二百十話 森の民でした!?
突如響き渡った甲高い音。
マッパが引っこ抜いたカブが発せられたその声に、俺は咄嗟にシールドを展開しようとする。
だがバリスのほうが反応が早かった。
俺たちの周囲と、マッパの顔に水魔法を放ち、音を軽減してくれた。
一方の白いカブ──よく見ると丸々とした体に手足の生えたそれは、一目散に逃げていく。
「待ってくれ! 俺たちは争うつもりは──っ!?」
俺たちの周囲にいくつもの光の柱が現われる。
同時に地面からは木の根や草花が伸び、壁のようなものを作りだした。
先ほどのカブが立ち止まりこちらに振り返る頃には、たくさんのカブ……だけでなく耳の長い人間や樹の巨人が俺たちを囲んでいた。
今の今まで、魔力の反応を感じられなかった。彼らは木々や森に潜んでいたのだろう。よくマッパは気が付けたな……
やがて一人の耳の長い褐色肌の女性──木の葉の服を纏った灰色の髪の女性がこちらに弓を構える。
「手を挙げなさい! ベーダーの手の者ですか!?」
所有していた翻訳石のおかげか、女性が何を喋っているのか理解できた。
「いや、俺たちはシェオールという島の者たちだ」
「……シェオール?」
耳長の女性は不思議そうな顔をして、そう復唱した。
どこか分からないということだろうか?
しかしすぐにこう問いただしてきた。
「この近くに海などありません! ここは山々に囲まれたファリオン大陸の中央なのです!」
ファリオン大陸。
俺の故国サンファレス王国があるバーレオン大陸、そのはるか東に浮かぶ大陸だ。
龍人が治めるというベーダー龍王国はファリオン大陸の中央にあるとのことだった。となれば、ここは間違いなくファリオン大陸であり、先程現れたリンドブルムたちはベーダー人たちに違いない。
しかし彼らは、ベーダー人ではなさそうだ。ベーダーの手の者かと問うてくるということは、ベーダーと良好な関係にないことが窺える。
俺はこう答える。
「ベーダー人は耳が水かきのような形をしていたと思う。俺たちの中に、そんなやつはいるか?」
そんな者はいない。
だが彼らは警戒を解こうとはしなかった。
よく見ると皆……俺の隣に立つバリスに照準を向けている。
バリスはそれに気が付いたのか、少し寂しそうに言う。
「ううむ……ワシは留守番していたほうがよかったかもしれませんな」
しょんぼりと呟くバリスの足をマッパがポンと叩く。
皆、バリスを怖がっているようだ。
まあ、筋骨隆々の体に、大きな翼……ドラゴンと近い部分はあるかも。それ以上に威圧感がすごい。彼らが一番警戒するのも頷ける。
そんな中、リエナが採集品の入った籠を下ろして言う。
「勝手に森に入ったこと、そして草花を取ったことお詫びします。あなた方の住処だと知らず、足を踏み入れてしまったのです。望むならすぐに出ていきます」
リエナたちベルダン族は、シェオールに来る前はバーレオン中の森や山を移動していたという。
こういう時、このように対応するのがいいと考えたのだろう。
女性と周囲の者たちは、小声でひそひそと話し始める。
たしかにベーダー人ではなさそうだとか、珍しいコボルトがいるとか聞こえてくる。あんなマッパのおっさんが見栄っ張りの多いベーダーで暮らしていけるか……という声も。どうやら対応に苦慮しているようだ。
こちらも対応を考えなければいけないな。
だがその前に、彼らは一体何者だ?
最初の叫んだカブ……あれはマンドラゴラという魔物の一種かもしれない。
そして樹の巨人はかつてバーレオンに暮らしていたとされる、伝説の魔物トレントに見える。
耳長の者は……人間に似ているが、龍人ではなさそうだ。皆、手足が長く端正な顔立ちをしている。人間離れした美しさだ。古代に生きていたとされるエルフの一種か?
その他にも、自走する巨大な花や、緑色のスライムの姿もあった。
多様な種族……この森で共に暮らしているのだろうか。
やがて女性がこう訊ねてきた。
「……南の山から下りてきましたね? ここは山脈と樹海に囲まれ、近くの人里まで歩いて一週間以上もかかる場所。先程空を飛んでいたベーダーの龍人たちに運ばれてきたのですか?」
流刑されたか、あるいは調査のため送り込まれたかと踏んでいるのだろう。
彼らはベーダーと良好な関係になく、この森で外部の者を警戒している……ここで俺たちが本当のことを話しても、ベーダーに漏れたりすることはないか。
俺は正直に答えることにした。
「俺たちは、あの山頂にある魔法の門をくぐって、さっきも言ったシェオールという島からやってきたんだ」
その言葉に周囲は再びざわつき始める。
女性は静かにと周囲へ告げると、こう訊ねてきた。
「そのシェオールは……どこにあるのです?」
「ここがファリオン大陸なら、はるか南西の海に浮かぶ孤島だ。その島にある門を使い、南の山の門へと出てきた」
それを聞いた女性は沈黙してしまう。
他の者たちもざわざわと周囲の者と話し始める。
「ほ、本当にシェオールへの入り口があるのか?」
「やっぱり、ご先祖様の言い伝えは間違っていなかったんだ」
「待て、どこの者かもわからない奴の言葉を信じるな!」
「そうだ。ベーダーの者が俺たちを一網打尽にしようとしているのかもしれない」
彼らはシェオールを知っている?
