百三十六話 協定を結びました!
父が去ってから、俺は倉庫の隅でバルパスと机を挟んで話していた。
当然父がまだ何かを企んでいる恐れもあったので、バリスに監視させている。
しかし彼らからの報告を体の動きで伝えるシエルによれば、父に怪しい動きはないようだ。
父の魔力を追うも、船の周囲を回っているようだ。腕を振っているのは、自分で金槌を振っているのかな……
「ということで、とりあえずは不戦協定と貿易協定を結ぶってことでいいな? ……いいよな?」
「え? あ、はい」
俺はバルパスの声に頷く。
父の動向に気を取られており、ついバルパスから注意がそれてしまった。
バルパスは協定書を書く手を止め、不安そうな顔をしている。
「……協定に不満か? なんか条件があるなら聞くぞ。できる限りな」
「いえ、兄上。先ほど申し上げた条件で、こちらは何も問題はありません」
不戦協定は互いに無条件で結ぶことにした。
しかし、貿易協定の方は多少、擦り合わせに時間がかかった。
というのも、王国では街で魔物が歩くことが表向き禁止されている。
地方では秘密裏に魔物との交易がなされているようだが、公に許可するのは国民、貴族共に強く反対される可能性が高いとバルパスは言ったのだ。
俺としても王国に送った仲間が嫌な思いをするのは、許容できない。
なのでひとまずは、シェオールの船が王国に寄港しても、上陸許可が下りるのは人間だけということにした。まあ、シェオールの者は琉金で姿を人間にすることができるので、実質的に誰でも上陸できることに変わりはない。
また、王国船がこちらに来た場合、これは俺たちが当初考えていたように、一部の地区だけしか王国人が入れないようにした。洞窟に入られては色々困るからだ。
そして来航者には、滞在中こちらの法律に従ってもらうことも確認した。
こうして交流を重ねていけば、いつかは王国への魔物の上陸禁止も解かれるかもしれない。それに期待しよう。
バルパスはふうと息を吐いた。
「そうか……安心したよ」
「こちらも、穏便に済んで良かったです」
「確かにオレンのことを除けば、穏便に済んだな。ところで今の取り決めからすれば、この島で殺人を犯したあいつはお前たちが裁くことになるが、どうする?」
「今、オレンにはエルトに面倒を見させています。俺としては先程も言ったように、オレンには王国で罪を告白してもらいたい……」
先程様子を見た限りでは、倉庫の隅で「僕を見るな」と発狂したように叫んでいた。自殺をしようとしているので、エルトがなんとかそうさせないよう今も見張っている。
今のオレンの体は魔物となってしまっており、両手と片足を失ってしまっているのだ。変わり果てた自分の姿に、絶望しているのだろう。
バルパスは答える。
「……それじゃあ、奴の身柄はひとまず俺が預かるよ。調査の経過は商人に、報告書でお前に送らせる。まあ二か月もあれば終わるだろうよ」
「……ありがとうございます」
「なんだ。浮かない顔だな?」
「それは……一応弟ですし」
「へえ、あいつを弟だなんて思ってたのか……まあ、情が移るのも無理はないか。あれじゃあ二度と宮廷も街も歩けねえだろう」
先も述べたが、王国の法律では魔物は歩いてはいけないことになっている。あの見た目では魔物にしか見られない。仮に父が外出を許可しても、オレンの性格からして周囲の視線に耐えられないはずだ。
「なんにしたって、あれがオレンとは口が裂けても公にはできねえ。オレンを殺して成り代わった魔物と言って、公開裁判をしてもいいが……王家への批判になるようなことだけは父が許さないだろう」
バルパスの言うように、オレンは王子。
ありのままを国民に伝えるとすれば、王家の一員の罪が明るみになってしまうのだ。
そんな王家の威信が落ちるようなことは、父が許可しないだろう。
だが、オレンはもう用なしとの烙印を押されてしまった。
オレンはあんな姿になってしまったわけで、王家の者ではなかったなどといくらでも言い訳ができる。父がオレンを公開裁判にかける可能性もあるのだ。
オレンは昔、ロペスを王宮で見世物にして、虐めていた。
今度は自分が見世物になる可能性もあるということか……
俺はそこまで望んでいない。しかし、それは俺が被害者でないからそう言えるだけだ。
「ということで、罰に関してはまたお前と相談する必要がありそうだな。まあ、安心しろ。いずれにせよ、被害者とその遺族に関してはしっかり補償する。命に代えられるものなんてないがな……うん、なんか変なことを言ったか?」
バルパスは俺の顔を見て、そう言った。
少しバルパスのことを意外に思ったのが、顔に表れてしまったのかもしれない。
「いえ。ただ、あまり兄上とこうして話したことがなかったので」
「案外、まともなやつだってことがわかったろ? ただ酒と女が大好きな、放蕩王子じゃないんだ」
「それは分かりませんが、紋章に関しては本当に驚きました」
「それはこっちのセリフだ……しかし、どうして親父はこんなまわりくどいことをしたんだろうな」
バルパスは不思議そうな顔でそう呟いた。
確かに父の真意が掴めない。
自分でシェオールを調べたかったのなら、もっといい手段があったはずだ。
オレンを派遣したのは、絶対に間違っている。
ならばシェオールを攻略するため……いや、それならば近海に軍船を伏せていただろう。それに調査もなしにいきなりこの国を攻めることは考えづらい。
となると、別に目的があった、か。
俺との会話から分かるのは、父はずっと自分の跡継ぎを探していたということ。
父は後継者に関して、今ままで一切口にしてこなかった。
そして気になるのは、俺を育てるためこの島に送ったという言葉。
この言葉を本心から言ったのなら、父は【洞窟王】が洞窟で力を発揮する紋章であるのを知っていたということになる。
それならば、もっと早くから俺を洞窟に行かせればよかったと思うのだが……
あるいは幼少から俺を不遇な目に合わせ、どういう性格になるかを見たかった?
オレンは俺と正反対のような人間だ。元から圧倒的な力を持ち、甘やかされ、人の痛みを知らない非情な人間に育ってしまった。
だが王は時として非情さを求められる。オレンをわざと冷酷で傲慢な性格に育てたかったのかもしれない。
そして対極にある俺と争わせる……
バルパスも俺と同じようなことを思ったのか、こう呟く。
「オレンとお前……どちらが王国の後継者に相応しいか、試していたのかもな」
結果として父は俺を選んだというわけか。
嬉しくはない……俺のことは置いとくとして、オレンにはもっといい教育方法があったのではと思うからだ。もちろん一国の王が、我が子をつきっきりで育てるのは不可能だろう。しかも十人以上もいるわけで。
「まあそうだとしたら、お前に断られ、オレンはあんな風になっちまって……後継者育成は大失敗だな。あとの兄弟はオレンより劣る魔法系の紋章か、戦闘系の紋章を持つやつしかいねえ。正直、今のお前や以前のオレンには誰も敵わねえよ」
バルパスは顔に苦笑を浮かべた。
しかし、父はバルパスも後継者として考えていたのかもしれない。
バルパスは一貫して、俺との正面衝突を避けようとしていた。オレンと俺を仲裁しようとすることもあった。ある意味で、バランスが取れた人間に思える。
紋章も【宵闇】という兄弟の中では唯一の、隠密に特化したものだ。父が見ても、王としての素質は十分にあるはずだ。
いずれにせよ父には改めてその真意と、俺の紋章についてどこまで知っていたのか……聞いてみる必要がありそうだ。
俺はそんなことを考えながら、バルパスと引き続き協定書を作成するのだった。