幸福な一日
「送ってくれてどうも有難う」
時間はPM7:00になろうとしていた。
あの後も他愛ないお喋りに興じて、マスターには十分にお礼を言って店を出て、ウインドウショッピングをしたり、書店や雑貨屋さんに立ち寄ってみたりして。
それから佐伯君は私を本町の自宅前まで送ってくれた。
「今日はボーリング、悪かったな。ごめんな。俺のせいで嫌な想いさせて」
「そんなことない。佐伯君だって……」
「俺はああいうの慣れてるから」
佐伯君は淡々としている。
「咲」
「え?!」
「蒼井のことそう呼んでも、いい?」
突然、すごく優しい声で下の名前を呼ばれ、びっくりして声も出ない。
「やっぱり嫌か……」
「そ、そんなことない! ただ、恥ずかしく、て……」
最後の方はほとんど言葉になってなかった。
暫しの沈黙。
ヤバイ! 私のせいだ。
「今日はサンキュ。また誘う」
しかし、固まった空気を破るように、軽く空を見上げながら佐伯君がそう言った。
「ほんと? 私、待ってる!」
「ああ、俺も楽しみにしてる」
身長182㎝の佐伯君が、158㎝の私を見下ろしている。
今日、あんなにも間近に佐伯君の表情を目にしたというのに、今はまた、恥ずかしくて顔が上げられない。
「咲」
「え?」
まだ慣れるわけない……その呼ばれ方……。
「今日のカフェ。「アンブラッセ」て、どういう意味だか知ってる?」
「ううん。聞いたこともない。英語?……ではないような……」
「勘がいいな」
次の瞬間!
佐伯君は、右手の長い指で私の顎を軽く持ち上げた。
彼の指に顔をロックされ、私は身じろぎも出来ない。
そんな固まった私を見つめながら、佐伯君はゆっくりと口唇を寄せてくる。
「佐伯、く……」
私の呟きは彼の口唇に塞がれ、口唇が重なった。
「ん……」
二度目のキスは、最初のキスより少しだけ長く、より熱を帯びている気がした。
口唇が離れると、佐伯君は言った。
「こういう意味だよ。フランス語で」
「キ、ス……?」
答える代わりに彼は、ぽんと私の頭を軽く叩いた。
「じゃあな」
その一言を残して、佐伯君は片手を挙げながら、振り返ることなくあっという間に姿を消した。
夢みたい……。
私は、まだ家の前に一人立ち尽くしている。
佐伯君と今日一日だけで、二回もキスする……なんて。
今頃になってみるみるうちに顔が赤らんでくる。
その時、バッグの中のスマホが鳴った。
素早くスマホを取り出す。
”おやすみ、咲。今日のキス、忘れない。
翔”
それは佐伯君からのLINEだった。
キス……私のファースト・キス!
キス…… 咲……
”私も忘れない。お休みなさい。翔クン。
咲”
即座にレスを打った。
その携帯の画面を見ながら、心臓が高鳴っている。
佐伯君のこと、今度から「翔クン」て呼んでもいいかな。それは多分、紛れもなく私だけ。
そして、佐伯君は私のことを。
あんなにも優しい声で……!
夢のような一日。
大切な一日。
ああ、なんて幸福な一日……!!
了
本作は、アンリさま主催の「クージレツンデレドンキュン企画」オリジナル参加作品です。
要素は、「クール」「肘ドン」「顎クイ」「胸キュン」でした^^
アンリさま、胸キュンしていただけた方、どうもありがとうございました!




