百九十一話 異国で掘っちゃいました!
俺はアランベルクの地下道を進んでいた。
粗雑に掘られたごつごつとした黒い岩壁。見たところ、珍しそうな石は見えない。
先に進むアリッサは、俺に振り返りちょっと不審そうに見てくる。
「ん? どうした、アリッサ?」
「い、いや。なんというか、いつものヒール殿と様子が違うというか、機嫌が良さそうだったんでな」
「え? なんかいつもと違うか?」
アリッサはこくりと頷く。
「鼻歌を鳴らすのは、初めて見たぞ」
自分でも驚いたことだが、俺は鼻歌を奏でていたようだ。
その鼻歌のリズムに合わせるように、片手のピッケルで自然と肩を叩いていた。
「機嫌がいい、といえばいいのかな。なんというか楽しみというか」
俺の答えにアリッサは首を傾げる。
「そ、そうか。アランシアはどこも暗いから、こういったさらに暗い坑道や地下は皆、嫌いでな。燃料も節約してるから、皆こういった場所の作業は本当に嫌がる」
「暗い? 確かに、そうだな……」
むしろ俺からすると、【洞窟王】の暗視の力でここのほうが明るく思えるほどだ。
だが、普通はもっと暗く見えるのだろう。
アリッサは不思議そうな顔をしていたが、やがて目の前が行き止まりになると足を止めた。
「ここが最奥だ。しかし、本当に”掘る”のか?」
「ああ。岩が大量に必要だからな。それに、何か珍しい物も埋まっているかもしれない」
何か、アランシアの地下だけに眠る貴重なものがあって、それがこの状況を打開する可能性もある。
とはいえ、ここはシェオールではない。魔力を増やしたり、生き物を復活させる石はそうそう埋まってないだろう。
だが、シェオールではなく、遠い異国の地を掘るというのだから気持ちも昂る。それにアランベルクの城壁拡大に使う岩が大量に必要だ。珍しい物が掘れなくても何も問題はない。
「そうか。ただ、ここの地下は本当に何も埋まってない。鉄もろくに掘れないしな」
アリッサの言う通り、この地下の岩壁はずっと代わり映えしなかった。
ここに来るまで、まるでアリの巣のように道が分岐しているのが見えたが、どこも同じなのだろう。
だが一つ気づいたことは、あまり下のほうへは掘っていないということだ。
「一応、少し掘り下げていくようにするつもりだ」
「それはいいが、なかなか難しいと思うぞ。ここの岩はもともと堅いが、深くなればなるほど硬くなるからな」
「むしろ掘りがいがあるってもんだ」
俺はそう言って、ピッケルを振りかぶった。
岩壁には、【洞窟王】の効果で安全に掘れる部分が光って見える。
そこに俺は勢いよくピッケルを振り下ろした。
すると、一瞬で一部屋よりも大きい広さの岩が崩れた。
「──なっ!? ──えっ!?」
アリッサは声を漏らしたと思うと、すぐに音色を変えて驚きの声を上げた。
崩れたと思った岩が突然、消えたからだろう。
「掘るのを見せるのは初めてだったな。この前、城壁を作るときに岩を出してただろう? それと同じだ」
「なるほど……出せるなら、入れることもできるわけだな。そもそも、そんな空間があること自体、信じられないことだが」
アリッサの言葉が聞こえるが、俺の腕は止まらなかった。
そのまま岩を掘り進めていく。
アリッサはその光景を見て呟く。
「しかし、一日かけても全く掘れなかった床がこんなに簡単に掘られるなんて」
「だから言っただろ。ともかく、岩は俺に任せておくといい。俺の仲間も後で手伝ってくれるから」
「ふふ。本当に頼もしいな。私も少し掘らせてもらおうかな」
「構わないが、アリッサはいいのか? 調査隊を組織したんだろ?」
アリッサは魔動鎧を使った調査隊を組織することにした。
構成員は守り人を中心に戦闘慣れした者たち。
アランベルクの外の調査および偵察が任務だ。
「隊長がオーガスだ。オーガスは私なんかが及ばないほど思慮深い男。魔動鎧なしでも、危険な任務をこなしてきた。心配いらないさ」
「確かに、あの人なら安心だな。それじゃあ、どうぞ」
俺は腰に提げていたスペアのピッケルをアリッサに渡した。
「うお……思ったよりずっと軽いな。これで掘れるのか?」
「たしかテイムの関係じゃないと、力は共有できないんだったな。俺が掘ってっていう場所にピッケルを振ってくれ」
「分かった!」
それから俺はアリッサと共に採掘を進めた。
アリッサは【洞窟王】の恩恵は得られないが、俺の助言とミスリルのピッケルのおかげでしっかりと掘れている。
自動回収できない範囲はシエルが持ってきてくれるから実にスムーズだ。
「……しかし、確かに硬くなっている気がするな。シェオールの岩よりも硬い気がするけど」
掘りながら俺はインベントリを確認した。
すると、
「これは……ほとんど炭じゃないか。岩も混じっているが」
どうやら、この黒い感じは炭の色だったようだ。
アリッサは落ちた炭を手に取って言う。
