二百六十五話 幼馴染の悩みでした!!
俺はテーブルに置かれた頼んでもいないケーキを切り分けていく。
それから一切れずつ皿にとりわけ、皆へと配っていった。
リシュは頭を下げる。
「あ、ありがとう、ヒール。私がやったのに」
お前に任せたらぐちゃぐちゃになる、と言いかけたが言わないでおく。
「……気にするな。ところで、よく俺のことが分かったな」
「え? それは分かるよ……だってヒール、全然変わらないんだもん!」
リシュは嬉しそうに答えた。
子供の時とあまり変わらないと言われているようで少し複雑だが、ここは素直に俺のことを覚えてくれていたと喜んでおこう。
「そうか。覚えていてくれたんだな」
「ヒールは知らないかもしれないけど、ずっと宮廷に行ったときはヒールのことを遠くから見ていたからね……あっ、いや、話しかけたかったんだけど、なんというか……」
「話しかけづらかったんだろう……まあ、うん」
ずっと【洞窟王】のことで引け目を感じていた。俺が他人だったら、たしかに俺には話しかけにくい雰囲気だっただろう。
リエナが言う。
「リシュ様はヒール様とお知り合いだったのですね」
「う、うん。えっと」
リシュが回答に詰まるのを見て、リエナが何かに気が付くような顔をする。
「あっ。申し遅れました。私はリエナです」
「私はフーレ。このおっさんはマッパ。皆、ヒール様の従者だよ」
フーレがそう自己紹介した。
「そうだったんだ……こんな綺麗な人たち、どこの令嬢だろうって驚いたけど」
「皆、従者というよりは俺の友人だ。だから緊張しなくても大丈夫だよ、リシュ」
リシュはこくりと頷く。
「あ、ありがとう。あ、私も自己紹介まだだったね。私はリシュ。この地を治めるレオードル伯爵の娘で……えっと、ヒールとは昔、王宮でよく遊んだんだ」
「なるほど。実はここに来る前、ヒール様がリシュ様のお話をされていて」
「ほ、本当!?」
リシュは嬉しそうに顔を綻ばせる。
「あ、ああ。レオードル家といえば、リシュがいたなって」
「そ、そうなんだ。じゃあ、私に会いにきてくれたんだね」
そんなつもりはなかったが……
否定することもないだろう。
「それは……会えたらいいなと思っていたよ」
「わ、私も」
そう言うとリシュは真剣な表情でじっと俺のことを見つめてくる。
抜けてはいるが、顔だけ見れば絶世の美女。俺もドキッとしてしまった。
フーレはニヤニヤと笑う。
「ヒール様も隅に置けないねえ」
「もともと魅力的ですから仕方ありませんが、少し驚きです」
リエナは横目でこちらを見ながら言った。
「ま、待て二人とも。リシュとは本当に友達だっただけだ。そうだろう、リシュ?」
「え、あ、う、うん。友達!」
リシュは慌てて答える。これではまるでただの友人ではないと言っているようなものだ。
とはいえ、リシュとは本当にただの遊び相手でしかなかったのだが……
リシュは少し真面目な顔をすると、俺をじっと見る。
「……心配したんだよ。聞いたこともない南の島の領主にさせられたって聞いたから」
「そうだったのか。まあ、島のほうは上手くやっているよ」
まさか北からやってきたとも言えない。
リシュはふうと息を吐いた。
「本当に無事でよかったよ。実を言えば、その南の島に行こうと計画してたんだ。それがまさか、ヒールから会いに来てくれるなんて」
そのリシュの言葉に俺は素直に嬉しいとは答えられなかった。
リシュとは七、八年近く話してこなかった。ずっと俺に片思いしていた……なんてことはまずないだろう。
社交辞令にしても少し過剰な気がする。
俺はリシュの反応に耐え兼ねなくなった。
「リシュ……心配してくれるのは嬉しいんだけど、正直俺たちずいぶんと会ってなかったよな」
「え? あ……ご、ごめん! 馴れ馴れしかったよね!」
リシュはそう言うと慌てて姿勢を正した。
そして寂しそうに自分の手に視線を落とす。
その指には木で作られた指輪のようなものが嵌められていた。年頃の女性が身に着けるには粗削りな指輪。職人が作ったにしては武骨すぎた。
リエナがそれに気が付いたのか笑顔で訊ねる。
「それ、とても素敵な指輪ですね」
「あ、そ、そうでしょ」
リシュはそう言うとこちらを窺うように俯いたまま視線を向けてきた。
……なんとなくだが、あの指輪について思い出してきた。
