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「鳳仙花と」

作者: 春秋 一五

「俺、告白しようと思うんだ」


「………………あっそ」


 それで私にどうしろと言うんだ。悩んだ挙句に返す言葉が見つからず、妙に淡泊な受け返しになってしまった。もっと真剣に取り合うべきだっただろうか、と思うが素直な感想なので仕方ない。


 まるで自分の部屋かのように振舞う優は、ギシギシと椅子を揺らしながら少し不満そうな表情を見せた。ベットに横たわってスマホをいじっていた私は、それを見ているのが申し訳なくなって来たので再び視線をスマホの画面にうつす。反射する私の表情は、不思議なほどに無表情だ。


「何だよ、少しぐらい驚いてくれてもよくないか?」


「そう言われても、ねぇ」


 驚かなかったんだから仕方ないだろ。その言葉はきっと伝わっているだろうから割愛し、目にかかった前髪をかきあげた。鬱陶しいなあ、と思うがばっさり切る勇気などなく高校時代から同じ長さを保ち続けている。色も変わっていないので、高校を卒業してもうすぐ四年経とうとしているが、大して私の外見に変化と言う変化はない。


 ……そんなこと、今どうでもいいか。


 優の話も、今の所かなりどうでもいいけど。


「で、何? わざわざ片道一万円かけて報告しに来たわけ?」


「いや、片道一万円かけるのは毎年の事だろ」


 ああ、それもそうか。当たり前のことになっていたから、失念していた。


 高校を卒業して、希望の進路についた私たちは、お互いに県外に進むことになり再び離ればなれになった。だけど、中学時代のように一切会わないということはなく、長期休暇に入るたびにどちらかがどちらかの部屋に趣き、数日間宿泊することにしていたのだ。


 今日優が私の部屋にいるのもその一環であり、別に報告だけが目的と言うわけではない。だからそんなに厳しい言い方をする必要はなかったのだけど、何でそんなに強気に出てしまったのだろうか、自分でもわからない。


「んー、この話をするのは報告が理由じゃなくてな、他に理由があるんだ」


 そこで言葉を止めた優は、次の言葉を言い淀んで頬を掻いた。その少し子供っぽい動作から懐かしさを感じて、荒んでいた心が少しだけ和む。


「いたずら、しようと思ってな」


 言葉を聞いた瞬間に、私の体は震える。


 それは私が彼に投げかけていた言葉だ。


 結んでいた口元を緩ませて、開く。


「いいじゃん、やろうよ」


 そういうことなら、例えどうでもいいことだったとしても。


 本気で、やってやろうじゃないか。


   □ ■ □ ■ □


 思えば、最後にいたずらしたのはいつだっただろうか。あれほどまでにいたずらに時間と労力とお金をかけていたというのに、最近はすっかりその数が減ってしまっていた。優が遠くに住んでいる、というのも大きな理由だが、子供の頃の様な発想力がないというのが現実だ。歳をとるのも、案外寂しいものである。


「どうした?」


 そんなことを思っていると、隣をあるく優が顔を覗きこみながら心配してくる。こいつは相変わらずにぶいんだか鋭いんだかよくわからない。


「別に。色々思い出してただけよ」


 気分が良くなって、少し意地悪な答えを返した。その言葉を理解したのかどうかはわからないが、優は一度頷いてまた前に向き直った。やはり鈍いのだろうか。


 部屋から出てまだ五分ぐらいだが、もうすでに体は冷え切っている。駅に着くまでにもう帰りたくなってきたが、さすがにそれは申し訳ない。だるそうに欠伸した猫を横目に、信号の変わった横断歩道を渡る。隣を元気な小学生が、二人笑いながら駆け抜けていった。


 ……私は、私たちは恐らく猫の方だな。


「で、具体的に何するの?」


 どうでもいいことに思考を寄せていても仕方ないので、いたずらの全貌でも尋ねることにした。駅に向かってこそいるものの、まだ優から計画を一つも聞いていないのだ。それを聞かない限りは、いくら頼まれたとはいえ、行動のしようがない。それに、優が誰を好きになったのか、どこで知り合ったのかとかは別にどうでもいいのだが、計画の方には非常に興味が湧いている。いつも私の計画を実行する係だった優は、果たしてどんな計画を立てるのだろうか。


「あー……、まだ具体的なことは決めてないんだ。今日は準備だけしとこうと思ってな」


「準備?」


 まあ、決まってないというのは簡単に予想がつくことだ。だからそこには驚きはしないのだが、計画が決まっていないのに準備と言うのは一体どういう要件だろう。私だったら完璧に計画を練り、書き出してから準備を始めるのだが。


「ああ。何をするにしろプレゼントを渡す気だからな。それを選ぼうと思って」


「へえ……。私はそれを手伝えばいいの?」


「とりあえずな」


 とりあえず、という言葉に少し安堵する。買い物に付き合うだけではあまりにもつまらない。他人の告白にあまり異性の友人が口を出すものではないとわかっているが、それなら最初から何もやらないほうがましだ。いたずらをやるというならば、私にもさせろと言う話である。


