第九話
掛け声とともに、悪魔を両断する……つもりだったが
「なに!」
宝剣は敵に当たる前に先端が壁に刺さる。
壁土にめりこんで動きを止めた剣の付け根に、何かがぶつかった。
テコの支点となり、強い力がかかる部分に打撃を食らい、宝剣が折れる。
驚いている実篤の手首に、剣を折った物体がさらに迫る。鎖を引いてからみついたそれは、
「ペンギン!?」
おどけた姿のオモリを見て、実篤は怒った。
「ええい! 我を愚弄するか!」
悪魔を捕まえるため右手を引く。しかし敵はあっさりと鎖を手放した。
腹立ちまぎれに手を大きく振って、実篤は鎖をほどく。
「翡翠さん! アレを!」
叫びながら、敵は横っ飛びに逃げる。畳に落ちる前に、悪魔の体は緑に光る繭のようなものに包まれた。
「それが空間界面か」
悪魔の膜について、あらかじめ礼文に説明されていたことを実篤は思い出した。
「どうせ、3分もすれば空間界面を解除せざるを得ないのだろう。
窒息するからな。
しかも、それをまとっているときはこちらに攻撃できない。
我は安心して宝剣を回収……」
刺さった剣を抜くため、壁に近づこうとした足が動かない。
「なんだ?」
不審に思い、下を見る。
そこには空間界面につつまれた天使がいた。彼は実篤の足にしがみついている。
「1、2、3……」
なんのつもりか、天使は大きな声で数をかぞえていた。
「こら! 放せ! なぜ邪魔をする! それはあなたの仕事ではないだろう!」
実篤は天使の首根っこをつまもうとしたが、空間界面にさえぎられて届かない。力を入れても、緑の膜はフヨフヨするだけで手ごたえがない。
もがく彼の前に悪魔が立った。彼は両手を合わせる。手を包む空間界面も融合する。そしてゆっくり離すと、手と手の間に紐のような部分ができた。
「20、21、22……」
数えている天使をそのままにして、紐を壁に刺さった宝剣にグルグルと巻きつけてから、身体ごと水平に回し、悪魔はそれを引き抜いた。
抜いた勢いで、敵は剣を実篤に叩きつける。
「ぎゃあああ!」
とっさにかばった、その右腕を剣は切った。実篤が作り上げた鋭い刃が、彼自身の手首に食いこんだ。
「やめろ! 痛い! やめろというのに!」
悲鳴を上げる実篤を、悪魔は奪った剣で切りまくる。しかし紐でからめた剣を両手で空間界面越しにはさみ、そのまま振るだけなので力がこもっていない。空間界面にさえぎられてしっかりと握れないのだ。
「痛い! 痛いよお……」
実篤の目に涙がうかび、口からはすすり泣きの声が漏れる。しかし、悪魔は容赦してくれない。
剣の切れ味のみの効果で、体をかばう実篤の腕肉が削がれていく。肉と共に、気力と体力の量も減っていくように感じられた。
「ごめんなさい! 唯日主義も[真世界への道]もゴミカスです!
もう脱会するから、ゆるしてください!」
泣きごとを言う実篤の前で、緑の光が消える。
「はあっ、はあっ、はあっ」
荒い息を吐く悪魔が、軍手をはめた手で剣を握りしめた。
「53、54、55……」
天使は相変わらず、数え続けている。
「ああああっ!」
掛け声とともに、宝剣が突き出される。
とっさに実篤は横に倒れた。自分の削げた肉の上に、彼は転がる。
その瞬間、実篤は体に力が戻り、痛みが消えたのを感じた。削られた神代細胞が再び体に融合し、傷を修復したのだ。
戦う気力を取り戻した彼は、懐に左手を入れる。破れた服の中には、彼が求める物があった。
「たあっ!」
鞘ごとのナイフで悪魔の足を狙う。
しかし遅かった。狙いが外れた剣を投げ出し、すでに敵は実篤の上を飛び越えていた。
畳の上に下りた時、再び悪魔は空間界面に包まれている。そのまま体をひねり、実篤の上にのしかかった。
「翡翠さん、離れて!」
「62……」
少し苦しそうな声で答え、天使は転がるように実篤から遠ざかった。
一方、悪魔は実篤の首に両腕を巻きつけ、空間界面ごと顔を押しつける。まるで口づけをせまるような体勢だ。
「こら、なにをす……む……」
柔らかい膜で顔を覆われ、実篤は息ができなくなった。
敵の腕をほどこうにも、空間界面はムニムニして掴みづらい。肉を削られたときの流血が手のひらにも付いているから、なおさら滑る。
(窒息させるつもりか!
