二百六十三話 懐かしい景色でした?
黒い瘴気が閉じ込められた湖を後にして一日。
俺たちはマッパ号で朝を迎えていた。
椅子を広げて組み立てられたベッドで寝たが熟睡できた。シェオールで寝るのと変わらない寝心地だったと言っていい。
十五号たちは俺たちが目覚めるや否や、組み立て式のテーブルの上に朝食を用意してくれた。
焼きなおしたパンを頬張り、優雅に世界樹の葉の茶を飲む。揺れがないので茶が零れることもない。
こうして優雅に食事もできてぐっすり眠れる──最高の朝だ。
……考えれば考えるほど、最初からマッパ号でよかったんじゃないかな。
俺たちの睡眠中には、シェオールから魔動鎧に乗ったドールがやってきて十五号にバリスからの報告を伝えたらしい。
特に問題もなく皆平和にやっているとのことだ。
一方の十五号は黒い瘴気を閉じ込めた湖のことをシェオールに伝えてくれた。
朝食を食べ終えると、フーレが窓から外を見て言う。
「ん? お、なんだかだいぶ緑が増えてきたね!!」
森や山に雪の積もっていない箇所が多くなってきた。
そろそろ長かった雪原を抜けられるかもしれない。
俺たちは周囲の景色に目を凝らしながら進む。
やがてマッパ号が速度を落としていった。
マッパはこちらに顔を向けると、すぐに窓の外のある方向を指さした。
「煙が立っているな」
森の各所から煙が立っている。
窯の火だ。
つまりここから南は生物が暮らしていける領域と見て良い。
リエナは森に目を凝らして言う。
「ここがバーレオンなら、火を焚いているのは人間でしょうか? 私たちゴブリンのような魔物の可能性もあるが」
「少し様子を見てみよう。マッパ、近づけるか?」
俺の言葉にマッパは頷き、マッパ号を煙のほうへと進ませる。
マッパ号には姿を隠す機能が付いているが、風魔法の風などまでは隠せない。
あまり近づきすぎれば、木々が大きく揺れたり雪が舞ってしまう。
だからかマッパもゆっくり慎重にマッパ号を操船してくれた。
「……お、家っぽいのが見えてきた」
フーレの言う通りに森に家が見えてきた。
一軒だけでなく、周囲に数軒同じような木造の家が見える。
村というよりは集落という規模だ。
その集落の中央では──人間の子供たちが遊んでいた。
近くでは薪を運ぶ大人の姿なども見える。
「コートやブーツを着ているが、サンファレスでも見るスタイルだ……あっ、家の玄関に森の精霊を象った像があるな。サンファレスの神殿ならどこでも祀ってある」
「となると、ここは」
俺は頷いて言う。
「サンファレスか少なくともその隣国の可能性が高い。今まで通ってきた山脈はヘルティア山脈で間違いないだろう。つまり……ここはバーレオン大陸だ」
「狙いどおりじゃん! やったね!」
フーレはそう言ってマッパと手を合わせた。
「ここはまだ人が少ないが、南に行けば大きな村や町があるはずだ。そういう場所には、領主や国の旗が立っている。サンファレスかどうかも判明するだろう」
「ではもっと南に向かう、ということでよろしいですね?」
「ああ。マッパ、出発しよう」
マッパはこくりと頷き、再び船を南に進ませた。
雪に覆われた森と山だけだった景色が、次第に青々とした光景に変わってきた。
森の木々は低くなり、放牧地や畑が見えてくる。
集落の数も増え、街道も確認できると、やがてひときわ高い尖塔が目に飛び込んできた。
塔の下には高い城壁に囲まれた街が広がっている。
五千人は住んでいそうな大きな街……領主のいる街かもしれない。
城壁に旗が立っているのが見えた。
目を凝らし、旗の紋を見てみる。
「白地に剣を咥えた黄金の獅子……レオードル伯爵家の家紋か。あの街は、領主の館があるレオドルフだろうな。レオードル伯爵領はサンファレス最北方にあるから、ここはサンファレス王国で確定だ」
久々の母国……といってもレオードル領に足を踏み入れたことは一度もなかった。懐かしい景色というよりは、新鮮な気分だ
