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 翌朝、ぐっすり寝たら疲れはすっきりと取れていた。さすが小学生、驚きの回復力だ。昔はいくら寝ても疲れが残っていたからね、加齢はつらたんだ。


 そして、ルームランナーで軽く20分ほど走り、かいた汗を流すためにシャワーを浴びる。リビングに入ると焼いたパンとスクランブルエッグ、野菜たっぷりのスープという、まさに朝食といったメニューが用意されていた。米と味噌汁に焼き魚とか、日本式の朝食と週替りである。父さんが洋食派で私が和食派なので、ローテーションで変わるのが我が家の朝食なのだ。


 そして、おいしい朝食を食べた後には母さんから説教をくらい、不用意に仕事を増やしてオーバーワークにならないように約束させられた。そして篠崎さんから連絡があったようで、今日はレッスンも習い事も控えてまっすぐ家に帰るよう言い渡された。

 仕方ないから今日はゆっくりするしかないかな。でも、何かしてないと不安で手が震えるんだけど、ワーカホリックなのかなこれ。



「拙者、親方と申すは、お立合いの中にご存知のお方もござりましょうが、お江戸を発ってニ十里上方……」


 朝食後のストレッチの後に「外郎売(ういろううり)」の朗読をする。歌舞伎の劇中の長科白が元らしいんだけど、滑舌や発声の練習に最適だと子役のレッスンで教えられた。役者はもちろん、アナウンサーや声優志望の人達もやってるらしい。私はもう七年は続けているから全部暗記していて、スラスラと言えるようになっていた。

 チラリと母さんの方を見ると呆れ顔をしてるけど、何も言わないからセーフのようだ。日課だから仕方ないよね。


「せっちゃ、おやたかともうすわ、ににに……にりゅうり? かみがた……」


 私の真似をして外郎売を朗読しようとしてるのは、弟の和樹(かずき)5歳。昔使っていた台本を逆さまにして朗読する真似をしているのは、見ているだけで微笑ましい。


「かずくん、だんだんと言えるようになってきたね。すごいねー」


「えへへ、おねえちゃん、だいすき」


「お姉ちゃんも、かずくん大好きだよ!」


 くぅ!かわいい!!守りたい、この笑顔。

 将来、弟がブラック会社に勤めて辞めたくなったら、お姉ちゃんが養おう。そのための預金も別口で積み立ててある。和樹を膝の上に乗せて、さらさらの髪の毛に頬ずりすると、幼い子特有のやさしい匂いがする。

 弟は母さん似で、ふりふりの服を着せたら間違いなく女の子に間違えられるほど可愛い顔立ちをしている。というか、私のお古を着せたらヤバかった、可愛すぎて。5歳になるともう嫌がるようになってきたので、最近は自重しているけど。

 朝のひと時しか触れ合える時間がないのが悔やまれるなー。私が帰ってくる時間にはいつも弟は寝ているから、今日の午後は一緒に遊びまくろうかな。


 くんかくんかと、たっぷりと弟分を堪能していたら登校する時間になった。学園はマンションから徒歩で行ける距離なので、父さんに通勤がてらに送ってもらっている。並んで手を繋いで歩いているが、もうそろそろ恥ずかしいから手を繋ぐのをやめたいと提案したら、この世の終わりみたいな顔をされたので仕方なく継続している。

 私も弟に手を繋ぐのを拒否されたら同じ顔になると思うけど、私はファザコンではないので自重して欲しい。年頃になっても「パパがお風呂に入った後はお湯を入れ替えて」とか「洗濯物を一緒に洗わないで」とか、そういう事は言わないようにするからさ。


「最近、菜々美が頑張り過ぎてて、母さん心配してるぞ」


「もう、それは朝怒られたからわかってるよ」


「父さんも心配なのさ。まぁ、やりたい事を頑張るのはいいことだけど、まだ子供なんだから程々にな」


 そう言うと、ぽんっと大きな手を私の頭に乗せる。ぐりぐりとされるとセットした髪が乱れるからやめてほしいけど、ごつごつした手は暖かくて悪い気はしない。


 父さんは控えめに言ってゴリラだ。身長は190cm弱ほどでレスラー体型。バナナがよく似合うイケメンゴリラである。母さん曰く、昔は細マッチョでモテていたらしいけど、結婚してから太りはじめてゴリラに至るらしい。

