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 僕は小学生の頃、子役を目指させられていた。母親が少しミーハーで、僕を子役にするために躍起になっていた時期があった。


 この道場に通い始めたのも子役向けの殺陣(たて)教室からで、当時から厳しいと有名だった。しごきに耐えられない子たちはすぐ辞めて他にいく。その反面、残れる子たちは優秀なため、新道流の殺陣教室に通っているというだけで一目置かれる。そんな道場だった。


 親から無理やり通わされていた当時の僕は、嫌で嫌で辞めることしか考えていなかった。殺陣教室ばかりでなく、子役自体に嫌気がさしていたのだ。


 休みの日は、レッスンを受けるために電車を乗り継いで一時間ほどにある子役事務所に通わされ、他にも習い事を詰めこめられる。平日だって同じだ。勉強が遅れないように塾にも通わなくてはならない。友達と遊ぶ間もなく頑張っても、その努力が実を結ぶ人間はほんの一握りだ。


 僕が所属していた中規模の子役事務所でさえ300人以上所属していた。大手や小規模な事務所を含めたら、かなりの人数が子役として活動している。そんな中でオーディションに受かってもエキストラ止まりで、朝5時起きで集合させられて、家に帰れるのは夜の9時。長い時間待機させられては1カットだけ他の子役と一緒にエキストラとして映れるかどうかだ。

 当然セリフなんてある訳もなく、たまに貰えたら運がいい程度。


 酷い時には夜の9時に集合させられて、終了したのは深夜の2時。役者が演じているスポーツ選手から、サインボールを貰う子役の隣に立っていた1カットのみだった。


 それでも頑張って続けて、バラエティー番組の再現VTRに使ってもらえた時があり、メインは大人の役者が演じて僕はその子供役だった。セリフも貰えた。


 だけど、ドラマや映画の主役のオーディションなんて声すらかからず、脇役のオーディションは落ち続けていた。


 そんな僕が落ちこぼれかというと、そういう訳でもなく、事務所のなかでは期待されていた方だった。むしろ、エキストラにすら出られないで消えていく子たちの方が多いからだ。


 だから、母が無駄に期待してしまい、僕を子役として活躍させようと、さらに習い事を増やす。子役事務所の登録代とレッスン料でも高いというのに、習い事や塾代を足したら月に10万は余裕で超えるようになった。そして、エキストラの時に着る服は自腹で用意しなくてはならなく、「育ちの良いお坊っちゃんという感じで、4セット用意してきて下さい」などと言われる。その度に買い揃えても、実際の撮影で着るのは一組なので、背が伸びた後は着ないで捨てた服もある。そこまでしても、エキストラ代は事務所に天引きされて、一日がかりの撮影でも手取り四千円程度。赤字だ。


 レッスンの送り迎え、撮影への同伴で母は付きっきりのため共働きは不可能だし、専属のマネージャーなんて一部の人気子役にしかつかない。人気子役でさえマネージャー代わりに母親が付きっきりという事も珍しくない世界だ。


