20
目が覚めて、目覚まし時計を止めるとベルが鳴る10分前。私は寝起きがいいので、いつも目覚ましが鳴る前に起きる。
カーテンのすき間から朝日が差し込み、窓を開けると外は雲ひとつない快晴だった。
今日から夏休み。
そして、夏休みは子役の稼ぎ時であり、ドラマの撮影やその他もろもろの予定でびっちり埋まっている。
今日も仕事だ。
軽く鬱になりそうになったので、枕元に置いてある大きなクマのぬいぐるみの背中のファスナーを開いて、中から銀行の通帳を取り出す。9桁の数字が並んだ通帳が5冊。まとめて貯金しておくのは怖いので、複数の銀行に分けてある。
世の中金だ。金があれば何でも買える。夢も希望も、人の命も金次第だ。お金があれば過労死なんてしなくてすんだ。
通帳を眺めながらニヤニヤしていると、自然と今日も頑張ろうという気になれる。
よし、ニートになってのんびりするために、あと数年がんばって稼ぎますか。
そう考えていたけど、朝食後に私の決意はもろくも崩れさることになった。
*
「ぼく、パパとけっこんする」
「え? そこはお姉ちゃんじゃないの?」
ルームランナーやストレッチなどの日課をこなし、朝ごはんを食べてから牛乳をジョッキで飲む。そして弟の和樹と一時のふれあいを楽しんでいたら、まさかの爆弾発言だ。
「だって、おねえちゃんはあんまり遊んでくれないし、パパはおやすみになると、いつも遊んでくれるんだ!」
「へ、へぇ…… でもね、カズくん、男同士じゃ結婚できないんだよ?」
「そうなの? じゃあ、ママとけっこんする!」
「おぅふ……」
仕事にかまけていたら、いつの間にか弟の家族内好感度の最下位になっていた。いや、別に本気で結婚したいなんて思ってないけど、言ってほしい姉心というやつだ。娘に「大人になったらパパのお嫁さんになる」と、言われたがる父親と同じような。
「きょうね、パパと公園にいくんだけど、おねえちゃんはお仕事なんでしょ?」
「うーん、そうだけど、今日はお休みしちゃおうかな……」
そういえば今日は土曜日だったのか。仕事で休みが無いから曜日の感覚があいまいになっている。ここ数年、休日に和樹と遊んだことはおろか、家族でお出かけした記憶がないや。今さらだけど、ものすごく親不孝者なのではなかろうか。
お金で買えないものがあった、家族との思い出はプライスレスだ。
「よし、私、子役辞める。今日はみんなとお出かけする」
「ダメよ。辞めるのは構わないけど、周りの方に迷惑かけないようにしなさい」
「えぇ……」
「もうすぐ篠崎さんが迎えにくる頃よ。支度はできてるの?」
そう母さんが小言をいうと『ピンポーン』とチャイムが鳴る。下のエントランスに篠崎さんが到着したようで、母さんが応対に出た。間もなく家まで上がって来るだろう。
もう着替えているし昨夜のうちに支度はしているので、玄関での母さんと篠崎さんの立ち話しが終わったらすぐ出られる。
「菜々美は、子役が嫌になったのかい?」
「うーん、そういう訳じゃないんだけど、子役を始めてからあまり家族で出かけたこと無かったなと思ってね」
父さんが、新聞を広げて朝食後のコーヒーを片手に話しかけてくるので、私は和樹を膝の上に乗せながら答えた。
「そうだな、昔はよく遊びに出かけていたけど、最近はないなぁ」
「ちょっと親不孝かな、と思ってさ」
「そんなことはないさ。父さんは菜々美が頑張ってるのは知っているから、親は子供がやりたいと思ったことを応援するものだ」
「うーん、私は別に子役をやりたかった訳じゃないんだけど」
「そうなのか?」
「テレビで子役が儲かるってやってたのを見てね、将来楽したいなーと思って。だから子役は手段かな」
私がそう言うと、父さんは飲んでいたコーヒーをテーブルに置いて真面目な顔になると、