 そんな話をしている間に駅に着き、改札を通り抜けて丁度駅に停まっていた電車に乗った。長期休暇のためか、いつもは学生で溢れかえっている車内は閑散としている。適当に空いている席を見繕って、そこに優と並んで座った。


 流れていく見慣れてしまった景色に目を向けながら、到着を待つ。こうしてこの電車に乗るのもあと数回、になるのかな。そう思ってもあまり感傷のようなものは湧いてこなかった。実際その事態に直面しない限り、人間というものは実感を得ることは難しいらしい。


 大学四年生になる私、いや、私たちはすでに企業の内定をもらっていた。優がどこに就職するかはまだ聞いていないが、私は大学があるここをでて、少し北にある食料品メーカーへの就職が決まっている。来年からは気怠い大学生活を卒業することになるのだ。


 だから、優と会うことも、もう……。


 それは寂しいことではあるが、仕方のないことだ。友達、というものは永遠に一緒に居られるというわけではない。そこはもう割り切っているつもりだ。高校の時からこのことは考えていたが、大学生にはどうしようもないほどの長期休暇があった。だからこうしてあって、一緒に電車に乗ることが出来る。


 でも、もうそうすることも難しいだろう。ちらっと優の横顔を覗き込むと、昨日の長旅で疲れているのか首を上下に動かしてうとうととしていた。気楽なもんだ、と優にとってはいわれもない悪態を心の中でついて、目をもう一度窓の外に移す。


 しかし、優が誰かに告白する、のか。


 そんなこと、今までになかったことだ。私の中で最強にどうでもいい話ではあるけど、なんだか感慨深いものだ。私自身そんな経験もないし、そんな話をされることももちろんなかった。だからこの話を喜ぶべきなのかどうかもわからない。


 だけどきっと、応援してあげた方がいいのはわかっている。


『――次は徳間町、徳間町』


 ……っと、そんなことを考えている間に目的地についていた。慌てて降りようとしたが、優が寝ていることに気付いていてさらに慌てて起こす。閉まろうとしていたドアから無理矢理(良い子も悪い子も真似をしないようにしよう)降車し、一度落ち着くために大きく息を着いた。暖房の効いていた車内と違って、刺すように冷たい空気が肺を満たす。そのためか、胸が少し痛んだ。


「え、あ、もう着いてたのか」


「……あんたねぇ」


「すまんすまん、土地勘無くてな」


 そう言われてしまうと何とも言い返せない。むしろ近づいていることに気付かなかったのは私だ。だからといって謝るのは癪なので、先ほどとは違う意味の深いため息をついた。


「……もういい、で、何買うつもり?」


 それがわからなかったためとりあえず大きな町にでてきたものの、この後どこに行くか決めなくてはならない。さすがに四年間住んでいたら何が欲しいかさえ伝えられれば案内ぐらいならできる。この知識を使う所は、この先あまりないだろうけど。


「そう、だな。やっぱアクセサリーがいいんだろうな」


「漠然としてんのね」


「まーな、こういうの初めてだし」


 ……私もだわ。それはお互いにわかりきったことだろうから、何も返事をせずに改札を抜けた。少し反応が遅れたらしい優も私のあとに続いたようだ。後ろからピッ、という無機質な機械音が聞こえてきた。


「アクセサリー、でいいのね?」


「おう、頼むわ」


 告白云々の話を続けていても埒が明かないので、私は私の仕事を済ませることにした。アクセサリー、といってもまだかなり漠然としているが、そういう店舗が固まっている場所があるのでそこに連れて行けばいいだろう。それが私の役目だ、決して優と恋愛について語ることではない。


 日が傾きかけてしまっている空の下、二人で並んで歩きだす。その間を冷たい風が通り抜け、どこかに吹き抜けて行った。それに、少しだけ目を向けて、また前を向いた。早く行かないと夜になってしまう。


 行き過ぎていく風に、目を向けている暇はないのだ。


   □ ■ □ ■ □ 


「……何話してんだろ」


 アクセサリー、特に指輪などを取り扱っているお店に入った瞬間、優に「ちょっと待っててくれ」と入り口で待機するように言われて素直に待っているわけだが、私にどうしろと言うのだろうか。かく言う優は、なにやら楽しげに女性店員と言葉を交わしているが、離れている私にはその内容までは聞こえてこない。


 そのこと自体を不満に思っているわけではないんだけど、こういう店は、こう、なんだか居心地が悪い。行き慣れてないというのはもちろん理由としてあるが、きらびやかな物は私には似合わないように感じるのだ。