 そんな生活が続いて家計を圧迫した結果、父のこづかいは月一万円になり、母は美容院にすら行かなくなってみすぼらしくなり、家で両親の口論が絶えなくなった。


「この子のためなんだから、我慢してちょうだい! 私だって色々と我慢しているのよ!」


 と、母が金切り声を上げると、


「いくらなんでもやり過ぎだろう、少しは現実を見てくれ」


 父が疲れたような声で、ヒステリックな母に反論する。




 そんな口論に嫌気がさしたある日、僕は意を決して母に子役を辞めたいと言った。

 母は僕が言っていることが理解できないような顔をして、


「あんなに頑張ってきたのに、子役になりたいんじゃないの!?」


「……僕は子役になりたいなんて、言ったことないよ」


 初めて母に反発した僕を、信じられないようなものを見る目でみてくる。




 そして、子役をふくめた全ての習い事を辞めると。母は家事を放棄して、一日中ぼうっとしているようになった。


 そんな状態が一週間ほど過ぎたある朝、母が父と僕に謝罪してきた。


「私がどうかしていたわ……ごめんなさい」


 そう言って泣いた母は、憑き物が落ちた顔をしていた。それからは主婦として真面目に家事をするようになり、パートで働くようにもなった。


 そして、僕にたいして「自分のことは自分で決めなさい」と言うだけで、干渉してくることは無くなった。


 子役から開放されてやる事がなくなった僕は、ぽっかりと心に穴が空いたように感じ、その穴を埋めるためにひたすら勉強をした。

 子役を辞めた僕には、勉強くらいしかやる事がなかったからだ。


 中学校に進学しても相変わらず勉強は続けたが、他にも打ち込むものが欲しくて以前習っていた剣道部に入部し、埋まることのない穴を埋めようと竹刀を振った。



 そんなある日、剣道の大会の帰りに、新道先生の道場が近くだったのを思い出し、なぜか気になって立ち寄ってみた。


 すでに夜になっていたが道場には明かりがついていて、六人ほどの大人たちが稽古を行っていた。縁側の外から稽古を眺めていたら、新道先生が大柄な男と向き合い、気勢をあげることなく静かに対峙しているのが見えた。

 じっと向かい合っていたら、やがて大柄な男が流れるように素早く動き、新道先生に掴みかかろうとしたが、逆に腕を捻り上げられて片膝をついたまま極められていた。


 そして大柄な男が一礼すると、先生が僕の方へ歩いてきた。


「山城じゃないか、どうしたんだ」


「いえ、近くに用事がありましたので、つい懐かしくなって……」


 覚えていてくれていた。


 3年ほど前に辞めた僕を、まさか覚えてくれていたとは思わず、動揺してしまう。


「ふむ、剣は続けているのだな。剣道か?」


「はい、部活動ですが」


 なぜ剣道をしているのが分かったのか驚いたけど、僕の手には剣道の防具を入れているキャリーバッグがあり、それに竹刀袋もくくりつけてある。武道家でなくても一目瞭然だった。


「そうか、なら久しぶりに組手()るか?」


「………はい、お願いします」


「じゃあ、竹刀でいいか」


「いえ、無手でお願いします」


 小学生の殺陣教室のころは、時代劇で使う剣術を主に習っていて、徒手は基本だけだった。そして組手も生徒同士で行うのが主だったため、こうして徒手で新道先生と組手をするのは初めてになる。


 先生と組手を始めると、面白いようにぽんぽんと投げられた。打ち込もうとしてもいなされて、掴まれては投げられる。今度は投げようと襟を掴んだ僕の手を逆に極められ、倒されては喉を踏まれる。

 幾度投げられたか分からず、間接を極められた回数もあいまいになり、先生との組手以外のことを考えられないほど真っ白に集中し続ける。呼吸も乱れて、喉がはりつき、腕が痙攣してきて構えるのも辛くなる。


 そんな稽古を無心で続けていたら、僕はなぜか泣いていた。


「どうだ、すっきりしたか?」


「はい……」


 先生にそう言われると、さっきで感じていた心の穴が、いつの間にか小さくなっているような気がした。


「まぁ、何があったかは分からんが、大抵のことは稽古でもして体を動かせば気にならなくなるさ」


「そういうもの……ですか?」


「そうだなぁ、喋れるうちはまだまだだ。それ、続けるぞ」


「え?」


 座り込んで泣いていた僕の襟首を先生が掴むと、すっと直立させられ、そのまま強制的に組手が再開された。抵抗しないと投げられて、抵抗しても投げられる。どちらにしても投げられるので、必死に身体を動かし続けた。 


