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歴史とDNA

日本の少数ハプロ

作者: とびうお君

 重大な勘違いをしていたかもしれない。日本においてごく少数のNやQ(M120)などのグループがある。良く分からないから縄文のとき北方のC2Cとともに紛れ込んだんだろう程度に思っていた。しかしこれ弥生かもしれない。それと言うのも半島でも見つかるのだが、同時にそれが周の王族とも繋がっている。現代の中国の状況は分からない。


 これツングースやモンゴル的な民族だったのではないか?と思えてきた。呉の太伯の後と言う伝説があり、周の王族の子孫の可能性がないわけではない。だがそれよりもどこにでも居る東北部にありがちな狩猟採取民からの遊牧化ってグループの一つの系統にすぎないんじゃないか?と思えてきた。


 古い縄文系だと思い込んでいたので、周が西方から発達したのが理解できなかった。だが半島は日本人以外なら文句なしに満州に近い。そもそも満州には清時代に満州族に加わっていた朝鮮族が居る。そういった集団がモンゴル鮮卑のように徐々に内モンゴルから西方に遊牧によって移住してきたのが周の祖先じゃないか?と見ている。


 思い込みと言うか、遊牧民=モンゴル高原と言うのがあるが、私はこれ批判的。まずツングースは全くそうじゃない。次にモンゴルもあやしい。結局早くからモンゴル高原と深い結びつきがあるのはトルコぐらいで、この集団も初期は多分内モンゴルからスタートしてる集団もあると見てる。


 モンゴル高原の過去の歴史がイマイチわからないってのがすべての原因だけど。最初はN系の櫛目文土器の拡大から始まる。いつから遊牧民化するのか?がこれがなんとも言えない。そもそも遊牧は農業ありきでスタートする。狩猟採取からいきなりってのはまず無い。前段階に大体は植物系じゃなくて家畜を飼ってるんだ。


 環境の悪化から定住が困難になってスタートするのが遊牧になる。その点からおそらく内モンゴルからスタートしていると見ている。それがいつモンゴル高原に広がっていくのか?正直良く分からない。モンゴル高原を無視した内モンゴル系で言えば、確実に中国東北部がキーになる。


 匈奴はかなり異色の集団、あれは、スキタイの影響が多分かなり大きい。匈奴の前身となる部族はいたらしいのだが、私は怪しいとは思ってる。あれはモンゴル高原から南下という形が確立されてから物で、ジュンガル盆地を南下してきた集団だと思ってない。トルコ系としてまとめてすべて一緒にされてるんじゃないか?と見ている。スキタイの前に中央アジアからモンゴル高原に侵入した集団だと見ている。それと言うのも下位グループは分からないが、スキタイの前にQがモンゴル高原から出てるから。または早くから中央アジアに進出したNと混血した集団もありうる。


 さてエスキモーから別れた集団なのだが、この集団アジアには高い頻度では残ってない。問題だ。アジアにいるエスキモーはタイにいるアカ族などと同じチュクチ族の系統になる。


 ただ近い系統としてコリャーク人がいる。この集団トナカイの放牧などで暮らしていて、漁労民族ではない。シベリアエスキモーは言語だけ共通する集団で、系統が違う。だがこのチュクチのように内陸に向かう集団に早くからなったのが多分Q(M120)だと見ている。私の勘違いは、漁労民(海獣狩り)としてオホーツク人のように南下したグループだと思い込んでいた点。


 だから東海岸に限られると思い込んでいた。逆に日本に弥生付近に内陸民として入ってきたのでは?と考えると周のM120系について解ける。初期はCよりNが大体あの辺りにいる事が多い。こういったNに近いグループじゃないかな?と見てる。何故内陸型になったのか?でチュクチのようにNとの接触で陸地の動物の狩猟に切り替わったから。チュクチは漁労海獣狩りトナカイ放牧を両立してしまった民族だが、この中で両立せず内陸型に変わってしまったら?その例としてコリャークが居る。