「何かお探しですかー?」


 そんなことを考えていると、私に目を付けたらしい店員がにこにこと張り付いた笑顔で私に話しかけてきた。そこで柔和な笑み、と表現できない所に私のいやみったらしさを感じる。私は苦々しい笑みを浮かべて、首を小さく横に振った。そこに嘘はないし、店員さんに無駄な時間を使わせるわけにはいかないだろう。私は優が選ぶのを待って、それを判断するのが仕事だ。決して自分のためにここにきたわけではない。


「あら、そうなんですかー。……あの方の彼女さんですか?」


 素直に私の否定を受け取った店員さんが、今度はささやき声でそう言いながら、優の方を指さした。何を言っているんだこの人はと冷たく言い放ちそうになったが、まあ確かにそうも見えるか、と頭を冷やす。


「い、いえ、違います」


 言葉を詰まらせてしまったことで対人スキルの無さを露呈してしまったがそれはこの際どうでもいい。わかりきっていたことだ。


「え、そうなんですか!? お似合いだと思ったんですけどねー」


 ……お似合い、ねえ。その言葉は確かに受け取れるのかもしれない、と聞き逃すことなく少し考える。


 私は、誰も寄せ付けない鳳仙花、だ。


 でも優は鳳仙花に、私に触れることを許した唯一といってもいいほどの人物だ。だから、お似合いと言う言葉も強ち間違いではないのかもしれない。……まあ、この場合お似合いの「カップル」という意味だろうが、完全な否定まではできないなぁ。


「アクセサリーに、興味とかありません?」


「え?」


「お姉さんなら絶対に似合うものがあるんですけど、見てみるだけでもどうですか?」


 ……カップルでなくてもこの流れにはなるのね。あまり来ないからこれが普通なのかはわからないけど、商売人の精神というものは凄い物だ。そう素直に感心してしまった。


「そんな、私なんかに……」


「お姉さん美人じゃないですかー! なんかなんて言ったら妬まれちゃいますよ!」


 こんなに手放しに褒められる経験というのはあまりないので戸惑ってしまうが、セールストークとわかっているので嬉しいとは思わない。



「そんなこと、ないですよ」


「またまた謙遜しちゃってー。でしたらご試着だけでもどうですか? それでわかっていただけると思いますから!」


「試着、ですか……」


「はい!」


 そう言われても買うつもりはないんだけど。それに、今は優がアクセサリーを選ぶのに付き合っているわけだし、自分のものを見ているわけにはいかない。


「……付添できてるだけなんで」


「お兄さんすみませーん、お姉さんお借りしてもいいですかー!?」


 何てアグレッシブなお姉さんだ。ここまで来ると感心を通り越して尊敬までしてしまいそうだ。私も就職したらこんな感じにならなければならないのだろうか、と将来が心配になってきた。


 突如かけられた大きな声に驚いた様子の優だったが、少し後、「いいですよー」という返事を返してきた。おい、なんでいいんだよ。ここで否定してくれた方が私にとってよいことぐらいわかっているだろうに。これは私に対する嫌がらせにも値するぞ。と心の中の悪態は絶えることが無い。


「ということなので、こちらにおかけください!」


「……はーい」


 さすがに根負けして、指示に従うことにした。まあ、お世辞でも褒めてもらったお礼とでも思っておこう。難点なのは私に買う気がないということだが、そこはわかっていただけてるのだろうか。


 ……まあ、優が何か買うからいいか。


「じゃあ、指のサイズ測らせてもらいますね」


 そう言われて素直に指出す。指輪を試着させてもらえるということなのだろうか。つけたことないから新鮮な感じもするが、私なんかがいいのかなって不安にもなる。


 店員さんが何かを取りに行っている間に、ふと傍らの鏡を見る。そこには、いつも通りどこか眠そうなわたしの顔が映っていた。決して美人と呼べる代物でもなければ、化粧もほとんどしないのでうっすらとくまさんがこんにちはしていた。


 ……やっぱり、私は優とお似合いなんかじゃない。優は少し残念な奴ではあるが、顔はイケメンの部類に入ると私は思っている。イケメンの定義かあまりわからないけど、他の人もきっと思っているだろうし、そんな話を聞いたこともある。


 だから、私なんかじゃ優と釣り合うはずない。優が告白する人はきっと私なんかよりずっと美人で、優しくて、明るい人だ。眩しくて、私なんかじゃ近づけもしない……。


「お待たせしましたー、じゃあ始めますねー」


 ネガティブになりかけていた思考が、いかにもポジティブな店員さんの声でかき消される。笑顔を作ってそれに返したつもりではあるが、うまく笑顔ができていただろうか。


 もう一度、優の方をちらっと見た。その時に丁度こちらを見ていたらしい優と目が合う。


 ……どんな、人に告白するんだろう。


 作り笑顔なんかじゃない、綺麗な優の笑顔を見てそんなことを思った。告白すること自体どうでも、本当にどうでもいいけど、一目だけでもその相手の顔を見たいなんて気持ちが浮かんでくる。


