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第一話

夜の山道を、新田音矢は歩いていた。


闇の中にうごめく群れの気配を、彼は感じ取る。

足音を潜めて接近し、藪に隠れて様子をうかがった。


群れの中心にいるのが、首領だろう。音矢が探していた死霊術師だ。


強い風が吹き、雲が流れ、それに隠されていた満月の光が首領を照らす。しかし、頭巾をかぶっているので顔は見えない。


彼は骸骨が先端についた杖を振りかざした。


「我が、屍傀儡たちよ! いまこそ攻撃の時だ! 

 この島国を蹂躙し、征伐せよ!」


その声に応じて、腐り果てた死体が数百体、よろめきながら立ち上がり、都に向けて行進を始めようとしている。


音矢は懐に手を入れ、陰陽師にもらった木札をとりだす。


その木札を天高く投げあげ、

「火之迦具土神の御力をもちて、

 護国の炎よ、朝敵を滅せ! 急々如律令、勅、勅、勅!」

彼は教わった言霊を発した。


放物線の頂点で、木札は明るく輝き、紅蓮の炎がうごめく屍たちを襲う。 


しかし

「[屍館錬成]!]

地の底から響くような声で唱えられた呪文で、杖の骸骨が巨大化した。死霊術師はその中に入って炎を防ぐ。


「おのれ、逆賊め!」

音矢は腰の剣を抜き、柄を握りしめる。


「建御雷!」

愛剣の真名を唱え、封じられた神の力を呼び起こした。

青白い雷光をまとった剣を振りかざし、音矢は敵に向かって走り出す……






(あ、夢か)

(いいところだったのに、目が覚めてしまった)

(夢の中の僕、勇ましかったな)


音矢は布団の中で体を伸ばそうとする。しかし動かない。頭の横に、なじみの気配を感じる。薄白い等身大の塊。[オバケくん]だ。音矢は目も鼻も口もない相手に、愚痴をこぼす。


(僕が、いつもやっている戦いとは大違いだよ)

(夢の中みたいに、恰好よく戦ってみたいものだけど)

(現実は……)


先日の戦いを、音矢は回想した。


挑発して相手の剣を折り、奪った武器で敵を攻撃したが、剣術の心得がない音矢は致命傷を負わせることができなかった。


次に窒息させようと、空間界面で敵の顔を覆ってみた。その際、できるだけ早く敵の肺から酸素がなくなるように、音矢は相手が息を吐かざるをえない状況を作ろうと思った。


(有効は有効だったんだけどね。

 白目をむいて、痙攣し始めたから、

 もうちょっと頑張れば敵は失神してくれたかもしれない。

 僕も苦しくなってきたから、空間界面を解除してしまったけれど……)


音矢はため息をつく。

(息を吐かせるためにやったことが、ニラメッコだからなあ)


音矢は自分の顔を包む空間界面を敵の顔に押しつけ、その目の前で滑稽な表情を作った。変な顔を見た敵は笑い出し、結果として肺に残る空気を吐いてしまった。


(もっと威力のある攻撃手段が欲しいな。

 そうすれば正々堂々、格好良く敵を倒せるのに)


音矢は頭の横にうずくまるモノの気配を探る。

オバケくんは、あいかわらず何も答えなかった。




――さあ、昔々の物語を始めましょう。

 これは、異なる世界の物語――



――そして、嫌われ者が更生する物語――






オバケくんと話している間に音矢は再び眠り、目覚めた時には金縛りは解けていた。

寝床のなかで伸びをすると、枕元に置いた雑誌が手に触れる。それは寝る前に読んでいたものだ。


この貸家には電気スタンドがあったので、布団の上でゆっくり読書をするという贅沢を音矢は毎夜楽しんでいる。呉服屋に奉公し、雑魚寝していた時にはとてもできなかったことだ。


(あの夢は南方実篤さんを始末したときの記憶と、

 この小説が混じったんだな。

 ……[萬文芸]の[真夏の怪談特集]……)


音矢が昨晩読んだのは、西インド諸島に伝わる屍奴隷伝説と、ブラム・ストーカーの【吸血鬼ドラキュラ】を組み合わせ、平安時代の日本を舞台にした小説だ。


音矢はミカン箱を改造した自分専用の本棚に、雑誌を戻した。これも呉服屋で雑魚寝をしていたころには思いもよらぬ贅沢だ。


奉公人が持てるのは、柳行李一つの荷物と、布団一枚の寝場所だけ。それにひきかえ、今の音矢は個室をもらい、自分の好きな本を集めて本棚の中身を充実させていける。このことだけでも、音矢は研究機関に雇われたかいがあると喜んでいた。






