12
「悪いけど、帰ってくれる?」
放課後になり、篠崎さんと合流してアイドル専門の五六八芸能プロダクションに出向いて早々、美人さんから帰還命令をだされた。
篠崎さんは相手方のマネージャーと話し合いに別室に行っていて、私ひとりが応接室でぽつんと待機し、出されたジュースをストローでちゅーちゅー飲んでいたら、不機嫌そうな美人さんの登場だ。長身でスレンダーな体型、艷やかな黒髪を背中まで伸ばしたストレートロング、少しつり目がちな目尻がキツそうな印象を受ける。
たしか、今日教える予定の白沢小鳥さんと同じユニットメンバーの、冷泉伊澄さんだったかな。
「ちょっと聞いてるの? 帰って欲しいんだけど」
「はい、篠崎が戻りましたら、そう伝えます」
いきなりの事に面食らっていた私に、伊澄さんが高飛車に睨んでくる。昔、社畜時代に高圧的な取引先との交渉は慣れていたので、私はニコリと笑って丁寧に応じた。
「今すぐかえ……もがっ!?」
「はい、ストーップ。いすみん、お客さんに失礼だよ」
応接室の扉から、また別の美少女が乱入してくると、後ろから伊澄さんの口を押さえる。そのまま流れるようにヘッドロックに移行し、冷泉さんの口を腕で押さえたまま、ニコリと話しかけてきた。
「ごめんねー。ちょっと今ごたごたしてて、いすみんも気が立っちゃってさ」
「いえ、私は大丈夫ですけど……」
ヘッドロックしたままぺこぺこと頭を下げてくるのは、また同じユニットメンバーである立木もみじさんだ。身長は私より頭半分高いくらいで、パッと見は中学生にしか見えないけど成人済み。髪型もツインテールにしているので、より幼く見える。
公式プロフィールが数年前から17歳で止まったままなのがネタになっていた。
「あ、挨拶がまだだったね。あたしは立木もみじ。白沢小鳥と同じ『ブレ☆プリ』ってユニットのリーダーをやってるんだ。よろしくね」
「花咲ナナです。本日は田貫プロデューサーから、演技指導を頼まれて伺ったのですが……何かあったのでしょうか?」
そう言ってポーチから名刺を取り出して渡すと、
「ことりんが『俺の名は』二部の粗編したやつを観てから落ち込んじゃって、『もう映画に出たくない、アイドルも辞める』って泣き出しちゃってさー」
たははー、と困ったようにもみじさんが笑う。ヘッドロックで脇の下に固定されていた伊澄さんが「ん゛ん゛ーー!」と抗議のうなり声を上げると、もみじさんの腕を振りほどいて吠えた。
「あなたのせいよっ! あなたのせいで、小鳥がっ!! ……小鳥が……ことりが……」
そう叫んだら、今度は急に泣き出してしまう。涙をこらえる伊澄さんをもみじさんがあやしはじめて、なんとも言えない空気が漂った。
どうしよう、お家帰りたい。
『アイドル相手に個人レッスン、手とり足とり教えよう。でも、言うことを聞いてくれなかったら困るなぁ』と軽く考えて来たら、なんで教える前から修羅場なんだろう。お家帰りたい。
それにしても、二部を観て落ち込む理由が分からない。二部には私と小鳥さんが絡むシーンはないし、小鳥さん演じるヒロインもあまり出番はなかったはずだけど。
それに私のせいとか、何もした覚えはないよ?
