそんなものだ。婚約を結びたい家の子と仲良くさせる。そうでなければ遊ばせない。リシュは何も悪くないよ。お互い、過去のことは水に流そう」
そもそも避けられていただけで、弟のオレンからされたように罵倒されていたわけでもない。何も恨めしくなんてない。
「それよりもリシュ。賊のいる山を教えてくれるか? 王都に行く途中で少し見ておきたい」
「そ、それはいいけど。何故?」
「なんというか……少し気になるんだ。そこまで言えば分かるだろう?」
「え……賊が住み着いたことすら、陰謀の内だったってこと? さすがにそれは」
「ああ。さすがに勘繰りすぎだ。だがまあ、賊は賊。追い払えるに越したことはない」
「ヒール……」
リシュは少し驚くような顔で言った。
気が付くと、ずっと口を閉じていたフーレも感心したな顔をしている。
「ヒール様、なんというか……やっぱり変わったなあ」
リエナもこくこくと頷き、唸るように言う。
「ええ。とても頼りになりそうというか……あ、いや、お会いした時からそうでしたが!!」
「そう……」
リエナとフーレの目に、俺はいったいどう映っていたのだろうか?
そう言えば、今回シェオールを出るときも、リエナたちは同じようなことを言っていたな。十五号も言っていたか。前と変わったと。
大人っぽくなったと思われているなら、まんざらでもないけど……
ただ俺からすれば、変わったというより、以前の俺に戻ってきた感じがしている。かつての俺はやはり疑い深かった。
これから行く王都は、色々な陰謀が蠢いている場所だから猶更だ。
まあ、俺は無能として名高い。巻き込まれることはまずないだろう。王族や貴族のごたごたに首を突っ込むつもりもない。
今回の王国訪問には目的がある。父に俺が予言の日について見聞きしたこと、周辺国との争いを控えるよう進言したいだけだ。
リシュの件は、昔の誼でなんとかしたいというのが大きい。
それに実を言えば俺にも下心がある……
別にリシュたちを取って食おうというわけじゃない。
ただ、もともと王国内に拠点が欲しかった。レオードル領は、俺たちが使った北の転移門にもっとも近い人里。拠点を構えるのに絶好の場所だ。
この件が終われば、レオードル領にシェオールの拠点を構えることができるかもしれない。
「……ともかく、できる限りのことはするつもりだ。エルセルドについても。だからリシュ、安心してくれ」
「ありがとう、ヒール……」
リシュは再び深く頭を下げた。
そんな中、俺は外が騒がしいことに気が付く。
「うん、なんだろう?」
「屋敷の外からだ。見てみようか」
リシュはそう言って部屋の窓から、広場のほうを眺めた。
広場には、六頭の白馬に牽かれた立派な馬車が走っていた。人が乗る客車は壮麗な金銀の装飾が施されており、非常に豪華な装いだ。
その派手な馬車はやがて屋敷の前で止まる。
フーレが言う。
「ま、まさか例のエルセルドが……」
「また会いにきたのでしょうか?」
リエナが言うと、リシュは首を横に振る。
「い、いや、あれほど立派な馬車ではなかった……ヒールたちの馬車じゃないのか?」
あんな馬車は知らない……だが、誰の馬車かは分かる。御者は鎧を着たマッパだ。
マッパは俺たちに手を振る。
さっそく馬車を仕立ててくれたようだ。
広場には多くの人が集まり、あまりに華美な馬車を見てざわついている。
相変わらず仕事が早いな……レオドルフの街を見て、人間は馬車を使うのだと察したのだろう。
さすがの観察眼。しかしセンスがやはり独特だ。しかもあれでは相当目立つ。
アリュブール商会にも見られているはず……変な噂が王都に広がらないといいが。
だが現れた以上、もはや作り直しは効かない。
「俺が頼んだ馬車だ……」
俺はリシュにそう答えるのであった。