「やはりか。一度、なかなか掘れないから火を点けた者がいたが、なかなか消えず大火事になりかけたことがあった……」
「火の扱いには気を付けたほうがよさそうだな。しかし、炭ってこんなに硬かったか? それに石炭じゃないんだよな? いや、そうか」
俺はアランベルクの中央に立つ塔を思い出した。
「ここには世界樹が生えていたんだっけ」
今でこそ岩に囲まれているが、あの中はもともと枯れた世界樹という話だった。
その根がこのアランベルクの地下に広がっていてもなんらおかしくない。
アリッサはこくりと頷く。
「ああ。そして私の祖先……昔のアランシア王が、焼き払った」
木炭の製法のひとつに、木に土を被せて蒸し焼きにする方法がある。
「なら、この炭は世界樹の根が燃えて残ったものなのかもしれない」
「なるほど……」
アリッサは炭を見て、複雑そうな顔をした。
これが緑のまま残っていたら、アランシアはここまで追い詰められなかったかもしれない。
それほどまでに世界樹の力は偉大だ。
灰色のアランベルクの姿も今とは違ったものになっていただろう。
とはいえ、アランシアはあらゆる物資が不足している。
炭も立派な資源だ。
さっきも燃料を節約していると言ってたぐらいだし。
「これは、ありがたく使わせてもらおう」
「……ああ。炭も希少だ」
アリッサが頷くと、俺たちは採掘を再開した。
だが、しばらくすると突然、芳醇な香りが漂ってくる。
「なんだ、これ……いや、これは」
俺はシエルと顔を合わせる。
香ってきたのは、俺たちも嗅いだことのある香りだったのだ。
アリッサは深く息を吸って言う。
「いい香りだな……うん? これは、ヒール殿たちの島に行った時嗅いだことがあるぞ」
「そうだ。これは世界樹の樹液と葉の匂い……しかももっと甘ったるくて、ずっと強い香りだ……はっ」
俺は思い出したように、腰に提げていたマスクをつける。
もしもの時にこれを付けるといいとマッパが作ってくれたマスクだ。
俺自身もそうだが、今までも世界樹の樹液のせいでおかしくなったやつを見てきてる。
だがマスクは一つしかない。
シエルは心配ないが、アリッサはまずい。
風魔法で俺は風を起こしながら言う。
「アリッサ! ここは危険だ! 一旦、退避しろ」
「こんないい香りなのにか? ……すう」
アリッサはもう一度深く息を吸ってしまった。
「やめろ、アリッサ! すぐ出るぞ!」
おかしくなるまでは多少時間がかかる。
俺はアリッサの手を引いて、外へ向かった。
だが、もう少しで階段というところで。
「待ってくれ、ヒール殿! もう大丈夫だろう」
「はあ、はあ……そ、そうだな」
もう香りはしない。
ここまで来れば大丈夫だろう。
「アリッサ、どこかおかしくなってないか?」
「おかしくなんてなってない。ヒール殿こそ、おかしいんじゃないか……女性の手はもっと優しく扱わないと。私も、一人の女なんだぞ」
アリッサはそう言ってぷいっと顔を背けた。
ここまで怒ったところは初めて見たかもしれない。
「ご、ごめん。でも、あれは本当に危険で」
「吸っていると死ぬのか?」
「いや、そうじゃないんだが……なんというか、薬みたいな効果があって」
「なら、むしろいい物じゃないか」
呆れるようにアリッサは言った。
「と、ともかく、ごめん。ここにはマスクを用意してまたこよう。ちょうどマッパが上で魔動鎧を組み立てているはずだ」
俺はそう言って、階段を上がろうとした。
だが、今度はアリッサが俺の手首をがっしりと掴んだ。
「その前にヒール殿……一つ話しがあるんだがいいか?」
「え? 話? 上に行きながらでも」
「この国にとって大事な話なんだ。ここで話したい」
そう話すと、アリッサはいつにも増して真剣な表情で俺の両手を取る。
よく見ると、アリッサの頬は赤らんでいた。
「あ、アリッサ?」
「ヒール殿……この国にとって、いや、私にとって大事な話だ!」
いつもは凛としていたアリッサだが、もじもじと体をくねらせている。
「ヒール殿──あなたに結婚を申し込みたい!!」
そう言ってアリッサは両手を広げ、俺に飛び掛かろうとした。唇をすぼめ、きりっとした美人顔がだらしなく綻んでいる。
「やっぱりおかしくなってたか」
俺は華麗に回避すると、すぐにアリッサを引きずるように階段を上がろうとする。
だがアリッサの身体能力は、俺をはるかに凌駕していた。
そのまま俺の手を掴んで、俺の足を止める。
「酷いぞ、ヒール殿っ! 女性の私がこんなに頼んでいるのに! 私はそんな駄目な女か!?」
「そ、そんなことはない! ただ、それはアリッサの本心じゃ」
「いや、本心だ! これが、抑えていた私の本心なんだ! ヒール殿、好きだ!!」
俺に涙ながらに抱き着くアリッサ。アリッサの豊満なあらぬ場所が俺の腕を包む。
まずい! こんな場所で誰かに見つかったら──あっ……
顔を見上げると、そこにはバスケットを持ったリエナが階段に立っているのだった。