ブラック、あるいは限りなくブラックに近いグレー
帰りは、トロッコを先に帰して自分たちの足で降りて行った。階段状になっている通路を降りていく。下り坂は、膝への負担が半端ないのだ。ま、どちらにしろ走って降りるなんて気にはなれないが、な。
「アレに乗って帰った方が早いんじゃないかな?」
と、ルーは最初トロッコを指さして言っていたが、私は反対しておいた。確かに四人乗れるスペースはあるが、乗るのは危険な感じがしたからだ。
アレに乗って帰った方が早くて楽なのに……、とぶつぶつ言っているルーの前で、クリスが軽くトロッコを押した。猛スピードで下って行くトロッコ。すぐに米粒程度の大きさになった。
「次は、ルーをアレに乗せてみるか。どんな表情になるか、楽しみだな」
「謹んで遠慮させていただきます」
少し涙目になっているルーが可愛いと思ってしまった。抱き枕にしたい。……何故今、私の視線を受けてブルッと震えるのだろうか? 何というか……、こう、イケナイ感情が湧き上がってくる感じがある。嗜虐心?
「さて、さっさと降りるでござるよ。軍曹殿に怒られるのは、御免こうむりたいでござるからな」
「ああ、怒られるより、モフモフしたいな。あれは、私のモフモフだ」
クリスはクリスで、私とは違う感性の元生きているようだ。もちろん、モフモフしたいというクリスの気持ちは、分からないでもない。むしろ、私もモフモフしたい。ただ、あの軍曹殿がそのような隙を見せてくれるかどうか、分からないがな。
ようやく下に着いた私達を出迎えたのは、トロッコに既に積み込まれた石だった。材質(石質?)は、いったい何だろう? かなりの高さまで積み上げているのだから、かなり凄いのだろう。しかし、騎士団で長く過ごしてきた私だ。宝石にすら疎いのに、石の種類など分からない、否、分かる筈もない。
石の種類を分からない事はもしかしたら、恥ずかしい事かもしれないが、聞いてみて「知らないのか、姫騎士の癖に」なんて馬鹿にされたくはないので、聞かない事にした。皆は、知っているのだろうか……? 「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」とかいう格言を思い出したが、この場所以外で今運搬している石の種類など、知識として使う事はないだろうから、聞かないでもいい気がしてきた。
が、私が物思い(というよりは、バカげた考え)にふけっている時に、近くで誰かが倒れる音が聞こえた。
音のした方向に目を向けると、一人の女性が倒れていた。
「エミリー? 大丈夫? あれ程無理するなって言ったのに……!!」
倒れたのはエミリーという女性らしい。一緒に石を運んできたのだろう、数名の女性に起こされていた。
顔だけ見れば、私達とそう年の頃は変わらないように見えるが、生気に乏しかった。手足も痩せ細り、何故こんな重労働についているのか分からなかった。
「おい、どうした? 何故こんなに痩せ細っている? 担当者は誰だ?」
私達が駆け寄るよりも早く、軍曹殿が駆け寄り、腰をおろしてエミリーの額に手を当てていた。
「む……、かなり熱がある。それどころか、あまり食事も摂っていないように見えるな。おい、担当者は誰だ?」
「ぼ、ボブ様です……」
怯えたように答えるエミリーを抱えている少女。彼女が怯えているのは、ボブ様か、それとも軍曹殿か。
「ボブ? あのクソッたれな“クレイジー”ボブか。おい、ボブを連れてこい。ギルバードが呼んでいると言えば、来る筈だ。この女は、俺がみておく」
軍曹殿の有無も言わさぬ圧力に気圧されたのか、数名の女性は何処かへと走り出した。
「大きな石を、たった数人で運んできただと……? 重労働なんてモノではないぞ。私達がたったの四人で石を運べたのは、魔力があったからだ。あの女性たちからは、さほど魔力を感じなかったが……?」
