16
「起きて、カブトムシとりに行くよ」
「はぁ!?」
寝ていたところをイヤな女に起こされたと思ったら、まだ外はうす暗い。部屋を見わたすと母さん達はまだ寝ているようで、静かな寝息だけが聞こえてくる。
小学校に入って初めての夏休みに、映画の撮影のために山奥の旅館に泊まっていた。テレビは変な番組しかやっていないし、遊びじゃないからとゲーム機を持ってくるのは母さんに禁止されるし、周りは森と山しかない退屈な場所だった。
初めて大きな役をとれたから母さんも喜んでくれたけど、いざ撮影になったら監督には怒鳴られて、何度も撮り直しをさせられる。自分ではちゃんとやっているつもりなのに、何が悪いのか分からない。
『ナナちゃんのように自然に』『ナナちゃんのように感情を込めて』『ナナちゃんみたく頑張れ』『ナナちゃんのように』『ナナちゃんのように』
もう、なんど『ナナちゃんのように』と言われたわからない。前から母さんにも『ナナちゃんのような子役になりなさい』といわれて嫌になっていたのに、本当にムカつく。
「昨日言ったでしょ、カブトムシとりに行くって。ヒロものり気だったじゃない」
「だって、まだ外は暗いだろ」
「明け方に行かないとダメなんだよ。ほんとは夜中がいいんだけど、流石にそんな時間に抜け出したら怒られるでしょ。さあ、準備して」
イヤな女にうながされて、母さん達を起こさないようにリュックをあさる。畳の四人部屋に俺の母さんと、イヤな女とそのマネージャーで泊まっていた。別な部屋が良かったのに、共演者どうしで仲良くしろと言われて同じ部屋になっていたんだ。
薄暗いなか手探りで服を探して、起こさないように着替えたら、イヤな女が文句を言ってきた。
「ヒロ、そんな格好で森に行くつもり? 長袖は持ってきてないの?」
「ないよ。別に寒くないからこれでいいだろ」
「ダメダメ。蚊にさされるし、藪で怪我するから。私の着替え貸すからその上から着て」
「ピンクの服なんてヤダよ!」
「んー、白いジャージなら大丈夫でしょ?」
そう言って白いジャージを渡される。だけどら手首や足首のところがピンクになっていて、あきらかに女物だ。男の俺が着られるかと文句を言ったけど、「慣れればなんてことない」と強引に着せられた。
外に出るとやっぱりまだ薄暗く、なんだか空気がジメッとしていて、旅館の裏の森の中は気味の悪いくらい真っ暗だった。俺が森に入るのをためらっていると、
「怖いの? なんだったらここで待っててもいいけど」
「こ、怖くなんてねーよ!」
そう、イヤな女が言ってくるので、つい強がってしまった。
森に入ると、足元には背の低い木がうっそうとおおい茂っていて、ところどころかき分けて進まないと前に進めない。半そで短パンで来ていたらあちこちすり傷が出いていたかもしれない。イヤな女の言うことを聞くのはしゃくだったけど、ジャージを着てきて正解だった。
イヤな女は懐中電灯を照らしながら、どこからか拾った木の棒を振り回してクモの巣を壊しながら進んでいく。
「ほんとに、こんな所にカブトムシがいるのかよ」
「多分ね。昨日のうちに樹に蜜を塗っといたから集まってると思うけど。それにすぐ近くだから……ほら、あそこ」
イヤな女が懐中電灯で照らした樹を見ると、黒光りする虫が六匹くらい集まっていた。
「んー、カブトムシはいないねぇ。ミヤマクワガタと、こっちはオオクワガタかな」
「オオクワガタ! ほんとか!?」
樹をよく見ると、デパートで売っているものより、一回り大きなオオクワガタが張り付いていた。その周りにも同じくらいの大きさで変な形をしたクワガタがいる。
「かっけー! オオクワガタもかっこいいけど、こっちの変なのもかっこいいな!」
「そっちはミヤマクワガタね」
ずんぐりとしたオオクワガタと、見たことないギザギザした虫、ミヤマクワガタというのか。かっこいい!