身支度を終え、音矢は朝飯の支度を始める。


瀬野を迎えた食事会では多くの品数を出しているが、普段の食卓は経費節減のため質素に勤めている。朝は一汁一菜に漬物を添えるくらいだ。そもそも、オカズよりも米の飯を大量に食べて腹いっぱいにするのが、この時代の日常だった。


昼は翡翠の好みにあわせて麺類。夕食は朝にまとめて炊いておいた冷や飯を使って焼き飯や丼物を作り、それに汁か和え物を添える。駅前商店街の特売がある日には、いなり寿司やコロッケなどを買うこともある。



今朝食べるアジの開きは昨日買って、夕食を作るついでに焼いておいた。もう8月なので、生のまま一晩おくのは危ないと思ったからだ。


この貸家には冷蔵庫が備え付けられていないし、もしあっても氷屋は自殺者が次々に出る家を怖がって配達に来てくれないから使用不可能だ。


1930年〔光文5年〕では、電気式冷蔵庫も一般に普及していなかった。そのため、この時代の干物は焼くと表面に白い結晶がふきでてくるほど塩分が強い。保存性を高めるためだ。


飯が炊けたので、蒸らしの段階に入る。音矢はカマドから熾火を引き出し、七輪にくべた。蒸らす時間を利用して味噌汁の支度を彼は始める。


頭とハラワタをとった煮干しは飯を炊く前に鍋に入れ、水に浸しておいた。その鍋を七輪にかける。


出汁がとれるまでの間に、音矢は新聞紙をほどいて、包んでおいたナスを取り出す。

台所用のバケツに汲みおいた水で洗い、薄切りにしてから大き目の丼に入れて塩水にさらしアクを抜く。鍋に浮かんできた煮干しのアクもすくって捨ててから、音矢は鼠入らずから油あげを出し、細く切る。


手を動かしながら、音矢は昨晩読んだ小説のことを考えた。

(あの[山桜 風]という作家は何でも混ぜくるな。

 せんにもフランケンシュタインと恐竜人と地球空洞説を混ぜた話を

 書いてたような気がする)


連想は小説の設定に移る。

(屍傀儡たちは、死んでいるから子供を産めない。

 だから仲間を増やそうとして、生きた人間に噛みついて毒を注入して殺す。

 死体は蘇って新しい屍傀儡となる。これは吸血鬼の繁殖法だ。

 でも脳みそが腐っているからドラキュラたちほど頭がよくない。

 それで、死霊術師の言うなりに動く)


音矢は屍傀儡の姿を想像して、ぞっとする。

(もし、そんなものが実在したら嫌だ。自分がなるのはもっと嫌だ)


(生きてさえいれば、

 奴隷にされても逃げるなり反逆するなり、

 それもダメならいっそ支配者に媚を売って待遇を改善してもらうとか、

 せめて空想だけでも楽しむとか、

 いろいろと自分を救う方法を実行できる。


 でも屍ではそんな知恵を使うこともできず、

 ただ言われるとおりに動きまわるだけ。そんなの、みじめすぎる)


手慣れているので、考え事をしながらでも作業は進んだ。カルシウムの補給に、煮干しも具として食べるのが新田家のならわしで、音矢はそれをここでも適用している。味つけは赤味噌だ。

味噌汁も出来上がり、音矢は食卓のほうの準備にかかる。






津先敏文は道端にアリの巣を見つけた。

ゴミ捨て場の横に空いた小さな穴から、黒い虫が這い出て行列を作っている。ゴミの中に旨い餌でも見つけたのだろう。


彼は立ち止まり、黒縁眼鏡の位置を直した。小石を拾い、それを小さな穴の上に置く。道端にしゃがみ、眉を隠すほど長く伸ばした前髪を朝の風に揺らしながら、津先はアリを観察する。



今日は日曜日だが、彼は集会所のある公園の管理事業部に直行する。[真世界への道]の講演会を予約するためだ。公園管理事業部は月曜日が定休日だそうなので、こちらが合わせる形で変則的な出勤になった。

