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「もうやめたい……」


「だから勝手に仕事を受けるなと言ったでしょう」


 ただいま深夜の二十五時。仕事帰りの車中で思わずぼやいたら、運転しているマネージャーに怒られた。篠崎(しのさき)理香子(りかこ)さん、見た目二十代後半のスーツ姿と眼鏡がよく似合うクールビューティ。だけど、出会った七年前から見た目二十代後半のままなので実年齢は不明。おそらく三十路半ばだとは思うけど、怖くて聞いたことない。


「だって、お世話になった監督さんから頼まれちゃったし……」


「はぁ……あのね、何度も注意してると思うけど、勝手に仕事を受けられると困るのよ。最近は仕事を入れすぎてたから減らすように調整してたのに、意味ないじゃない」


 赤信号で車を止め、ハンドルを握りながらチラリと私を見る目は静かに怒っているようだ。助手席に座っている私はそっと目をそらす。

 普通、仕事のオファーは事務所を通し、専属マネージャーである篠崎さんの方で選別してから私の方に話がおりてくる。いくつか重なった場合は、提示されて私が選ぶこともある。

 そして、スケジュールに空きがなかったりして篠崎さんの方でお断りした話が、直接わたしの方にお願いされる時があるのだ。撮影の休憩中とか、篠崎さんが見てない時に「こういう役があるんだけど、ナナちゃんやってみない?」みたいな感じで。

 見知らぬ相手やあまり接点がなかった人なら、事務所を通してもらうよう丁重にお断りするのだけど、お世話になった相手だと断れなくて受けてしまう時がある。たぶん、ノーと言えない社畜精神が刷り込まれているんじゃないかな。

 そして、私が受けたとなると嬉々としてスケジュールを組み込み、後から断れないように速攻で外堀を埋め立てられるのだ。その尻拭いで篠崎さんがスケジュール調整のために奔走するハメになり、私に雷が落とされる。忙しいのは自業自得なんだよね、ごめんなさい。


「それと、オフの日はおとなしく休んでなさいと言ってるのに、また習い事を増やしたんですってね……次は何を習い始めたの?」


「えーと……カポエイラ」


「………カポエラ? また変な映画でも見て触発されたの?」


「変な映画じゃないよ! カポエラで不良を更生させたり、生徒のためにカポエラでギャングと戦うんだよ! 卒業式のカポエラダンスとかカッコよかったし!」 


「……ただのB級映画よね、それ」


 篠崎さんは呆れているが、何が役に立つか分からないんだし、もしかして刑務所でカポエラマスターから教えてもらう役がくるかもしれない。……そう思って習ってみたのだけれども、冷静に考えたらそんな役が私にくる可能性は低いかも? ま、まぁ、もしかしたら役立つかもしれないし、無駄な努力じゃない……ハズ。


 演技の勉強の一環として、映画やドラマをよく見るようにしている。特に昔の名作と言われている邦画はひと通り観た。往年のスターと言われている役者の演技は存在感が違う。今見ても色あせない輝きがある。

 そして、海外の有名な映画もだいたい見たので、最近は世間でB級と言われている映画にハマっている。詰まらないものはとことん駄作だけど、中には妙に面白いものがあるのだ。


「それにしても、カポエラなんてどこで習ってるの?」


「新道先生のとこ。相談したらカポエラもやってたから教えてくれるって」


「あぁ、あの先生、カポエラもやってたのね……」


 と、またまた篠崎さんが呆れたところで、信号が青にかわったのでアクセルを踏んだようだ。緩やかに発進すると、環状線沿いのネオンが後ろにながれていく。深夜といえど都心はライトを付けなくても問題ないほど明るい。


 新道先生は殺陣(たて)を教えてくれている新道流古武術の師範で、表向きは殺陣を教えてくれる魅せる武術なのだけど、裏では実践的な武術を教えてくれる。

 先生は若い頃に世界中を渡り歩いて、道場破りまがいの放蕩の旅をしていたらしい。そこで仲良くなった武道家から他流派を教えてもらい、代わりに自分の武術を指導するということを繰り返していたと、笑いながら教えてもらった。