「とりあえず、オオクワガタとミヤマクワガタだけでいいかな? 後はメスとカナブンくらいだし」
「全部とってかないのか?」
「いや、いらないでしょ。必要以上にとっても死なせるだけだし。虫かごも3個しか持ってきてないから、後はカブトムシ見つけたら帰ろう」
そういうと、イヤな女がオオクワガタを素手でつかんで虫かごに入れると、
「そっちのミヤマとって、虫かごに入れて」
そう言って空いていた虫かごを俺に渡してくる。
「いや、お前よくさわれるな。挟まれないのか?」
「後ろから、こう、胴のところを持てばハサミは届かないんだよ」
おそるおそる掴むと、思ったより力強くしがみついていて簡単にはがれない。
「そういうのは、ぱっと剥せばいいんだよ。ぐっと一気に剥がしてみな」
イヤな女がそう言うので思いきって力を入れると、あっさりとはがれた。ミヤマクワガタは威嚇するようにハサミを開き、足をワキワキと動かしている。
「かっこいいな!」
「でしょ? もう、いくつか蜜をぬってあるから、回ってみようか」
すこし離れたところに移動すると、また虫が何匹か集まっていて、今度は大きなカブトムシがいた。
「カブトムシだ! かっけー!」
「ちょうど、オスとメスがいるね。ペアでとっておこう。はい、虫かご」
「……カブトムシって、どうやって持つんだ?」
「小さな角を持つんだよ。長い角を持とうとすると頭が取れるから、絶対にダメだからね」
小さい角をもって強めに引っ張ると、バリッと剥がれる。黒光りするでかい胴体にりっぱな角、デパートで見たことあるけど、母さんが虫嫌いだったから買ってくれなかったカブトムシだ。デパートでみたものより全然大きい。
「かっけ〜〜!!」
オオクワガタも良かったけど、やっぱりカブトムシが一番だ。見ているとなんだかワクワクしてくる。
「こっちがメスね。とりあえず一緒にいれとくけど、後で虫かごを買って別にした方がいいかな」
「一緒にしたらダメなのか?」
「繁殖させるならそれでもいいけど、分けて飼った方が長生きするから」
「へー、お前くわしいんだな」
「お前じゃなくて、ナナだよ」
「ん?」
「昨日、そう言ったでしょ? 友達になるなら名前で呼ぼうって。私は、花咲ナナ」
そういえば昨日、俺が監督に怒られて泣いていた時に、こいつがそんなことを言ってきてたんだ。
「俺は別に友達になるなんて言ってないし」
「だから、フリだけでもいいからさ。役作りのために仲良くしようよ」
そう言って笑いながら、カブトムシが入った虫かごを渡してくる。
「くれるのか?」
「私は特に興味ないから、全部あげるよ」
「全部!? お前、いい奴だな!」
「だから、な・ま・え」
「わかったよ、友達になってやるよ、ナナ!」
これが、俺と変な女……ナナと友達になった瞬間だった。
それから撮影の合間に演技の練習をさせられたり、出番がない時に抜け出して川に遊びにいって素手で魚をつかまえたり、木の上に秘密基地を作ったり、俺の知らない遊びを色々と教えてくれた。
ナナは他の女のように、興味のない話をずっとしてきては、無視すると泣きだしたりしない。一緒に遊んでいると男と話しているような感じで楽しいし、面白い。
それに、ナナの言うとおりにすると上手くいくようになり、監督からは怒られることもなくなって、逆に褒められることも多くなった。
それから何度か共演するたびに、役作りのためと言われて色々とさせられた。
恋人役のときは、台本通りにデートのまねごとをしてみたけど、さっぱり楽しくないから途中で飽きてゲームセンターに連れて行かれた。初めて入ったゲームセンターは大人がいうほど怖いところじゃないし、知らないゲームがたくさんあって楽しかった。
殺し屋の双子役の時は半裸で抱き合うシーンの練習をさせられて、姉様と呼ぶように言われた。
「いい、私たちはチャウシェスクの落とし子。人身売買でマフィアに買われて、暴力と殺人を強要されて壊れた双子なの」