クリスの疑問は、私達全員が浮かべたモノだ。今ここで倒れているエミリーとエミリーを抱える少女からも、さほど魔力は感じられない。まったくのゼロではないが、私達に比べれば微々たるモノだ。
「ふん、後で教えてやる。“クレイジー”ボブめ、いったい何をやっていやがる?」
軍曹殿の眼帯に覆われていない方の目から、恐るべき殺気が放たれているように感じた。
暫く待っていると、ドスドスと地を踏みしめる音が聞こえて来た。そして、その足音を響かせる存在が姿を現した。
「豚鬼か……」
醜悪な存在にしか見えない。ただ、この“クレイジー”ボブは、小物に見えた。豚鬼皇帝や軍曹殿を知っているからこそ、そう思えるのだろう。普通の人間では簡単に太刀打ち出来ない強さではある、この“クレイジー”ボブも。……いちいち“クレイジー”って考えるの、メンドクサイな。
そんな私のどうでもいい思考を、軍曹殿の厳しい声が斬り裂いた。
「おい、“クソッたれ”ボブ、てめえ、どういうつもりだ? 何故、こんないつ倒れてもおかしくないのが働いているんだ?」
だが、軍曹殿の厳しい声を前にしても、ボブはたじろぐ事さえなかった。
「ああん? 奴隷をどのように扱っても、それはご主人様たる俺様たちの勝手だろうが!! だいたい、こいつらは俺様が担当なんだ。担当外であるてめえは、黙っていろや、この負け犬野郎が!!」
「ほう……、今、俺を負け犬と呼んだか? 豚野郎が」
瞬間、軍曹殿の周囲の空気が変わった。私とクリスは即座に動き、エミリーとエミリーを抱き抱えている少女を二人から遠ざける。サヤとルーはボブを呼んできた女性たちをそっとボブから遠ざけた。
「てめえは、俺と皇帝で考えた労働条件をちゃんと理解しているのか?」
「ああ!? ンなモノ、理解する必要なんてねえだろうが、負け犬野郎が!! いいか、奴隷ってのは、生かさず殺さずでいいんだよ!! だいたい、死んだら皇帝がどっかから補充してくんだからよ、死んだってどうって事ねえだろうが!!」
やはり、この世界では私達は奴隷という扱いなのか? 私が元いた世界にも、奴隷制度の残っている国はあった。人間を、人間として扱わない連中がいた。異教徒は人間に非ずという考えの連中もいた。
支配者が人間ではないこの世界でも、やはり強者が弱者を支配する仕組みは、変わらずあるのだろうか。
「こいつらは、労働者として契約しているんだ。知らねえ筈はないだろう?」
労働者? どういう事だ? クリスたちはうんうんと頷いている。アレ? 知らないのは私だけか?
「だからよお、労働の契約内容とかよお、そんなのどうでもいいだろうがよ。だいたい、人間の女がいるのに手を出せねえってだけで鬱憤が溜まってんだよお、俺も、そうじゃない奴らもよお」
うーむ、このボブは欲望に素直なようだな。豚鬼らしい豚鬼であろう。
「あのボブってのは、物凄く女騎士好きそうな顔をしているね」
「エルフ好きじゃないかな……?」
お互いがボブの性的嗜好から逃れたいのか、いつの間にかルーとクリスが寄り添いあって話をしていた。
「緊張感のない連中でござるよ」
サヤ、いつの間にクリスと場所をチェンジしていたのか分からないが、君も人の事言えないと思うぞ。緊張感のかけらも感じられないぞ。
「簡単な労働条件は、一日八時間労働。で、休憩時間はちゃんと一時間以上。週休二日、残業は基本的になしだ。で、一定期間が過ぎたら元いた世界に戻すか、好きな世界に行かせる、こいつらはそういう条件でこっちの世界に連れて来ているんだ。知らねえとは言わせねえぞ!!」