俺はシェオールに来るまでの人生のほとんどを王都で過ごしてきた。
フーレが口を開く。
「やっぱりサンファレスかあ。なつかしいなあ。でも、あの街は見たことないな……立ち寄ってみる?」
「ヒール様はサンファレスの王子。急に行って街の方に見つかれば騒ぎにならないでしょうか?」
その言葉に俺は少し笑ってしまった。
「兄上や姉上たち、オレンとかなら有名だけど、俺の顔なんて国民は誰も知らないよ。この街で俺を知っているのは、宮廷によく出入りしているレオードル伯とその家族ぐらいじゃないかな。いや、彼らもきっと俺のことなんて……」
「ヒール様! なんか暗いよ!」
フーレの言葉に俺は我に返る。
「す、すまない。ただ、色々あったなって思い出して。そういやレオードル家といえば……伯爵の子供とはよく遊んだ」
「ヒール様にお友達がおられたのですか? あ、いや、決して悪い意味ではなく!」
リエナは慌てて言う。
「悪い意味じゃないことは分かっているから大丈夫だ。まあ……そもそも友達とは言えないんだが」
「も、申し訳ございません!」
リエナはすぐに俺に謝った。
なんというか俺は暗い顔をしてしまっているようだ。
すぐに笑って返す。
「気にしないでくれ。ただ、その子供とは幼少期に遊んだだけだ。リシュという名前だったかな。まだ紋章の意味もよく分からなかったぐらい子供のときによく遊んだよ」
「そうでしたか。では、ヒール様と遊んだのを覚えておいでなのでは?」
「どうかな……だが、リシュの紋章は【聖騎士】だった。強力な回復魔法が使えたり剣技に長ける紋章だから、領地じゃなくて王国軍で働いていてもおかしくない」
俺は首を横に振る。
「まあ、本当に今は何の関係もないと言っていい。それはそれとして……せっかくだしレオドルフに立ち寄ってみようか。サンファレスの最近の状況が少し分かるかも」
とはいえ、そんなに有益な情報が得られるかと言えば不明だ。
サンファレスは国境での衝突や貴族間同士の争いが絶えない。今もそれは変わっていないだろう。
情報と言ってもそんな戦いの話ぐらいかもしれない。
「……何も情報が得られなくても、帰りに土地の物を何か食べたり土産でも買おうか」
「お、賛成! お父さん、北方人が使う斧大好きだったんだよね!」
「この地域の料理や衣服をシェオールに取り入れられるかもしれません」
俺はフーレとリエナに頷く。
「ああ。急ぐ旅でもない。観光気分で立ち寄ろう」
そうして俺たちはサンファレスの街、レオドルフに向かうことにした。
深い森林の上へと向かい、森の魔力を探る。
そうして人間や魔物の姿がないことを確認し、その森へと着陸した。
準備を整える中、フーレがマッパに言う。
「マッパ。着いてきてもいいけど、服は着なよ?」
その言葉にマッパは難しそうな顔で悩みだした。
服を着てまでレオドルフに行くべきか……マッパにとっては上半身裸が正装なのだ。
「……小さい魔道鎧とか用意してくればよかったんじゃないか。中に入れば人間に見えるような」
俺がそう言うと、マッパは意表を突かれたような顔をした。
「魔動鎧ならいいんだな……」
今回は用意していないから諦めると思いきや、マッパはすぐに金槌を取り出しミスリルの板を叩いていった。マッパ号には小さな炉もあって金属を熱することができるらしい。
マッパは他の材料も使い、あっという間に全身を覆う重厚な魔動鎧を作ってみせた。
そしてその中にすっぽりと入ると、顔が見えないバイザー付きの兜を被り親指を上に拳を突き出す。
「行くんだな……まあ護衛と言えば大丈夫だろう」
俺はマッパ号の扉を開き十五号に言う。
「それじゃあ行ってくる。十五号、留守は任せた」
「はっ。お気をつけていってらっしゃいませ」
十五号が見送る中、俺たちはレオドルフへと歩きで向かうのだった。