 何故モンゴル高原の遊牧系とずれるか?と言うと、おそらく早くに南下してきたからだと見ている。このタイムラグが重要に成る。まずは内モンゴルから東アジア系遊牧民は発達したと見ているから。これはチベット族とは全くルーツが違う。こういった流れが徐々に広くモンゴル高原にも広がっていったと見ている。


 その転換点はどこか?といわれるとかなり難しい。これがモンゴル高原は良く分からないって言ってる部分。Nが櫛目文土器によって範囲を拡大してるのはかなり古くからわかるが、それは遊牧の証拠にならないどころか、割れやすい土器は定住の証しといわれていて、これは逆にモンゴル高原が湿潤な森林地帯だった頃の時代になる。


 その後文化と言えるものは中央アジアに移ってしまう。良く分からないうやむやのうちに赤狄と言う集団が、モンゴル高原も範囲に入れた、遊牧民の姿を見せてくる。この集団が鉄器にも関わってきて、明確にモンゴル高原まで範囲を広げたアジア系っぽい遊牧民の登場になる。Nの拡散は、遊牧民としての拡散とは見えない。


 はっきり言って時代があと過ぎる。もうとっくに周は始まっている。そうじゃないって言いたくなる。夏家店下層文化この付近でやっと周に近くなる。ここで明確にC2がハプロとして混ざり始まる。東湖がこの集団だと言われている。おそらくこのちょっと前の夏成立あたりでQが徐々に西方に移動して言ったと見ている。


 夏家店上層文化、遊牧民が騎馬民族になる付近。ここはもうNが消えてしまいOとCだけになる。この辺りはもうモンゴル高原で遊牧民の争いが始まっている。中国の歴史は自分と関わったときだけ記述するので、モンゴル=内モンゴルになってしまう。実際はそこから見えないところでモンゴル高原でいつか?分からないが、遊牧民の争いが始まりだしてる。


 ちなみに中央アジアは先史時代からすでに遊牧民がちかくまで来ているがコーカソイドと、何をして居たか?良く分からないNになる。おおらく遊牧だと思う。何故Qなのか?には意味があると見ている。中央アジアも含めて、Cの割合がまだ少ないって点。どのグループでもNはいるのだが、王として立ったのはアジアでは一度も無い。ロシアならあるのだが。


 Cの割合が低ければ自然とQが高くなると言う理屈になる。以前はこれを中国に元から居たからと単純に考えていた。だが、多分これ早くから東北部に南下して、内モンゴルに住み着いた狩猟採取から遊牧系に移った先史時代のNなどとともに居た集団だと思われる。


 日本には2通りあると見ている。中国東北部の朝鮮集団とともに来た。後は、C系などとともに騎馬族集団として渡来したとなる。3つ目としてものすごく低い確率であるが、呉の王族の末裔としてO1B2と共に渡来した。縄文人じゃなくて弥生人だと思う。


 私この言い方好きじゃない。5000年前から3000年前までの間に来た重要な集団が居た場合、その集団をなんと呼べば良いんだ?が困るから。Qの場合違うけど、どうも稲作渡来が重視されすぎてて、ハプロ的にはそう単純なのか?って疑ってるから。5000前より前になるけど、関東に居た大陸系のmtDNAはどうやってきたんだ?となる。


 これは嫁貰い説がある。もっと言うと略奪かもしれない。ただ数が多すぎてもっと平和的なものだとすると、当時人口が多かった関東に大陸系の人が嫁に偏らず来てたんじゃないか?って点。ハプロを公表して、DとCに偏っていた場合は嫁説になるんだと思うけど。私はなるべく意味が分からなくならないなら弥生時代前後の移住民は渡来人と言うようにしている。


