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控え室代わりの教室で平身低頭あやまりつつ、泣いてしまった一之宮さんをなだめていたら、さらに撮影が押していた。しかし、放置して撮影を続ける訳にもいかない。なんといってもスポンサーのご息女さまだ、粗相があったらいけない。
もう手遅れな気もするけど。
「ちょっと待ってくださいね」
泣きやんだ一之宮さんから離れて、メイク道具を取ってくる。ついでにメイクさんからヅラも拝借してきた。
「今からドラマに合うように髪型とメイクを直しますけど、よろしいですか?」
私がそう言うと、一之宮さんは黙って頷く。合意が取れたので邪魔な縦ロールをネットに押し込み、ストレートロングのヅラを被せる。そして、泣いてアイラインが滲んだところを落としつつ、つけ睫毛をはがして全体的にナチュラルっぽく見えるようにメイクをし直した。
そうして出来上がった一之宮さんは、少し地味めな清楚系美少女になった。
縦ロールのなんちゃって美麗より全然いい。
「うん、いいですね。これなら公立中の生徒として問題ないと思いますよ」
そう言って手鏡を渡すと、一之宮さんはしげしげと自分の顔を見て、
「ちょっと地味じゃないかしら?」
と、のたまう。
「エキストラが主役より目立ってどうするんですか。ちゃんと舞台に合った髪型やメイクにしないと、映してもらえないですよ」
「そういうものなの?」
「そういうものです。監督さんもそう言ってたじゃないですか」
私もそう言ったのに聞いてなかったのかな。多少なら問題ないけど、流石に縦ロールの美麗のコスプレしたような子がモブに居たら嫌でも目を引く。コメディならまだしも、ヒューマンドラマでそんなのがいたら台無しだろう。
「意地悪で言ってるのかと思ってたわ」
「そんな訳ないですよ。だから、戻ったら監督の言うことをきちんと聞くようにしてください」
「……ナナちゃんがそう言うなら」
監督さんから何を言われても聞く耳持たなかったのに、殊勝なようすで私の言葉に従う一之宮さん。さっきまで私とガンの飛ばし合いをしたのにも関わらず、なぜ素直に言うことを聞くのか不思議だ。
「では、戻りましょうか」
*
撮影現場に戻ってから、なんちゃって美麗から清楚系美少女にジョブチェンジした一之宮さんは、カメラから目立つところに席替えされた。
スポンサーの娘さんってこともあるんだろうけど、エキストラは見た目が良い子がカメラに映りやすいからね。清楚系お嬢さまになった一之宮さんは見た目は良くなったのだ。見た目は。
その後もセリフは貰えてなかったけど、目立つことが出来た一之宮さんは上機嫌になって、監督さんの言うことを聞くようになってくれた。
一之宮さんの暴走が止まったので、撮影も順調に進むようになり、押してた撮影も巻き巻きで進めてなんとか予定通りに終わりそうだ。
だけど、それから何かと一之宮さんが私の方に来ても、さっきまで連れ戻してくれていたスタッフさんは何故か微笑ましいものを見る目を向けるだけで、一向に連れ戻してくれなくなった。
スタッフゥー!と心の中で助けを求めるけど、どうやら仲良くなったと思われたらしく、スポンサーのご息女の接待役に認定されたようだ。
そして今は主人公の山田と親友役の赤城くん、そしてメインヒロインの真由ちゃんの絡みのシーンなり、休憩がてら涼むために避難したロケバスには私と一之宮さんしかいない。サブヒロインの私は、序盤にそれほど出番ないんだよね……とほほ。
白目になりながら休憩中に一之宮さんのマシンガントークを聞き流していたら、髪型の話になり、
「……だからね、ナナちゃんの美麗と同じ髪型にしてたの」
「え、そうなんですか?」
超びっくり、あの縦ロールはコスプレだったのか。いや、コスプレみたいだなーとは思っていたけど本当にコスプレだったとは……。まぁ、桜凪学園だったら縦ロールでも違和感ないけどさ。本物のお嬢さまは違うなーと思ってたのに、なんかがっかりだよ。しかも美麗みたいな悪役令嬢をリスペクトしていたとは思わなかった。
「映画を観てからファンになったの。だから今日、ナナちゃんと会えて良かったわ」