 私は半年くらい通ったら「筋もいいし、本格的にやってみるか?」と誘われたのだ。演技の引き出しのためと、護身術にもいいかなと思って軽い気持ちで通ってみたら、人体を効率よく壊す術を学ばされた。月謝四千円で。


「とにかく、次は勝手に仕事を受けたら何がなんでもキャンセルするわ。そして万が一、違約金が発生したらナナのギャラから天引きするから、そのつもりでね」


「えぇ〜〜っ!!」


 契約書が無くても違約金が発生するのがいい加減な芸能界クォリティー。口約束での依頼も多いし、実際には損害賠償みたいなものだけど。


「異議は受け付けません、少しは休まないと体壊すわよ。それに菜摘(なつみ)さんも、最近ナナが働き過ぎなのを心配していて、仕事量を減らすように注意されてるのよ」


「で、でも、今は子役として稼ぎ時だし……」


「ナナは十分稼いでるでしょう。貴方ほど稼げてる子は他にいないわよ。明日はもう仕事を入れないように調整したから、レッスンや習い事も控えてゆっくり休みなさい。いいわね」


「えぇ…… 明日、お仕事ないなら学校だよ?」


「………そうだったわね。仕方ないから、学校の後はゆっくりしてなさい」



 明日は金曜日、出席日数がただでさえヤバイのに、疲れているからといって休むわけにはいかない。……義務教育だから留年とか無いとは聞いてるけど、大丈夫だよね?

 そして、菜摘さんとは私の母さんの名前である。最近、帰りが遅くなることが多かったから、仕事を減らすように再三注意されたんだった。

 まぁ、そうは言っても明日の放課後は暇になるなら、黙ってなにか習い事に行けば大丈夫かな。乗馬にでも行こうかな、近場にいいクラブがあるし、久々に馬にも乗りたいしねー。古武術と乗馬は続けている数少ない習い事なのだ。


 馬はいいぞー。あのつぶらな瞳が癒されるし、キリッと締まった馬体がかっこいい。頭も良くコミュニケーションもとれるから可愛がれば応えてくれし、障害で跳ぶときとか人馬一体の浮遊感がたまらなく気持ちいいのだ。


「菜摘さんに学校の後は習い事は控えてゆっくり休ませるよう、伝えておくからね」


 篠崎さんの言葉にギクリとする、どうやら私の行動を読まれていたようだ。仕方ないから積んでいた映画でも観るかなー。映画を観るだけなら大丈夫だと思うけど、篠崎さんに言うとそれすら止められそうだから黙っておこう。


 信号を曲がると、我が家があるマンションの前に着いたので、私は手元のポーチからカードキーを出してセキュリティゲートにかざす。ゲートが自動的にひらくと、篠崎さんが車を進めて地下の駐車スペースで駐める。

 ここまで送ってくれれば十分なんだけど、篠崎さんはいつも家の扉までついてきてくれて、母さんに挨拶をしてから帰るのだ。真面目だなぁ。

 地下の駐車場からエレベーターに乗って12階へのボタンを押す。もう深夜のため人気はない。高級住宅街の一角に建っているマンションの最上階に我が家がある。

 前は郊外のベッドタウンの一軒家に住んでいたのだけれど、一年半くらい前に引っ越した。私が子役として有名になるにつれ、小さな庭付きの一軒家ではセキュリティ的に問題だったのと、ちょっとした騒動があった時に、ファンや芸能記者などが朝から家の前に張っていたりして、静かに暮らすには限界だったからだ。


 元々(前世)、田舎育ちだから郊外の一軒家の方が好きだったんだけどね。庭も小さかったけど、母さんがガーデニングが好きで丁寧に手入れをしていたから、春先には色とりどりの花が咲いたりして綺麗だったなぁ。……不法侵入があいついで踏み荒らされてしまったけど。

 学校も公立に通っていたんだけど、授業もまともに受けられない状態になってしまったので、知人の紹介で私立小学校に転校し、それと同時にセキュリティがしっかりしたマンションに引っ越したのだ。