 優と私の仲なら、いつか紹介してくれるだろう。


 その時、私はその人に綺麗な笑顔を向けられるだろうか。


   □ ■ □ ■ □


「あ……」


 何個かの指輪を試着してみた後、店員さんが「これなんかどうでしょうかー」とめげずに持ってきた指輪に、思わず声を上げてしまった。それはまさしく驚嘆の声であり、自分自身その反応に驚いている。まさか私が指輪にここまで感動する日が来るとは思わなかった。


「あ、お気に召しましたかー?」


「……はい」


 さすがにこんな反応しておいて首を横には振りがたいので、素直に肯定した。


 左手の薬指につけられた指輪には緑色の小さな石がはめ込まれており、他には特に装飾のなされてないいたって質素なデザインだが、その分主役の石が美しく見える。私に似合うか、と聞かれたら決してイエスとは言えないが、この指輪なら正直欲しいと思ってしまった。これがセールスの力というものだろうか。


 感動に浸っていた自分を引き戻し、現実という名の値段を見ることにした。指輪がはめ込まれていたディスプレイ用の箱に目を落とし、それを確認する。えーと、いちじゅうひゃくせん……、十万円前後と言ったところだろうか。具体的な数字をお伝えするのは生々しすぎるのでやめておくが、大学生の努力でも決して手の届かない値段ではない。


 ……いや、待て待て。何を買う気になっているんだ私は。さすがにそれは店員さんの思うつぼ過ぎるだろう。ここは何とか言って誤魔化さないと……。


「あ、あの……」


「わかってますよー、ご試着だけという約束でしたよね! 私はアクセサリーの良さがわかっていただけで十分です!」


「は、はあ」


 まだ何も言ってないのだけども、こんな善人セールスマンがいるものだろうか。それとも相当暇だったとか、ってそんなわけない。私たちの他にも、いかにもアクセサリーの似合いそうな、まさしくマダムと呼ぶべき奥様が来店しているというのに、その人を放っておいてまで根暗な大学生に付き合っている理由とは何だろうか。


「ではこちらの指輪、お姉さんの気が向くまで保管しておきますね!」


「……あ、はあ」


 ……今すぐ買うつもりはなくても、いいものが見つかったならいつかは買いに来るだろうという半分予約のような形を取らせるのが目的と言うことだろうか。やけに回りくどい商法だが、この手の商売の裏事情はあまり知らないので、一概にそうではないと否定するわけにもいかない。この形なら確かに精神的プレッシャーにもなるし、もしかしたらメジャーと言う可能性もある。


 ……いや、どっちでもいいや、わかんないし。


「お、葉月終わったか」


 店員さんが指輪を持って行った扉を見ていると、後ろから優が話しかけてきた。精神的に疲弊した私はちらっとそっちを見て、返事をする代わりに頷く。優は言葉にはしないものの「お疲れさん」と視線で労い、プレゼント探しを再開した。早くそれを終わらせてくれないからこんなことになっているのに、その悪態も口に出さずに今度はため息と一緒に吐き出す。声も無く吐き出された言葉は、虚空に漂うこともなく一瞬で消えて行った。


 その後、扉の奥から戻ってきた店員さんと雑談(店員さんの独り言と言わないでもない)をしながら優がプレゼントを選び終えるのを待った。この人本当に接客がしたくないのではないかと思うほどに店員さんは私の暇つぶしに従事してくれたおかげで退屈はしないが、私の精神はどんどん擦り減っていくばかりである。やがて私の精神がすり減りすぎて、そとそろお腹と背中がくっつきそうになった時にようやく決めたらしい優が私に真ん中に何かの宝石があしらわれた十字架のネックレスを見せてきた。冷静な判断ができるような精神状況ではなかったが、冷静だろうが冷静じゃなかろうがアクセサリーなんて最初から選べるような私ではないので(じゃあなんで引き受けた)、しばらく考えるふりをした後に「それでいいと思うよ」と投げやりに返事をして、私の仕事は終わった。


 やけに早い会計の後、また私たちは二人で歩き出す。店から外に出るといつの間にか日は完全に沈んでおり、空は深い紺色に染まっていた。といっても市街地であるため地上は明るく、逆に昼よりも眩しいように感じてしまった。疲れたからっていうのもあるんだろうか。