 時間の感覚が分からなくなってくると、意識がもうろうとなり、床に突っ伏したらようやく組手が終わった。

 先生は、息を荒げてうつ伏せになっている僕にを見下ろし、


「なかなか根性あるじゃないか、頑張ったな」


 そう声をかけられて、思い出した。


 僕が子役を頑張っていたのは、母に「頑張ったわね」と褒められたかったからだ。エキストラのオーディションに受かった時も、自分のことのように喜んで褒めてくれた。


 その笑顔が見たくて、僕は頑張っていたのだ。


 その光景を思い出して、また泣いた僕に、




「ん? まだ足らんか」


 と、先生が言うとまた強制的に立たされ、再び組手が始まった。終わった時には気絶して記憶がとんでいたが、起きると今まで何をしても埋まる気がしなかった心の穴が無くなっていた。


 本当に、大抵のことは稽古をして体を動かせば気にならなくなるのか。



 それから度々、道場に顔を出しては稽古をつけて貰ううちに、正式に門下生として入門を許された。




 *




「でも、先生。僕が泣いたのはあの日だけですよ」


 当時を思い出してみたが、いつもと言われると、まるで泣き虫だった言い方だ。物心がついた時から、あの日以外に泣いたことはないはずだ。


「ん、そうだったか? 昔から泣いていたように見えたんだがな」


「………先生がそう言うなら、そうだったのかもしれませんね」


 先生は、飄々としているようで、意外と他人の心の機微を読むのに長けている。

 一年半ほど前に、テレビや週刊誌などでナナちゃんへのバッシングが起きていたのだけれど、この道場に通う人たちは僕も含めてバラエティー番組も見なく、週刊誌も読まないため世俗に疎かった。


 そんな中で僕でも分からなかったナナちゃんの変調に、先生は気付いていた。


 僕の時と同じように、肉体言語(くみて)を気絶の一歩手前まで行い、笑っていたナナちゃんに「どうして泣いているのか」と問いかけると、「家族に迷惑をかけるくらいなら、もう子役を辞めたい」とナナちゃんは泣きだした。


 いつも笑顔を絶やさず、悩みなんてなさそうだったナナちゃんが、子供のように泣く姿は痛々しかった。


 泣きやんだナナちゃんを家に帰すと、先生と兄弟子たちが集まり、刀袋を背負って道場から出ようとしていた。物々しい姿に、どこに行くのか問いただしたら、


「無責任な連中に責任をとらせるだけだ」

「バレなければいいだろう?」

「大丈夫、証拠は残さん」

「何かあっても、もみ消すから安心しろ」


 と、口々に殺気立って討ち入りしようとしたので、慌てて止めた。


 ナナちゃんを非難していた人達やテレビ局を一斉に襲ったら、それだけで状況証拠になるし、ナナちゃんの立場が悪くなる。なにより警察に勤務している自分が見逃せない。というか、上司である部長まで参加しようとしていないで止めろ。


 先生たちをなだめつつ、至急ナナちゃんのマネージャーである篠崎さんに電話で連絡すると、間もなくドリフトしながら車が庭に突っ込んできた。車から血相を変えた篠崎さんがおりてくると先生達を説得し、受け入れた先生達はとりあえず矛をおさめた。

 一歩遅かったら大事件になっていたかもしれない。先生達を犯罪者にしなくて良かった。







「そういえば、あれからどうなったんだ?」


「あれから、と言いますと?」


「無責任なことを言っていた連中だ」


「あぁ、もう虫の息みたいですよ」


 騒動の時に篠崎さんはバッシングを行っていた各所に猛抗議し、全面的な謝罪を行わない限りは、ナナちゃん含めた子役全てを派遣しないと強気の姿勢を見せていたようだ。ほとんどの所は応じたが、一局だけ応じずバッシングを続けていた番組があった。


 しかし映画が公開され、世論が一気にナナちゃん擁護に変わったとたん、逆にバッシングをしていた番組が非難されるようになり、局全体の視聴率が一気に低迷したと聞いてる。


「もうじき、番組の司会者を降板させられて、局側から全面的に謝罪が入ると聞いています」


「ふん、生ぬるい。ひと思いに首の骨でも折れば済むだろう」


「ダメですって。先生が逮捕されたらナナちゃんも悲しみますよ」


「まぁ、そんなことはいい。組手()るぞ」


「押忍! お願いします」




 今日も稽古が始まる。





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