のんきに駄弁っていると、軍曹殿の声が響き渡った。そんな労働条件、私は聞いた覚えはないぞ。あ、でも、豚鬼皇帝がカダス帝国に来た時、労働力の確保が目的とかそんな事を言っていた覚えはあるな。
「だからよう、どうでもいいんだよ、そんな事は。奴隷なんざ、二十四時間働かせたってなんて事はねえんだよ。ノルマを達成できなかったら、深夜に一人で残って仕事をするなんざ、当たり前だろうが!!」
下卑た笑い声が、響く。
「深夜に一人で仕事、だと?」
軍曹殿の声が低く、沈んでいく。親しみやすさなど、感じる事が出来そうもない声だ。
「それとも、俺様に奉仕させるか、性的な意味で? まあ、それだけはしないようにと、皇帝からの厳命があるから女どもに手は出していないがよお、いい加減我慢出来そうにねえぞ、俺様。一人二人使い物にならなくなったとしても、運悪く死んだ事にして皇帝に補充を頼めばいいだけだからなあ……」
ボブは、軍曹殿が纏う空気が変わった事に気付かないようだ。先程よりも、空気が重い。汗が出て来そうだ。冷や汗が。
「深夜に一人作業させているだと……? 貴様、俺が必死で作り上げた労働条件を、労働者との契約を何だと思っていやがるんだ!?」
「皇帝に負けて尻尾振ってる負け犬のてめえが作り上げた契約なんざ、この俺様が……?」
ボブは何を言おうとしたのだろう? 彼の右腕は肘から先がいつの間にか消失していた。肘からピューピュー噴き出す血を呆然と見ていた。
「な、何だ? 何がどうなっていやがるッ!?」
「俺が負け犬だと? 例え負け犬だとしてもだ、俺は皇帝以外に負けたとは思っていねえ。貴様などが俺に勝てると思っているのなら、片腹痛いわ。で、俺が異なる世界で必死に学んできた労働条件や労働契約が何だって? 俺はな、この世界がニンゲンどもに優しくない世界だって知っている。だが、俺が労働者の取りまとめをしている以上、ブラックだなんて呼ばせねえ。いつ強盗に襲われるか分からねえ深夜の一人作業など、危険極まりねえだろうが……!!」
軍曹殿は何を言っているのだろうか? ワンオペ? 異なる世界で労働に関して学んできた? ワケが分からん。
が、一つだけ分かるのは目にも止まらぬスピードで振るわれた軍曹殿の戦斧が、ボブの右肘から先を斬り飛ばしたという事だけだ。
「この、犬畜生がぁッ!!」
「お前如きじゃ、俺には勝てねえよ」
左手一本で振るわれたボブの戦斧を軽くかわし、軍曹殿はボブの左肘から先を斬り飛ばした。
「次元飛翔出来ない豚鬼は、ただの豚鬼だ、俺にとってはな」
手がない事に泣き叫び、のたうつボブを冷酷そのものの目で見おろす軍曹殿。
「さて、こいつらに謝るか? 謝ってしっかりとした労働条件のもとで働かせるというのなら、傷を治してやるぞ、どうする?」
幾分雰囲気が柔らかくなった軍曹殿がエミリーたちを指さして、ボブに告げる。
「誰が奴隷に謝るかよッ? 犬畜生のテメエに命乞いなど、この俺様がするワケねえだろうがッ!! 俺様は――」
ボブは何を言おうとしたのだろうか? 言い終わる前に軍曹殿の戦斧が一振りされ、ボブの首から上はどこかへと飛んで行った。
「フン、屑が。職場がブラックだなんて、ネットで叩かれるだろうが……!!」
ネットで叩かれるとは、何だ? 軍曹殿はどのような人生、否、犬生を歩んで来られたのだろうか?
「おし、お前ら、数日間は休んでいいぞ。医務室にもちゃんと行くようにな。今度は、労働条件をしっかり守るヤツを担当者にさせるからな」
軍曹殿は柔和な微笑みをエミリーたちに向け、彼女達が医務室へと歩き出すのを見送ったのだった。
「お前たちに帰って休んでいいと言ったワケじゃないぞ」
ドサクサに紛れて帰ろうとしていた私達は、あっさりと軍曹殿に捕まり、エミリーたちの仕事までやらされる羽目になった。
泣きたくなるよ……。