 とはいえデブではなく、いまだに鍛えてはいるので筋肉の周りに脂肪の鎧をまとったサラリーマンゴリラなのだ。


 反面、母さんは平均より小柄。そして二児の母とは思えないほど若く見えて華奢である。父さんとは幼馴染みで同い年らしいのだけど、並んで歩くとまるで親子だ、または円光現場にしか見えないから事案である。



 父さんと歩きながら近況を報告していると、校門前に着いたので別れる。一年前に転入した、私立桜凪学園の初等部の正門は、歴史を感じさせられる風格があり、その前にゆったりとしたロータリーが広がっている。黒塗りの高級車が乗りつけては、高そうな制服に身を包んだ良家の子女たちが降りてくると、「ごきげんよう」と挨拶をしあって談笑しながら歩いていく。


 ごきげんようとか、漫画やドラマでしか見たことないよ。……前にドラマでお嬢様役をやったことあるから、なんとか取り繕うことは出来てるけどさぁ。公立の小学校とは世界が違い過ぎて、いまだに慣れずに気後れしてしまう。



「菜々美ちゃん、おはようございます」


「あ、小百合ちゃん、おはよー」


 とぼとぼと正面玄関にむかって歩いていると、これまた高そうな車から降りてきた女の子に挨拶される。いかにも清楚なお嬢様といったこの子は六条院(ろくじょういん)小百合(さゆり)ちゃん。クラスメイトで、私をこの桜凪学園に転入推薦してもらったスポンサーさんのお孫さんだ。

 そして、この学園で唯一の友達で、庶民の私に合わせて「おはよう」と挨拶してくれている、控えめに言って天使な子である。


「今日は学園に来れたんですね」


「うん、ようやく撮影が一段落したんだー」


「確か『俺の名は』の撮影でしたっけ、もう終わったんですか?」


「あー、そっちはまだかな。別に単発ドラマの撮影が入ってね…… ちょっと重なってたから忙しかったんだ」


 手を繋いで歩きながら、周りに聞こえないように小声で話す。この学園内では私が子役の『花咲ナナ』として活動しているのを隠していて、生徒で知っているのは小百合ちゃんの他には数人くらいだ。教師陣は担任と校長、副校長は知っている。撮影などで休みも多くなるし、芸能活動は許可を貰わないとダメだからね。

 対外的には病弱で通しているけど。


 隠しているのも、前の学園で子役をやっていることを公にしていたら、プライベートがまともに送れないほど修羅場になってしまったからだ。

 なので転校を機に隠そうと、野暮ったく見えるようウィッグと黒縁メガネで変装している。ぱっと見、人付き合いが苦手そうな内向的な子だ。この学園に通ってそろそろ一年以上になるけど、いまだ気が付かれてはいない。


 そういえば、子役は本名で芸能活動している子が多いんだけど、私は篠崎さんから芸名にすることを勧められてたんだ。無名なうちから芸名なんて恥ずかしいと思ってたけど、付けてて大正解だったね。本名が浸透してから芸名に変えても遅いから、篠崎さんには足を向けて寝られないよ。


「また、マネージャーさんに怒られたんですか?」


「うん……もう勝手に仕事を受けるなーて怒られてさ」


 小百合ちゃんとおしゃべりしながら教室に入り、席が隣なのでそのまま窓際に並んで座る。他の生徒たちは半分くらい登校していて、教室では仲の良い子通しでグループになり、同じようにおしゃべりしている。公立校とは違い、騒がしく走り回る子もいなく、落ち着いたものである。学費は高いけど、静かな学園生活を送れているので転校して良かった。


 まぁ、学費も特待生になればタダという話もあったんだけどね。この桜凪学園では文化芸能関係にも力を入れていて、何かしらの実績や能力がある子は特待生として学費が免除されるのだ。

 バレエや歌舞伎、音楽方面ならピアニスト志望の子や、将棋や囲碁をやっている子はすでに奨励会?院生?とかで良い成績を残していて、将来プロになるのはもちろん、プロになっても一流になれそうな有望な子たちだ。すでに中等部でプロになっている人もいるらしい。