「始めるきっかけはそうでも、やっていくうちに変わることもあるさ。父さんは菜々美は役者に向いていると思うし、生き生きしているように見えるぞ」
そう言って優しく笑いながら、わしわしと頭を撫でてくる。せっかくセットした髪が乱れるけど、悪い気はしないのは何故なのだろうか。
玄関から母さんが呼ぶ声が聞こえたので、篠崎さんとの立ち話しが終わったようだ。和樹を膝からおろして立ち上がり、バッグを担いで玄関に向かおうとした私に、
「まぁ、一度しかない菜々美の人生なんだ、よく考えて、後悔のないように生きなさい」
そう、父さんが声をかけてくる。
さすが一家の大黒柱、言葉に重みがある。前世では後悔しかなかったし、ブラック会社就職してからは生きるのに精一杯でそんなことを考える暇も無かった。
まぁ、今は二度目の人生中なので、前世を反省して、将来働かずに生きたいという目標をかかげているんだけど。
流石に三度目に突入とか、ないと思いたい。
「父さんは後悔とかないの?」
「たくさんしたけど、今が一番幸せだな」
そう言って和樹を抱っこして笑っている父さんは、本当に幸せそうだ。私も昔はよく抱っこされていたのを思い出す。
けど、私にはそういう普通の幸せはムリだな。男と恋愛する気にもなれないし、女の子にときめくことも息子とともに無くなってしまった。だから将来、ひとりでも楽して生きるために子役で稼ごうと思ったんだ。
子役……役者が好きかどうかなんて考えたことがなかったな。
「いってきます。大好きだよ、パパ」
そう言って玄関に足を向ける。
とりあえず、少しは親孝行をすることにしよう。
深夜にひとりで編集が終わった「俺の名は」のBRDを見て、父さんが泣いていたのを目撃した。感動して泣いているのかなと思ったら、悔し涙だった。
「パパ大好き」なんて、プライベートで言ったことがなかったからね。前世の記憶が無かったら、和樹みたいに「大好き」と無邪気に言えたんだろうけど、演技で言えても素面では言えなかった。
玄関で篠崎さんに挨拶をして靴を履き、家を出ようとしたら、父さんの咆哮が響いた。
*
「……という訳で、夏休みに少しは休みが欲しいなと思いまして」
「ナナが、休みはいらないから仕事を入れてくれって言ったから、びっちり予定が埋まってるわよ」
「ですよねー」
基本的に学業優先だから休日に仕事が入るので、長期休み以外は休みが無い。しかし夏休みは稼ぎ時だ。
平日は学校があるからフルに仕事を入れられないから、稼ぐだけ稼ごうとしたのだ。
身から出た錆である。
今はドラマのロケ地まで篠崎さんとドライブ中で、都心部から離れたところにある廃校になった中学校を目指している。
他のキャストやスタッフさん達はロケバスで現地まで移動しているけど、私は篠崎さんがいるので現地まで直行だ
「でも、調整すれば週一で休みを入れられるわよ」
「ほんとですか!?」
「元々、オーバーワークだから融通はきかせるわ。土日がいいんでしょう?」
「はい、家族でお出かけしたいなと思いまして」
私は夏休みだけど、父さんは働いてるからね。社会人は盆休み以外は会社だ。
「分かったわ、とりあえず次の週末はどちらか休みにするから」
「やった! 篠崎さん大好き!」
私がそう言うと、車がブレる。篠崎さんがハンドル操作を誤ったみたいで、高速道路の中央分離帯の壁に激突しそうになった。
「ちょっ!? 危ないですよ!」
「ナナが急に変なことを言うからよ」
日頃から感謝をこめて大好きと伝えるのも大事だなと、父さんの件で思ったので篠崎さんにも言ってみたんだけど。
「じゃあ、もう言いません」
「……運転中以外だったらいいわよ」
「言いません」
何故かチラチラとこっちを見てくるけど、危ないから前見て運転してくれませんかね。
*
ロケ地の中学校に着くとすでにロケバスが到着していて、撮影の準備が始められていた。スタッフさん達は忙しそうに準備に走り回ってる。