しかし、空間界面に包まれているなら、悪魔も呼吸が苦しいはず。
精神力の強いほうが勝つ! ならば我に利がある!)
実篤は、敵を視殺せんと、目に力をこめて空間界面越しに睨みつける。
対する悪魔は目を寄せ唇も突出し、ヒョットコのような表情を見せた。
「ぶふ」
いきなり変な顔をされて、実篤の腹筋が動き、呼気が押し出された。肺から出た空気は柔らかい膜にわずかな隙間を作り、外に抜ける。
さらに悪魔は舌を出し左右に振り、濃くて真っ直ぐな二本の眉を交互に上下させ、ますます滑稽な顔になる。
「ぶふふふふふ!」
笑った拍子に、肺の中の空気が大量に放出された。それが外に抜けてから、悪魔はさらに力をこめて空間界面を押しつけてくる。
息を吸おうとすると、かえって膜が実篤の顔に張りつく。
頭が痛い。めまいがする。指先から体が痺れていく。視界が暗くなっていく……
「……178……179」
悪魔の微かなつぶやきと共に、圧迫感が消えた。
「はっ、はっ、はっ」
離れたところで、荒い息が聞こえる。
「ぐはっ」
実篤も、無我夢中で呼吸をした。新鮮な空気が肺に流れこむ。完全に回復する前に嫌な気配を感じ、実篤は横に体を転がす。
「まだ、意識があったのか!」
悪魔が絶望したように叫んだ。
「……正義は……勝つ……」
実篤は左手のナイフを握りしめて立ち上がる。
「……暗殺実行の前に……予行練習ができてよかった。
やはり、屋内で長物を使うのはうまくないな」
彼の右手に、新しい宝剣が形成されていく。今度は短く取り回しがしやすいものにするつもりだ。
口で左に持つナイフの鞘をくわえて抜き、両手を広げて構える。
「翡翠さん! アレを!」
悪魔がまた叫ぶ。
「同じ手が二度通用するか!」
緑の膜をまとい、身体を低くして正面から足元に迫ろうとする天使を、彼はかわす。
しかし、実篤の背後から空間界面に包まれた手がしがみついてきた。腰も足ではさみ、実篤の身体におぶさってくる。
「こいつ往生際が悪」
実篤の眼の横にある電球の笠が揺れた。それは急激に引き寄せられ、彼の側頭部にぶつかる。電球が割れ、内部のフィラメントが皮膚に当たり
「ぎゅわあああああ」
意識が一瞬、白く飛んだ。
感電した彼は、そのまま仰向けに倒れる。
立ち上がりたくても、手足が痙攣して思うに任せない。
いつの間にか雨は止み、電球の明かりが消えた室内を障子越しに夕日のなごりが照らしている。その薄暗い光景をさえぎるものがあった。悪魔の手だ。
彼の目の前に細い物が迫る。その先端が右眼球の表面を滑り、眼窩の奥に突き刺さる。
「ぐわっ!」
激痛で悲鳴を上げたとき、それは引き抜かれた。
頭の中に異物感がある。
「5、4」
悪魔が、先ほどとは逆向きに数をかぞえる。その声には勝利を確信した響きがあった。
(つまり、我は敗北……我は失格……その結果は)
「3、2」
悪魔の声は無情に続く。実篤は死の恐怖を感じた。麻痺の残る手を無理に動かして目を押えたが、眼窩に指を入れて異物をほじくり出すことなど、できはしない。
「どうして」
このままだと、彼の抱いた夢は叶わずに終わる。
夢を叶えるための努力、それは全て無に帰す。
実篤は絶望し、誰にともなく問う。
「こうなった……」
「1.0」
実篤の頭部は炸裂した。彼の最後の言葉は、図らずも、父の言葉と同じだった。
後部座席で着替えと汚れ物の後始末を終えた音矢は、背嚢から氷砂糖を取り出した。
「あはははは。今回は危なかった。死ぬかと思った。まさに紙一重。
奇跡の勝利だ。あははははは」
ひとしきり笑ってから、甘い小さな塊を口に入れる。
「だから、なぜ、君は生死がかかった深刻な事態で笑うんだ?」
差し出された氷砂糖を受け取りながら、翡翠は問う。
「深刻だからこそ、笑わなければやってられませんよ。あははは」
口の中のものを噛み砕き、水筒の湯冷ましで飲みこんでから、音矢は答えた。
「なにしろ、今回の暴走患者は僕よりも体格が良くて、
その上に剣術の心得まであるという強敵ですからね。