 ぶっちゃけ、金に物を言わせた青田買いだね。


 私は、特待生になるには花咲ナナとして芸能活動していることを隠せなくなるから辞退したのだ。お金がもったいないけど、平穏な生活のためには仕方がない。



 小百合ちゃんと話していると、外からキャーと黄色い声が聞こえてくる。窓から正門の方を眺めると、女の子に囲まれて登校してくるイケメンの姿が見えた。

 黒谷(くろや)大翔(ひろと)。小学生だけで結成された『COLORFUL(カラフル)』というアイドルグループのメンバーであり、昔よく共演していたぐるんぐるんとアクロバティックなアクションを決めてた元天才子役である。そして特待生なので学費が免除されている。


 運動神経が抜群だからスポーツ万能だし、ダンスも上手いし、歌までいける。アイドルに転向したといっても役者も志望しているから、あいかわらずドラマや映画でも子役(やくしゃ)として活躍している。役者一本で売るより、アイドルに転向した方が露出が増えるみたいなんだよね。ずるいわー。


 イケメン爆発しろと思いながら眺めていたら、大翔と目が合う。私に気が付いた大翔が満面の笑みでこっちに向かって手を振ってきたので、落した消しゴムを拾う振りをして身を伏せた。


 ……アイツ、学園では他人の振りをしろと言っているのに、いまだに理解してくれないようだ。


 また、”お願い”しとかないとダメだね。



 *



「こんな所に呼び出して何の用、ぐはっ!?」


 メールで大翔を理科準備室に呼び出し、入ってきたところでレバーに掌底を叩き込む。他の生徒が尾行していないのを確認すると、鍵を閉めた。これでゆっくり話が出来るね、大翔の周りには常にファンが群がっているから仕方ないよね。


「ど、どうして殴るのさ……?」


「何度言っても理解できない駄犬の躾。学園では話しかけるなと『お願い』したでしょ?」


「手を振っただけで、話かけてな……」


 無言で大翔の手を取ると、そのままくるりと回って捻り上げて関節を極め、うつ伏せに倒れた大翔の上に座る。

 さっきの掌底も不意をついたハズなのに、自分から跳んで衝撃を逃された。武道はやってないハズなのに、反射神経がチートだ。だけど関節を極めればそんなの関係ない。


「いたたたっ! ギブ!ギブ!!」


「私が『花咲ナナ』なのを秘密にしてると、言ったハズよね? だからヒロとは面識もない、赤の他人のフリをしなさいと、何度も何度も『お願い』したでしょ?」


 床をタップしてうるさいので、極めていた手を離して緩めてやる。しかし、お仕置きの意思を示すためにも背中に座ったままだ。


「……そこまでしなくても大丈夫だろ? 同じ学校に通ってるなら、話すことだってあるだろうし。友達ってことにすればいいじゃないか」


 不満そうに口を尖らせてぶつぶつと反論してくる。昔は、私の言ったことには絶対服従な素直で良い子だったのに……反抗期なのかな?


 4年くらい前に映画で共演してから、よく組んで仕事をする事が多かった。大翔はアクションは凄いけど、演技が大根でからっきしだったので監督に怒られてはよく泣いていた。見かねた私が演技指導してあげてから、なんとか怒られない程度になったのは良かったけど、それから異様になつかれたのだ。

 まぁ、その頃の大翔はまだ小さくて可愛かったからね、弟分として面倒みていたんだ。


「ヒロ、あんたと学校で話せるわけないでしょうが」


「なんでだよ!」


「いつも周りに女の子たちがいるから入る隙間もないし、それにヒロと親しいってだけで妬まれるわよ」


 大翔には全国区での公式ファンクラブ以外に、学園内にファンクラブという名の秘密結社じみた組織がある。会員は、小中高大とエスカレーター式の学園内に幅広くいるらしく、大翔と親しいなんて噂が広まっただけで、私の学園生活は終わるだろう。

 大翔に群がっている子達も、学園内での力関係、親の財力権力などが複雑怪奇に影響している上で決まるらしい。うかつに近寄るとフルボッコ確定だ。こわやこわや。


 ということを、こんこんと大翔に説明しても、


「………ヤダ」


 と言ってそっぽを向く。聞き分けの良かった大翔はどこにいった。女の子に囲まれている時でも、にこやかに笑って上手にかわしていて、その辺の男子なんかよりよほど大人びた対応をしてるくせにさ。私の前では妙に子供っぽい態度になるのはなんでだ。私はお前のオカンじゃないんだぞ。