「今日はさんきゅーな、葉月」


「……何急に改まって」


「いや改まったわけじゃねーけどよ。一人じゃプレゼントなんて選べなかっただろうからな」


「そうかな」


「おう」


「喜ばれると、いいね」


「絶対喜んでくれる、はず。なんせ葉月が選んでくれたんだからな」


 ……お前の私に対するその信頼は何なんだ。別に不満に思うわけではないが、期待に応えられるわけでもない。あんまり期待されることに慣れてないんだ。


 それに、そんなこと言われてしまったら投げやりに返事をしたことを後悔してしまいそうだ。


 だから、


「……告白、成功するといいね」


 あまり、思ってもなかったことを、とっさに口にした。


 優はその言葉を珍しいと感じたのか一瞬目を丸くした後、いつもの笑顔で笑って、


「ああ、ありがとな」


 そう、応えた。


 二人の間に沈黙が訪れる。


 冬は暗くなるのが速いし、夜になるとさらに寒い。


「…………冬なんて、嫌いだ」


 だからそんなことを、小さな声で呟いてみた。だからって夏に戻るわけでもなければ、すぐに春が訪れるわけでもない。


 身を震わせて、足を進める。


 まだ駅までは、遠い。


   □ ■ □ ■ □


 酒というものはあまり得意ではない。


 それは人づきあいで飲むことが少ない(というかほぼない)というのもあるし、アルコールというもの自体があまり好きではないという理由からでもある。


「大丈夫か、葉月?」


「……大丈夫」


 買い物に付き合ったお礼にご飯を奢ってくれるという優の提案に素直にのった私は、連れ立って駅前にあるスペイン料理のお店に来ていた。何故スペイン料理を選んだかと聞かれたら特に深い意味はないが、強いて言うなら物珍しさだ。


 そこでディナーメニューを注文し、気まぐれでメニューの裏側にあった酒を頼んでみたのが運の尽きだった。オレンジの甘い酒(名前はもう忘れた)を数口飲んだだけで頭がふらふらとしてきて、優にもばれてしまう程度に酔ってしまっている。思考がこれだけ働いているのが不思議で仕方ない。


「飲めないなら飲めないって言えばいいのに?」


「飲めないわけじゃ……ないんだけど」


 普段から飲んでいるわけじゃないが、ゼミでの飲み会など参加するべきもの(したかったわけじゃない)には参加していたので、初めてというわけでもない。さっきも言った通り好きではないが、飲めないというわけではないのだ。


 しかも、普段ならこんなに酔わないんだけどなあ……、なんでだろう。自分の目の前にある酒の入ったグラスを見つめるが、何も答なんて返ってこない。それはただただ光を反射し、そこにあるだけだ。


「まあ、無理して飲み過ぎんなよ」


 そう気遣いの言葉を私にかけながら、同じ酒の入ったグラスを飲み干す。顔の色一つ変えていない様子の優は、きっと酒に強いのだろう。そうでも思わないと、私が弱すぎるみたいでいやだった。


「……わかってる」


 自分でも強がりだと分かっていながら、グラスに再び口をつける。甘い味が口の中に広がり、アルコールは私の思考を蝕んでいる……、ような気がした。もう今日は酒を飲むのはやめておこう。私は酔ってしまうと、普段よりさらに卑屈になってしまうらしい。せっかく奢ってもらっているのに、そうなってしまうのは申し訳ないだろう。


 酒を置いて、ふと優が座っている席の隣に目を向けた。そこには先ほど買ったアクセサリーの入った紙袋が置いてある。


「……いつ」


「ん?」


「いつ、告白するの?」


 あまり考えもせずに、そんなことを聞いてみた。いつと言われようと「へえ」としか返せないけど、悪戯するなら私の都合も合わせとかなければならない。


 決して興味があるとか、そんなんじゃ……、そんなんじゃ、ないよ。


 うん、ない。


「あー、そーだな。今年の内にはしておきたいな」


「今年……? もう十日もないよね、確か」


「おう」


 冬休みに入ってカレンダーを見てないので、漠然とした確認になってしまった。体感として、今日は二十四日とかじゃないだろうか。


 ……ん、二十四日?


「え、明日クリスマスじゃん」


「そうだな。何か予定でもあんのか?」


「いや、私にはないけど……、明日告白すればいいんじゃないの?」


「……ああ、そういう」


 こういう話には馴染みがないのでよくわからないが、告白というものは何か区切りのよい日にした方がより印象に残るのではないだろうか。それぐらいの観念は持ち得ているぞ、さすがの私でも。


「その方がいいと思うか?」


「え、うん、まあ。印象に残るんじゃない?」


 私の意見を参考にするのもどうかと思うが。そんなこと優もわかっているだろうから口にしないが、だとしたら何で私に意見を聞いているのかという疑問が生じてしまう。……まあ、優のことだから特に深い理由もないのだろうが。


「そっか……、あー、少し考えるわ」


 もう明日まで数時間もないんだけど。夜の十時過ぎを指している時計を見ながら、心の中でそんな突っ込みをいれる。


 それなのに、今から「少し考える」で大丈夫なのだろうか。プレゼントを買っただけで、他に何かを準備したような素振りもないし。


 ……もしかして、告白することとプレゼントを渡すこと以外に何も考えてないのではないだろうか。そんな失礼なことが頭に浮かんだが、さすがにそれはない、とも言い切れない今回は。