「おはようございまーす」
「ナナちゃん、おはよう!」
段取りを話し合っている監督さんやスタッフさん達に挨拶をして、控室代わりの教室に入ると、山田と赤城くん、それに真由ちゃんがすでに待機しいた。
「お姉さま、おはようございます!」
「ぐふっ、真由ちゃんおはよう」
真由ちゃんが突進してくるので中腰で受け止める。避けると色々と面倒なことになって、よりスキンシップが過激になるから、正面から受け止めるのが一番被害が少ないのだ。真由ちゃんがそのまま抱きついてくると、頬を上気させながら首筋の匂いを嗅いでくる。
「ま、真由ちゃん、制服がシワになるから抱きつくのはやめようか」
「はーい、お姉さま」
今日は中学生として撮影するので、お揃いの制服を支給されている。シワになったら大変なので、そう真由ちゃんに注意したら大人しく離れてくれた。仕事中は真面目にやってくれるので助かるから、いつも大人しく言うことを聴いてくれたら楽なのに。
「ナナちゃん、おはよう」
「ナナさん、おはようございます!」
「おはよう、今日はよろしくね」
山田が朝から疲れたように、赤城くんが元気よく挨拶してくる。対照的な2人だけど、山田がいつもより疲れているように見えた。
「なんか山田くん、朝から疲れてない?」
「昨日はロケで枝豆の収穫をしていたからさ、ちょっと筋肉痛なんだ」
そう言って疲れたように微笑む山田は、農家の顔をしている。
「それって、いつもの番組企画のやつ?」
「そうだよ。もうすぐ茄子も収穫しないといけないから忙しいんだよね」
『至高の野菜を作れるか』という番組企画で、農業アイドルに混じって山田が準レギュラーとして出演しているので、共演のたびに野菜について熱く語られている。
初対面の時に酪農もやってみたいと言った山田に、酪農の厳しさをこんこんと説いたのがいけなかったのか、何故か農家仲間の認定をされたようだった。
前世で近所の親戚が肉と乳牛をやってたから、子供の頃から手伝いをしていたんだけど、酪農は大変だ。基本的に生き物相手だから休みはない。休みたかったら農協からヘルパーさんを雇うしかなく、その料金も高い。年に数回、用事ある時に使うかどうかだ。
朝は早いし、夜もそこそこ遅くなる。昼は暇だけど。
餌を全て買っていたら破産するから、餌用のトウモロコシなどを育てて、それを機械で砕いてサイロに貯蓄しないといけない。それ以外にも近所の米農家から藁ロールを安く仕入れるために、農協からロールにするための機械を借りるか自腹で揃えて、田んぼの藁を自分でロールにする必要がある。したがって近所付き合いもかかせない。
漫然と経営していれば、少し前の石油高騰で家畜の飼料が値上がりして負債がかさんだり、もう一昔前ならBSE騒ぎのあおりを受けて離農する農家もいたりで、大変なのだ。
だから、酪農はそんなに甘いもんじゃないと山田に説明したら、何故か目を輝かせて「僕と一緒に農業をやらないかい?」と爽やかに言われた。
まるで農家のプロポーズみたいだけど、どうやら『COLORFUL』では、他に農業に興味があるメンバーがいないらしく、先輩アイドルの農業企画への参加も山田オンリーらしい。
そりゃ、首都圏に生まれ育った都会っ子が、農業に興味を持つわけがないだろう。田舎で育っても農業に魅力を感じる人が少ないから、継ぐ人も減って後継者不足が問題になってるんだし。
「僕はね、COLORFULを日本の農業の希望にしたいんだ」
そう、今も熱く語る山田は、年相応の純粋な笑顔を浮かべているが、言ってることは全くアイドルらしくない。
「へー、すごいね。とりあえずリハしようか」
今日はドラマの撮影だ、日本の農業の未来について語り合う場じゃない。
それにしても、歌って踊れてバンドも出来て、役者やバラエティの司会もやれば、農業工業大工も出来る。
アイドルっていったい何なんだろう。