もしかして、彼らも何か予言を?
女性はしばらく考えた後、こう続けた。
「……その入り口の場所をあなた方は知っているのですか?」
「もちろん」
「本当ですか? 世界の終焉にあっても草花の楽園として存在し続ける、シェオールを?」
その言葉に俺とリエナは顔を見合わせる。
世界が終焉を迎えても、シェオールは生き残る。俺の父も口にしていた予言だ。
彼女たちも同じような予言を知っている?
ただし、一点異なる部分がある。
「残念ながら……シェオールに世界樹は生えているが、草花の楽園とはまだ……」
「世界樹!? 世界樹……世界樹と言いましたか!?」
女性は大声で繰り返した。
周囲の者たちも、なんだとと声を上げる。
俺はそんな彼らに言う。
「あ、ああ。まだ小さい……らしいが、たしかに世界樹はある。よければ見に来るか?」
その言葉に、女性たちは再び話し合いを始めた。
「ほ、本当なら……どうする?」
「でも、人間が住んでいるんだろう?」
「それにベーダーの手の者という可能性もなくなったわけじゃない……」
こちらへの警戒は解けないようだ。しかし、世界樹という言葉に彼らの心は大きく揺れ動いているようだ。
古代のアランシアの民やゼンラーダの民のように、世界樹を神聖視しているのかもしれない。
やがて褐色肌の女性は、周囲の者へと決心するように首を縦に振ると、こちらに顔を向けた。
「……ただでとは言いません。その世界樹、一度私に見させてくださいませんか?」
「なら、ひとまず……俺たちはお前たちと戦う意思がないことを認めてくれるか? それと、お前たちも俺を襲わないと約束してくれるか?」
「約束しましょう。私が山まで一人で同行いたします」
だが周囲の者たちは焦るように言う。
「ベルーナ王女! なりません!」
「そ、そうです! 御父上や樹王たちの許可を得てからに!」
「一度、樹王会議を通しましょう!」
どうやら、この女性はベルーナという名前で王女らしい。
しかし樹王たち、か……王が複数いるのだろうか?
ベルーナ王女はしかしと顔を曇らせる。俺たちと同行したいようだ。
こちらとしても良好な関係を結べるなら結びたい。シェオールにはやはり植物が不足しているから、この森林の草花を分けてもらえるのは大変ありがたいのだ。彼らの持つ予言や黒い瘴気に関しても情報が欲しい。
俺もこの機会を逃さんと、こう告げた。
「俺たちはいつでも歓迎する。一旦山に戻って、その会議の結果を待ってもいい」
その言葉にベルーナは驚くような顔をする。
「いい、のですか?」
「ああ。色々と事情もあるだろうから。ともかく、俺たちに敵対の意思がないことを知ってもらえれば満足だ」
「ありがとう……ございます。でしたらお礼になるかは分かりませんが、今日集めたものはどうぞお持ち帰りください。他に必要なものがあれば、取ってくださって構いません」
「それはありがたい。なら、そうさせてもらうよ」
ベルーナはこくりと頷く。
敵対は避けられたようだ。周囲の者たちも皆、武器を下ろしている。
「それじゃあ、俺たちは帰るよ。山には常に見張りを置いておくから」
「かしこまりました。明日までには必ずお返事します」
ベルーナの声に、俺たちは頷く。
だがそんな中、ハイネスだけは神妙な顔で空へ鼻を向けていた。
「ハイネス? どうした?」
ベルーナたちが何か謀っていることに気が付いたのだろうか。
しかしハイネスはこう口にした。
「いや……焦げるような臭いがどうにも鼻について」
ハイネスの声にバリスは首を傾げる。
「誰かが炊事をしているのでは?」
バリスがそう言うが、ベルーナはこう答える。
「炊事……我らは森で火など使いません。本当に、焦げる臭いが?」
「ああ。間違いねえ……炊事じゃねえなら、雷でも木に落ちたんじゃねえのか?」
しかし雷は鳴っていない。
ベルーナはすぐに近くの木に手をかざす。
するとその木が揺れ、隣の木、そのまた隣と次々と隣接する木が揺れていった。
やがて、樹の巨人が口を開く。
「……北……木が燃えている! まずい!」
「な、なんだって!? 誰が火を!?」
「どうやら逸ったやつが、さっきのベーダーの斥候に攻撃したみたいだ……もしかしたら、反撃されて」
「ま、またやったのか!? やつらには勝てるわけないのに!」
「ともかく、早く火を消すんだ! 広がる前に!」
周囲の者たちは、急ぎ北のほうへと駆けていく。
リエナが俺に訊ねてくる。
「どうしましょう、ヒール様?」
「火事が広がれば、彼らの住処が危ないかもしれない……俺たちは水魔法を使える」
手を貸せば、さらにこちらへの警戒を解いてくれるかもしれない。
バリスがこう答える。
「それがよろしいかと。まず、ワシが先に行って水魔法で消してまいりましょう」
「ああ、頼む。俺たちもすぐに向かう」
俺の言葉に、バリスは空へと飛んでいった。
一方で、ハイネスは四つん這いになって言う。
「ヒールの旦那は俺に乗ってくだせえ。リエナさんは十五号に」
ハイネスの言葉に、十五号は体を覆う琉金を馬の形へと変える。
「悪いな、ハイネス。それじゃあ皆、行こう」
俺たちは、火事の現場へと急行するのだった。