 悪戯をするには準備が大切で、時間と労力をそそがなければいいものは生まれないと私は知っている。だから優がちゃんと考えているかどうか、それが少し気になった。


 ……まあ、でも、ただ、


 それもまた優の自由だろうから、私はあまり口は出さないでおこう。告白するって言うこと自体も少しよく分からないし。


 そう思い、


「あっそ」


 と、だけ返事をした。


 できるだけ感情を表に出さないように、平坦な声で。


 それからもうあたりさわりもない話をして、店を出た。会計の額を見た時に、こういう店に行き慣れていない(一人で行くことはないし、他人と行くことはもっとない)ので少し驚いたが、特に驚嘆することもなく二人分の食事代を払った優を見て、わりと一般的な額なのかと無理矢理納得させた。少しおしゃれなごはん屋さんを侮ってはならないということが教訓として残ったが、次に生かせるかわからないので記憶の端っこにでも追いやることにする。こんな機会でないと、こういう場所に来ることはもうないだろう。


 外に出ると夜はさらに深まっており、刺すような寒さに襲われた。それに酔いが少し覚まされたのは都合がよかったのだが、あまりにも寒すぎる。そう体を震わせていると、何かが私の肩にかかった。それは温かく、一瞬何かと身構えてしまったが、すぐに何であるかが判明する。


「……寒くないの?」


「ああ、俺寒さには強いんだ」


 優が自分のコートを私に渡してきたのだ。それはいつかの記憶と既視感があり、懐かしいような、切ないような気分になって、両手でコートの襟もとを掴む。自分で自分を抱きしめるような姿で、少しの間何も言わずに立ち尽くしていた。


 その姿を見て、優は何を思っているのだろう。ふと我に返って、優の方を振り返る。


「どうした? それじゃまだ寒いか?」


「……いや、十分温かいよ」


 そこには、いつもと変わらぬ笑顔がある。


 いつもと、変わらない。


 それが、いつもではなく、懐かしいに変わる日が、もうすぐ来る。


 それはあの時の桜のように、いつかの花火のように、記憶の一部として。


「ねえ、優」


「ん? なんだ?」


 私は何を考えているのだろう。自分で割り切ったと宣言したはずじゃないか。


 なら、


 ……なのに、


「もう少し、一緒に歩こうよ」


 そんなことを、頼むのか。


「ああ、別にいいぞ」


 特に理由も聞くことなく許可してくれた優の少し前を歩く。行き先は、特に考えていなかった。とにかく今は自分の中でぐちゃぐちゃになった感情を、どうにかして元に戻す必要がある。ぐちゃぐちゃな色を塗りつぶすための真っ白な絵の具が見つかるまで、私は前に進めない。それを探すために、歩くのだ。


 優が前に進むなら、私も、進まないといけないから。


 それが、例え、違う道でも。


「……綺麗だな」


「え?」


 俯いて歩いていた私は気付かなかったが、いつの間にか大通りにでていたらしい。そこでは大きな規模のイルミネーションのイベントが行われており、それに対して優が素直な感動の声を上げていた。


 だけど、私は、何も言えないまま、目を細めてそれを見ることしかできなかった。


 今の私には、イルミネーションは眩しすぎて、目を開けて見ることができないのだ。


「……ねえ、優」


「何だ、葉月?」


「次は、イルミネーション、やろうよ」


 私は、何を言っているのだろう。


 自分でもそうわかっているし、さっきから自分の感情がよくわからないのだ。


 酒が入っているから? 


 いや、それだけじゃない。


 わかってる、わかってるよ。


 ああ、わかっている。


「お、いいじゃねぇか。久しぶりだな、そういうの」


「…………馬鹿」


 私は自分自身の気持ちに気付いている。


 ずっと、そう、最初から。


 だから、もう、いいよ。


 もう、どうせ、お別れなんだから。


「馬鹿!!!!!」


 爆発、しちゃえ。


「え?」


「え、じゃない! わかってるの!? 私たちは、もう今まで通り会えないんだよ!」


 私は、鳳仙花、なんだから。


「は、葉月?」


「あんたは、優は、好きな人ができたんでしょ!? きっと、優の告白は成功する。だって、優は優だもの!! バカみたいに優しくて、無意識に気遣いができて、私が……、私が触れることを許した優だから!!!」


 とめどなく溢れる言葉は、もう止めることはできない。いくら涙で声が途切れようが、声が潰れようが。


 まだ、足りない。


「……だから、私は、もう、隣には、いられない! 優の隣には……、きっと、私なんかよりずっともっと素敵な人が……、優の、好きな人がいるべきだから!!! そうでしょ!!?」


 優が告白すると言った時から、私はどこかで自分の機嫌の悪さを抑えていた。


「わかってる……! わかってるよそんなことぐらい! 私にだって!!」


 それを認めようとしなかったのは、優のためなんかんではなく、間違いなく私のためだ。


「でも……、でも……、私は……!」


 本当は、たまらなくいやだった。


「私は、それに、耐えられないよ……!」


 私の隣から優が居なくなることが。


「ずっと、ずっと、優の隣にいたかった……! 優と笑ってたかった! もっと優と色んなことがしたかった!!!」


 ……そして、素直に応援してあげられない自分自身が。


 急に足に力が入らなくなって、その場に膝をついてしまう。


 そして私は、自分で認めていないことを、


「………………でも、もう、いいんだ。私なんかじゃ、優が可哀想だよ……ね。好きな人が、いるのに。いつまでも、私と友だちごっこしなきゃいけないなんて……、そんなの疲れるよね。優まで、根暗に見えちゃうよね……」


