序章
「そんな目つきで睨みつけても、現状は変わらん。受け入れるのだな、そう、これが現実ってヤツだ」
見下すように私をみる目の前の男、否、豚鬼を睨み返す。
「現実、だと……? 無理やり私をこのような場所まで連れて来ておいて、現実を受け入れろ、だと?」
「ああ、そうだ、姫騎士さんよ。あんたは国では重要人物だったかもしれないが、今、ここでは単なる奴隷だ。まあ、オレは寛大だからな。言葉遣いに目くじら立てるつもりは、全くねえ。好きなように喋ってくれて構わん」
「奴隷、だと? この私が?」
突きつけられた、現実。
ここで、この世界で、私は豚鬼の慰み者となって生きていかないといけないのか?
そんな現実は、受け入れられるモノではない。断じて、そう、断じて否、だ。
「ふざけるな!! 貴様の奴隷になどならん!! 貴様の奴隷になるくらいなら、死を選ぶ!!」
手を縄で縛られているとはいえ、未だ魔導鎧も、聖剣も取り上げられてはいない。手が自由になれば、例え敵わずとも一矢報いてみせる――!!
「ほう、オレの奴隷になる事は、我慢ならんと、そう言うのか?」
「ああ、そうだ!!」
当然だ。誰が豚鬼の奴隷になどなるか!! 私には、心に決めた相手がいるのだ。その者と結ばれない、というのならば、ここで、刺し違える事は出来なくとも――。
「ならば、いいぞ、帰っても」
「例え刺し違える事すら出来なくとも――、何だと……?」
「帰ってもいいと、そう言ったのだ。送ってやるぞ、貴様のいた世界にな」
「…………愚弄しているのか、この私をッ!?」
ニヤニヤと笑う目の前の豚鬼が、憎い。いきなり王城に現れ、騎士や兵たちを蹂躙し、私をこの世界へと連れて来た身の丈二メートル強の豚鬼が、理解出来ない。いったい何を言っているのだ、コイツは? 思考が、乱れてしまう。
「ただ、貴様を送り返した場合、貴様の国からまた別の人間を連れてくるだけだ。その者は、貴様の事を何と思うかな? 姫の代わりになる事を喜ぶかな? それとも、姫の代わりにこんな世界に連れて来られて、奴隷となる事をよしとせず、貴様を憎むかもしれんな。我が身可愛さに、逃げ出した姫騎士である貴様を、な」
「なっ……」
帰る事は出来るが、私が帰った場合は、別の誰かを連れてくる、だと?
「貴様、なんと姑息な……ッ!?」
「こういう場合は、姑息などと言わずに、卑怯と言って欲しいな。オレが欲しいのは、姫騎士たる貴様よ。他の人間など、たいして役に立ちそうにないからなあ」
豚鬼の口が、歪む。これ程邪悪な笑みを、私は今まで見た事がない。おもねるような、媚を売るような笑いは今まで何度も見た事はあるが、こんな邪悪な笑みを見たのは初めてだ。背筋を、冷たい汗が走り抜けた。
「くっ、殺せ……!!」
「貴様が自死を選んだ場合も、オレに殺された場合でも、貴様の国から誰か補充するだけだ。その場合は、この世界に連れてくるのは一人じゃすまないかもしれんな……」
「な、卑劣な……!!」
「そう、それでいい。卑劣だとか、卑怯だとかはオレにとって褒め言葉よ」
死も選べない、だと? 私は、目の前の豚鬼どもの慰み者になるしか、選択肢はないのか……? 大切な、心に決めた者と結ばれる事すらなく、この地で、奴隷として生きるしかないのか……?
「フン、泣いたところで貴様の扱いが変わるワケはない。おい、連れて行け」
豚鬼からかけられた声で、ようやく私は気付いた。今、私は涙を流しているのだ、と。これからの人生に、闇しか見えない。絶望が、身を包んだ。
気が付けば、私は手首に巻かれた縄を先程の豚鬼よりも小柄な豚鬼に引かれて、歩いていた。
地下牢のような場所に連れて行かれるのだろうか?
そして、そこで豚鬼どもの慰み者にされてしまうのだろうか?
思考は、底なし沼に沈んでいくようだ。
「着いたぞ、この部屋がこれから貴様が暮らす場所だ、姫騎士さんよ。せいぜい仲良くするんだな。二、三日後から、貴様にも働いてもらうぜ」
小柄な豚鬼――小柄と言っても私よりは背が高いが――に背中を押され、私は部屋へと足を踏み入れた。
そこには、三人の女性がいた。歳の頃は、私とたいして変わらないだろうと思える女性たちだった。
そこで、私は生涯の親友と呼べる事になる三人との運命の出会いを果たしたのだった。