「夜分遅くなって申し訳ありません」


 私がカードキーで扉を開けると、母さんが寝ずにリビングで待ってくれていたようだ。玄関まで出迎えてきた母さんに篠崎さんが頭を下げている。


「あらあら、こんなに遅くまで、お疲れさま」


 にこにこと微笑みながら出迎えてくれているが、目が笑っていない。こんなに遅くまでナニやってんだゴラァって目をしてる。怖い。

 父さんが飲んで帰ってきて午前様になったときの笑みだ。


「後で連絡いたしますので、今日はゆっくり休ませて下さい。それでは」


 サッとお辞儀をして踵を返して帰っていく。篠崎さん、逃げたな。いつもなら母さんと少し話してから帰るのに……


「……菜々ちゃん」


「は、はいっ!」


 母さんから圧が放たれ、じっと私を見つめてくる。私が思わず身をすくませていると、ふぅ、とため息を吐いてそっと頭を撫でてきた。


「今日はもう遅いから、お風呂に入って早く寝なさい」


 本当に心配しているという顔だ。小学生がこんな時間まで働いていたら、普通は心配するよね。ほんと申し訳ない。


「……お話は、明日、ね」


「……はい」


 お説教は明日に伸ばされただけのようだ。

 母さんに促されてとぼとぼと風呂場に向かうと、着ていた服を洗濯カゴに投げ入れる。マッパになったら髪をアップに纏めて湯船に身を沈める。


「あ゛あ゛あ ぁ ぁ……」


 思わずおっさんみたいな声が出るけど、前世から合算したら、もうアラフォーに差しかかる頃だ。おっさんだからセーフである。

 温めのお湯がこりをほぐし、湯船を薄く染めているドライハーブから優しい香りがただよい、心身ともにリラックスさせてくれる。成人男性でも楽に足を伸ばせる大きな浴槽は、傾斜がついていて寝そべられるようになっている。そこに身を任せて湯にたゆたいながら、ぼーと一日を振り返る。


 前世の感覚からいうと、今の状態はそれほど忙しいという気もしないんだよね。だって毎日家に帰れてるし、普段はちゃんと睡眠時間を6時間は確保している。

 昔はニ徹三徹は当たり前で、会社の机の下でダンボールを敷いて仮眠する毎日だった。それと比べたら今はまだまだ余裕だ。サービス残業で薄給の前世と違い、働けば働くだけ収入が増える、評価もされる。そのため調子にのって、仕事やレッスンを入れまくってしまった。


 だけど、今はまだ小学生の身で、体が出来上がっていないためか夜になると眠くなるし、少し疲れが溜まってグチが出た。


 それと、趣味の時間が確保できてないのが辛いなー。昔は漫画、ゲーム、アニメとややオタクよりの趣味もあったけど、サッカーやスポーツもそこそこやっていた。ごくごく平凡な趣味だ。

 だけど、社会人になってから時間がなくて一切手をつけてなかったし、今は趣味の時間なんて皆無だ。もう何年仕事漬けなんだろう。学生の時はオンラインゲームで遊んだりしていたけど、当然、今はそんな暇はないから無理だな。


 だけどそれも、あと数年。


 子役として稼ぐだけ稼いだら、私ニートになるんだ。義務教育を終えたら高校は行かなくていいよね。ゲーム三昧、オンラインゲームにセカンドライフをゆだねたい。平均寿命が八十年と考えて、十年ほど頑張れば残りの七十年を遊んで暮らせる。最高じゃないか。


 すでにサラリーマンの生涯収入の数回分は貯めた。それ以上に税金を持っていかれて血の涙を流した。

 稼げたならもう子役を辞めればいいじゃんと思うけど、収入が増えると生活水準が上がって、かかるお金も増えてしまう。


 だから、小学生のうちに頑張れるだけ、頑張るのだ。




 と、ぼーと将来設計を練っていたら寝落ちしていたらしく、風呂場に様子見にきた母さんにしこたま怒られた。もう寝たいけど、髪の毛も乾かさないと翌朝ひどい状態になるからなぁ……


 うつらうつらとしていたら、母さんが髪を乾かしてくれて、そのまま寝落ちした私をベッドまで運んでくれていた。




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