二百二十話 ベーダーの街に潜入しました!
見渡す限りの平野を俺たちは歩いていく。
風に揺れる草原は海、点在する集落は小島──シェオールの風景に重ね合わせしまうのは、もう望郷の念に駆られているからかもしれない。潮風が妙に恋しい。
だが、まだ引き返すわけにはいかない。
丘を上ると、ようやく大きな街が見えてきた。
無骨な城壁に囲まれ無数の尖塔が立つ大都市。
俺たちの前を進む獣の耳を生やした灰色髪の少女──シアは振り返って言った。
「あれがラングス。ラング州の総督がいる街」
つまりは行政施設が集まっているのだろう。商売も盛んなはずだ。
リエナは都市を見渡して言う。
「そこそこ大きな街ですね。これなら、色々と情報も得られそうです」
「街から出入りしているのもベーダ人よりも他の種族が多そうだから、私たちも大丈夫そう」
フーレがそう呟くと、シアが訊ねる。
「値段の情報? まあ、人間が来ても特別変な目では見られないよ。だけど……」
シアは何か言いかけるが、結局何も言わなかった。
フーレは何を言わんとしているのか理解したのか、こう続ける。
「ベーダー人以外は、大体同じふうに見られるってことね」
「大丈夫ですよ。そんなことを気にする私たちじゃないですから」
リエナたちは幾度となく人間の都市を訪れていた。嫌な目で見られるのは慣れているのだろう。
一方の俺も、王宮では馬鹿にされ続けてきた。遊びできているわけじゃないし、情報収集のためなら辛くない。
リエナが言う。
「それでは、早速いきましょうか」
「あ、待って……」
呼び止めるシアに振り返ると、シアはなんだか申し訳なさそうな顔をしていた。
フーレはそれを見て言う。
「やっぱ、通行料のこと?」
「え、あ……」
ラングスに入るためには通行料が必要のようだ。
別に珍しいことではない。それがどうしたと言いたいが、シアは今までそれを黙っていた。つまり。
「ちゃっかり、通行料払ってもらおうとか考えてたんでしょ?」
フーレが言うと、シアは慌てるような顔をする。
案内して通行料を俺たちから出させるつもりだったか。
案内の礼もある。そんなことは気にしない。そもそも俺たちはシェオールの地下で金品はたんまり……
しかし、シアは深く頭を下げた。
「ご、ごめん!」
「いやいや、通行料ぐらい用意している。気にしないでくれ」
そう答えるが、シアは尚も申し訳なさそうな顔だ。
だが、シアも生活が苦しいはずだ。この周辺にいるベーダー人以外の者たちは、無理やりこの地に連れてこられたのだから。
フーレはシアに手を差し伸べると、俺の気持ちを代弁してくれる。
「さっ。あんたも薪売りたいんでしょ? 気にしないで行きましょ」
「でも……さっきも助けてくれたし、今だって薪を運んでくれた……通行料はこれを」
シアは腰に提げていた麻袋を俺たちに手渡そうとした。
俺は首を横に振って答える。
「なら、シア。薪を売り終わったら、ラングスの中も案内してくれないか? 宿とか食事する場所とか俺たちには分からない。君なら、安く泊まれたり食べられる場所を知っているだろう?」
「そんなんでいいの?」
「そうしてくれたら俺たちも助かる」
そう言うと、シアはこくりと頷いた。
「分かった……ありがとう」
頭を下げるシア。
素直な子だ。
そうして俺たちはラングスへと向かった。
城門に近づくと、都市に入る者の行列が見えた。検問を受けているのだろう。
行列はせいぜい十数人程度。城門を守るベーダー兵も通行料を徴収したら、すぐに通しているようだった。
俺たちも行列の最後尾に並び、順番を待つ。
やがて俺たちの順番が来る。
ベーダー兵たちは、俺たちの衣服や荷物を調べ始めた。
「……うん、人間か?」
人間はやはり警戒されている……そう考えたが、彼らの態度を見ると違ったようだ。
「アモリス人か。こりゃ、帰りはどうなるか」
「せいぜい身包み剥がされないよう気をつけるんだな」
俺たちの荷物を調べながらニヤニヤと笑うベーダー兵たち。
治安が悪く、アモリス人は狙われやすいということだろうか。
彼らの真意は分からなかったが、検問自体はあっさりと済んだ。ヘルワームの素材などは少し驚いていたが、武器の類はなく彼らも危険はないと判断したのだろう。
マッパが事前に作ってくれた無印の銅貨を数枚渡すだけで、ラングスに入ることに成功する。
リエナが俺の隣で小声で言う。
「うまく入れましたね」
「ああ……だが」
大通りを見渡す。
人は多く活気はあるが、粗末な服や痩せこけた者が多い。大体が、近くの農村から物を売りにきた者たちのようだ。
一方で通りを行くベーダー人たちは、サンファレスの貴族も真っ青になるような煌びやかな衣服と装身具を身につけている。
シェオールもラングスのように多種族が暮らす街だ。しかし、このような種族の格差はない。
「おい! 早く運ばねえと、金はやらんぞ!」
バシンと鞭の打ち付ける音が響く。
音のほうを見ると、シアのように獣の耳を生やした男が、ベーダー人によって鞭で叩かれていた。男の背には、体よりも大きな丸太が背負われているにもかかわらずだ。
見るに耐えない光景だが、騒ぎを起こすわけにはいかない。俺たちの目的は情報収集。
それでも俺の手は、男のほうに向かっていた。男の丸太が軽くなるように、下から魔法で風を送る。同時に回復魔法で彼の体を癒す。少しはマシになるだろう。実際、男の表情がだいぶ楽そうになった。
シアはしばらく黙って男のほうを見ていると、俺たちにこう告げる。
「広場はこの奥。あそこの役人に銅貨一枚を渡せば商いの許可証がもらえるわ」
シアの案内に従い、銅貨を払って広場の一角の屋台を借りる。
倒したヘルワームを中心に魔物の素材を並べれば、準備は完了だ。シアもまた、少し離れた屋台で薪を並べた。早速薪を求めに、ベーダー人でない者が集まっているようだ。
一方の俺たちの屋台は、皆珍しそうに見ていくが誰も買わない。特に値段も付けてないが、とても買えるものではないと思っているのだろう。
商売が目的できたわけじゃないが、なんとも寂しい。
そんな中、フーレが言う。
「ヒール様。ここは私が見ておくから、姫と二人で気になるところ調べてきたら?」
「でも、それじゃあフーレが一人に」
「私は大丈夫。知らない場所で商売なんて、何度もやってるし」
「しかし万が一……」
そう言うとフーレはおかしそうに笑う。
「はは。ヒール様、心配しすぎだよ。うちのお父さんじゃないんだから。これじゃ調査にならないでしょ?」
「ご、ごめん」
確かにフーレの言うように心配しすぎか。フーレは俺よりもこういう場所に慣れているだろうし、強力な魔法も使える。
とはいえ、やはり万が一ということもある。ある程度調べたら、すぐに戻ってこよう。
「分かった……なら、俺とリエナは周囲を調べてくる。ミスリルの武具についてや、ベーダーの最近の関心も調べたい」
「うん! 私もここで耳を立ててるよ。それじゃ、姫と二人っきりで行ってらっしゃい」
ニヤリと笑うフーレ。
俺とリエナが二人っきりになったところで何があるわけでもないのに……
ともかく、俺たちはラングスで情報収集を始めることにした。