フーレが察したように言う。
「それ、もしかして……ヒール様に作ってもらったの?」
「っ! そ、そうだけど、ヒールも子供の時に作ってくれたやつだし、こんなもの覚えてないだろうし、ご、ごめん!」
リシュはそう言って指輪を隠した。
たしかにあの指輪を作った記憶がある。
リシュが欲しいというので作ったのだ。
それからリシュがこれでヒールのお嫁さんだとか言って……
まさかリシュはその時の約束を覚えていたのだろうか。
フーレとリエナがこちらをじっと見てくる。
「ヒール様、何か約束したなら守らないと駄目だよ」
「ですね。私たちの取り決めもありますが、約束は約束です」
迫るように言う二人。
子供の時の言葉とはいえ、確かに約束は約束だ。もしリシュがそれをずっと守ろうとしていたなら、尚更俺も守らなければならない。
だが、リシュが慌てて言う。
「き、気にしないで! ただ、ヒールが覚えていたら悪いから……私、断らないといけないなって!」
「え? 断る?」
俺が訊ねるとリシュが頷く。
「う、うん。父上が進めている縁談があって。だからヒールにはちゃんと約束のことを謝っておかないとって思って」
「そっちか……いや、それにしても律儀すぎるような」
フーレは驚く様に言うと俺の肩を何故かぽんと叩いた。
リシュは俺に頭を下げる。
「ご、ごめん! だからヒール。あの約束を破るようで悪いけど」
「そ、そうだったのか。い、いや、俺のことは気にしないでくれ。俺も覚えていたわけじゃ」
気を遣わせないように言ったつもりだが、リシュは何故か悲しそうな顔で頷く。
リエナがそれを見て複雑そうな顔をする。
「お家のことに口出しするのもどうかと思いますが……リシュさんは、その縁談を望まれているのですか?」
「それは……お父上が決めたことには従わないと。だから……」
リシュは自分に言い聞かせるように言った。
リシュは何かおかしいことを言っているわけではない。この国の中流以上の家庭は、親が婚姻相手を決めるのが常だ。
自分で婚姻相手を決められるのは、ごく一部の者だけ。しかも相手と両想いなんてまずありえない。
フーレがケーキを食べながら呟く。
「こういうところ、人間って大変だよね……ああいや、貴族の人たちって大変だなって」
「私たちのような者がこれ以上何かを言えるわけではないですが……」
リエナは悲しそうな顔をするとこちらに目を向けた。
嫌な相手との婚姻が進んでいる……男の俺でも嫌な話だ。
「リシュ……相手とは会ったのか?」
「う、うん。先週、このレオドルフの城に来てね。でも、ヒールに断るまでは返事を待ってほしいって」
相手のことを言いたがらない。なんとなくだが、リシュは相手を好いていないことが窺えた。
俺の名を出したのも、俺との約束のためというよりは、その男と縁談を進めたくなかったのかもしれない。
リエナが言う。
「ですが、ヒール様とはこうして会われました。となると、その縁談は」
リシュはこくりと頷く。
「進めてもらわないとね。父上には正直に言わないと」
その言葉を聞いて俺は何も言えなかった。
リシュもレオードル家のことを考え、縁談を受けようとしている。
家の者でもない俺がとやかく言うのは……
しかしリシュの顔は悲しそうだった。
縁談相手がよっぽど嫌なのかもしれない。
昔よく遊んだ友人としては、リシュには幸せになってもらいたい。
昔の俺なら何もできないが、今は金銭的にも余裕がある。何か助けになれるかもしれない。
「リシュ……もし望まない縁談なら言ってくれ。レオードル伯に考え直すよう俺からも頼んでみる」
「ひ、ヒールが?」
「たいした力があるわけじゃないが……お金で解決できることなら助けられるかもしれない」
「でも、ヒールは無関係なのに……」
リシュが言うとフーレが言う。
「ヒール様は困っている人を見捨てておけなくてさ」
「昔の友人なら尚更捨て置けませんよ」
リエナもそう答えた。
「まあ、そんなところだ……というより、さっきからそんな顔されたんじゃ、放っておけるわけないだろう。しかも俺がここに来なければ、リシュは縁談を引き延ばせてたんだし」
「ヒール……あ、ありがとう」
リシュは目を潤ませると頭を下げた。
カドコミとニコニコ漫画で出店宇生先生が描く本作コミカライズ34話②が更新されてます!