「へえー、そうなんですかー」
なんだ、映画のポンコツの方か。てっきりドラマの方かと思っちゃったよ。だって学園での振る舞いがドラマの美麗とそっくりだしね。「映画よりドラマの美麗っぽいですね」と喉まで出かかったけど、ぐっと飲みこみ適当に相づちをうっていると、
「そういえば自己紹介してなかったわね。私、一之宮杏樹というの。ナナちゃんの友達になってあげてもいいわよ」
「あ、結構です」
「じゃあ、私のことはアンと呼んでね。ナナちゃん」
あれ?断ったはずなのに何故か友達にさせられていた。催眠術や超スピードだとかそんなチャチなもんじゃと、例のコピペを思い浮かべて頭がどうにかなりそうだけど、嬉しそうにニコニコしている一之宮さんに「いえ、友達になりたくないですよ」とはっきり拒絶するのもはばかれる。
どーしようかと悩んでいたら、またマシンガントークが再開されて、一之宮さんが通っている桜凪学園の話題になった。上流階級が通う私立の一貫校の話しに、「へー、凄いですねー」と相づちをうっているが知ってることばかりだ。だって同じ学園に通っていて同じクラスだしね。
だけど、「僕と君でmoderato」の映画の影響で「ごきげんよう」という挨拶が学園で流行り出したのは知らなかったな。私が転校した時にはすでに浸透した後だったらしく、みんな「ごきげんよう」と挨拶してたし。お金持ちが通う学園は違うなーとビクビクしていたのに、超ミーハーじゃないか。騙された。
しかし、こうして楽しそうに談笑している一之宮さんを見ていると、学園で君臨している時とは別人のようだ。私は目の敵にされていて、無言で睨まれる事が多いしね。
まぁ、みんな相手や環境によってペルソナを使い分けるものだよね。パワハラ上司が家庭ではイクメンのマイホームパパだったり、逆に家庭ではモラハラ夫なのに職場では頼れる上司だったり。
だけど、綾乃ちゃんをロッカーに閉じ込めたり、陰で嫌がらせをしていた一之宮さんと、友達になろうとは思えない。
隣で、映画のあのシーンが良かった、あのドラマが最高だったと、ニコニコとべた褒めされてもなびかない。いやー、あのシーンは私も良かったと思うんだよね。いやいや、私の演技じゃなくて演出がね、いいんだよね。役者は、原作や脚本が観てくれる人に何を伝えたいのか、それをちゃんと理解して、どうやったらそれを伝えられるのか考えて演じるのが重要なんだよね。うんうん。
と、気がついたら何故か意気投合していて愕然とした。
「どうしたの?」
「いえ、なんでもないです……」
私が固まっていると、不思議そうに覗き込んでくる。くっ、一之宮さん恐ろしい子……好意100パーセントでさすおにされたら、うっかり心の扉を開きそうになってしまった。
別に、このドラマの撮影期間だけの”友達”として、仲の良いフリをしてやり過ごすことも出来るけど、それはしたくない。
友達になると決めたら、困っている時には手を差し伸べて、間違った道に進もうとしていたら殴ってでも引き止める。そんな関係を”友達”だと思うんだ。
なら、教育するか。
まだ10歳の小学4年生だ。人格が固定されて矯正が難しくなる前に、人の幸せを願い、人の不幸を悲しむことができるように、教育しよう。
そうなれば、綾乃ちゃんも安心出来るだろうしね。
*
「まぁ、そんな感じで初日は大変でしたよ」
「へー、お疲れさん。まぁ飲みなよ」
もみじさんがそう言って缶のノンアルコールビールを注いでくれるので、グラスを傾けて泡が立ちすぎないように酌をうける。
ドラマの撮影開始から数日後、うちに演技レッスンに来ていたもみじさんと晩酌をしていた。最初の頃は恐縮して遠慮していたのに、今ではすっかりくつろいでいる。
「いやー、あたしの出番はまだ先だけどさ、他人事とは思えないよね」
「いやいや、もみじさんならもう大丈夫ですって」
そう言いながら、もみじさんに酌を返す。ノンアルコールじゃなくて普通のビールだ。父さん用の瓶ビールである。ちなみに、小鳥さんと伊澄さんは別に仕事があるため、今日来ているのはもみじさんだけだ。
「おっとと……悪いね、教えてもらってるのにご馳走になっちゃって」