あの構え方と足さばきは、きちんと指導を受けていなければできません。
まともに試合をしたら、絶対に勝てない相手でしたよ。
実際、僕が剣を奪っても、
せいぜいチャンバラごっこモドキの動きしかできなかったし」
家に向けて車を走らせながら、瀬野は訊ねる。
「それなのに、なんであんたは勝てたのよ。また、罠でもしかけたの?」
「ところが、罠に使えそうな家具も片づけられていたし、
二階にも上がってくれなかったので、高低差も利用できなかったんです。
あの人は、礼文からこういう罠に注意しろと助言をもらったと言っていました。
不思議ですねえ。
呉羽ちゃんを始末した事件では、
現場の状況があまりにも残虐なせいか報道規制されて、
新聞でもラジオでも一家皆殺しとだけしか伝えられていないのに……
どんな罠を仕掛けたのか知っているのは僕たち3人だけなのに、
礼文は、どうして僕の手口を詳しく知っていたんでしょうね。あはは」
(さあ、情報漏洩の疑いをほのめかされた瀬野さんは、
どんな言い逃れをするかな?)
彼女の反応を観察しながら、音矢はもう一口湯冷ましを飲もうとした。
「……そう。やはり……研究機関の内部に、礼文の協力者がいるみたいね」
彼の意表をついた答えを聞いて、音矢はむせそうになる。
「な、内通者がいると?」
「音矢くんの証言をもとに考えれば、そういう結論に達するでしょう。
私は研究機関に音矢くんの活躍を報告しているんだもの。
その報告書を読んだ誰かが礼文に手口を教えたのかもしれない。
仲間を疑いたくないけれど……現実は非情だわ」
音矢はルームミラーに映った瀬野の表情を見る。まったく悪びれた様子はない。ハンドル操作にも、乱れはない。
「はあ、それは……また……」
あいまいに返事してから、音矢は次の氷砂糖を口に入れ、考えを巡らせる。
(もしも瀬野さんが潔白だったら、
僕は不当な疑いを彼女にかけていることになる)
反省しそうになってから、音矢はもう一つの可能性を考えた。
(内通者の存在を認めることで、
逆に瀬野さんは自分から嫌疑をそらそうとしているとも取れる。
前回の始末の帰り、僕は制御石の件などで瀬野さんを追求した。
また、僕につつかれるのを予想して、
あらかじめ言い訳を考えてあったのかもしれない)
瀬野個人が礼文と通じている可能性を、音矢は疑っている。それは当たっていた。
しかし、彼にもわからないことはある。
[研究機関]に実体など存在しない。したがって瀬野に仲間などもいない。
そこまでの事情を音矢は推理できなかった。瀬野の嘘はあまりにも大き過ぎるためだ。
このような危険な実験は、科学を進歩させるためならどんな犠牲も辞さないというような、強固な信念のもとに結成された、大規模な秘密組織が行うものだろうと、冒険小説も好きな音矢は考えていた。
特権を持ってはいるがゆえに穏当な一般常識を配慮しない華族と、その無能な息子が状況に流されつつ適当に思いついた実験を、適切な指示もせずにたった2人の現場担当者にすべての手筈を押しつけた状態で行っているという、行き当たりばったりな状況など、音矢は想像していなかった。
彼はいつも綿密な計略を考えてから行動するからだ。
しかも、その現場担当者である瀬野と礼文が、音矢という下請けに安全管理を丸投げしているという無責任な体制であることなど、音矢の理解力を越えていた。
『ここは音矢くんに頼るしかないの』と瀬野は言っていた。
だが、それは彼を英雄扱いし、おだてているだけ。音矢の自尊心をくすぐることで、無理にでも危険な仕事に駆りたてるために言っているだけだと、音矢は解釈していた。
本当は自分に見えないところに秘密部隊でも待機していて、いざとなれば付近の住民を避難させてくれることだろうと期待してもいる。
自分を拉致した手際からそう音矢は考えていた。しかし実際は、別の犯罪組織にその部分のみの業務を委託しただけとは、音矢は知らなかった。拉致を外注されたのは実績と実力のある、まともな実態をもつ犯罪組織だった。
次回に続く