今日は予約するだけで一日分の給料が出て、月曜日には代休がもらえる。そこらへんは気前のいい職場だ。だから津先は遅刻に焦ることなく道草を食う。


餌を持って帰ってきたアリたちは、穴が塞がれているので家に入ることができない。行列は巣の周りをとりまき、混乱する。


その働きアリたちが全てメスなことを、彼は知っている。

[萬文芸]の昆虫特集で得た知識だ。


彼女たちは巣の中で待つ女王アリと幼虫たちに与えるための餌を集めていることも知っている。


アリの群れには新しい女王と結婚するためにオスも何匹かいることも知っている。


アリは空を飛びながらオスとメスが交わり、一生分の精子をメスは腹の中にためこむことも知っている。



彼はそれを擬人化して想像した。


冠をかぶった高貴な女性と、清らかな幼女たち。

彼女たちが飢えて苦しむようす、そして、巣の中にいる女王と幼女を心配して身悶える召使女たちを妄想した。


そして、閉じ込められた絶望から、正式な結婚飛行をあきらめた男たちが、自分の母である女王と、まだ生殖適齢期に達していない妹たちを凌辱し、精子をぶちまける光景を脳裏に浮かべ、津先は嗤った。


さらに苦しみを与えるため、虫ケラどもを靴で踏みにじる。


子供じみた悪戯から、猟奇的な妄想を導くことができる。それが津先という男だ。


しかし、巣の出入り口が塞がることなどアリにとっては日常茶飯事で、それに備えていくつもの穴を地面にあけてあるだろうことを、彼は考えようとしない。





津先は中等学校の世界史教師だった。しかし、不祥事を起こしたという理由で解雇された。


その件で田舎の実家からも縁を切られた彼を救ってくれたのは、[真世界への道]だ。友人の友人を介した手づるで就職することになった。


最初は業界紙の発行を行う小規模な会社を設立するということで、代理人として雑居ビルに事務所を借りる契約を行ったのだが、実際の仕事は違っていた。


[真世界への道]という文芸同好会の運営雑務の管理。

それが彼に与えられた仕事だった。


津先は次に、郵便局に出かけて[個人箱]の開設手続きをした。


元号が〔昭和〕ではなく〔光文〕となった世界の郵便事業には、このような制度がある。


所定の申込み手続きをして料金を払えば、大量に届けられる郵便物を局内の倉庫に設置された箱に預かってもらうことができる。主な利用者は、同人誌作成などの趣味の会合を取りまとめる者たちだ。

この時代では、[アララギ派]や[白樺派]の活動に影響されて、日本各地で素人文芸誌が発行されていた。個人箱の容積は契約内容を変更することで増減できるが、それを越えた大量の郵便物を取り置くには[法人箱]という契約になる。


[真世界への道]の窓口になっていた人が先日辞めたので、改めて津先名義の[個人箱]を受け取り口にすると、礼文は説明した。



郵便局に訪れて手紙を受け取る以外は、[真世界への道]の小冊子を印刷するための紙やインクなどの補充などと、掃除や電話番が彼の仕事だ。


といっても電話がかかってくるのは彼の上司である礼文からだけ。

礼文は来所して、個人箱ではなく[真世界への道]事務局に直接届いた手紙を持ち去る。あるいは発行する小冊子の印刷と会員への発送を行う。その作業は津先も手伝うが、[真世界への道]への客人が来るときは、お茶出しさえ津先にやらせず、礼文だけで接待する。


奇妙な仕事だとは思っていたが、同時に楽な仕事でもある。そのため給料は安いが、ほとんど上司の目がない。印刷の手伝いがない日は、内職として別会社から委託された封筒のあて名書きを行うのも自由にできる。



銀座の裏通りに面した雑居ビルの一室で仕事をこなし、余った時間は文芸誌を読んで時間をつぶし、退社時間になればバスに乗って下宿に帰宅し、銭湯で汗を流してから飯を食い、寝る。


毎日が同じことの繰り返し。幼いころからの夢だった教職から追放された屈辱と、身内から見捨てられた恨みで一時は呆然自失のありさまだったが、そんな静かな日々を送るうち、津先は徐々に気力を取り戻していた。


だから、いきなり上司から退職を切り出されたとき、彼は再びの絶望を味わった。





7月の初旬、彼の上司である礼文が、衝撃的な発言をした。

呆然とした津先は言われたことをオウム返しする。


「……[真世界への道]を主宰するおかたが、もっと会員を増やそうとしている。

 そのための講演会を行いたいので、

 講師もできる人物を新たに雇い入れたいから、俺をお払い箱に?」


「ああ、そうおっしゃられた。

 君は[真世界への道]の思想に興味がなく、

 たんなる事務作業として小冊子発行の手伝いをしているようだから、

 私としても推薦できない」


礼文は他人事だから冷静なのだろうが、津先にとっては重大事だ。血相を変えて彼は抗議する。


「いきなり人員整理とはあんまりですよ! 俺にやらせてください! 