「えーと、私が何かしましたか?」
「…………演技が上手すぎるせい……かしら?」
「えぇー……」
演技が上手くて怒られたなんて初めてだ。伊澄さんも、自分で言っておきながら不思議そうにしている。
「ごめんね、タダの八つ当たりだから。いすみんの言うことは気にしないでね」
「はぁ……」
不貞腐れてる伊澄さんの頭を手で押さえつけて強引に下げながら、もみじさんが謝ってくる。
「でも、このままじゃ小鳥が……」
「それをナナちゃんに言ってもしょうがないでしょー。ナナちゃん、せっかく来てもらったのに、ごめんね」
えーと、私の演技が上手かったから、小鳥さんが落ち込んで辞めたがっていると。うん、繋がりがよく分からん。篠崎さんも戻ってこないし、とりあえず話だけでも聞いておこうか。
「すみません、詳しく教えてもらえますか?」
もみじさんから話を聞くと、前作の一部の時、前評判は良かったのにメインヒロインである小鳥さんの演技のせいで爆死してしまい、映画の批評やレビューでも小鳥さんのことが酷評されていて相当落ち込んだようだ。
それから演技のレッスンも頑張って受けてはいるものの、いまいち上達しなく、そして今回の二部を粗編したものを田貫Pから渡されて、私の演技を見て自信を喪失し、また自分のせいで三部が大爆死するのを恐れていると。
とはいえ、いまさらヒロインを降りれるわけもなく、もう全てを辞めて田舎に帰りたがっている。以上。
なんだか、思った以上に追い詰められてるんだな……
「逆に考えてさ、ろくに歌やダンスのレッスンをしてない可愛いだけの娘が来てだよ? いきなり私たちと一緒にライブして、大失敗して恥をかいたから、歌とダンスが上手い私たちが悪いんだーって言われたら、どう思う?」
「それは……その……」
「訳がわからないよね? ぶん殴りたくならない?」
私への説明を終えたもみじさんは、いまだに納得してなかった伊澄さんに、こんこんと説教していた。
説教が一段落して、伊澄さんがうなだれたところで、気になった事をもみじさんに聞いてみる。
「あの、演技のレッスンはされてたんですよね?」
「んー、そうなんだけどねー。即興劇をやらされて『もっと自然に』とか『もっと感情を込めて』とかしか言わない講師でさ。あんまり役に立ってないんだよね」
うーん、それで出来るようになったら苦労はしないよね。
「とりあえず、小鳥さんに会わせて貰えませんか? もしかしたら私でもお役に立てるかもしれませんし」
「うん、私からもお願いするよ。案内するね」
*
応接室から移動し、『ブレ☆プリ』と書かれている部屋に入ると、八畳ほどの広さにローテーブルとソファー、そしてロッカーが置かれていた。もみじさん達のユニット用の部屋なのだろう。
そのソファーに体育座りして、淀んだ空気を発している女の子がいた。小鳥さんだ。
泣いていたのか目が真っ赤に充血し、目元が腫れている。ぐすぐすと鼻をすすりながら、虚ろな目で正面のテレビを観ている。テレビには『俺の名は』二部の粗編されたものが映っていた。
「ことりん、ナナちゃんに来てもらったよー」
もみじさんが話しかけると、ゆっくりとこちらを向き、私と目が合うと慌てて立ち上がった。
「すみません、わざわざ来てもらったのに…… あの、私、映画に出るの辞めます。もうアイドルも……」
「小鳥っ! 一緒にトップアイドルを目指そうって約束したじゃない!」
「もう無理だよ…… 何度も何度も何度もリテイクさせられて、監督からも怒られて、私のせいで沢山の人に迷惑かけて……」
伊澄さんがかけよって励まそうとするも、小鳥さんはうつむき、自分の腕を抱いて小刻みに震えている。そんな小鳥さんにもみじさんが近寄り、そっと手をとる。
「ことりん、だからって逃げたら、もっと迷惑かけることになるんだよ?」
「それは……」
「せっかくナナちゃんが来てくれたんだから、教えてもらおうよ、ね?」
「だ、だけど私、こんな演技、できる自身……なくて………」