 ついでだからNもやっておこうと思う。これも分岐年代から新しいのじゃないか?と言われている。日本のものはかなり古い系統なのだが、そもそもNは後から分岐している。NOからOが早く別れてしまって、NOからのN単独の分離は随分後になる。N系統では間違いなく日本の系統は古いのだが、分岐年代は比較的新しい時代になるらしい。


 粛慎しゅくしんを訓でみしはせ、あしはせと呼ぶ。この民族は別に変わったものじゃない。ただこれか?と推定されてる民族が日本の佐渡島にやってきた。ただこれ歴史上中国に記されてる粛慎なのか?が分からない。そのためややこしい。歴史時代にNが高い沿海州から度々日本に渡来してきた民族が居るが、定着した事は無い。歴史時代なので天皇がいて処理してしまうから。


 このグループも捕虜になったグループが居るけど、移住させられたはず。可能性としては歴史時代のこのグループが歴史に残らない形で来ていたのかもしれない。縄文時代来ていたかもしれないのが、歴史時代になると、住民とトラブルになって天皇家が調停に動いてしまって、どうもハプロを高く出すほど定着したと言うのがピンと来ない。


 もっと前から来ていて、その時期がいつか?で縄文は古すぎない?って話しになる。コーカソイドと関係があるのは何故か?なら、シベリア方面でロシア人との混血が無い先住民の中で何故一部コーカソイドとの混血の痕跡が見つかるグループが居て、アイヌにもいるから。


 直接コーカソイドが日本に来た可能性もあるし、過去に混血したシベリアの先住民(N系をふくむ)が先ほど話した渡来によってコーカソイドの繋がりを東北日本海側に残した可能性がある。孫的な接触だと思ってくれれば良い。


 他にもO1B1、O1Aなどいろいろあるけど、それは何も新発見が無いので触れたくても触れれないって形でこれで終わりにしたい。本当は少数ハプロすべてやってしまいたかったけど残念。



 追記:間違いじゃないけど、やはりNに関しては縄文時代の確率が高そう。過去には中国や東北部に多かったNは今ではすっかりマイナーハプロになってる点。そもそも現在はロシアなので普通にロシア人が多い。さすがに日本に来た人たちはそうじゃないが、それでもかなり早い時期から変わってしまっている。


 元々ここ朝鮮人のルーツ的なものが分かる場所かもしれない。N系がO1B2に入れ替わってしまったのを指摘してる人が居て、父系だけそっくり別になってしまったとなる。ただその後ソ連での強制移住によってよく分からない場所に飛ばされてしまったため余計に以前とハプロの分布が違う。今だと当たり前にR1Aだらけになると思う。


 1000年前ぐらいの歴史時代の話しなのでそこは無視して良いけど、C2Bと、O1B2だらけだったと予想できる。多分満州に多いO2系もいただろう。後から入ったのでは、高いN系の影響とは無関係になる。


 歴史時代に入ってきた可能性は否定しないけど、分岐年代よりも、そもそも歴史時代にはNが低いと予想できるので、縄文時代中期頃が妥当だと考えられる。


 以前話した朝鮮人について、遼河文明でO1B2とN系が混血してN系だけほとんど消えてしまったグループが多分朝鮮人の主要なグループ。朝鮮族と半島住民はまた考え方が違うんだと思う。朝鮮族と言うのは言語グループ。おそらく日本語もこれに近い。日本語も遼河文明の中でO1B2の朝鮮族がルーツになって、いろんな言語がごちゃになって出来上がったクレオール言語だと思われる。


 Nが持っていた北方系の母系が朝鮮族の土台になってて、それが弥生以降の渡来人の北方形質のルーツになってると思われる。以前話した半島に元から居た、南下N系北上してきたC2系をベースに、これらのO1B2母系N朝鮮族が混血した集団かと思われる。最後にここに百済高句麗のC2C系の騎馬民族と、漢民族O2を加えれば大体半島系の渡来人に近くなると思う。


 現代の朝鮮は、ここにさらに大量のO2系漢民族が流入したのだろうと予想できる。

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