 大人ぶって、認めたふりをした。


 割り切ってもいないことを、無理矢理に押し込んで。


 仕方のないことだ、と時間の中に。


 どうでもいことだ、と心の奥に。


 それが、無理矢理な、自分の意思でなかったことぐらいわかっていたのに。


「だから……、」


 わかっているのに、私は。


「もう、私に触らないで……!」


 本当は、触れていて欲しかった。ずっと、隣で支えて欲しかった。


 でも、優は他の所にいってしまう。


 もっと美しく、優しい花の元に。


 そう知っているのに触られてしまったら、私はもう、本当に押し込めなくなってしまう。


 何かが、爆発してしまう。


 それならもう、いっそ見捨てて欲しい。


 私が、まだ押し込めることができている間に。


 手を振って、別れることができるあいだに。


「………………葉月」


 長い、長い沈黙の後、優は口を開いた。


「俺は、俺は」


 どこかで、日にちが変わったことを知らせるためか、クラシック音楽が流れ始めた。優が次に言うことを恐れているのか、その音が妙に耳に引っかかった。


「確かに、好きな人と隣に居たいと思っている。誰よりも、傍にいてやりたいと思っている」


「……そう、だよね」


 そう優が言うことは、わかっていた。なら私と優がすることは、決まっている。


 これが、最後の、


「じゃあ、さ」


「だから!」


「お別れ、しよ」


「俺の隣に……、一番傍にいてくれないか!」


 …………………………………………え?


 頭の仲が真っ白になって、何も考えられなくなる。私の言葉は優の言葉に掻き消えて、意味のない何かに変わってしまう。何を言っているんだ、こいつは、と不思議に冷静な言葉が頭に浮かび、再び私の中で何かが爆発した。


「な、何言ってんの!? 私の言ったこと、聞いてなかったの!?」


「……聞いてたよ」


「だったら、だったら、何で!」


「何でって、俺の好きな人がお前だからだよ、葉月」


 優は、あっさりとそう口にする。その顔は、真剣極まりない。嘘を言っているようにも、気を遣ってくれたようにも思えなかった。


 でも、それはきっと、私の都合に都合がいいだけの妄想だ。


 だって、そんなことありえるはずがない。


「う、嘘!!!!」


「嘘じゃねーよ。……あ、えーとな、葉月。俺が言ったこと、覚えてるか?」


 少し言いづらそうに、申し訳なさそうに優が頭をかいた。


「いたずら、しようと思ったんだ。告白する時に」


「……うん、覚えてる」


「これが、いたずらだったんだ。誰かに告白するってみせかけて、最後に葉月に告白して驚かせてやろうと思ってたんだよ。ただ告白するだけじゃ、文句言われそうだったから、さ」


「…………」


 こいつは、何を言っているんだろう。今日何度目かになるその思考は、私の中ではどうしようもなかった。


「……でも、いや、まさか葉月がそんなこと思っててくれてると思ってなかったから、その、なんだ、悪かった。……ごめんな、葉月。嫌な思い、させたな」


 優が私に目線を合わせる。


 徐々に優によって紐解かれた思考は、いつの間にか流れ始めていた私の涙をいつの間にか止めていた。


「だから、その、改めていいか、葉月?」


「…………うん」


 そして、また流れ始める。


 それは、何の涙なのか。


「俺はお前が好きだ、葉月。ずっと、ずっと前から。だからこれからも、俺と一緒に居てくれないか? 俺の傍に、いてくれないか? そして、」


 私には、わかっている。


「俺に、お前に触れることを許してくれないか?」


 だから、拭うことはしない。


「…………いいよ、優。私も、優の傍に、いたい」


 鳳仙花は、触れられたら種をまき散らすために爆発する。


「私も、」


 でも、優のように優しく、そっと触れてくれるのならば。


「私も、優の事が好きだから」


 きっと、もう爆発することはない。


「ありがと、な。葉月」


 優は頬を少しだけ紅く染め、笑顔で、


 いつもの笑顔で、私を抱きしめた。


「……それにしても、すまんかったな」


 優がゆっくりと体を離しながら、気まずそうにそう言った。私はその言葉に苦笑いを浮かべる。


「いいよ、私が悪いんだから」


「いや……、全部俺が悪い。まどろっこしいことしなきゃよかったんだな、最初から」


「……まあ、それは、ね」


 優は私のことを考えていたずらをしてやろうかと思ったのだろうから本当は否定してあげたいのだけども、告白ぐらい普通にやっても文句は言わない。いたずらというのは失敗した時の、不慮の事態が起きてしまった時のことも考えてから実行しなければならないのだ。