「ちゃうしぇすく?」
「昔の外国の偉い人よ。私とヒロは双子の孤児なの。お互い以外に信用できる人もいなく、壊れて、壊れて、壊れたあげくに依存しあって、人格が混ざりあって、どちらがどちらか分からなくなってるの」
「……よく分からない」
「なら、撮影が始まるまで役になりきって生活してみましょう。いい?」
「分かったよ、ナナ」
「違うわ、姉様、よ」
「……姉様」
「いい子ね、兄様」
そう言って姉様が妖しく笑い、抱きしめてくる。
それから、壊れた双子の役になりきって生活していたら、段々と役と自分の境目があいまいになってきて、姉様と本当の双子だったように思えてきた。この世界で二人きりで、姉様以外に頼れる人はいない。周りは木偶で、その命を刈ることで自分たちの命を増やすことができる。だから───、
「ヒロ、もう撮影は終わったよ?」
「え、姉様……?」
「いつまでそれやってるの? しっかりしなさい」
気がついたら頬が痛い。ナナにビンタされたみたいだ。
「ずっと妙な笑い方してたから、変なクスリでもキメてるのかと心配したよ」
「あれ? 撮影は?」
「だから、もう全部終わったって。今日は自由に観光していいらしいから、どこか遊びにいこうよ」
気がついたら見慣れない景色だった。俺はホテルのベッドに座っていて、窓の外にはテレビでみたような南国の植物がおおい茂り、白い建物が並んでいた。道行く人も褐色の肌の外国人ばかりだ。撮影は海外ですると聞いていたから多分、日本じゃないんだろう。
ここ数ヶ月の記憶がぼんやりとしているので、ナナに聞いてみたら、
「ヒロはちゃんと演ってたよ。監督さんも褒めてたじゃない、忘れたの?」
「……覚えてない」
「ふーん、まぁいいや。ロビーで篠崎さんとヒロママが待ってるから、早く行こう」
その後、一緒に観光してから日本に帰り、編集された映像を見てみると、撮影中の記憶を思い出してきた。それでも霞かかって、本当に映画を見ているようにしか思い出せないけど、テレビに映る俺は今までで一番よく演じられていた。
狂ったように斧を振り回して、壊れた笑い声をあげている姿は、今までの俺には出来そうにない演技だった。
やっぱり、ナナの言うとおりにすると上手くいく。
だから、これからも一緒に共演できると思ってたのに、急にナナと共演出来なくなった。
俺がアイドルになったから。
母さんから「覆面ライダーになりたいなら、アイドルになった方がいいわよ」と言われて、あまり考えずに頷いてしまった。覆面ライダーになりたかったのはまだ幼稚園のころで、もう小学生になった今ではそれほど興味はなくなっていたのに。
こんな事なら、アイドルを辞めて子役に戻りたいと言っても、事務所も移籍してしまったから今さらアイドルを辞めることは出来ないといわれた。
それにナナに、
「え? 覆面ライダーになりたくてアイドルに転向したの? 確かアイドル出身の覆面ライダーって少なかった気がするし…… それにギャラも安いし拘束期間が長いから、アイドルで有名になってからだと逆になり難いんじゃないの? それより、学園では話しかけるなって、なんど言ったらわかるのかな?」
と言われてさらに嫌になった。
それほど覆面ライダーになりたかった訳じゃないけど、これじゃ何のためにアイドルになったのか分からない。学園では前にもまして女たちに囲まれて話しかけられようになって、特に面白くもない話を延々としてくる。
無視したいけど、ナナからファンは大切にするように言われている。特に女、その中でも結婚している女の人は敵に回してはいけないと、何度何度も注意されている。
だけど、もう限界だ。
「俺、もうアイドルなんて辞めたいんだよ」
「やめたいなら、やめればいいじゃん」
旧校舎に呼び出されて、久しぶりにナナに会えたからグチを言ったら、あっさりと肯定された。
えっ、辞めていいのか?