百六十五話 驚愕しました!
「な、なんだこれは!?」
アリッサは自走する鉄の馬車を見て、声を上げた。
「石炭を燃やして動く馬車……だそうです」
リエナも自信なさげな顔で答えた。
俺も正直なところはどういう原理で動いているのかは分からない。マッパは簡単に作ってみせたが。
アリッサは鉄の馬車とその軌道である鉄道をよく観察する。
「煙突のついた先頭のこれが馬の代わりをしているわけだな……我が国の持つ馬は少ない。これがあれば我らも……」
あの気候では馬の主食である草は育たない。馬のみならず、あらゆる家畜を育てるのも難しい。
そういう意味では、土地が限られ牧草地を持たないシェオールも似ている。
牧草地……そういえばシェオールにはなかったな。どっかに作ろうか。
そんなことを俺は思ったが、アリッサは急に申し訳なさそうな顔で首を横に振った。
「す、すまない」
「え? ああ」
アリッサたちが困っているのは食料だけじゃない。
でもそこまで俺たちを頼るのは申し訳ないか。
「気にするな、アリッサ。こちらもできる限りは支援したい。鉄は大量にあるしな。でも、マッパに聞いてみない限りは……作れるか分からない」
マッパの弟子となった魔物たちは多いが、やはりあいつがいないと不安だ。
この鉄道の作成にしたって、ちょこちょこと弟子たちの様子を窺っていた。
マッパ……無事だといいが。
気が付けば、俺の頭はマッパのことでいっぱいだった。あの見た目でも子供だしな……
まあ、あいつのことだ。
きっとどこかほっつき歩いているに違いない。
それにフーレとコボルトの兄弟も探索に向かってくれている。
アシュトンとハイネスなら、マッパの匂いを必ず嗅ぎつけるだろう。
「ヒール様? ヒール様、もう地上へ着きましたよ」
「え? あ、ああ、リエナ。さ、アリッサ。到着した……」
アリッサは馬車に乗ったまま、口を大きく開けていた。
「こ、この山のような大木は……」
「大きいよな。俺たちも最初は驚いた。これは世界樹……」
「世界樹!? あの、神話の木だというのか!?」
俺はリエナと顔を合わせた。
俺はこの世界樹という植物のことは知らなかった。同様に俺の故国サンファレスでもこんな木は知られていない。
しかし、魔王エルトは知っていた。
彼女によればかつてはエルト大陸にもたくさん生えていたらしい。
「アリッサは世界樹を知っているのか?」
俺の問いにアリッサは真面目な顔で頷く。
「あ、ああ。我らの世界の中心……先ほどの聖域はかつて、この樹下に築かれた」
「それってつまり……まさか」
リエナはすぐにピンときたようだ。
俺たちが出てきた門のあった塔……あそこは。
「ああ。あの塔は世界樹の成れの果て……とされている。はるか昔、枯れてしまったのだ」
アリッサは世界樹をじっと見つめながら言った。
あの塔は世界樹だった……大きさからすればそうも思えるが、ちょっと疑問が残る。
リエナが俺も不思議に思ったことをすぐに訊ねる。
「ですが、アリッサさん。あの塔は石材で組まれていたように見えましたが」
「あれは我が王族が聖域に逃げ込んでからやったことだ。枯れた世界樹を防衛のため、石材で囲み、塔としたのだ」
「なるほど……しかしどうして、枯れてしまったのでしょうか?」
「千年以上も前のことだ。我がアランシアは栄えに栄えていた。我らの先祖は世界樹の外へと領域を大きく広げ、世界樹のもたらす恵みがなくとも、畑には有り余るほどの穀物が実っていたのだ。世界樹はやがて、ただの信仰の対象となってしまった」
次第に世界樹は、人々にとって必ず必要なものではなくなったということか。
アリッサは続ける。
「そんなとき、我が王家の権威も頂点に達した。だが、その時点で王は頂点ではなかったのだ」
「なるほど……」
俺はそれがどういう意味か理解できた。リエナは少し分からないといった顔をしているが。
サンファレス王国にしてもそうだが、王は神々に地上の代理人に任命されたという理由で、国民を統治している。
別の国でも、王の地位は神々によって保障されていると民衆を納得させることが多い。
つまりは実質的に王が国のトップでも、民からすれば王は神々の手下に過ぎないのだ。
そういうことを言って牢獄に入れられた王国の聖職者も過去にはいた。実際には、聖職者たちが政治の場での発言力を高めようと行ったことだが。
王権が弱い時は、この神々の名を借りるのは役に立つ。
しかし王の力が大いに強まったとき、何かと厄介な存在にもなりえるわけだ。なんなら自身の権威を脅かすこともある。
アリッサは寂し気な顔で口を開く。
「王は絶対に燃えないとされる世界樹を焼き払った……自然は王に属すると内外に知らしめるために」
神々全てを否定しないまでも、目に見えるものは全て王のものにしたかったのだろう。
「そんな……酷い」
リエナの声にアリッサもうんと頷く。
「だが、その時は誰も困らなかった。人々は世界樹がなくても、誰も飢えなかった。それから百年後アランシアは長い内乱の時代を迎えた。そこで初めて、この行為を批判する人が出てきたのだ。そして今になって……」
王の傲慢さがこの状況を生んだわけか。
あの塔が世界樹として生きていれば、今の危機を救ってくれていたかもしれない。
アリッサは不安そうな顔を俺に向けた。
「あなた方は……心配いらないかもしれない。だが」
「ああ。今の話は肝に銘じておくよ。自然は簡単には戻らない。バリスに学校で教えさせるかな」
「そうしましょう」
俺とリエナは力強く頷いた。
「……ともかく、アリッサ。今は食料の話をしよう。世界樹の下でご飯でも食べながらどうかな?」
「い、いいのか? い、いや私は皆を導く立場……私が先に食べては示しがつかない!」
アリッサは自分に言い聞かせるかのように、強い口調で言い切った。
しかしリエナがその肩に手を置く。
「そんなこと仰らず。食べないと、頭も回りませんよ。せっかく、お茶に入れる蜂蜜の最適の量が決まったところですし!」
アリッサは口をだらしなく開く。
「は、蜂蜜……い、いやだがやはり私は」
アリッサは口では拒みつつも、リエナに世界樹のテーブルの下へと連れ去られていくのだった。