そう、小鳥さんが言うと、テレビにはちょうどラストの『ひまり』が消えるシーンが流れていた。
『またね、パパ』
『……また?』
『パパとママが結婚すれば、また会えるよ』
『……それは……いや、そうだな。またな』
『くぅ……ひまり…… ひまりぃーーー!!』
ひまりが消え、主人公の慟哭が夕闇に響き渡る。その後、マンションの一室にシーンが移り、パソコンに向かってキーボードを叩いているカットに切り替わる。まだスタッフロールもエンディング曲もない状態だ。本当だったらここでひまりとの回想のシーンと、主人公の独白も挟まるのだけど、まだそこまでは編集されてないみいだ。
「こんなの……私には、無理……だよ……」
そう言って、小鳥さんが思い詰めたように目を伏せ、うつむく。たぶん、消えたことを言ってるのだろう。新道先生から教わった技だ、習ってない人ができるとも思えないし、別に役者をやるのに必須なわけがない。
「えーと、別に役者をやるのに、消えられるようになる必要はないですよ?」
「え?」
「普通はCGで加工するので、無理に習得する必要はないかと」
「え? これ、CGじゃないの?」
粗編ならまだCG加工されてないハズだけど……そう思ってリモコンで巻き戻して、消えるシーンをコマ送りしてみたら、やっぱりまだ未加工だ。私が夕闇に紛れて画面外に消えていく姿が映っている。
「まだ、CG処理はされてないみたいですね」
「私、こんなの、絶対ムリッッ!!」
何故か取り乱して、『わあさアイドルやめるばい!』と変な方言で泣きだした小鳥さんを、伊澄さんともみじさんが必死であやして落ち着かせていた。
*
「ナナ、探したわよ」
変な方言でわめいていた小鳥さんを、2人がなだめているのを傍観していると、篠崎さんが相手方のマネージャーと連れ立って部屋に入ってきた。
「どうして、勝手にこんなところにいるのかしら?」
「いやー、色々とありまして」
「なんど連絡しても繋がらないし……」
チラリとポーチの中にあるスマホを見るとランプが点滅していて、確認してみると篠崎さんからの着信履歴とメールが鬼のように来ていた。出先だからマナーモードにしてたから気が付かなかったね。
「移動する時は連絡を入れなさいと言っているでしょう」
「すみません、それどころじゃなかったんですよ」
「はぁ、とりあえず今日は帰るわよ。レッスンを受けられる状況じゃないようですし」
そう言うと、小鳥さん達の方に視線を向ける。変な方言は落ち着いたようだけど、相変わらず「アイドル辞める」と言って泣いていた。
「篠崎さん、引き上げたらもう来る気ないですよね?」
「慈善事業じゃないもの。今日出向いたことで田貫プロデューサーへの借りは果たしたわ。後はこちらのプロダクションで何とかするしかないでしょうね」
「そうですか……ちなみにギャラは?」
「しっかり頂くわよ、相手側の落ち度だもの」
篠崎さんと小声で話していると、後ろに控えていたマネージャーが今にも倒れそうなほど顔色を悪くして恐縮している。
「ろくに経験のない子に、いきなりヒロインなんてやらせるから、こんな事になるのよ」
レッスンもあまりしてない、役者として場数も踏んでないでメインを演じるのはキツそうだなぁ。
うちの事務所は、ちゃんとレッスンを真面目に受けていて、一定の演技ができて現場に出ても大丈夫な子にしか仕事は振られない。
私もレッスンを受けたうえで最初はエキストラからだったし、中身は大人のままで3歳から活動出来たのが良かった。幼児に演技力を求める現場はなかったし、場数を踏みながら順調にステップアップ出来た。
7年もやってれば、誰でもそれなりに出来るようになると思うしね。
あの時、子役を目指そうとした自分を褒めよう。
「まぁ、まだ時間はあるんですから、急いで帰る必要もないですよ」
貰ったギャラ分は働かないと後味悪いし、このまま放って帰るのも忍びない。
どれだけ力になれるかは分からないけど、やれるだけやってみようか。