「本当に、悪かったな。あー、あとな」


 真面目な表情に戻った優が、私の瞳をじっと見つめる。つい目を逸らしそうになったけど、それはいけないと思って私も優の瞳を見つめ返した。


「俺は今まで葉月と友達ごっこしてたわけじゃないからな。俺はお前のことを友達だと、本当の友達だと思ってたのに、お前は違ったのか?」


「……違わ、ない」


 私だって、そんな言葉言いたくて言ったんじゃない。私を見捨てやすくするための、単なる虚言だ。


「なら、いいんだ」


 優の表情が、また柔らかくなる。


 私は、優のこういう所が好きなんだ。


「それで、順番逆になっちまったんだけ、ど。ほれ」


 優が私に何かを手渡してくる。


 それは先ほどアクセサリーの店で買ったものがはいっている手提げの袋だった。


「……いいの?」


「ああ、葉月に買ったんだからな。受け取ってくれるんだったら、そうしてほしい」


 私は頷いて、それを受け取る。見た目によらずしっかりとした重みが伝わってきて、少し驚いてしまった。


「開けてみな?」


「え、でも」


「いいからいいいから」


 中身は分かっているのだけども。そう思いながらも、手提げの袋の中に手を入れて、中に入っている物を取り出した。


 あれ、意外と小さい……?


 私が手提げ袋から取り出したものは、決してネックレスが入っているような大きさではなかった。手のひらになるような、小さい箱。アクセサリーを買ったことが無いので、本当にネックレスが入っていたら私の思い違いなのだが。


 開けようと手を添えて、優の表情を伺う。首を縦に振ったのを確認して、私はゆっくりと箱を開けた。


「これ、って……」


「本当はこっちで驚いてもらう予定だったんだけどな」


 そこに入っていたのは、私がアクセサリーのお店で試着していた緑色の石がはめ込まれた指輪。


 私があの中で唯一欲しいと思った、まさに私が選んだものだった。


「ど、どうして……?」


「あー、元々俺が選ぶ気は無かったんだ。正直わからねーし、葉月が気に入るとも思わなかったからな」


 ……確かにそうだろうな。全く否定する気は無いが、なんだか失礼ではないだろうか。


「だから、葉月に選んでもらおうと思って店員さんに頼んだんだ。事情説明するのにえらい時間かかっちまったが、葉月が気に入るのがあってよかった。どうしても、葉月に指輪を渡したかったからな」


 だから最初あんなに店員さんと話していたのか。こうしてまた一つ、謎が解ける。今思えば疑問に思うことなどいくらでもあった。なのに、不機嫌な私は見過ごしてしまっていたのだ。


 ……いや、私に指輪を送りたい意味は今でも分からないけど。


「……どうして?」


「ちょっと恥ずかしいんだけどな」


 優が箱の中から指輪と、私の手をとった。


「昔から指輪は約束の証って、言うだろ? 本気だってこと伝えたかったし、信じて欲しかったからな」


 そして、私の左手の薬指にはめる。


「っつーわけで、約束しよう、葉月」


 もちろんそれは、ぴったり私の指にあっていた。


「これからも、一緒にがんばろーぜ」


「……うん」


 私たちがこれからどうするのか。指輪の位置が示すそれを、優がわざわざ口にすることはなかった。


 だから、私も口にすることはしない。


 きっと、いや、二人とも分かっているのだから。


「……帰るか、さすがにもう寒いな」


 照れ隠しのためか、わざと目を逸らしながら優はそう言った。私の部屋だけどな、そう言うのも無意味なように感じられたので、頷くだけにしておいた。


 確かに、今日は寒い。


「ほら、行こうぜ葉月」


 優が先に立ち上がって、私に手を差し伸べた。その手を素直に掴み、立ち上がる。


 でも、それ以上に今日は暖かい。


「……このままで、いい?」


「……ああ」


 そのまま、手を繋いだまま私たちは歩き出した。


「それにしても……、俺いたずら考えるセンスねーな」


 優の苦笑は、どこか清々しいように見えた。その頬は、先ほどよりももっと紅く色づいている。


「そうだね。リスクとか考えないと」


 私は笑って、皮肉を返した。


「これからはやっぱ、葉月に任せるわ……。下手なこと考えるもんじゃねーな」


「任せといてよ」


 私達らしい会話を続けながら、私たちは歩き続ける。


 同じ方向、同じ場所に向かって。


 きっと、それはこれからも続くのだろう。


 私は、鳳仙花だ。


 今までも、そしてこれからも。


 一度弾けてしまった鳳仙花の果実は、もう戻ることはない。


 しかしそこから飛び出した種子はやがて芽吹き、また花を咲かす。


 次に咲く花は、今までよりもずっと、綺麗な花になるだろう。


 何だか、そんな気がした。

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