泡があふれそうになるのを飲んで回避したもみじさんの鼻の下に白ひげが出来た。17歳のハズなのにいい飲みっぷりだ。ちなみに、もみじさん演じる3番目のヒロインは、4話からの登場になるのでしばらく出番はない。しかし、初のドラマ出演に賭けているとのことで、時間が合ったらうちに来てレッスンをしている。
「私も歌とダンスを教えてもらってますから、持ちつ持たれつですよ」
「もう、ナナちゃんにはあまり教えることもないけどねー。あ、この枝豆おいしい」
「それ、山田から貰った枝豆ですよ」
「山田……? あぁ、雪白くんね」
雪白?と思ったら山田の芸名か。現場ではみんな山田呼びしてるのでピンとこない。
「なんでまた枝豆なんて貰ったのさ?」
「ほら、山田が出演してるバラエティで『至高の野菜を作れるか』って企画があるじゃないですか。それで育ててたのをお裾分けしてもらったんですよ」
「あー、アレねっ! へー、すごく美味しそうだったから食べてみたいなーと思ってたんだけど、まさか本当に食べられるとは思ってなかったよ」
そう言いながら、もみじさんは美味しそうに枝豆をもりもり食べて、ビールをあおっている。山田から貰った枝豆は、母さんに塩茹でしてもらっただけだが、噛みしめる度にほのかな甘みと旨味が口の中に広がり、塩味がちょうど好い塩梅でビール(ノンアルコール)によく合う。酒(ノンアルコール)のツマミに最高だ。
そして同じくおすそ分けされた茄子も、シンプルな焼き茄子に鰹節をまぶしてポン酢かけ、揚げびたしに、茄子の天ぷらと茄子づくしだ。
一之宮さんをおとなしくさせた報酬に、山田から予定の一キロより多く、ダンボール一箱分づつもらったのだ。新鮮なうちに食べないともったいないから枝豆&茄子パーティで極楽である。
「ただいまー。おや、お客さんかい。いらっしゃい」
「父さん、おかえりなさい」
「あ、お邪魔してます……先に頂いています」
リビングで晩酌していたら父さんが帰ってきた。いつも定時上がりなのに今日は珍しく残業してきたようだ。とはいえ、まだ夜の8時くらいなのでホワイト企業だろう。
ちなみに良い子な弟の和樹は、すでに寝てしまい布団の中だ。遊びがてら一緒に演技レッスンをしていたので、疲れたみたいだ。
「おー、枝豆か。うまそうだな」
「父さんも食べる?」
「いや、汗かいたから先に風呂入ってくるよ。もみじちゃん、ゆっくりしてくれな」
「はい……」
そう言うと父さんは鞄をリビングに置いて風呂場に歩いていく。ワイシャツが汗で濡れているのを見ると、まだ外は熱気がすごいのだろう。昼間の撮影も、廃校になった公立中学校なのでクーラーなんて文明の利器はない。したがって涼む方法は持ち込んだ業務用の大きなサーキュレーターか、休憩時にはロケバスに避難するしかない。マジで暑い。
「はぁ、ナナちゃんのお父さん、格好いいよねぇ……」
「……不倫はダメですよ」
「いやいやいや、そんな気はないよ?」
目がハートになっていたもみじさんを、ジト目で睨みながら釘を刺す。身長190cm弱の鍛えたレスラー体型のイケメンゴリラな父さんは、プロレス好きのもみじさんの好みにドストライクのようだった。うちに来て初めて会った時から、父さんの前では借りて来た猫のように大人しくなっている。
「はぁ〜、どこかにイケメンなレスラーでも落ちてないかなー。高収入の」
「アイドルやってるならモテるんじゃないんですか?」
「うーん、今は忙しいし、出会いもないし、あってもあたしに寄ってくるのはひょろガリのロリコンばっかだしねー」
「合法ロリ枠なんだから仕方ないじゃないですか。ちなみに、うちの父さんは巨乳好きですから諦めて下さい」
「くっ! 格差社会が憎い……」
父親の性癖なんて知らないけど、母さんが大きいので間違いないだろう。不倫予防のためにも希望はへし折っておくに限る。
「とりあえず、食べ終わったら今度は歌のレッスンをお願いしますね」
「ナナちゃんがんばるねー、もうアイドルデビューしても問題ないくらい上手くなってるのにさ。それにドラマじゃ学生バンドって設定でしょ? あまり上手になっても意味ないんじゃないの」
「そうですけど、本番までにはなるべく上達しておきたいんですよ」