「最近はナナと仕事で会えなくなったから、同じ学校になったら一緒に遊べるかと思ってたのに、話しかけるなとか言うし……」


「そりゃ、仕事が一緒に出来なくなったのは、ヒロがアイドルに転向したからでしょ」


「?」


 よく分かってないという顔をしている。

 アイドルに恋愛沙汰は厳禁なのは常識だから、特定の異性と頻繁に共演させるのを止めるのは当たり前じゃないかな。

 前はアイドルじゃなかったし、二人とも幼かったから微笑ましく見られていたけど、もう無理だろう。『早熟な子役たちの性の芽生え!?』とかタイトル付けられて、ありもしない事ばかりでっちあげられてワイドショーのネタになるだけだ。


 なんて説明は、事務所やマネージャーから注意されているハズなんだけど、いくら大人びているとはいえ小四男子だから仕方ないか。恋愛とかそういうことは頭にないだろうしね。

 私と大翔は、同じような境遇で、同い歳だけど、私は元男のおっさんだったのである。親戚の甥っ子のハートを鷲掴みにする叔父さんのような感じで、大翔を手懐けてきたのだ。

 急に突き放したのは酷だったかな。



「はぁ……じゃあ、いつもは他人のフリが出来るなら、時々こうやって誰にも見つからない時に会って話す程度だったらいいよ」


「ほんとか!?」


「だから今日みたく、私を見ても手を振ったり、ましてや話かけてこようとしないこと。いいわね」


「………わかったよ」


 ふしょうぶしょうといった感じだけど、頷いてくれた。けど、毎度こんな感じで言いくるめているのに、すぐに忘れて学園で話しかけてこようとするから油断できない。



 *



 大翔を準備室から開放しても、私はしばらく時間を潰すために手持ち無沙汰だ。「一緒に戻らないのか?」とか大翔が聞いてきたけど、あいつは私の話を根本的に理解していないんだろう。一緒に戻ったところを誰かに見られたら不味いという事を、アイアンクローをしながら言い聞かせた。痛みとともにその身に刻まないとすぐに忘れるし。


 そして、誰もいない準備室で机の上に座って足をぷらぷらさせて予鈴がなるのを待っていたら、奥の掃除用具入れから、ガタン、と音がした。


 あれれ? ポルターガイストかな?


 おかしいなー、誰もいないと思ってたから油断してたけど、掃除用具入れから人の気配がするわ。

 そーと近寄り、開けようとしても鍵がかかっていて開かない。しかし、外からロックするだけのタイプのようで、レバーを下げたら開いた。

 おそるおそる中を覗いたら、「中には誰もいませんよ」というホラー現象を期待してたんだけど、居たね。女の子が。


 私と同じような黒縁のメガネをかけた三つ編みの女の子が、座り込んで怯えたような表情で私を見ている。


「………いつから、ここに居たの?」


「あ、あの、何も聞いてませんし、何も見てないですから、許してください……」


 涙目でがくがくと震えている様子は、暴漢を目の前にしたような反応だ。大翔を物理的に躾けていたのを見た後なら、正しい反応である。


 だけど、私が聞きたいのはそういう事ではない。理科室が午前中には使われてないのを確認して、大翔を準備室に呼び出したのだ。そして二時間目が終わった直後に、ここで待ち伏せしていた。という事は、この子は少なくとも一時間以上は用具入れに居たことになる。

 そして、この用具入れは外からロックをかけるタイプである。この子が中に入った後に、誰かがロックをしたのだろう。


 ………どう見てもイジメだなぁ。



「大丈夫? 先生呼んでこようか?」


「い、いえ、だ、大丈夫です! だけど、わたし……トイ……れ……ぁぁ」


 怯える女の子を安心させようと、笑顔で手を差し伸べるが、へたり込んだままの女の子の下に水が滴る。……どうやらトイレを我慢していて間に合わなかったようだ。この世の終わりのような表情を浮かべたと思ったら、グスグスと泣き始めてしまった。


「あ、あた……あたし……ぐす……ごめんなさい……」


「大丈夫よ、保健室に行きましょう」


 泣いている子をあやして立たせると、予鈴が鳴った。あと数分で次の授業が始まるので、どうせなら授業が始まった後に向かった方が、他の生徒に会わずに済むからその方がいいだろう。なら、先にここを片付けて証拠隠滅した方がいいかな。


 そう、泣いてる子に伝えて掃除にかかる。幸いにもここは理科準備室で、水場もあるので綺麗にするのには丁度よい。



 手早く片付けると本鈴が鳴ったので、泣いてる子の手を引いて保健室に向かった。




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