 これでも元教員です。講師くらい、立派に勤めて見せます!」


「それは心強い。

 私も今から別の人を雇い直すのは問題があると、主催者に申し入れてみる。

 それには君が講師にふさわしいという証が必要だ。

 君も事務に携わるだけでなく[真世界への道]の会員になり、会報を読み、

 その感想を述べた文を提出してくれ。

 出来栄えがよければ、講師としての仕事を与えられるだろう。

 もちろん、給与も上乗せしてもらえる」


津先はそれまで発行された小冊子をまとめて読み、[真世界への道]の思想を賛美する内容の感想文を書いた。そして礼文を通じて主催者に提出した。


彼の文章が認められたことを、事務所に訪れた礼文は告げた。それは昨日の夕方だ。津先は[真世界への道]の会員、それも講師としていきなり高い階級の会員になれたのだ。




「ありがとうございます。がんばります!」

礼文に頭を下げた津先の顔には安堵の笑みがうかんでいた。


さっそく、講演会の打ち合わせをするということで、津先は礼文と机を挟んで向かい合って座った。

すでに大まかな構想はできている。彼は張り切って、資料を机の上に広げた。


「ここの近くにある京橋区の区役所に、

 集会所のある公園を案内するチラシがありましたので、

 もらってきました。見てください」


合格判定を待つ間に、津先は次の仕事の準備をしておいた。

合格すれば、講演会の開催を命じられる。それがわかっていながら結果を待つ間を無為に過ごしたとなれば、自分の評価は下がるだろう。しかし、合格した次の瞬間に、講演会の手筈を披露すれば、気がきくやつだと認めてもらえるはず。


津先は、そう先読みして考え、実行したのだ。


「講演会場を公園の集会所にするのか」


「はい、震災の避難所として作られた公園は帝都各地にあり、

 平時は市民の会合用に集会所を貸し出してもらえます。

 ここなら費用もそれほど掛かりませんし、

 その分を客寄せのビラ印刷代にまわせますよ。

 ビラを沢山の人に配布して会員を増やし……」


お褒めの言葉を期待して、津先は礼文の顔色をうかがった。

だが、その異国人めいた顔には困惑が浮かんでいた。


「いや、今回は新規会員はそれほど集めなくていい。

 最初はあまり大がかりなものでなく、

 都合のつく会員だけを集めて、これからの運営の参考とする。

 いわば実験だな。

 

 つまり、今回は参加人数の多寡は気にせず、

 一般会員の親睦をはかる会合を近日中に開けばいい。

 できれば1か月以内が望ましい」


「でも、それは……難しそうですよ。

 集会所は他の団体も予約しているでしょうし。空きがないことには」


正論を述べたら、礼文には渋い顔をされた。が、津先にしても不可能を可能とすることはできない。


「別に、公設の集会所にこだわる必要はないのだが

 ……まあ、確認はしてみるか」

礼文は独り言のようにつぶやいた。そうして、しばらく所在地が記された地図を見ていたが、やがて机に戻し、一点を指で示した。その表情は先ほどとは異なっている。


「よろしい。君の意見を入れて、最初の講演会はここにする」


アリをいじめている津先の脳裏に、昨日の記憶がうかぶ。


(あの時の表情……まるで、笑いをこらえているような顔だった)

(なぜだろう。別に面白いことなんかなかったのに)


疑問を感じたが、津先には答えを出すことができなかった。


指定された集会所は大神公園にある。

その近所に住んでいた松木呉羽という少女と、[真世界への道]との関係。

それを津先は知らない。礼文は彼女が[真世界への道]に関わっていたことを、この時点では口にしていないからだ。



やがて、アリに対する嫌がらせに飽きた津先は、大神公園行のバス停留所に向かう。


松木呉羽は礼文にそそのかされて、自らの家族を惨殺したのちに、新田音矢に処分された。

そのことを津先が知るのは、これから約一か月経過してからだ。




次回に続く




次回は 6月 14日(火曜) 20:10ごろに投稿予定です。

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