いま撮影している『未来の君に、さよなら』では、主人公の親友役が他校の友達と組んでいたバンドから追放されたため、主人公とヒロイン、そしてサブヒロインの私が、それぞれの〈未来〉の実現のため協力し合うという活動方針の元に、素人バンドを結成して街主催の野外ロックフェスに出場するというエピソードがある。
主人公はド素人だけどギター担当、親友役はプロレベルの腕前のドラム、ヒロインはピアノを習っていたのでキーボード、そしてサブヒロインの私がボーカル担当なのだ。
3番目のヒロインはこのエピソードからの登場となり、ベースを担当する。
ドラマでは主人公が断トツでへたっぴという設定だけど、実際は違う。山田と赤城くんが所属する『COLORFUL』は、先輩アイドルの影響でバンドにも力を入れているので、小学生にしてプロ並みの腕前だ。いや、すでにデビューしてるからプロなのか。
山田がリードギター、赤城くんはドラムと、『COLORFUL』での担当とドラマの担当が同じなのは、得意だからこそ役に抜擢されたのだろう。そしてヒロイン役の真由ちゃんもピアノを習っているし、もみじさんはアイドルデビュー前に下北でギターの流しをしていたとの事でかなり上手かった。ベースも問題ないってさ。
つまり、私のボーカルが断トツで素人レベルという事だ。
うちの子役事務所では、演技レッスンや殺陣、日本舞踊や所作などの、基本演技や時代劇に強いレッスンが受けられるけど、歌のレッスンはみんなで合唱するだけのレベルだ。アイドルや歌手が歌うような技術は習ってない。
もみじさん達から歌とダンスを習っておけば、そのうち何かの役に立てばいいかなーと、気軽な気持ちで交換条件を提案してみたけど、まさかこんなに早く役に立つとは思わなかった。
さすが私、先見の明があると、この前さすわたして篠崎さんにドヤ顔したらデコピンされた。
「はーい、飲み終わったならレッスン再開しますよー」
「あー、まだ残ってるから!」
私が空になった瓶ビールを片付けようとすると、もみじさんは瓶に少し残っていたビールをついで美味しそうに飲みほした。
「くぅ〜! いつもは発泡酒ばかりだから、やっぱりビールは美味しいねぇ」
「発泡酒? もみじさんも結構稼いでるんじゃないんですか?」
「いやー、今はそこそこ貰ってるけど、最近までは全然だったからね。それに、アイドルの賞味期限なんて短いし、いつ干されるか分からないから節約してるんだよー」
永遠の17歳でも、寄る年波には勝てないのか。まぁ、毎年新人アイドルはデビューするし、成人過ぎた辺りでどんどん卒業していく。成人済みのもみじさんなら後数年ってとこかな。だから、いつでも女優業に転向できるようにと、熱心にレッスンしているようだ。
もみじさんが最後の一滴まで飲みほしたので、食器を片付けようとしたら、スマホが震えた。もみじさんも同時にスマホが震えたと思ったら、伊澄さんからグループメッセが来たようだ。
「いすみん、仕事が終わったから今から来たいらしいね」
「んー、別に私は大丈夫ですけど……『これから私の歌のレッスンなので、それでも良ければどうぞ』と」
送信ボタンをタップしたら「ピンポーン」と間髪おかずにチャイムが鳴った。
「え?」
「いすみんが来たのかな?」
「いや、今レスしたばかりですし……」
そんなまさかと思いながら、恐る恐るインターホンを確認すると、モニターには伊澄さんが映っていた。手櫛で髪を整えながらそわそわしている。
「ホントに来てる……あの、これ断ってたらそのまま帰ってたんですかね?」
「多分ね。いすみんはそういう子だから」
どういう子だよ、ちょっと怖いよ。
とりあえず待たせるのも悪いので、上がってくるようにイターホンで伝えてロビーのドアのロックを外す。嬉しそうに微笑む伊澄さんを確認してインターホンをきった。
「前に同じようなことがあったからどうしてか聞いたらさ、『断られたらと思うとなかなか連絡出来なくて、迷ってるうちに着いちゃう』んだってさ」
「そう聞くと、普段は勝ち気な伊澄さんがシャイで可愛らしく思えますけど……少し怖いですよね」
「まぁね。でも慣れるよ」
慣れるのかよ。
メッセージが来たらすでに家の前とか、メリーさんかな。